'71ミスター日本●入賞者の横顔
月刊ボディビルディング1971年12月号
掲載日:2018.05.28
'71ミスター日本 末光健一
昭和46年10月9日は私にとって生涯忘れることのできない日となりました。この日、私は共立講堂の舞台で、栄えある'71ミスター日本に選出されました。
思えばちようど4年前、フトしたキッカケからボディビルを始めた私は、たちまちにして、この男らしいスポーツの虜となってしまいました。そして、5年後には必ずミスター日本になってやろうと固く心にきめ、それからというものは、それこそボディビルに明けボディビルに暮れる生活となったのです。
友人たちが、やれボーリングだ、やれハイキングだといって、青春を楽しんでいるときでも、私の心は少しもぐらつきませんでした。ときには周囲のものから"ボディビル気狂い"と呼ばれたこともありましたが、そんな言葉に耳をかそうとしたことは一度もありませんでした。
ただ楽しく青春を謳歌するよりも、一度しかないこの青春を、もっと価値のある大きな目標にぶっつけたかったからです。私の場合は、それがボディビルであり、目標はミスター日本だったのです。
こうして、私の第1の目標だった、ミスター日本に選ばれたこのうれしさは、とても言葉では表現することはできません。そして、いま静かにこの感激にひたるとき、私をきょうまで指導してくださったコーチの方々や先輩・友人それにファンの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
とくに、最初にボディビルの手ほどきをしてくれた谷川さん、いつも適切な指導とアドバイスをしてくれた中野トレーニング・センターの栗山さん、そして、家族ぐるみで私を励ましてくれた広崎さんご一家。この方々のお力なくしては、きょうのこの感激を味うことはできなかったでありましょう。
さっきも述べましたように、5年計画でミスター日本を目指して出発したわけですが、1昨年、始めてミスター日本コンテストで決勝に進出したとき、私はようやく自信らしいものをつかむことができました。そして、必勝を期しての昨年は、武本選手に破れて2位となりましたが、この大会では、いままで以上に大きな収獲がありました。
それは、クビと脚を鍛えれば、必ず次のミスター日本コンテストには優勝できるという確信がもてたことです。それからは、いままでのトレーニングに加え、さらにクビと脚を重点的に鍛えるようにしました。
幸いにして、念願の優勝を果すことができました。これからの目標は、来年のミスター・ユニバースを目指して、いままで以上のトレーニングと節制を続けることはもちろんですが、それと同時に、ボディビルで鍛えたからだと精神を、少しでも社会のために役立つよう努力したいと思います。そして、先輩たちの築いた輝かしいミスター日本の名を恥かしめないようがんばるつもりです。
誌上を借りまして、ご指導くださった先輩の方々、ご声援くださったファンの皆様に心からお礼申し上げます。
思えばちようど4年前、フトしたキッカケからボディビルを始めた私は、たちまちにして、この男らしいスポーツの虜となってしまいました。そして、5年後には必ずミスター日本になってやろうと固く心にきめ、それからというものは、それこそボディビルに明けボディビルに暮れる生活となったのです。
友人たちが、やれボーリングだ、やれハイキングだといって、青春を楽しんでいるときでも、私の心は少しもぐらつきませんでした。ときには周囲のものから"ボディビル気狂い"と呼ばれたこともありましたが、そんな言葉に耳をかそうとしたことは一度もありませんでした。
ただ楽しく青春を謳歌するよりも、一度しかないこの青春を、もっと価値のある大きな目標にぶっつけたかったからです。私の場合は、それがボディビルであり、目標はミスター日本だったのです。
こうして、私の第1の目標だった、ミスター日本に選ばれたこのうれしさは、とても言葉では表現することはできません。そして、いま静かにこの感激にひたるとき、私をきょうまで指導してくださったコーチの方々や先輩・友人それにファンの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
とくに、最初にボディビルの手ほどきをしてくれた谷川さん、いつも適切な指導とアドバイスをしてくれた中野トレーニング・センターの栗山さん、そして、家族ぐるみで私を励ましてくれた広崎さんご一家。この方々のお力なくしては、きょうのこの感激を味うことはできなかったでありましょう。
さっきも述べましたように、5年計画でミスター日本を目指して出発したわけですが、1昨年、始めてミスター日本コンテストで決勝に進出したとき、私はようやく自信らしいものをつかむことができました。そして、必勝を期しての昨年は、武本選手に破れて2位となりましたが、この大会では、いままで以上に大きな収獲がありました。
それは、クビと脚を鍛えれば、必ず次のミスター日本コンテストには優勝できるという確信がもてたことです。それからは、いままでのトレーニングに加え、さらにクビと脚を重点的に鍛えるようにしました。
幸いにして、念願の優勝を果すことができました。これからの目標は、来年のミスター・ユニバースを目指して、いままで以上のトレーニングと節制を続けることはもちろんですが、それと同時に、ボディビルで鍛えたからだと精神を、少しでも社会のために役立つよう努力したいと思います。そして、先輩たちの築いた輝かしいミスター日本の名を恥かしめないようがんばるつもりです。
誌上を借りまして、ご指導くださった先輩の方々、ご声援くださったファンの皆様に心からお礼申し上げます。
◇末光選手のボディビル歴
'71ミスター日本2位 杉田 茂
昨年3位に入賞し、ことしこそはと張りきってトレーニングしていたのですが、最後の追い込みのときになって、大きなアクシデントが起こってしまいました。というのはことし8月、父が入院し手術をしなければならなくなったのです。1カ月半にわたる看病と大量の輸血のために、トレーニングはできず、体重が6kgも落ちてしまいました。
ようやくトレーニングを開始したのが9月10日でしたので、ベスト・コンディションにはほど遠く、自分としてはまったく不本意な状態だったのですが、幸いにして2位に入賞することができました。さっそく来年のミスター日本を目指してトレーニングをはじめ、必ずご期待にそうようがんばるつもりです。
ようやくトレーニングを開始したのが9月10日でしたので、ベスト・コンディションにはほど遠く、自分としてはまったく不本意な状態だったのですが、幸いにして2位に入賞することができました。さっそく来年のミスター日本を目指してトレーニングをはじめ、必ずご期待にそうようがんばるつもりです。
◇杉田選手のボディビル歴
'71ミスター日本3位 石神日出喜
ボディビルを始めたのは17才のときですが、本格的には18才で修志館ボディビル・センターに入会してからです。しかし、それも1年あまりで、19才から23才までの4年間は陸上自衛隊に入隊していましたので、ボディビルはできませんでした。そして、除隊後ふたたび始めたのが昭和43年からです。
昨年始めてミスター日本コンテストに出場し、しかもまったく予想していなかった、10位に入賞という好成績を残すことができました。その結果、自分にもやればできるんだという自信がわいてきました。そして、会長さんの指導のもとに、目標を'71ミスター日本に置いて、この1年間相当きびしいトレーニングをしてきました。
練習は週6日、毎日3時間〜3時間半というハード・スケジュールでした。その結果が、このたびの3位入賞にむすびついたのだと思います。
さっそくこの喜びを会長さんや家族に知らせたいと思います。
昨年始めてミスター日本コンテストに出場し、しかもまったく予想していなかった、10位に入賞という好成績を残すことができました。その結果、自分にもやればできるんだという自信がわいてきました。そして、会長さんの指導のもとに、目標を'71ミスター日本に置いて、この1年間相当きびしいトレーニングをしてきました。
練習は週6日、毎日3時間〜3時間半というハード・スケジュールでした。その結果が、このたびの3位入賞にむすびついたのだと思います。
さっそくこの喜びを会長さんや家族に知らせたいと思います。
◇石神選手のボディビル歴
☆'71ミスタ一日本コンテスト出場選手一覧表☆
月刊ボディビルディング1971年12月号
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