疲労と疲労感
月刊ボディビルディング1969年9月号
掲載日:2018.04.03
小 野 三 嗣
疲労の実体は?
よく疲れやすくて困るとこぼす人がおります。昨年まではそうでもなかったのに、今年になってめっきり疲れを感じるようになった、となげく人もいます。疲れさえ感じなければ、もっとボディビルに精を出して、すばらしい体をつくり出してみせられるのに、どうしてこうも疲れがひどく、長くつづけることができなくなってしまったのだろう、と焦燥感にさいなまれるといった例も珍しくはないと思います。
ところでこの疲労ですが、これをなんとかして客観的に、数値的に正確に把握して、決定評価する方法はないものか--という研究が古くから多くの人たちの手で行なわれてきました。しかしまだ、だれもが納得できるような疲労判定法というものは確立されておりません。
この判定法が確立できない理由は、疲労の生理学的本体があいまいであるというよりは、むしろ、元来疲労は自分自身の感じを中心とした主観的なものである、という点にあるのです。たとえば、体の中にはまったく同じ現象しか起きていないのに、A君のばあいは疲労こんぱいその極に達しており、B君は少し疲れたと感じ、またC君のばあいはほとんど疲労感がない、といった例が見られます。
したがって、生理学的な意味づけでは、疲労は、それが局所的なものであろうと、全身的なものであろうと、過労におちいって疾病障害をひきおこす危険を防ぐための警告反応である、とするのが一般的なのですが、前述しましたとおり、体の中に起こっている現象と主観的な感じとが一致しないことがある以上、私たちが自分の疲労感を基礎にしてすべての行動を律しようとするのは誤りである、といわざるをえません。
感じやすい人のばあいは、ごくわずかな身体変化をも敏感に感じとりますから、主観的な疲労感をもとにしてトレーニングの量を加減していたのではトレーニング効果はまったく期待できません。こういうときにこそなにくそっと歯をくいしばり、疲労感をはねのけて前進する強い意志が必要なのです。また、人間の体は、よくしたもので、こんなことをくりかえしているうちに、だんだん疲労を感じなくなってくるのです。
では、感じがにぶい人のばあいはどうでしょうか。本人が疲れたと感ずる状態までトレーニングをつづけることは、オーバー・トレーニングになる危険がある、といわざるをえません。肉体疲労の一つの指標として信頼できる尿中タンパク排泄度、あるいはウロビリノーゲン排泄度などを検査して、過労におちいらないように充分に注意する必要があると思われます。
疲労感の基礎となる生命現象には、肉体的疲労と精神性疲労があります。
ところでこの疲労ですが、これをなんとかして客観的に、数値的に正確に把握して、決定評価する方法はないものか--という研究が古くから多くの人たちの手で行なわれてきました。しかしまだ、だれもが納得できるような疲労判定法というものは確立されておりません。
この判定法が確立できない理由は、疲労の生理学的本体があいまいであるというよりは、むしろ、元来疲労は自分自身の感じを中心とした主観的なものである、という点にあるのです。たとえば、体の中にはまったく同じ現象しか起きていないのに、A君のばあいは疲労こんぱいその極に達しており、B君は少し疲れたと感じ、またC君のばあいはほとんど疲労感がない、といった例が見られます。
したがって、生理学的な意味づけでは、疲労は、それが局所的なものであろうと、全身的なものであろうと、過労におちいって疾病障害をひきおこす危険を防ぐための警告反応である、とするのが一般的なのですが、前述しましたとおり、体の中に起こっている現象と主観的な感じとが一致しないことがある以上、私たちが自分の疲労感を基礎にしてすべての行動を律しようとするのは誤りである、といわざるをえません。
感じやすい人のばあいは、ごくわずかな身体変化をも敏感に感じとりますから、主観的な疲労感をもとにしてトレーニングの量を加減していたのではトレーニング効果はまったく期待できません。こういうときにこそなにくそっと歯をくいしばり、疲労感をはねのけて前進する強い意志が必要なのです。また、人間の体は、よくしたもので、こんなことをくりかえしているうちに、だんだん疲労を感じなくなってくるのです。
では、感じがにぶい人のばあいはどうでしょうか。本人が疲れたと感ずる状態までトレーニングをつづけることは、オーバー・トレーニングになる危険がある、といわざるをえません。肉体疲労の一つの指標として信頼できる尿中タンパク排泄度、あるいはウロビリノーゲン排泄度などを検査して、過労におちいらないように充分に注意する必要があると思われます。
疲労感の基礎となる生命現象には、肉体的疲労と精神性疲労があります。
肉体的疲労
1//筋肉を動かすことによって生じる疲労が中心となります。したがって、筋収縮の結果の産物である乳酸の蓄積などがその主役を演ずるものと考えられます。筋肉を体外にとり出して行なった実験によりますと、乳酸が筋肉中に0.3%蓄積すると、収縮することができなくなるという事実が知られていますし、それ以上の乳酸蓄積が長時間つづくと、筋線維が回復不能の障害を起こしてしまうこともわかっています。
さて、ここで問題となるのは、私たちの体内の筋肉のばあいはどうか、ということですが、“意地にもがまんにも、もうこれ以上は1歩も動けない”といった状態のばあいの筋中乳酸量はいっぱんにきわめて少ない、という事実が知られております。というのは、筋線維が収縮能を失うほどの乳酸濃度に達するまえに、私たちの随意運動を完成するための重要なしくみの一つである運動終板の刺激伝達がしゃ断されるようになっているからです。筋線維も収縮能をもち、運動神経の伝導能になんらの変化もあらわさないような状況の中で、神経から筋肉に収縮命令を伝達するための化学変化を停止させ、運動ができないようにしてしまうということは、筋や神経を保護するという意味で、きわめて合理的なしくみであるといわなければなりません。
この運動終板部の刺激伝達の停止をひきおこす乳酸量にも、当然のこと、個人差があると考えられます。よくトレーニングされた選手のばあいは、筋が収縮できなくなる0.3%の乳酸蓄積量に近くなるまで、運動をつづけることができるということからも、これは明らかなのです。
2/運動量と乳酸蓄積量との関係--たとえば最大筋力の2/3に相当する重量を用いて、ディープ・ニー・ベンドを10回ずつ行なったとしましょう。このばあい、運動量はほぼ同じと考えられますから、筋中乳酸蓄積量も同程度かというと、そうはならないのです。一番大きく影響するのは、筋肉の血流の状態です。筋肉量に比例して血管網の発達がよい--つまり、活動毛細血管の循環状態が良好なばあいは、運動量が多くても乳酸蓄積量は少ないし、反対に、筋肉実質量の発達に比較して、循環血流量が充分になりえないような条件のときは、すみやかに、しかも多量の乳酸が産出されてくるおそれがあります。
はじめのうちは相当の重量を楽にこなしていたのに、中途から同じ重量に対しても疲れやすくなり、体がどうかしたのではないか、と不安を訴えるビルダーを見かけますが、その原因の一つはこの辺にあるといえましょう。
筋肉トレーニングでは、重い重量を使えば筋線維が肥大しますが、そのわりには毛細血管系の発達は充分でないし、逆に、比較的軽い重量で、すばやくくりかえす反復トレーニングの積み重ねでは、筋線維はあまり肥大しませんが、血流促進が見られる、というのがふつうです。
急速に筋線維が肥大発達したのに、それに見合うだけの血流促進が起こっていない人のばあいは、乳酸産出量が多くなり、早く疲労してしまうのが当然なのです。ですから、このような人は、当分の間重い重量を使うのをやめ、あまり疲れなくなるまで軽いものをすばやく反復するという練習に切りかえて、活動毛細血管が増加してくるのを待たなければなりません。血管系の発達が、現在の筋肉量に充分見合う状態になってから、あらためて重い重量にとりくみ、さらに筋肉をつくりあげるようにすればよいと思います。
何事も、性急に効果を期待すると、むりが生じやすいものですから、ときどき足踏みしながら、体調をととのえていくというふうに、階段的上昇を考える必要があります。生理学でいう適応性変化の起こりぐあいを見ながら、前進するという方法です。
3/次に、局所性疲労の投影現象ということについて考えてみなければなりません。たとえば、私たちが小指の爪をはがすといったように、体のごく限られた1カ所でもケガをしたばあい、小指が痛いというだけで、あらゆる行動が緩慢になることがあります。もちろんそんな傷を意に介さず、ふだんどおりの動作ができる人もおりましょうが、多くの人は、すべての注意がその痛い個所にうばわれ、大幅な活動制限をおこします。
眼精疲労が肩こりをおこしたり、歯痛と肩こりに因果関係があったりするほか、結核性股関節炎で、股関節に異常を感じないで膝関節が痛むこともあります。脳の働きで証明される側方抑制、あるいは周辺抑制といった現象などは、ネコのばあいの視覚と聴覚との間の抑制現象とも関連があります。
また実際問題として、「心ここにあらざれば、見れども見えず、食えどもその味合いを知らず」といわれるように、私たちの肉体諸臓器間、または心身間にはきわめて複雑な相互影響が認められるのです。しかし、これらはいずれも外側から観察でき、または私たちの意識にのぼることで、その存在が確認されますが、まったく同じしくみとして、私たちの知覚や意識にのぼらないところでも、同じような現象が起こっていると考えざるをえないのです。
ただ1カ所の筋群の疲労現象が、他の筋群に反映して、全体の動きをにぶらせてしまうということは、想像にかたくありません。このばあいは、どこかに原因となる筋群が存在するわけですから、それを発見することにつとめその原因をとりのぞく工夫をしてやることが大切です。ただ慢然と、全体の不調であるかのように考えて、その対策に腐心したとしても、労多くして効少ないのは当然でしょう。人間という複雑な動物はあんがいデリケートにできていて、ほんの小さな故障が全身の働きを制限しているといったばあいが意外に多いことを考えに入れ、その故障をさがし出す努力をしてみたほうがよいこともあります。
4/栄養不足による疲労も珍しくはありません。はげしいトレーニングでは体内のエネルギー源の消耗が大きいのは当然のことで、運動量に充分に見合う熱量をもった食事をとらなければ、脱力感や疲労感がひどくなります。また、ボディビルのように、筋線維の肥大をおこすばあいは、同化されるタンパク量、同化に要する熱量に相当する分だけはさらに余分にとらなければならないことになります。これらの補給が不足したときも疲労感を招きます。
ところで、栄養不足の原因としては食事の絶対量不足というわかりきったことのほかに、消化管における消化吸収能力の低下があげられます。食事そのものとしてはけっして不足してはいないが、消化酵素の分泌が悪かったり消化管の吸収能力が低下したために、必要なだけの栄養分が体内にとり入れられていないということが起こりえますし、これらのばあいは、当然、力源消耗による疲労が生まれてきます。
5/代謝障害による疲労も少なくありません。もちろん、このカテゴリーに属するものとしては、明らかに疾病による事例もありますが、ここでは主として食事の質的かたよりによるばあいだけについて考えてみましょう。
ビルダーには、肉食偏重におちいっている人が多いようです。筋肉を肥大させるためには動物性タンパクをとらなければならないという考え方にもとづいているのでしょう。いちおうもっともらしく聞こえますが、じつはそこに問題がひそんでいるのです。
タンパク質が消化されるとき、特異力学的作用が強く、そのエネルギーの約30%は力源としては利用されず、たんに熱の形で放散してしまいます。なんとも不経済な話しですが、夏などにはこれが体温上昇をおこし、ときには暑苦しくなることさえあります。また動物性タンパクを多量にとるばあいは、必然的に脂肪摂取量も増加する傾向がありますが、このとき糖質が不足すると、脂肪の燃焼が充分に行なわれず、異常倦怠感の原因となりうるのです。
酸性食品とアルカリ性食品のバランスも大切です。いわゆる栄養価の豊富な主食品、副食品の大部分は酸性食品ですから、はげしい運動トレーニングをやって、これらを多量にとらなければならないばあいは、それと中和的に作用するアルカリ性食品、つまり野菜類などを充分にとることが必要になります。肉や米やパンは食べるが野菜は食べないというような食事では、体に変調が起きるのは当然です。
ビタミンB類の不足も疲労を増大させる重要な原因となります。とくに夏期にはげしいトレーニングを行なうときは、よほどビタミンBの摂取量に気を使わないと、強い疲労倦怠を呼ぶばあいが多いのです。その理由の一つを次に説明しましょう。
筋が力を出すために収縮をするとき直接のエネルギー源としてはアデノシン3燐酸(ATP)などの高次燐酸化合物のもつエネルギーを利用するのですが、最終的には、グリコーゲンの分解エネルギーによって保証されています。このグリコーゲンは、分解されてエネルギーを出すばあい、焦性ブドウ酸や乳酸という形の中間代謝産物をへて、最後はクレブスのクエン酸回路にはいり、水と炭酸ガスという終末代謝産物となって、体外に排泄されます。
血流が不充分であり、酸素が不足しているばあいは、乳酸が多量に産出され、いわゆる疲労物質となることは、まえに述べましたが、問題は、血流が充分で酸素の補給が円滑にいっているときの代謝です。乳酸は酸化されて焦性ブドウ酸となりますが、これがクレブスのクエン酸回路にはいるためには、補酵素としてのビタミン類の存在することが必要です。
これをわかりやすく表現しますと、焦性ブドウ酸という果実をクエン酸回路というジューサーに入れてジュースを作ろうとするとき、スイッチを入れてジューサーを運転させるまえに、その果実を手でジューサーの中に入れてやらなければなりませんが、その手の役目をするのがビタミン群なのです。ビタミンB群が不足すれば焦性ブドウ酸は分解されません。そしてこの酸も当然疲労物質の一つとして考えることができます。
さて、ここで問題となるのは、私たちの体内の筋肉のばあいはどうか、ということですが、“意地にもがまんにも、もうこれ以上は1歩も動けない”といった状態のばあいの筋中乳酸量はいっぱんにきわめて少ない、という事実が知られております。というのは、筋線維が収縮能を失うほどの乳酸濃度に達するまえに、私たちの随意運動を完成するための重要なしくみの一つである運動終板の刺激伝達がしゃ断されるようになっているからです。筋線維も収縮能をもち、運動神経の伝導能になんらの変化もあらわさないような状況の中で、神経から筋肉に収縮命令を伝達するための化学変化を停止させ、運動ができないようにしてしまうということは、筋や神経を保護するという意味で、きわめて合理的なしくみであるといわなければなりません。
この運動終板部の刺激伝達の停止をひきおこす乳酸量にも、当然のこと、個人差があると考えられます。よくトレーニングされた選手のばあいは、筋が収縮できなくなる0.3%の乳酸蓄積量に近くなるまで、運動をつづけることができるということからも、これは明らかなのです。
2/運動量と乳酸蓄積量との関係--たとえば最大筋力の2/3に相当する重量を用いて、ディープ・ニー・ベンドを10回ずつ行なったとしましょう。このばあい、運動量はほぼ同じと考えられますから、筋中乳酸蓄積量も同程度かというと、そうはならないのです。一番大きく影響するのは、筋肉の血流の状態です。筋肉量に比例して血管網の発達がよい--つまり、活動毛細血管の循環状態が良好なばあいは、運動量が多くても乳酸蓄積量は少ないし、反対に、筋肉実質量の発達に比較して、循環血流量が充分になりえないような条件のときは、すみやかに、しかも多量の乳酸が産出されてくるおそれがあります。
はじめのうちは相当の重量を楽にこなしていたのに、中途から同じ重量に対しても疲れやすくなり、体がどうかしたのではないか、と不安を訴えるビルダーを見かけますが、その原因の一つはこの辺にあるといえましょう。
筋肉トレーニングでは、重い重量を使えば筋線維が肥大しますが、そのわりには毛細血管系の発達は充分でないし、逆に、比較的軽い重量で、すばやくくりかえす反復トレーニングの積み重ねでは、筋線維はあまり肥大しませんが、血流促進が見られる、というのがふつうです。
急速に筋線維が肥大発達したのに、それに見合うだけの血流促進が起こっていない人のばあいは、乳酸産出量が多くなり、早く疲労してしまうのが当然なのです。ですから、このような人は、当分の間重い重量を使うのをやめ、あまり疲れなくなるまで軽いものをすばやく反復するという練習に切りかえて、活動毛細血管が増加してくるのを待たなければなりません。血管系の発達が、現在の筋肉量に充分見合う状態になってから、あらためて重い重量にとりくみ、さらに筋肉をつくりあげるようにすればよいと思います。
何事も、性急に効果を期待すると、むりが生じやすいものですから、ときどき足踏みしながら、体調をととのえていくというふうに、階段的上昇を考える必要があります。生理学でいう適応性変化の起こりぐあいを見ながら、前進するという方法です。
3/次に、局所性疲労の投影現象ということについて考えてみなければなりません。たとえば、私たちが小指の爪をはがすといったように、体のごく限られた1カ所でもケガをしたばあい、小指が痛いというだけで、あらゆる行動が緩慢になることがあります。もちろんそんな傷を意に介さず、ふだんどおりの動作ができる人もおりましょうが、多くの人は、すべての注意がその痛い個所にうばわれ、大幅な活動制限をおこします。
眼精疲労が肩こりをおこしたり、歯痛と肩こりに因果関係があったりするほか、結核性股関節炎で、股関節に異常を感じないで膝関節が痛むこともあります。脳の働きで証明される側方抑制、あるいは周辺抑制といった現象などは、ネコのばあいの視覚と聴覚との間の抑制現象とも関連があります。
また実際問題として、「心ここにあらざれば、見れども見えず、食えどもその味合いを知らず」といわれるように、私たちの肉体諸臓器間、または心身間にはきわめて複雑な相互影響が認められるのです。しかし、これらはいずれも外側から観察でき、または私たちの意識にのぼることで、その存在が確認されますが、まったく同じしくみとして、私たちの知覚や意識にのぼらないところでも、同じような現象が起こっていると考えざるをえないのです。
ただ1カ所の筋群の疲労現象が、他の筋群に反映して、全体の動きをにぶらせてしまうということは、想像にかたくありません。このばあいは、どこかに原因となる筋群が存在するわけですから、それを発見することにつとめその原因をとりのぞく工夫をしてやることが大切です。ただ慢然と、全体の不調であるかのように考えて、その対策に腐心したとしても、労多くして効少ないのは当然でしょう。人間という複雑な動物はあんがいデリケートにできていて、ほんの小さな故障が全身の働きを制限しているといったばあいが意外に多いことを考えに入れ、その故障をさがし出す努力をしてみたほうがよいこともあります。
4/栄養不足による疲労も珍しくはありません。はげしいトレーニングでは体内のエネルギー源の消耗が大きいのは当然のことで、運動量に充分に見合う熱量をもった食事をとらなければ、脱力感や疲労感がひどくなります。また、ボディビルのように、筋線維の肥大をおこすばあいは、同化されるタンパク量、同化に要する熱量に相当する分だけはさらに余分にとらなければならないことになります。これらの補給が不足したときも疲労感を招きます。
ところで、栄養不足の原因としては食事の絶対量不足というわかりきったことのほかに、消化管における消化吸収能力の低下があげられます。食事そのものとしてはけっして不足してはいないが、消化酵素の分泌が悪かったり消化管の吸収能力が低下したために、必要なだけの栄養分が体内にとり入れられていないということが起こりえますし、これらのばあいは、当然、力源消耗による疲労が生まれてきます。
5/代謝障害による疲労も少なくありません。もちろん、このカテゴリーに属するものとしては、明らかに疾病による事例もありますが、ここでは主として食事の質的かたよりによるばあいだけについて考えてみましょう。
ビルダーには、肉食偏重におちいっている人が多いようです。筋肉を肥大させるためには動物性タンパクをとらなければならないという考え方にもとづいているのでしょう。いちおうもっともらしく聞こえますが、じつはそこに問題がひそんでいるのです。
タンパク質が消化されるとき、特異力学的作用が強く、そのエネルギーの約30%は力源としては利用されず、たんに熱の形で放散してしまいます。なんとも不経済な話しですが、夏などにはこれが体温上昇をおこし、ときには暑苦しくなることさえあります。また動物性タンパクを多量にとるばあいは、必然的に脂肪摂取量も増加する傾向がありますが、このとき糖質が不足すると、脂肪の燃焼が充分に行なわれず、異常倦怠感の原因となりうるのです。
酸性食品とアルカリ性食品のバランスも大切です。いわゆる栄養価の豊富な主食品、副食品の大部分は酸性食品ですから、はげしい運動トレーニングをやって、これらを多量にとらなければならないばあいは、それと中和的に作用するアルカリ性食品、つまり野菜類などを充分にとることが必要になります。肉や米やパンは食べるが野菜は食べないというような食事では、体に変調が起きるのは当然です。
ビタミンB類の不足も疲労を増大させる重要な原因となります。とくに夏期にはげしいトレーニングを行なうときは、よほどビタミンBの摂取量に気を使わないと、強い疲労倦怠を呼ぶばあいが多いのです。その理由の一つを次に説明しましょう。
筋が力を出すために収縮をするとき直接のエネルギー源としてはアデノシン3燐酸(ATP)などの高次燐酸化合物のもつエネルギーを利用するのですが、最終的には、グリコーゲンの分解エネルギーによって保証されています。このグリコーゲンは、分解されてエネルギーを出すばあい、焦性ブドウ酸や乳酸という形の中間代謝産物をへて、最後はクレブスのクエン酸回路にはいり、水と炭酸ガスという終末代謝産物となって、体外に排泄されます。
血流が不充分であり、酸素が不足しているばあいは、乳酸が多量に産出され、いわゆる疲労物質となることは、まえに述べましたが、問題は、血流が充分で酸素の補給が円滑にいっているときの代謝です。乳酸は酸化されて焦性ブドウ酸となりますが、これがクレブスのクエン酸回路にはいるためには、補酵素としてのビタミン類の存在することが必要です。
これをわかりやすく表現しますと、焦性ブドウ酸という果実をクエン酸回路というジューサーに入れてジュースを作ろうとするとき、スイッチを入れてジューサーを運転させるまえに、その果実を手でジューサーの中に入れてやらなければなりませんが、その手の役目をするのがビタミン群なのです。ビタミンB群が不足すれば焦性ブドウ酸は分解されません。そしてこの酸も当然疲労物質の一つとして考えることができます。
精神性疲労
これには、大脳を中心とする中枢神経系にあらわれる生理学的な機転として考えられる疲労現象と、いわゆる心理的にあらわれる疲労という二面が存在すると考えなければなりません。
心理的なばあいは、自己暗示をかけたり、いろいろな条件反射学的手段に訴えたりして、この種の疲労におちいらなくなるよう工夫しなければなりません。また、同じような方法で、いったん生じた疲労感からぬけ出すことも可能です。練習効果に対する期待、感激なども、疲労を感じさせない効力があります。
しかし、生理的機転に裏打ちされた中枢神経系内の疲労現象のばあいは、それ相応の対策を考えなければなりません。たとえば、大脳の機能代謝によって作り出される物質は、覚醒中に消費され、睡眠中に生産されるといわれますが、そうだとすると、絶対的睡眠不足は、明らかに脳活動物質の消耗をおこしてしまうことになるわけで、これに伴う疲労感をとり去るには睡眠以外に方法がないことを意味します。
しかし一方、ねむけはこのような物質的消耗とは無関係にひきおこされることは、催眠術が存在することによっても理解できます。
また必要以上に長時間の睡眠は、かえって睡眠効率を下げ、頭の働きを悪くし、運動意欲を低下させることもあります。どんな人でも、1日5~8時間の睡眠で、必要にして充分なだけの睡眠量がとれるものであるということも知っておくべきでしょう。
「運動をしたから、睡眠で疲れをとろう」などと考えるのはナンセンスです。運動量を増したら睡眠時間をのばさなければならないという理屈はなりたちません。肉体的に疲れたから眠るというのも誤りです。眠りすぎによって疲労感が増大するケースも多いということを知っておいてください。
(筆者は横浜国立大学教授、医学博士)
心理的なばあいは、自己暗示をかけたり、いろいろな条件反射学的手段に訴えたりして、この種の疲労におちいらなくなるよう工夫しなければなりません。また、同じような方法で、いったん生じた疲労感からぬけ出すことも可能です。練習効果に対する期待、感激なども、疲労を感じさせない効力があります。
しかし、生理的機転に裏打ちされた中枢神経系内の疲労現象のばあいは、それ相応の対策を考えなければなりません。たとえば、大脳の機能代謝によって作り出される物質は、覚醒中に消費され、睡眠中に生産されるといわれますが、そうだとすると、絶対的睡眠不足は、明らかに脳活動物質の消耗をおこしてしまうことになるわけで、これに伴う疲労感をとり去るには睡眠以外に方法がないことを意味します。
しかし一方、ねむけはこのような物質的消耗とは無関係にひきおこされることは、催眠術が存在することによっても理解できます。
また必要以上に長時間の睡眠は、かえって睡眠効率を下げ、頭の働きを悪くし、運動意欲を低下させることもあります。どんな人でも、1日5~8時間の睡眠で、必要にして充分なだけの睡眠量がとれるものであるということも知っておくべきでしょう。
「運動をしたから、睡眠で疲れをとろう」などと考えるのはナンセンスです。運動量を増したら睡眠時間をのばさなければならないという理屈はなりたちません。肉体的に疲れたから眠るというのも誤りです。眠りすぎによって疲労感が増大するケースも多いということを知っておいてください。
(筆者は横浜国立大学教授、医学博士)
月刊ボディビルディング1969年9月号
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