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海の向うの話 1972年1月号

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月刊ボディビルディング1972年1月号
掲載日:2018.06.17

背の高いのもよしあし

 69年度ミスター・ブリテン(英国)になったフランク・リチャードは、余勢をかって同年のミスター・ユニバースに出場した。

 なにぶん身長が5フィート10インチもあるので、コンテストにはクラス1で出たが、このクラスには、デニス・ティネリーノやジム・へイスロップがいたので、彼等についで惜しくも第3位になってしまった。

 当時彼は……もう少し背が低かったら、クラス2で優勝できたのに……とくやしがっていたものである。

 ところが昨年は、再びクラス1で出場したミスター・ユニバース・コンテストで、みごと優勝、ついに念願がかない、写真におさまった顔はまことに満足げであった

年寄りの冷や水

 1913年からボディビルを続けているレスリー・カーソンは、すでに現在78才になる。

 そろそろ御高令といわれるおとしであるが、今でも125ポンド(約58kg)のウェイトを支持したままシット・アップをおやりになる。
 
 彼が、インディアナ州のウェイトリフティングのチャンピオンになったのが、なんと61才のときだったというからまさにオドロキである。
 
 彼が24才のとき42インチ(約108センチ)あった胸囲が、48才では45インチ、そして78才のいま、依然として42インチである。

 体重も、24才のとき134ポンド、48才のときが168ポンド、そして78才のいま149ポンドとなっている。

 体調は健康そのもので、毎日ジムに顔を出してトレーニングに励んでいるが、このハッスル・オジイサンにジムの練習生もア然としている。

 日本の若きビルダー諸公よ、負けてはおられませんな!

41才と14才

 41才になった今年、4度目のミスター・ユニバースのタイトルを得たビル・パールには、14才になる息子さんがいて、これがまた眼に入れても痛くないという可愛がりよう。

 この愛息も、はやばやとバーベルにうちこんで、この時ばかりは厳しい父の指導を受けている。

 この父ビル・パールが人に語ったところによると、この愛息が、もし筋量を増やすために何か薬剤にでも手を出そうものなら、2度とバーベルに近よらせない……と固い決意をしているそうだ。

 事実ビル・パール自身が、生まれて以来、いっさい蛋白同化剤やホルモン剤にたよらず世界一になり得ることを多くのビルダーに証明している。

 なお、蛇足を書き加えれば、アメリカでは最近この薬剤によって死者が出たそうである。

 ビルダー諸君、逞しい体はたゆまざる努力の結果として得ることにこそ意義があるのだと思うよ。

ニューヨークのヘラクレス消ゆ

 アーノルド・シュワルツェネガーがアーノルド・ストロングという名で主演した、現代諷刺喜劇映画「ニューヨークのへラクレス」というのがあったのをご記憶だろうか。

 これがどのようなアタリをとったのか興味があったので調べてみた。

 何でも、アメリカの2・3の小さな劇場で多少の客を集めただけで、アッという間に消えてしまったそうだ。
 
 なにせ、今あちらは、ものすごいセックス映画のハンランで、へラクレスどころではない。
 
 著者も後学のため(?)にニューヨークで、とあるセックス・シアターに入ってみたが、いや大変な混みようである。

 これではへラクレスもシッポをまいて逃げ出すだろうと思えた。
 
 「ニューヨークのへラクレス」のフィルムは、アメリカのあるテレビ会社が買いとったらしい。

 そのうち、日本あたりで上映されるかも知れないと、楽しみにしているところである。

ボディビルとボクシング

 アメリカはニュージャージーで相当名の売れたフルトン・ロジャースは、永年ボディビルで鍛えた素晴らしい体の持ち主。その彼が最近、プロ・ボクサーに転向し、トレーニングも当然ボディビルからボクシング中心の方法に切りかえた。

 脚・腕のスピードもよく、鍛えた腹筋が相手のパンチにビクともしないとあって、いま、勝率をグングンあげているところである。

 イタリーで2年間プロ・ボクサーとしてならしたフランコ・コロンボは、ボクシングからボディビルに転向したことで有名だが、ロジャースの場合はそれとまったく逆である。ジムでは、ボディビル界からまたあたら人材を失うと残念がっているが、同じスポーツ界のこと、そこはみんなで協力して彼のトレーニングを助けている。

 日本でも、ウェイト・トレーニングをボクシングの練習にとりいれているプロ・ボクサーは多いし、また、その効果はてきめんだという。

 よいことである。
(高山勝一郎)
月刊ボディビルディング1972年1月号

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