フィジーク・オンライン

負けん気 ~ バーベル放談⑪ ~

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1969年6月号
掲載日:2018.06.23
アサヒ太郎
記事画像1
 体は小さいが、全身これ根性のかたまりといったヤツがいる。たたきのめされても、はじき飛ばされても、むっくり起き上がって向ってくる。目がふさがれ、顔が紫色にはれあがっても、歯を食いしばって食らいついてくる。こんなヤツを相手にするとたいへんだ。「もう、いい加減にせんか」とこちらが根負けしてくる。勝負はこの時決まる。つまりこちらの負けである。

 Mは、そんな青年である。頭文字を使ったのは、現存の人物であり、ご本人にとっては余り自慢にもならぬお話を伝えることになるからだ。

 Mは、柔道五段である。170余センチ、70キロの軽量級だが、日本有数の柔道マンである。

 Mは数年前、関西のある大学を終えるとすぐにオランダへ行った。柔道指南である。そして、約1年、向うで暮らしたのち帰国し、いまは地方の大学講師を勤めている。もちろん、柔道を教えているのである。

 そのMが在学中、世界選手権に出かけることになった。軽量級最大のホープとして選ばれたのだ。このため東京で合宿訓練を重ね、いよいよ出発の日を迎えた。ところが、呑気坊主のMのこと、出発時間をすっかり忘れてのこのこ合宿所へ帰ってきた。

 この間、選手団の団長、監督以下全員が待ちぼうけ。さあ、監督が怒った。この監督さんは、Mの大学の恩師でもある人、おまけに「オニ」の二字がつくものすごい柔道家なのだ。

 Mの頭上に怒声が飛び、グローブのような手がうなりを生じてその両ホオに打込まれた。さすがのMも参った。団長が見るに見兼ね、「もう。いいじゃないか」ととりなしてその場はすんだがせっかく、晴れの出発を前に、Mはとんだ痛い目を浴びてしまった。

 一行を乗せた日航機は、こんなうら話を秘めて予定通り羽田を発ち、まもなくハワイに着いた。

 常春の国、ハワイ。空はコバルト色に澄み渡り、海は青く、そしてハワイ娘は……

 壮途の緊張も一時ほぐれて、岩のような大男たちものんびりムード。

 こんななかで、出発前に監督さんの大目玉を食ったM、さぞかししょんぼりしているだろうと、仲間の選手は同情心も手伝ってちらりその様子をうかがった。

 ところが、これはなんとしたこと、そのMはいつのまに仲良しになったのか可愛いハワイ娘とキャッキャッうれしそうに騒いでいる。日本で起った数時間前の出来事などどこ吹く風といったほがらかさである。これには監督さんはじめ、仲間の連中もあきれ果てた表情。

 からりとした性格、底抜けに明るい言動、スポーツマンならではの長所だが、余りに早い“転向”ぶりに「思わず笑ってしまった」と帰国後の仲間の笑い話である。

 さて。現地入りしてからの報告だが、Mは猛烈なファイトをわかせて外国選手をなぎ倒した。ほっそりした体つきだが、体さばきのうまさと技の鋭さには定評がある。つぎつぎ向ってくる外人選手は、まるで子供扱い。一方的な勝ちっぷりである。

 この試合前、Mはとつぜん「歯が痛む」といい出した。原因はさっぱりわからない。団長さんは心配して「大丈夫か」と何度も念を押した。Mは、もちろんそれくらいのことで闘志がにぶる男ではない。しかし、歯の方はやはり熱を持って、ぐらぐらするという。そこで、団長さんはハタと思い当った。

 あの出発前、怪力監督のパンチを浴びたのが原因である。なにしろ、ものすごい力、Mはひとことも不平を洩らさず、我慢していたが、ほっぺたはおろか歯の方までひびく打撃を受けていたのである。が、本人はケロリ。試合になると満身に闘志をみなぎらせての活躍ぶりだった。

 負けん気が人一倍強い青年にして、はじめてできる闘いぶりである。

 そのMには、笑うに笑えぬこぼれ話がもうひとつある。

 卒業前、外国行きの話も決り“やれやれ”といったところだったが、頭痛のタネは最後の試験。なにしろ柔道に明け暮れたこの4年間、勉強の方はどうにも性に合わない。おまけに、生来ののんびり屋である。いよいよ、試験となったが、さっぱり準備はできておらない。そこで、得意のカンニングである。

 ところが、これが運悪く監督の先生にみつかってしまった。さあ、たいへん。ほかの事は大目に見ても、試験の不正行為は断じて許さんと先生はカンカンである。

 オニ監督も、これには参った。もちろん、本人を呼びつけて「このバカモノ!」と例の鉄拳制裁を加えたが、外国行きの準備もあり、先方との約束もあるので「試験をカンニングして卒業できなくなりました」では、あちら様へのいい訳にはならない。こんどはオニ監督が教務の主任教授のところへ出かけて平身低頭、ひたすら「お許し下さい」の嘆願である。

 さすがに厳しい教授も、ついに「事情が事情だから……」と許すことになった。

 おかげでMは無事卒業できた。負けん気を、勉強の方にも向けていたらと思われるが、こればかりはどうにもならなかったようだ。しかし、小さな体で百キロ台の大男を相手に、一歩も引かずに闘い抜くMの姿にはいつもはげしい迫力がうかがわれる。

 Mは、全日本柔道選手権にも出場している。

 プロボクシングの東洋フェザー級チャンピオン、韓国のハーバート康も、そんな1人である。

 ボクシングのボの字も知らない少年のころ、町へ出ては悪童どもと組んず、ほぐれつのケンカを繰返した。余りにひどい暴れん坊ぶりにオヤジさんもほとほと弱った。

 このお父さんも、かってはウエルター級のチャンピオンとして日本で活躍した人である。しかし、息子までボクサーに仕立てる気持はさらさらなかったので、ボクシング・ジムを経営していても、一向に手ほどきしようとはしなかった。

 しかし、やんちゃ息子は“親の心子知らず”のたとえで、負けん気むき出しの闘争のあけくれ。別に勘定して帳面につけていた訳でもあるまいが、ざっと100回は血みどろのケンカをやっている。このうち99回は、こちらのKO勝ち。が、残りの1回だけはどうしても勝てなかったという。

 オヤジさんをつかまえて聞いてみた。

「あんなに気の強い青年が何故負けたんです」

「いや、私も話を聞いてびっくりしました。息子がケンカした相手は、本人の倍近くある大男だったそうです。それでも、アイツは無鉄砲だからしゃにむに向って行ったらしいんですが、なにしろ肩から上に手が届かない相手。さんざんにぶちのめされ、たたかれてグロッギーになったようです」

 ところが、その負け方がふるっている。なぐられ、突き飛ばされ、あげくの果ては気を失うほどの惨敗ぶりだったというが、最後の最後まで相手のエリをつかんで放さず、胸にしがみついたまま“KO”されていたという。

 この話を聞いて、オヤジさんもついに決心した。
< このままではどうにもならぬ。「精力善用」という言葉もある。こいつのこの根性をボクシングに向けてきたえあげるほかあるまい >

 父と子のはげしい練習がはじまった。

 小さな体だが、力は人一倍、それに負けん気は十数倍。めきめきウデはあがった。4回戦、6回戦、8回戦。そして、またたく間にメイン・エベンターにのしあがり、ついに韓国バンタム級のチャンピオンになってしまった。

 しりぞくことを知らぬ闘魂。1発KOのパンチ力。国内では相手になる者がいなくなった。しかし、悲しい事に、韓国では日本のようにテレビが発達していない。たまに出るだけで、余りもうけにもならない。それに、強過ぎると、だれも相手になるのをいやがっていい試合ができない。やむを得ず、時には大して強くもない相手に勝ちをゆずる八百長まがいの試合もしなくてはならなくなる実情である。

そこで、お決りのコースで日本遠征。パンチ力では定評がある斎藤勝男選手も、この相手ではまったく歯が立たず、2ラウンドで軽くKOされてしまっている。彼はついに東洋のタイトルも奪ってしまった。

 あとはただ世界の王座だけである。関係者の話を聞いても、現在東洋であれだけ強いパンチ力と負けん気を持っているボクサーはどこにも見当らないそうだ。いずれ、彼は世界チャンピオンになるだろう。あの、負けん気があるかぎり、私もきっとなるに違いないと思う。

 この負けん気は、勝負の世界ではぜったい欠かせない要素だ。

 先日も、日本武道館で全日本柔道選手権が行われたが、優勝した岡野功五段は、その典型的な1人だ。

 171センチ、80キロ。190余センチ、100キロクラスの巨漢がならぶ全日本では、ひときわ小さな選手だが、試合場にあがると闘志の面で逆の立場になる。

 2年前に優勝し、初の日本一になったが、昨年も決勝まで進出した。このときは大阪府警の松阪五段に敗れたが、優勝を賭けた一戦で「松阪、来い!」っと寝技の姿勢を構えながら裂迫の気合いをかけた表情は忘れられない。

 今年の大会でも、1回戦は送りえり絞め、2回戦は横車の奇襲で1本勝ちした。2回戦の相手、川端五段は天理大学のOB。岡野に指導を受けた経験もあるせいか、立上りから気押され気味で、問題にならなかった。

 さらに準々決勝は拓大学生の巨体西村。西村はベンチ・プレスでバーベルを170~80キロあげる怪力の持主、そのうえ上背も180余センチ、体重も110キロに近い大男だが、小柄な岡野の技に、一寸の反撃も見せずに敗れ去ってしまった。

 この試合後、西村の恩師でかっての名手、木村政彦七段にたずねたところ「負けん気根性というものは生来のものでしてねぇ…」と微妙な答えだった。

 岡野の、はげしい気迫は準決勝、決勝でも発揮された。

 準決勝は明大OBの村井五段。これまた100キロを越える巨漢で、優勝候補の1人だったが、岡野の変幻自在な動きと迫力に一歩をゆずり負けた。決勝は、107キロの前田五段(東京警視庁)東洋大のOBである。この前田に対しても、小兵岡野は攻めまくり背負い投げに出るとみせて小内刈の技ありを奪った。やはり闘志の一発である。

「今年こそ...」と優勝をねらっていた前田だったが、気ハクの面で岡野に抗しきれなかった。

「負けん気」ーーこれこそ、男が最大の力を発揮する根源である。
月刊ボディビルディング1969年6月号

Recommend