Invitation to Bodybuilding ~ ボディビルのすすめ ~ 1969年9月号
月刊ボディビルディング1969年9月号
掲載日:2018.05.22
ーーえっ、ボディビル? あの重いバーベルをうんうんいって持ち上げ、筋肉隆々、見てくれのカッコよさをほこる例のヤツか? あんなもの持ち上げて、ゴリラみたいな体になってなにがおもしろいんだ。だいたいあんなバカ重い鉄の輪を持ち上げりゃ、心臓にこたえるし、内臓にも悪いというよ。それに、人間の体ってヤツは、自然の運動ででき上がるもんで、機械的に作り上げた筋肉なんて、すぐにヘナヘナだよ。第一、肩をいからせて、オレのこの体を見ろ、なんて顔しているヤツは、バカに見えるよ。
ボディビルの話を持ち出すと、すかさずこんな反論をブッて、突っかかってくる人たちがいる。私の周囲にも、これに似た考えを持つスポーツマンが多い。こういう連中を相手に、いくら説得してもわかるわけがない、と思って、私はいつも話題を変えることにしている。
だいたい、こんな“食わずぎらい”の理論をぶっつけてくる連中には、それまでにいくつかの潜在的な理由がある、と私は考えている。
まず第一に、自分の貧弱な肉体に対する劣等感の裏返しーーつまり、たくましい体への反感である。
第二に、ボディビルに対する誤まった先入感である。われわれは、なにも死にものぐるいで重いバーベルを持ち上げているわけではない。自分の肉体相応に、力に比例して適度のバーベルをくりかえし上げているわけだ。
バーベルを持ち上げて、心臓マヒを起こしたり、内臓を破裂させたなどという話は聞いたことがない。ボディビルをやって目方が10kgふえた、20kgふえたというのは、いずれも胃腸の働きがさかんになり、血行がよくなって、体内に送りこまれる栄養分がゆたかになったからこそ、生まれてくる現象なのだ。
こうした肉体の発達過程を、あの人たちはどう見ているんだろう。
第三に、人間の体は自然の運動、たとえば柔道、剣道、水泳、陸上競技などで徐々にきたえられるという点は、たしかにそのとおりだ。しかし、ボディビルは、かならずしも機械的な筋肉増強法とはいえない。軽いバーベル、重いダンベル……プレス、スクワット……さまざまな筋肉群を動員し、縦横無尽に駆使してきたえあげるからだ。
そりゃ、静的運動だから、相撲のぶつかりゲイコのように大地に体をたたきつけたり、柔道のようにタタミに投げつけられて作られる筋肉の発達とはいささかちがう。しかし、どんなスポーツでも、長年きたえていなければ、もとのモクアミになる点は、変わりあるまい。もちろん、ボディビルは万能の鍛練法ではない。足らざるを補う意味で、マラソンやサッカー、バスケットボールといったスポーツを加味し、いっそうの充実を期する必要はある。“マッスルレス・リフター”(筋肉のない重量あげ選手)といわれる、五輪の連続ゴールド・メダリストのバシャノフスキーは、シーズン・オフ中まったくバーベルにさわらず、ボールをけったり、陸上をやって脚腰をきたえ、跳躍力をつけているという。それが、たしかにあのみごとなジャンプ力となって、スプリット・スタイルの華麗な演技に結びついている。
考えてもみるがいい。
ボディビルは、第一に相手を必要としない。場所もいらない。まあ、2~3坪の空地でもあれば、いつでも練習できる。現に、私は自宅の庭の2坪そこそこのテラスで、毎朝エイヤッとバーベルをあげている。
費用も、一度バーベルをそろえればあとは無料だ。ゴルフやボーリングの出費とはくらべものにならない。ジムへ通っても月に2,000円ていど。1日の日割り計算をすれば、30円ナリだ。今日、30円で何が買える。ボディビルはこれで人の寿命を長びかせ、健康をとりもどし、神経質な男を雄大な美丈夫に仕立てあげていくのだ。なんと安い30円、こんなすばらしい買いものが世の中にあるだろうか。
もっとつけ加える必要がある。
人の体は、あたりまえの話だが、年老いるほど衰えていく。40、50になって、何かやりたいと思っても、なかなかチャンス、場所がない。そのときにこのボディビルは、いちやく役立つ存在になる。
60を越えて100kgをあげる人がたくさんいるが、いずれも切実に健康の大切さを感じ、この道にはいった人たちばかりだ。
よぼよぼになって、しょぼくれた年寄りになるよりも、血色よく、しゃきしゃきして、元気に働く老人ほどほほえましいものはない。カネよりも、何よりも尊い健康なのだ。
(S.S.)
ボディビルの話を持ち出すと、すかさずこんな反論をブッて、突っかかってくる人たちがいる。私の周囲にも、これに似た考えを持つスポーツマンが多い。こういう連中を相手に、いくら説得してもわかるわけがない、と思って、私はいつも話題を変えることにしている。
だいたい、こんな“食わずぎらい”の理論をぶっつけてくる連中には、それまでにいくつかの潜在的な理由がある、と私は考えている。
まず第一に、自分の貧弱な肉体に対する劣等感の裏返しーーつまり、たくましい体への反感である。
第二に、ボディビルに対する誤まった先入感である。われわれは、なにも死にものぐるいで重いバーベルを持ち上げているわけではない。自分の肉体相応に、力に比例して適度のバーベルをくりかえし上げているわけだ。
バーベルを持ち上げて、心臓マヒを起こしたり、内臓を破裂させたなどという話は聞いたことがない。ボディビルをやって目方が10kgふえた、20kgふえたというのは、いずれも胃腸の働きがさかんになり、血行がよくなって、体内に送りこまれる栄養分がゆたかになったからこそ、生まれてくる現象なのだ。
こうした肉体の発達過程を、あの人たちはどう見ているんだろう。
第三に、人間の体は自然の運動、たとえば柔道、剣道、水泳、陸上競技などで徐々にきたえられるという点は、たしかにそのとおりだ。しかし、ボディビルは、かならずしも機械的な筋肉増強法とはいえない。軽いバーベル、重いダンベル……プレス、スクワット……さまざまな筋肉群を動員し、縦横無尽に駆使してきたえあげるからだ。
そりゃ、静的運動だから、相撲のぶつかりゲイコのように大地に体をたたきつけたり、柔道のようにタタミに投げつけられて作られる筋肉の発達とはいささかちがう。しかし、どんなスポーツでも、長年きたえていなければ、もとのモクアミになる点は、変わりあるまい。もちろん、ボディビルは万能の鍛練法ではない。足らざるを補う意味で、マラソンやサッカー、バスケットボールといったスポーツを加味し、いっそうの充実を期する必要はある。“マッスルレス・リフター”(筋肉のない重量あげ選手)といわれる、五輪の連続ゴールド・メダリストのバシャノフスキーは、シーズン・オフ中まったくバーベルにさわらず、ボールをけったり、陸上をやって脚腰をきたえ、跳躍力をつけているという。それが、たしかにあのみごとなジャンプ力となって、スプリット・スタイルの華麗な演技に結びついている。
考えてもみるがいい。
ボディビルは、第一に相手を必要としない。場所もいらない。まあ、2~3坪の空地でもあれば、いつでも練習できる。現に、私は自宅の庭の2坪そこそこのテラスで、毎朝エイヤッとバーベルをあげている。
費用も、一度バーベルをそろえればあとは無料だ。ゴルフやボーリングの出費とはくらべものにならない。ジムへ通っても月に2,000円ていど。1日の日割り計算をすれば、30円ナリだ。今日、30円で何が買える。ボディビルはこれで人の寿命を長びかせ、健康をとりもどし、神経質な男を雄大な美丈夫に仕立てあげていくのだ。なんと安い30円、こんなすばらしい買いものが世の中にあるだろうか。
もっとつけ加える必要がある。
人の体は、あたりまえの話だが、年老いるほど衰えていく。40、50になって、何かやりたいと思っても、なかなかチャンス、場所がない。そのときにこのボディビルは、いちやく役立つ存在になる。
60を越えて100kgをあげる人がたくさんいるが、いずれも切実に健康の大切さを感じ、この道にはいった人たちばかりだ。
よぼよぼになって、しょぼくれた年寄りになるよりも、血色よく、しゃきしゃきして、元気に働く老人ほどほほえましいものはない。カネよりも、何よりも尊い健康なのだ。
(S.S.)
月刊ボディビルディング1969年9月号
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