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海の向うの話 1972年2月号

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月刊ボディビルディング1972年2月号
掲載日:2018.05.07

NABBA,IFBB AAUの確執

 世界のボディビルダーが、いま最も憂慮しているもの……それは、ボディビル界の組織づくりが一体化されず、個々別々の組織がバラバラに動いていることではなかろうか。

 ミスター・ユニバースのコンテストにしても、毎年NABBAが行ない、IFBBが行なう。ミスター・アメリカ・コンテストもAAUとIFBBが別々に行なっている。

 ミスター・○○になっても、それはどこの組織のタイトルか、組織名をつけない限り判らないし、似たようなコンテストが2つも3つもあるので、そ
のタイトルまでカスんでみえる。

 全体のスポーツ人口の中で、ボディビルダーの占める割合は極めて少ないにもかかわらず、その中でナワ張り争い的な組織分裂が存在する。まことに困ったことである。

 つい先日もこんな話があった。

 AAUのボブ・ホフマンが、全米のパワーリフティング・コンテストを催して大成功をおさめたところ、早速IFBBのジョー・ワイダーが、自分のところで出しているボディビル雑誌で非難をあびせた。

 日く、AAUはウェイトリフティング・コンテストが不調に終わったので今度はパワーリフティングに乗り替えたのか。パワーリフティングなどは筋肉の消耗にしか役立たぬ。われわれはAAUにのせられたパワー・リフターのためにたたかう……というのである。

 これに対するボブ・ホフマンの反論がまたおもしろい。

 「パワーリフティングは、ワイダー君がオシメをしていた頃から私が育ててきた競技である。健康を害するような薬を、金儲けのために売ることに夢中になるより、君もパワーリフティングでもやったらどうだ」

 この論争は結局、ほとんどのビルダーがホフマン側を支持して、AAUの勝ちで終わった形となったらしい。

 AAUはアマチュア・アスレティック・ユニオンの省略で、全米のウェイトリフティング競技をとりしきり、コンテストでは、ミスター・アメリカ、ジュニア・ミスター・アメリカ、ティーンエイジ・ミスター・アメリカ、ミスターUSA、ミスター・ジュニア・USAを主催する。

 IFBBは、インターナショナル・フェデレーション・オブ・ボディビルダーズの略で、ベン・ワイダー、ジョー・ワイダーの2人が主催し、おもなコンテストだけでも、ミスター・アメリカ、ミスター・ユニバース、ミスター・ワールド、ミスター・アジア、ミスター・オリンピアとはなやかである。

 ビルダーのあいだでは、ワイダーのマネー第一主義に鼻をつまむ者も多いが、ボディビルの発展に寄与した点では認めねばなるまい。

 彼は今年からIFBB所属のビルダーが、他の組織の主催するコンテストに出場することを禁じて、識者の反目をかっている。

 NABBAは、ナショナル・アマチュア・ボディビルダーズ・アソシエーションの略で、会長オスカー・ハイデンスタムの人柄と相まって、世界のビルダーに親しまれる大きな組織になっている。

 副会長のグリーンウッドは著名な写真家でもあり、会長と2人でNABBAをもりたてている。

 ここの主催するミスター・ユニバース・コンテストは、その権威の点においてもビルダーの間に定評があるといえよう。

 昨年、シュワルツェネガーとフランコ・コロンボが、前述の理由でNABBAのコンテストに欠場を余儀なくされたが、セルジオ・オリバは堂々とフ
リーを宣言し、NABBAにも出場して話題をまいた。

 ビルダーでも、その実力と自信によっては、一定の組織の束縛を断ち切ることができるという1つの見本かもしれない。
なにはともあれ、これらの組織は、もっと高い観点に立って大同団結すべきである。話し合いによって一定の権威あるコンテストをまとめ、また、ビルダーの自由な交流をはかるべきである。

 かえりみてわが国で、全日本と日本ボディビル協会が1本になり、ミスター日本も1本化されていることは、まことによろこばしいことといわねばなるまい。

 世界の組織も日本に”右へならへ”をしてもらいたいものだ。JBBAが中心になって、そのような働きかけをすることも考えてよいと思う。
 
 ボディビルの世界は1つである。小さな仲間われをしているときではない
(S.T.)

ベンチ・プレス300kg 惜しくも成らず

日本のパワー・リフターで200kgのベンチ・プレスを公式試合で達成したものはいない。

 ところが、海の向うのアメリカではなんと300kgの壁を越えようとしている。

 ジョニー・ウイリアムス(スーペー・へビー級)は、ベンチ・プレスが得意で、先刻ご承知のように全米記録の保持者である。この彼が、昨月グレーター・スクラントンYMCAで行なわれたパワーリフティング大会で、なんと670ボンド(303.9kg)に挑戦したのだ。

 結局、この偉大な記録に成功しなかったが、まったく惜しいもので、九分どおり押し上げたものの、ほんの僅かのところでひじが伸びきらず、万場の観衆が残念がることしきりだったそうな。

 このぶんでは、670ポンドはおろか700ポンド(317.5kg)の壁も、そう遠からずビッグ・ジム・ウイリアムスによって達成されるであろう。

クレンツォフとタルツはいまどうしている?

 1971年度世界重量あげ選手権大会に出場すれば、優勝確実と目されていた2人のソ連リフターが、どうしたわけかついにその姿を見せなかった。

 その2人とは、ミドル級の常勝ビクトル・クレンツォフと、へビー級で圧倒的な強さを誇るヤン・タルツで、もちろん両者とも世界新記録保持者であ
る。

 重量あげファンなら、昨年の世界選手権大会に、この2人の英雄的リフターの名前が出ていないことを不思議に思い、ヒョットすると「失格」したのではないかと早合点したことであろう。

 ところが、実はクレンツォフもタルツも、世界選手権大会で負けたのでもなければ、失格したのでもない。本当は、ソ連の重量あげ組織にタテついたカドで「左遷」されてしまったということだそうだ。

 「左遷」というと少々オーバーないい方かも知れないが、優秀な成績をあげれば、生活の保障が約束されている「ステート・アマ」のソ連ではありうること。

 それにしても、この両雄はかって日本にも訪れたことがあり、ことにクレンツォフは日本リフターの憧れの的でその人気は抜群である。

 両者ともに温和で、いったんステージをおりれば人なつっこく、笑顔をたやさず、おごり高ぶることのない人間性の持ち主であり、なぜ「左遷」されたのかサッパリ判からない。

 今年のミュンへン・オリンピックに再びこの2人の英姿が見られるかどうか、ファンとしては興味シンシンであろう。
(H·F)
月刊ボディビルディング1972年2月号

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