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ボディビルと私 病弱と事故の後遺症から見事立ち直った私の体験

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月刊ボディビルディング1972年12月号
掲載日:2018.05.21
玉井 邦道
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 私がボディビルを始めたのはいまから3年前である。自動車事故の後遺症で死の苦しみを味わい、医者にも見はなされた私は、なんとか健康な体になりたいと、最後の手段としてトレーニングを始めたのだった。

 小さいときから病弱のほうだったがとくに胃が悪く40才になる今日まで胃潰瘍、盲腸、腎臓、喘息、糖尿病、それに自動車事故まで加わって、次から次へと苦しい闘病生活が続いた。

 それは3年前の暑い夏の日のことでった。会社で仕事をしていたとき、なんとなく指先の感覚がいつもと違うことに気がついた。そのうち指先がシビレてきて物をつかむことができない。時間がたつにしたがい、胸、背中の痛みがひどくなり、呼吸するのがやっとだった。

 会社を早退して家に帰り、近くの外科医を尋ねた。その間も痛みはますますひどくなり、冷汗がワキの下や背中からひっきりなしに流れた。いまにも倒れそうだった。待つ時間をこんなに長く感じたことはなかった。

 やっと番がきた。診察の結果、2年前に自動車事故の後遺症だということがわかった。そして、1~2ヵ月の入院治療をするようにいわれた。

 私はその瞬間、自分の体のことより家族のことが心配になった。私が入院したら親子3人どうやって生活していくのか。それを思えば胸がいっぱいになり、涙と悲しみで一層痛みが強く身を苦しめるのだった。

 まんじりともしない一夜があけた。次の日も朝からむし暑く、体が思うように動かない。痛みは依然として続いている。血圧は200、体温40度、耳もとでは飛行機の爆音、天井は風車のようにグルグルまわる。

 ”俺はもうだめだ”起きることもできない。畳の上に倒れたまま涙が止めどもなく流れてくる。高熱のための汗か、痛みと絶望の冷汗か、どちらかわからないが、煙りのように戸のすき間から風にゆられて流れていくのが夕陽の明りで見えた。

 私は疲れていつしか眠っていた。そして、いまは亡き父母の優しい励ましの声に目が覚めた。夢を見ていたのだあたりに誰もいない。しばらく天井を眺めながら、夢の中の父母の言葉や子供の頃の思い出、現実のこの悲しさが走馬灯のように流れていった。

 その後いくつかの病院を尋ねてみたが少しもよくならない。女房の父も私のために健康になることならと金を惜しまなかった。しかし、その後も苦しさはつのるばかり。いかに進歩した現代の医学をもってしても私の病気をなおすことは不可能なのかと、前途がまっくらやみになる思いだった。

 そのとき”溺れるものワラをもつかむ”気持で、健康になるための本を数冊買い求めた。その中の1冊に、ウェイト・トレーニングで後遺症が治ると書いてあった。

 早速エキスパンダーを求め、おそるおそるトレーニングを始めた。

 長いあいだ喘息で苦しみ、夜もろくに眠ったことがなかったのに、トレーニングを開始して間もなくぐっすり眠れるようになった。そして、いつしか喘息も治り体力も次第についてきた。あれほど前途を悲観して暗かった気持も明るくなり、毎日のトレーニングが楽しくてならなかった。

 そのころ、会社の帰りにスポーツ新聞にボディビルのことが載っていた。早速その日のうちに渋谷の日本ボディビル・センターを訪れた。まだ一度も見たこともない世界、不安と興味が入り乱れてドキドキしながら受付けで、「見せていただけますか」「どうぞ」と優しくいわれた。

 早速中に入ると、広い練習場には30~40人ほどの会員が思い思いのトレーニングに一生懸命汗を流していた。

 誰の体を見てもびっくりするほど逞しく大きく見えた。それにひきかえ、自分のこのみすぼらしい体が果たしてあんなはちきれんばかりの健康体になれるのだろうか。いや、それよりもまずトレーニングに耐えられるだろうか、まずそれが心配だった。

 初めて会ったコーチの平松先生は、私の長い間の身の上話を聞いてくれたあと笑顔で「ボディビルは隆々とした筋肉づくりだけのものだと誤解している人が多いですが、本当の目的は、ごく一般的な健康増進とか体力増強にあるわけです。そのほかスポーツ選手の補強トレーニングにも欠かせないものです。(指をさし)あの人もあなたのように体が弱くてこのセンターを訪れたのですが、いまはご覧のような素晴らしい体になったのですよ。あなたはまだ若い、これからですよ」と励ましてくれた。

 ”地獄に仏”とよく聞くが、まさにこのときの私の心境がそれだった。

 私は翌日から火・木・土と1日おきにトレーニングをすることにした。エキスパンダーでいくらか運動していたが、本格的なボディビルはまだまだ私の体には苦しいものだった。そんなとき、いつも口癖のように「人に勝つより自分に勝て」と心を励ましながらトレーニングをした。

 3ヵ月ほどたってから、いつも世話になっている病院に行った。

 診察したあとで先生は「素晴らしい体になりましたね。もう玉井さんにあげる薬はありませんよ。うなぎの肝でも煎じて飲んではどうですか」と笑いながらいった。

 以前、病気の問屋のように、ありとあらゆる病気を背負い、それでも健康になろうと努力をしなかった私は「子供が可愛くないですか。自分の体が弱いとわかっていたら、もっと節制して無理をしないように」と、多くの人から耳にタコができるほどいわれたが、それもいまは笑い話の種となってしまった。

 これもボディビルを教えてくださった平松先生をはじめ、いつも励ましてくれた皆様方のお陰と深く感謝をしております。

”悪魔の飲み物”コーヒー

 外国で「悪魔の飲み物」「地獄の飲み物」といわれているコーヒー。あのえもいわれぬ色と香り。そして口に入れたときのにがみは、まさに地獄を連想させるのに充分。

 だがひとたびコーヒーの魅力にとりつかれたら離れられない。あのビル・パールでさえ、コーヒーの害がわかっていても、どうにもやめられない、つい手が出てしまうという。

 コーヒーの主成分であるカフェインは、①胃酸の分泌を促進 ②交感神経を刺激 ③利尿などの作用をもっている。したがって、適量飲むならば、疲れがほぐれるし、元気が出てくるのは確かである。

 だが、やぱりTPOが大切。

 神経の過度な刺激は発育期の子どもによくないし、空腹のとき飲むと、胃を刺激して胃腸や腎臓を悪くすることが充分考えられる。

 フルコースのメニューでも、コーヒーは必ず最後に出る。眠気ざましに深夜の空腹時に何杯も飲むのは避けたほうがよい。また、カフェインはメラニン色素を発展させる作用があり、日光浴の方法が悪いとシミの原因になる。胃が悪くなると肌アレをおこすことが一般的によく知られている。コーヒー通ぶってブラックで飲むのをやめて、ミルクや砂糖をたっぷり入れて飲むことだ。カフェインやクロロゲンの作用を弱めるのに効果があるからだ。

 ところで紅茶や緑茶にも同じくらいカフェインが含まれているので、健康のためには薄くして飲んだほうがよい。普通のお茶ならばカフェインの量はコーヒーの1/3か1/4くらいだからそれほど害はない。コーヒーは1日1杯にして、あとはお茶を飲む習慣にする方がいい。 -H.N.-
月刊ボディビルディング1972年12月号

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