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静かに浸透するこの人たちの情熱
――ボディビル加淵道場――

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月刊ボディビルディング1969年6月号
掲載日:2018.02.26
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山田 豊

ボディビルの持つ社会性

 ボディビルは――
「――年とともに体力低下のいちじるしくなる年代の人、あるいは年は若くても体力のない人、または運動不足におちいりがちな家庭の主婦、そういった人たちにこそ最も親しまれ、愛され行なわれるのが本当の姿ではないでしょうか。ミスター日本をつくるというようなことは、そのほんの一部分だ、と思うのですが」

 と、ボディビル加淵道場のリーダーである加淵清太郎氏は語る。

 この言葉、加淵氏の体験がいわせたものにほかならないことはいうまでもない。

 最近、たしかに社会体育の必要性が論議されてきたが、加淵氏のボディビルに対する見識は、はからずも、ボディビルの持つ社会性を明らかにしている。社会体育としてのボディビルが、もっと身近なところで普及されていいことを、加淵氏は実践を通して把握したといっていいだろう。

 加淵氏のボディビルは、52歳のときにはじまり、今年の8月でキャリア満6年に達する。が、加淵氏がボディビルをやりはじめた動機は、たんに、急速に目立ってきた体力の衰えをうれえ
たからではなかった。長年にわたって胃弱に悩まされた結果である。

 胃下垂だったところへもってきてそのころ潰瘍の徴候も加わり、ついに入院を勧告されるまでにいたったが、たまたま、知人が自宅でバーベルで鍛練しているところを見て、にわかに、悟るところがあったのだ。ボディビルによって、自力で立ち直ることはできないか、と考えたのである。そしてその決意は、直ちに実行に移された。

 だが、加淵氏はジムに通ったわけではない。個人的に権威者の教えを乞うたことはあったが、ほとんど窪田登著「ボディビル入門」その他の解説書を杖としての独学で今日に及んでいる。

 健康回復の道をボディビルに求めようとしたときの加淵氏の決意は、すこぶる勇気あるものといいたい。みずからスケジュールの立てられる自宅療法は、拘束された入院生活よりは、一見はるかに楽そうだが、それはかなりのデータないし確信があった場合にいえることであって、当時の加淵氏はボディビルにすら初めて接したようなありさまなのだから、いわば冒険といってよく、しかもこれは健康にかかわるだけに失敗の際の覚悟も予想しただろうし、決断を下すにあたって並々ならぬ勇気を要したであろうことは想像にかたくない。

 加淵氏は
「そのころ、何か運動で胃を直せないものかと、うすうす考えてはいたんです」

 と、ボディビルにふみきったころを回想する。その何か運動をと模索していた気持の裏には、実は、往年、現役兵として入隊した軍隊時代の思い出があった。

「兵隊へ行ったころは、まったく健康そのものだった」

 からである。30年も前の軍隊生活は灰色の記憶ではなく、健康へのあこがれとなってよみがえっていたのだ。それにしても50歳を過ぎてボディビルを試みんとした気持は、やはり思い切ったものだ。それも一人で。

 いま加淵道場の会員の中に、道場の隣りといってもいいくらい近くの人がいる。その人は今年48歳だが、数年前から体力の衰えを痛感していた。去年の5月から道場へくるようになった。仕事の都合もあったが「やろうやろうと思いながらついついどうも……」といっていた。別人のようなたくましさになった加淵氏をまのあたり見ていてそれである。

 1人でボディビルに打ち込んでいった加淵氏の意欲には、ただ頭がさがるばかりである。加淵氏が、トレーニングの場をジムではなく「道場」といっているのも、わかるような気がする。

自然的に発展

 加淵氏が冒頭に掲げた見識を吐露した背景は、しかし以上の加淵氏の個人的経験だけによるものではない。前記の48歳になる近所の会員のその後のビルダーぶりも、加淵氏の見識の根拠の一つとなっている。

 その人、熊谷栄一氏はバスの乗務員としての職業人生を送ってきた。40を過ぎて脚と心臓の機能の低下がはっきり自覚された。満足に50メートルも走れなくなった。だが加淵氏の道場へ通いはじめて1年を経過したいまは、「駅から走りっぱなしで帰っても少しも呼吸が乱れません。初め家の者は、途中で休んできたんだろうなんて信用してくれませんでしたが……」

 といっている。

 その他、多年、痔疾で苦しんでいた人がスクワットで直ったという話もある。それについて
「体つきからみて、スクワットをおやりになったらと、すすめただけなんですが……」

 加淵氏の方がびっくりしている。

 道場は41年11月に誕生した。38年8月に開始された加淵氏のボディビルが個人の精進だけにとどまっていることを許されなくなったからであった。ここにもボディビル加淵道場の特色をみることができる。加淵氏のうわさを伝え聞いた人たちが次々におとずれ、
「はじめ物置でやってたんです。2、3人なら、一緒にやらしてもらえないかといわれても、交代でやればべつにさしつかえなかったんですが、そのうちにだんだん増えて、外で待ってるようになって……天気の日はいいですが、雨でも降ると外にいる人は気の毒ですからね」

 少人数なら物置でもやれた。が、外にあふれるようになってはそうもいかない。出発時には同好の士を集める気など毛頭なかった加淵氏だったが、自分を頼ってくる人たちの熱意に動かされたのであった。そこで思いきってグループを結成する決心をした。同時にとりあえず物置を拡張してボディビル加淵道場と名乗った。

 だが加淵氏はいう。
「いちおうたずねてはきても、ほとんどの人が、腹の中では、30過ぎて重いものを扱っての運動は、害はあっても益はないんじゃないかと思ってやってくるんですね。そして私をはじめ会員の方の話を聞いて納得するんです」

 営利を目的として発足した道場ではないだけに、逆にそういうことがあるのだろう。

 道場はその後、43年11月に再び改築された。13坪ある。しかし、
「このごろまたせまくなりました。あんまり増えると、加淵さんまた苦労しなけりゃならない」

 熊谷氏などうれしい悲鳴である。水が自然に地中にしみこんでいくさまを現実に見る思いがする。
58歳でもほれこのとおり! と若い者顔負けの加淵氏

58歳でもほれこのとおり! と若い者顔負けの加淵氏

年配者の会員が多い

年配者の会員が多い

会長さんは年中無休

 壁にずらっと木の名札がならんでいる。その数55(4月20日現在)。中に女性の名前が3枚あったのにはおどろいた。だが見渡したところべつに女性の美容のための特別な用具は備えられていない。とすると、どういうことになるのか。
「はあ、女の人は、ふとりたい人とやせたい人なんですが、うちの道具でよかったらどうぞお使いくださいといったところ、熱心に通ってこられるんです」

 3人のうちの1人は51歳になるという。ふとり過ぎに悩んでいたが、42年8月にスタートしたところ、たちまちにしてぜい肉は消え、いまや見違えるばかりだが、その後も健康維持のためにトレーニングを続けているとか。

 また、1枚だけ離れて掛けてある名札があった。聞いてみるとその人は、住居が移転して通うのが困難になったため実際には自宅でやっているが、籍だけおき月に一度、道場で一括購入している本誌を取りにくるのを楽しみにしているのだそうな。うれしい話だ。

 会員の最年長者は61歳、最年少者は18歳。そんなところも、ボディビルが決して若者の専有でないことを物語っている。

 その61歳の人は43年3月の入会。当初、ベンチ・プレス15kgから出発したが、いまは50kgを連続8回こなすまでになった。スクワットは50kgを10回。胸囲は1年で6cmふえた。

 その年になっても、人間の体は鍛えれば発達するのだ。これまた驚異といっていいのではないか。いや驚異ではなく当たり前なのかもしれない。人間の肉体のすばらしさであろう。

 道場は東京都小金井市本町2丁目14の10にある。表は加淵氏の経営する食料品店で、通りに面して自動車の往来もかなりあるが、1歩横丁に入ると生垣をめぐらした家や植込みのある家ば
かりである。

 道場も通りからひっこんでいるので静かな環境である。看板は出していない。したがって加淵商店を目当てにしないとわからない。だがそれでも月に15、6人はおとずれるという。もちろん全部が全部、継続するわけではないが、それにしてもどこからどう伝えられるのだろうか。

 地域の社会体育を目指して、じっくり底辺の拡大に努めている感じである。

 道場の使用は月、金、日、祭が午前7時から午後7時半まで。火、木、土が午前6時10分から午後10時まで。水曜日は休み。朝6時10分というのはすぐには見当つかないが、これは加淵氏の毎日の起床が6時なので、支度にいちおう10分とっているのだ。

 早朝から道場をあけるのは出勤前に一汗かきに寄るサラリーマン会員のためである。そして二組の時間にしたのは会員の都合にあわせたもの。何とも親切な配慮。心憎いばかりである。

 生活というものを本当に知らなければできないことだ。かつ、みんなが何とかして生活の中にボディビルを取り入れようとしている努力の現われでもある。くる方も立派。
トレーニングに励む加淵氏

トレーニングに励む加淵氏

親密ムードの中から

 時々、記録会をやる。だだいまのところはまだ加淵氏にかなう人はいないのである。キャリアもさることながら正月元旦でも休まない加淵氏の熱心さからきているものだ。

 そういう加淵氏だけに、会長でございコーチでございと納まってはいない。1人でも会員が顔を見せると直ちに道場に現われ、コーチをするというより、パートナーを熱心につとめる。器具を見、その匂いをかぐだけでも楽しくて仕方がないのである。

 それくらいだから、当然そこにはお互いの心も通う。人間としてもふれあいが生まれ、親しみも芽生える。
「写真を撮ってくださるなら、100kgをあげているところを撮ってもらいましょうか」

 と加淵氏はいった。4月中旬、氏はベンチ・プレスで100kgを3回あげた。それを見てもらいたいというのである。するとせっかくトレーニング中なのに、とたんに手を休めた若い会員の何人かは、やれ髪が乱れているの、やれズボンをはきかえた方がいいのと、口口にひやかす。

 それをまたいちいち受けて加淵氏が答えるから、道場内は笑いのうずになってしまう。まったく家庭的――といっても決してオーバーではない楽しいふんいきである。

 隅の壁に細長い紙がびっしりならんではってある。はり方のぐあいから会員の何かだと一目でわかる。見ると、こまかく区切っていろいろ数字が書きこんである。その日その日の練習状況をウェイトからみた記録だと加淵氏は説明した。加淵氏のがいちばん右にある。右から強い順になっているのだと加淵氏はいい、さらに
「80kgが3人ぐらいでは勝負になりません」

 と破顔一笑した。加淵氏の得意はベンチ・プレス。100kgをあげるまでに達した加淵氏だけに、80kgで競争したら3人束になっても回数は自分の方が上回るというのだ。何とすさまじい意気ごみだろう。

 そのすさまじさを、加淵はしかし、いともエレガントに表現している。昨年末に到達した目標が黒板に大書してあるが、そこには

〝57歳の青春! 43年度目標 スクワット 100kg2回ついに完成! 12月31日 立会人 何某、何某〟

 とある。何と〝青春〟とは。加淵氏にとってボディビルをはじめてからの日々は、実に第二の〝青春〟だったのだ。
「年とともに強くなるのはおかしいですね。カタワではないかと思うときがありますよ」

 と、加淵氏は苦笑したが、それは、今まで見てきたところでもわかるように、中年会員すべての気持だろう。まさに〝人間万才〟を100パーセント味わわせる。加淵氏は、今後も身近な日常の中にボディビルを浸透させるため「健康の不足している人たちにこそ必要、の信念に徹し、広く深く推進させていきたい」といっている。
月刊ボディビルディング1969年6月号

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