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ボディコンテストの審査基準
〈JBBA審判。審查委員会統一見解>

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月刊ボディビルディング1972年9月号
掲載日:2018.07.01
JBBA事務局長 吉田実
 日本ボディビル協会では、4月16日の関東地区を皮切りに、全国9ヵ所で審判・審査員講習会を開催した。
 この講習会では、全国各地の経験豊富な審判・審査員たちが、審判・審査の方法および技術について、各地とも5時間半〜7時間におよぶ激論をたたかわせた。
 各地区の講習会で研究された諸事項につき、JBBA審判・審査委員会では、各意見を総合的に検討して、7月20日に統一見解を策定し、秋に行われる全国理事会での承認を待っている。
 9月9日に中国地区講習会を予定しているが、それが終わってからでは事務的に無理が生じるので、あえて7月20日に結論を下した。

公認審判・審查員制実施の意義

 7〜10年前までは、都道府県協会が設立されているところは少なく、コンテストも、ミスター日本をはじめとして、指を折って数えるぐらいしか開催されていなかった。
 ところが、最近では日本ボディビル界第2期黄金時代とも呼ばれるほどのボディビル・ブームなので、全国各地で、都道府県コンテストが31、ブロック・コンテストが8、全国コンテストが2、合計して41ものコンテストが目白押し。
 それに加えて、現在ではまだコンテストほど陽が当らないが、パワーリフティング競技がほぼコンテストと同数行われている。
 さらに、本年中あるいは来年始めにかけて、設立が予定されている地方協会が5つ以上あるので、今後ますます各種大会は増加の一途を辿ると考えられる。
 年間を通して指を折って数える程度の大会数ならば、ミスター日本コンテスト、あるいは全日本パワーリフティング選手権大会の審判・審査方法を真似ているだけで用は足りるが、全国で約80の大会が行われる今日では、それでは済まなくなってきた。
 そこで遅ればせながら、今年度より公認審判・審査員制を実施したわけである。逆説的にいえば、JBBA設立後18年目を迎えて、やっとこの制度が実施できるような土壌が育ったとも表現できる。
 これにより、全国どこで誰が競技し誰が審判ないしは審査をしても、同じ審判基準、審査基準で判定をすることを最大の目的とした。

コンテストは競技

 講習会で意見がたたかわされたすべての事項を、読者の皆様にお伝えするスペースがないので、重要なもののみを重点的に記したい。
 JBBAボディ・コンテスト実施規程は、昨年10月に、純然たる競技として、なお一層の発展を期すため大幅に改正されたが、それまでに定着したコンテスト方法から脱皮するためには、まず、根本的な発想の転換が必要とされた。
 昨年までのコンテストは、競技としてより、むしろショー的要素が強いと他種スポーツ団体や報道機関などから指摘されていた。確かに、ある一面においては、我々ボディビル界の者が反省しなければいけない点が多々あったと思う。
 そこで改正後の規程では、コンテストを競技として割り切って考え、競技としてふさわしい運営方法に作り変えることを主眼とした。
 しかし、競技性を追求するあまりにコンテストの醍醐味を失わせてはならない。他のスポーツ競技に例をとるならば、フィギュアのフリー・スケーティング、体操競技などのように、競技性100%のうえに、見て楽しいものに育てあげなければならない。
 この意味でのショー的要素なら、おおいに結構。この持ち味を失ったのでは、コンテストのよさがなくなってしまう。

決勝の採点は70点〜100点

 コンテストについては、当然ながら審査方法について議論が集中した。
 決勝審査では、100点満点の採点となっているが、その満点の対象をどこにおくか。世界最高峰のシュワルツェネガーやビル・パールあたりを満点と考えるのならば、地方コンテストの入賞者クラスでは点のつけようがない。
 したがって、どんなコンテストでもその大会の最高レベルの選手を95点なり100点と考えることにした。
 そして、最低の点も70点程度に押えることにした。決勝に進出した選手に対して30点〜40点ではちよっとひどい
 70点〜100点の間で、各選手に大幅な点差を与え、優劣を明らかにすることが原則となった。

採点対象の割合

 決勝審査では、筋肉、均斉、知性、ポージング、スポーツマン・マナーなどを総合判断して100点満点としているが、どれをどんな割合でみるか。
 知性のみを重視した場合には、肉体的レベルがかなり低い者でも優勝できる。これではボディ・コンテストとしての意味がない。頭脳コンテストではないからだ。
 筋肉のみを重視すれば、均斉が悪く品位に欠け、ポージングもできず立ったままでいる選手でも、筋肉さえ凄ければタイトルを獲得できる。これではゴリラ・コンテストだ。ミスター何々にふさわしくない。
 そこで、昨年まで用いていた筋肉50点、均斉30点、知性および表現能力20点という、分割採点方法のよいところだけを残した。
 すなわち、筋肉を50%程度、均斉を30%程度、知性、ポージング、スポーツマン・マナーなどを20%程度の割合で考える。しかしこれは、それぞれを分割して採点するのではなく、あくまでも、何をどの程度の割合で考えるかという目安にするわけだ。
 それなら、いっそのこと昨年までのように、分割採点方式のほうがスッキリするじゃあないか、とのご意見があるかも知れない。
 しかし、1〜2分のポージング時間のあとで、次の選手が演技に入る前のほんの5〜10秒以内に分割して採点するとなると、全体を見失ってしまい、正確な判断ができないものだ。合計してみたら、1位にと考えていた選手に2位の点を入れていた、なんてことが起こり得る。
 ボディビルダーの体は、部分として見ずに、全体として見なければ比較審査はできないし、ビルダーのよさは理解できないものだ。

知性、均斉などの定義は難しい

 ポージングとスポーツマン・マナーはそのままでわかるが、筋肉、均斉知性などは漠然としすぎて理解し難い。それぞれを定義してはどうか、との意見も強かった。
 しかし、この定義は極めて難しい。というよりも、定義すること自体に無理がある。しかし、一応の常識的な見解は必要だ。
 筋肉とは、各部分の筋肉がどれだけ発達しているかという、筋肉の発達状態を指す。デフィニションとパルクの両者が必須条件で、どちらか一方のみでは、よく発達した筋肉だとはいえない。
 均斉とは、各部分の筋肉の発達状況がバランスとれているか、骨格などを含めて全体に調和しているかということだ。
 これには、先天的なものも後天的なものも含まれる。どんなに本人が努力しても克服できない先天的な悪条件であっても、格好の悪いものは悪いと採点される。これは、他のスポーツ競技同様の宿命だ。
 知性とは、いろいろ意見が分かれるところだが、文字どおり知性的なものを総合したものだ。
 田鶴浜副会長「ポージングの下手な者は、知性のない証拠だ。経験が少ない場合には例外もあるが、自分の体をよく見せられず、欠点ばかりをさらけだすのは、頭が悪いということでしょう」
 平松技術顧問「ひと口にいえば、風格ということでしょうか」
 筆者「ボディビルダーの知性とは、言葉を用いて表現するものではない。内に貯えたものを、体を通してにじみださせるものだ」
 これらのものが相乗的に掛け合わされた、複雑なものといえるのではないか。

予選はピック・アップ方式

 予選審査はなぜ採点しないのか? よい選手だけをピック・アップするだけでは味気ない。決勝に進出できない選手は可哀想だ、との意見もあった。
 予選審査の最大の目的は、決勝に残す者を選別することにある。70位と71位の差は何点か……を審査することではない。
 大会運営の時間的制約がなかったら参加全選手に決勝審査と同様のフリーポーズをさせれば、1回の審査で順位が決定する。しかし、現実にはそれが不可能だし、正確な判定が難しいものなので、予選と決勝に分けているのだ
 私が考える理想的な予選方法は、かりに100名の参加者があったとするならば、第1次予選で50人残す。第2次予選で25人に減らす。第3次予選で12人に、第4次予選で6人を選び出す。すなわち、半分ずつに選り分ける方法だ。
 こうすれば、一定のレベル同士の集団になるから、錯覚や価値判断に狂いが生じ難いので、実力どおりの選別ができる。
 これを大会運営上の都合から、逆に最後に残る選手のみをピック・アップしたわけだ。勝負の世界は厳しいもの 陽が当たるためには強くならなければならない。

肌の美醜は審査対象

 肌の美醜は審査の対象に考えてよいのだろうか?
 片寄った食事などのために、肌にブツブツがでてくる者もいる。ランニングシャツの陽焼けあとがクッキリと浮びあがっている者もいる。あるいは北海道の熊顔負けの胸毛やスネ毛、ひどいのになると体毛をむきだしにしている。
 ボディ・コンテストは筋肉のみを競うものではない。広い意味で肉体のすべてを競うものだ。そして、当然のことながら肌も審査の対象に含まれる。
 肌が荒れてツヤがないのは不健康の証拠。胸毛や体毛をむきだしにして、コンテストに出場するのは、知性がないとみてよいのではないか。

ヤケド、傷なども審査対象

 ヤケド跡、大きなアザ、傷などは肌の美醜に含めて考えてよいのか?
 本人にはまったく責任のないところで、親の不注意などにより生じたものや、先天的なものをマイナス要因として採点に影響させては可哀想だ、という意見もあった。
 しかし、ボディ・コンテストを純然たる競技として推進する以上、たとえ本人に責任がなくとも審査の対象範囲内とするのが当然だ。どんな競技でも先天的な有利、不利はついてまわるものだ。コンテストのみを例外と考えるほうが、むしろ不自然ともいえる。
 選手の人間性を評価する場合には、不利を克服してよくぞここまで成し遂げたものだ、とむしろ賞賛の対象になるが、競技としての優劣は結果で判定するものだ。
 そうでなければ、他の欠点についても目をつぶろうということにもつながり、収拾がとれなくなる。
 不利なハンディをカバーして、なおお釣のくる実力を養うことが必要だ。上位入賞の道を閉ざされた訳ではない
 チャンピオンたちも、多かれ少なかれ何かのハンディを克服した者がほとんどだ。

イレズミ者は出場不可

 イレズミ者のコンテスト出場は認めてよいのか?
 外国の一流ビルダーの中には、小さなイレズミをしている者が何人かいる イレズミ者でも、ボディビルを行なったことにより、見事更生したという世間へのアピール材料にもなる、とのごく一部の意見もあった。
 しかし、装飾的な気持で気軽に彫りものを体に入れる欧米と、イレズミ者は遊び人とする日本の感覚は異なるはずだ。
 選手の肉体的レベルでは日本より一歩リードしている欧米ボディビル界だが、悪いものを見習う必要はない。日本では、日本流の発展方法を考えるべきだ。
 1人や2人の更生者のために、ボディビル人口百万人ともいわれる人たちが、世間から受けるダメージの方がはるかに大きいはずだ。
 包帯、サポーター、絆創膏などで隠せる範囲の小さなものに限り、隠させたうえで出場だけは認める。当然ながら、その部分は審査できないのだからよい点はつき難い。
 この妥協案を結論とした。

オイル使用は厳禁

 オリーブ油などは、どうして使用してはいけないのか。見る者に迫力を感じさせるではないか?
 ボディ・コンテストがショー的に見られる最大の原因は、オイル使用によるものと考える。そうでなくとも、一般人から見れば、人間ばなれした筋肉に、油をギラギラさせたのでは異様なものに映るだろう。少なくとも、競技としてのイメージではないはずだ。
 今後一切、ゲスト・ポーザーといえどもオイル使用は禁ずる。

パンツはJBBAマーク入りのものに限る

 ビルダー・パンツはJBBAマーク入りのものに統一したい、という意見が圧倒的だった。
 最近流行の股下の長い海水パンツや薄手の競泳パンツでは何とも格好が悪い。地方コンテストでは、パンツ型サポーターのみでの出場者も何人かいる 一番いけないのは、男性ヌードまがいのバタフライ式パンツだ。
 JBBAマーク入りのものなら、これらの心配は一切無用だ。各自が勝手に細工して形を変えることも禁ずる。色は白に統一。厚手のサポーターを必ず使用することも同時に勧告する。

素人が審査するのは無理

 審査員の半数未満は公認審査員でなくともよいことになっているが、しかし、各選手のレベルが向上した現在、素人にはビルダーの微妙な優劣がつけ難い。
 芸術家、医者、有識者などを、少人数に限って審査員としてもよいとした理由は、ボディビル界のみのひとりよがりな価値判断だけではなく、世間一般にも通用する価値判断で優勝者を決めようとしたものだ。
 しかし、コンテストがここまで高度化して、競技としての発展を目指しているのだから、他のスポーツ競技と同様に、公認審査員のみで構成すべきだ
 その経過措置として、大会に花を添えるゲスト審査員の採点カードは、集計の対象から除外する。

決勝は12名以内に

 決勝の人数と、何位まで順位をつけるか限定すべきだとの意見が多い。
 20〜30人を決勝に進出させたのでは選手のレベルと審査の観点から、決勝の意味が失われる。そこで、決勝は12名以内とした。
 また、7〜12位までを正確にランクづけることは至難のわざで、無理に順位を決定するのはかえって弊害がある。このような考えから順位の決定は上位6位までとし、残りの決勝進出者は全員7位とする。

副賞として商品は駄目

 コンテストが盛大になればなるほど協賛してくれる会社、団体なども増加する。単にプログラムの広告料だけでなく、商品を協賛しようとする会社もでてくる。
 ミスター日本コンテストにおいても7~8年前までは、スポンサーから提供された商品を副賞として選手に与えたこともあった。しかし、健全なスポーツ競技としての発達を目指すならばアマチュア精神に則って、商品の供与は絶対に廃止すべきだ。
 あまり高額でないトロフィー、カップ、楯などに限り、選手に賞品として供与を許し、商品類は一切認めないことにした。ただし、参加選手全員に記念品としてタオルなどの少額のものを贈ることは差し支えない。

大会運営には競技性を反映

 ボディ・コンテストについて、いま述べた事項以外にも数限りないほどの研究がなされ、JBBA審判・審査委員会の統一見解も打ち出されているが誌面の都合から他は残念ながら割愛した。
 以上の諸点は、すべてボディ・コンテストの競技としての性格を強調して健全なるスポーツ競技としての成長を促進するという大前提に立脚したものである。
 コンテストの持ち味を失うことなく大会運営、審査方法において競技性を反映することができれば、ボディコンテストの未来は洋々たるものが約束されているといえよう。
(パワーリフティングに関する統一見解は来月号に掲載します)
月刊ボディビルディング1972年9月号

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