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筋力の増強ということ

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月刊ボディビルディング1969年11月号
掲載日:2018.06.12
小野 三嗣
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単一でない筋力

 握力、背筋力、上腕屈筋力--これらはみな筋力を表現する言葉であることは、だれでも知っています。そしてテンシオメーター(張力計)やストレーンゲージ(ひずみ計)などを使ってこれらを測り、こうして計測された筋力の値の大小を比較して、筋肉発達の程度を推測することも、ご承知のとおりです。

 しかし、この値の大小が、正直のところ、個人の筋肉の発達度をどの程度示すか、という点になりますと、そうかんたんには結論はくだせません。

 もっとも、6歳の幼児と12歳の学童と18歳の青年の筋力の大小を論ずるばあい、この計測値を比較することはそれほど問題にはなりません。つまり、成熟にともなう筋の発達を示す指標として利用するばあいは、それほど不都合ではない、といえます。問題は、トレーニングにより発達した筋群の力を評価するばあいなのです。

 そこでまず、私たちの筋肉に対するトレーニング効果の異同という点から考えなおしてみなければなりません。

 私たちが筋肉群という立体像をながめるとき、そこには、筋束の横断面を見るという立場と、縦長から観察するという立場の2つがあることに気づきます。

 筋群横断面には、大小さまざまな太さをもつ筋線維の断面が見られますが、そのほかに特別な染色をほどこしますと、性質のちがう3種の筋線維がモザイク型に配列されているのがわかります。この3種の筋線維の構成比は、同じ人のばあいでも、たとえば上腕二頭筋と上腕三頭筋ではちがっていますし、また、同じ筋肉でも、人がちがえば、なんらかの差がそこにあらわれています。

 しかも、これらの筋線維は、染色法によって明りょうに区別できるだけでなく、筋が刺激を受けて起こす活動電流をとるといった生理学的な検査に対して、明らかな差を示しますし、収縮刺激に対して応答する態度にも変化が見られるのです。

 濃く染め出される筋線維は、収縮刺激が弱いばあいでも、収縮が安定しています。つまり、平均放電間隔が大きいときでも、その間隔は比較的規則正しく整然としています。一方、淡く染まる筋線維は、弱い収縮刺激のばあい不安定であって、平均放電間隔がのびればのびるほど、不規則な間隔で放電してくる、という違いが見られます。

 また、収縮刺激に応答する態度を見ますと、前者は比較的ゆっくりと収縮し、反復刺激を加えても収縮高の変化が少ない--つまり疲労しにくいのです。これに対して、後者は、収縮の速度は速いが、疲れやすいという性質を示します。私たちは前者を抗重力筋、後者を相性筋と呼んでいますが、この両者の中間的性質を示す中間筋線維群も存在しています。

 いずれにしても、この3者が、先天的に明りょうに区分されたものであって、生活様式やトレーニング法の違いによりなんらの変化もおこさないものであれば、この項の問題としてとり上げるのは無意味なのですが、じつは相当に大幅な変動が見られるので、その点を注目する必要があるわけです。

 アイソメトリックなトレーニングは抗重力筋要素を発達させるだけでなくその抗重力性の程度を増大させますし、アイソトニックなトレーニングは相性筋要素を発達させ、またその相性度を増すものと思われます。

 そして、能動的な筋力発揮という形で計測されるのが握力、屈腕力、背筋力などであって、これらは、まったく同じ関節角度状態で引きおこしに抵抗するという受動的な形で測られた力とは、正相関を示さない、という点が重要なのです。つまり、握りしめるという能動的握力が大きいから、引きおこしにたえるという受動的な握力が大きい、とはいえないのです。

 このような観点から見ますと、筋力は、少なくとも作用方向によって異なる2面から計測することが必要であるといえるようです。

ローテーションを考える

 次に、縦断的に筋線維を観察してみましょう。

 それぞれ90°、110°、130°の異なった膝関節角度で、3群の被検者群に下腿伸展のアイソメトリック・トレーニングを行なわせたことがあります。その結果は、各群とも、それぞれトレーニングされた角度では伸展力の増加を示しましたが、他の関節角度における伸展力にはなんの変化もあらわれませんでした。

 ということは、膝関節で下腿を伸展する方向に作用する筋群は、少なくとも、関節角度で20°変化する程度の状態変化で、作用する筋群が異なっている、と推定せざるをえません。こうなると、ある特定の関節角度における筋力が強いからといって、他の角度でも強いかどうかは、それだけでは断定できないことになります。

 関節角度の変化にともなって作用節群が異なるということは、見方を変えれば、筋群作動にかんするローテーション・システムが存在することを意味しますし、また、トレーニングによっては、このローテーション・システムを破壊する、という可能性も期待されます。

 その1例をあげると、腕角力を長年手がけている群とそうでない群とでは、肘関節を90°にまげた状態で外旋に堪えるテストにおける筋電図パターンに明かな差異が観察されました。未経験者群では、ほぼ3段階のパターン変化(3段のローテーション)が見られたのに、経験者群では、始めから終わりまで、ほとんど変化のない一様のパターンがあらわれたのです。これは腕角力トレーニングがローテーションをおこさせないようにしたからだ、と考えられないでしょうか!

 こうみてくると、ローテートするものとしないものとを、単一関節角度における筋力測定値(あるいは筋の太さ)だけで比較することは、不合理といわなければなりまん。

筋力は筋線維の太さに比例しない

 少なくとも、従来の研究者たちの多くは、筋力は筋の生理的横断面積に比例する、という考え方だけを述べており、それ以上の深い考察を行なっていません。

 たとえば、ドイツのヘッティンガー氏は、四肢筋群の力は、老若男女を問わず、生理的横断面積1cm2あたり4.0kgであるといっていますし、これに対して猪飼道夫氏は、若干のスポーツ選手群、男女学生群などについて、脂肪層の厚さや骨の太さなどを充分に修正して、測定値を処理した結果、各群の間に有意差なく、平均1cm2あたり5.6kgという数値を発表しております。

 これらはいずれも、統計処理の手法の正しさに幻惑されて、私たちがほんとうに知らなければならない筋力と筋横断面積との相互関係の正しい把握に失敗しています。

 いろいろな被検対象群の平均値の差の間に有意性が証明されないことが、平均値の差が小さいということよりも標準偏差が大きすぎることに起因している点に、注意しなければならないのです。

 同じような被検者群の中で、10cm2の横断面積をもつ2人の被検者の一方が30kgの力しか出せないのに、もう一方が60kgも出す、といった差のあることのほうが、本質的に重要な問題であります。つまり、筋線維の太さと力が比例しない、ということを感じるほうが正しい見方である、といえるわけです。

 そして、少なくとも一方では、ある種のトレーニングを行なうことによって、筋力は2倍に増加したのに、筋横断面積には目立った変化が見られなかった、という実験例もありますので、「筋力は筋線維の太さに比例する」という古典的な信念は、そろそろ忘れ去ったほうがよい時期にきている、と私は考えております。

動的な筋力と静的な筋力

 私たちがふつうに“筋力”と呼んでいるのは、すべて静的な筋力のことです。動的な筋力を実験室で測る方法としては、たとえば、慣性エルゴメーターなどを利用する方法がありますが、これとても、実際運動の場で発揮される動的筋力をどのていど代表できるかという点になると、静的から動的への抵抗開放にともなう2段モーションの存在という難問があって、そのまま信用するわけにはいきません。

 慣性エルゴメーターにあらわされた回転モーメントなどから、動的な力を“パワー”と呼び、一般的に<力×スピード>という概念が導入されています。そして、パワーと静的筋力との相関関係も、よほど対象範囲を拡大しないかぎり、認められないことも知られています。
“ミスター筋力”ポール・アンダーソン(Health&Strength)

“ミスター筋力”ポール・アンダーソン(Health&Strength)

 静的筋力と筋横断面積との関係にしろ、あるいはここで問題となっている動的筋力と静的筋力との関係にしろ、未成熟の発育発達途上にある幼年若年者にまで対象を拡大すれば、高度の正相関が得られることは、火を見るよりも明らかなことですが、私たちの関心の対象であるトレーニングにともなう形態、機能の動態については役に立たないだけでなく、無用の混乱をまねくという意味で、有害とさえいえる点を、あらためて強調しておきます。

 筆者らは、下肢伸展筋群の静的および動的のトレーニングが伸脚力と垂直とび能力にどのような影響をあたえるか、という問題を久しいこと研究していますが、まだ完全な法則性は発見しておりません。

 静的筋力あるいは動的持久力を増強することは比較的容易であるが、垂直とび能力は容易には増加しないということ、初めに垂直とび能力が劣悪であったグループのほうが、効果があらわれやすいということが、確認されたていどでした。

 実際スポーツの場で発揮される筋力を現金にたとえますと、実験室で測定される動的筋力は比較的換金の容易な宝石類、静的筋力は換金にてまのかかる不動産、というような関係であると考えられます。あったほうが好ましいように感じられる宝石、不動産ではありますが、現実に換金できなければ役には立たない点を考える必要があります。

集中発揮力の問題

 躯幹筋や躯幹に近い四肢筋などの大筋群は、ふつうのばあい、それを構成する運動単位のすべては動員できないものと理解されていますが、それが、特殊な精神状態、たとえば火事場における危急のさいなどには、抑制機構のとめ金をはずすことによって、全筋力を発揮します。そして、このような抑制機構は、ふだんは、いわゆる安全装置的役割をはたしている、というのが普遍的な解釈です。したがって、私たち普通の人間は、そのような異常事態にでも直面しないかぎり、全筋力を集中発揮することはできません。

 しかし、一流のスポーツ選手は、ここぞと思うとき、いつでもみずからの意志によって、この安全装置をはずし、全筋力を集中発揮できるのです。そのかわり、このような選手たちは、その運動によってばく大なエネルギーを消費することになり、ひきつづいて同じ筋力を反復発揮する能力がない、というのがふつうであって、相当の休養があたえられないかぎり、回復しないことになります。

 これとちょうど正反対の関係になっているのが、重筋労働者です。中等度の力を持久的に反復発揮する能力はすばらしいものがありますが、安全装置としての抑制機構は強固であり、めったなことでははずれません。したがって、瞬発的な筋力を測ってみると、意外に小さいのにおどろかされることが多いのです。そして、この傾向にいっそう拍車をかける現象として、反復筋労作にともなう筋群活動の労働化というしくみがあります。

 筆者はかつて、東京オリンピック候補選手として指定されていたウェイトリフティング選手のプレスを筋電図学的に検査したことがあります。

 ベテランであって、記録が徐々にのびている選手では、ベストの90%のプレスを行なうばあい、きわめて多くの筋肉を利用して挙上しているのがわかりました。これに対して、記録がのびなやみになっている古い選手たちはごくわずかの筋肉だけを使って、ベストの90%プレスを行なっていました。

 ちょっと考えると、わずかの筋肉を使っただけでベストの90%でできるのなら、多くの筋肉を使ったら、難なくベスト記録を破れそうに感じられます。そして、たくさんの筋肉を使っていながら、ベストの90%しか出せないのでは、記録更新などとてもおぼつかないと思われがちです。

 しかし、事実はまったく逆であって同じことの反復くりかえしを行なうという筋労作には、生物学的に合目的的な仕事効率を増大させようとする現象がともなってくるのです。

 はじめは、拮抗筋その他のむだな筋の働きをおさえることにより、次には1本の筋線維を強化することによってこれが行なわれるわけです。つまり、同じ仕事量を達成するのに使用される筋収縮のエネルギーを減少させようとするのであって、筋収縮を不変にしておいて、仕事量を増大させようとする方向にはけっして働きません。

 したがって、同じフォームによるプレスを反復していると、ベスト100kgを押し上げるのに要する筋活動が減少するのであって、筋活動をそのままにして、ベストが105kgになるようにはならないことを示すものです。

 このような生理現象は、賃金を得るための作業労働のばあいはきわめて合目的的ですが、記録の向上をめざすスポーツ競技のばあいは、まことに不都合と考えられます。そのためにこそ、あらゆるスポーツ競技において、フォームのマンネリ化がもっとも警戒されるのであって、不断の創意と工夫を要求されるのが当然なのです。

筋力発揮には抵抗が必要

 “のれんに腕押し”ということは、相手が抵抗してくれないために力の出しようのない状態をいいます。筋紡錘から出る感覚神経線維を切断してしまうと、その筋紡錘が含まれている筋線維は収縮して力を出すことができなくなってしまう、という実験事実は、筋力は一方向きの生理現象だけによるものでないことを立証しました。

 このことは、体力測定における筋力と、実際スポーツ競技の場における筋力との異同を考えるための重要なポイントです。私たちが測る静的筋力は、結果的に最大抵抗のかかる状態を計測しているわけです。しかし、スポーツは動的に行なわれるのがふつうです。収縮が動的な連続動作をひきおこさなければ、スポーツが成り立つはずはありません。

 動くことにより、スピードが増してくれば、刻々に移りかわる瞬間ごとの抵抗は減少する一方です。いいかえれば、速く動くほど力が減少することを示唆するのであって、人間の力を出すしくみと機械との決定的な差といわざるをえません。

 筋収縮の速度をおそくするほど大きな力を出すことができる、といっても速さがおそくなりすぎるというキライがあり、競技記録としてはかんばしくありません。投てきにしろ、重量あげにしろ、力の出し方は指数函数的加速によらなければならない、とされるゆえんです。

 抵抗が弱ければ力の出しようがないということのもっとも端的なあらわれは、ヤリ投げと砲丸投げに見られます。800gのヤリは90mとばして72kg-mの仕事がなされたことになります。7.257kgの砲丸は20.5mで約149kg-mと、2倍以上の仕事量になっています。

 どちらも回転遠心力を作用させない点は共通です。体格の差によるというよりは、投げる重さが軽かったのでは力の出しようがないことを意味すると、考えるほうが正しいようです。
(筆者は横浜国立大学教授・医学博士)
月刊ボディビルディング1969年11月号

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