世界パワーリフティング大会に出場して<2>
ついにやった!! 因幡、世界フライ級完全制覇
月刊ボディビルディング1975年2月号
掲載日:2018.06.02
国分寺ボディビル・クラブ会長 関 二三男
幸先よくスクワット世界新
いよいよ最初の種目スクワットが開始された。ツリパンに着替えた因幡君の脚を見たら、きょうはあまり血管が出ていない。これは彼の調子がいい証拠である。よし!まずスクワット世界新は間違いなし、と因幡君にそっと耳うちをした。
しばらく時間が過ぎて、何やら会場がさわがしくなってきた。フライ級のスクワット世界新記録が出はじめたようだ。しかしまだ150kg前後で因幡君や私の出番までには少し間があった。そのころになると1500人は収容できると思われる広い会場もほぼいっぱいになり、世界新をマークするたにび興奮と歓声がわきあがった。
いよいよライト級の私の試技が近づいた。スタートは160kg。もうこの辺になるとフライ級、バンタム級の選手はほとんど姿を消し、フェザー級と私だけだった。ただ1人、日本の誇る因幡君はフライ級なのにまだ出番ではない。観客の中には因幡君は棄権したのではないかと感違いした人もたくさんいたらしい。彼の実力を知らない外国人にしてみれば、まさかフライ級の選手のスタートが180kgだとはとても想像できないに違いない。
私は1回目160kg、2回目170kgに成功。3回目175kgに挑戦したが惜しいところで失敗。バーベルの感じは日本のと全く同じで、腰のおろし方については日本よりだいぶ甘い判定をしていた。
重量180kg。いよいよ因幡君の出番である。先ほど更新されたばかりの世界新記録157.5kgを大幅に上わってのスタートだけに、場内は一瞬ア然としやがてヤンヤの喝采である。
HIDEAKI.INABA!! アナウンサーはヒデアキ・イナビと発音する。観衆もイナビ!イナビ!とすごい声援である。彼はステージのソデから格好よく、たのもしく現われた。そして、観衆に向かって両手を上げ、ニッコリ笑ってから一礼してスクワット台の方にゆっくり歩いていった。
肩の位置を決め、落ちついてバーベルをかついだ。小さな細いフライ級の選手に、果たして180kgのスクワットができるのだろうか。場内はシーンとして彼の動きをジッと見つめている。主審の合図(手びょうし)で因幡君の体は低くしずんだ。文句のつけようのないほど深く腰を落とした。そして、スーッと立ち上がった。白いランプがパッパッパッと3つついた。成功である。
「イナビ!イナビ!」場内われんばかりの拍手と歓声である。私の胸もうれしさでジーンとあつくなった。そして次の重量195kgを係員に告げた。
10数人の試技があって再び因幡君の登場である。ステージのソデには沢山のカメラマンが集まってきた。役員たちもこの大記録をひと目見ようとステージに出てきた。
場内カタズをのむうちに因幡君の試技が始まった。充分すぎるほど腰は下りた。少し重い感じはしたがスムーズに立ち上がった。もちろん白ランプ3つ成功である。場合はイナビ!イナビの大合唱と拍手で大へんである。
次の重量200kgを申し込んでから少し時間があったので、どの程度腰を下ろせばいいか大沼氏を交えて3人で話し合った。1回目、2回目とも外国選手に比べると下ろし過ぎのように見えた。それで3回目はもう少し浅く下ろすように注意し、何回かスブリで感じをつかませた。195kgに成功したときの状態からみて、腰の下ろし具合を少し浅くすれば多分成功するだろうと思われた。あとは大沼氏に頼んで私は場内にまわって8mmを廻すことにした。
いよいよ200kg。最後の試技である。すでに195kgに成功しているので、彼は意外に落ちついている。静かにバーベルをかついで台から離れた。合図が出た。腰が下りてきた。よし!そこで止めるんだ、と私は心の中で叫んだ。
彼は前のように深くしゃがんで立ち始めたが、ちょうど半分ほどのところで力尽きて止まってしまった。失敗である。しかし、それまでのフライ級世界新記録を37.5kgも上廻わる195kgを出したのだから立派である。
しばらく時間が過ぎて、何やら会場がさわがしくなってきた。フライ級のスクワット世界新記録が出はじめたようだ。しかしまだ150kg前後で因幡君や私の出番までには少し間があった。そのころになると1500人は収容できると思われる広い会場もほぼいっぱいになり、世界新をマークするたにび興奮と歓声がわきあがった。
いよいよライト級の私の試技が近づいた。スタートは160kg。もうこの辺になるとフライ級、バンタム級の選手はほとんど姿を消し、フェザー級と私だけだった。ただ1人、日本の誇る因幡君はフライ級なのにまだ出番ではない。観客の中には因幡君は棄権したのではないかと感違いした人もたくさんいたらしい。彼の実力を知らない外国人にしてみれば、まさかフライ級の選手のスタートが180kgだとはとても想像できないに違いない。
私は1回目160kg、2回目170kgに成功。3回目175kgに挑戦したが惜しいところで失敗。バーベルの感じは日本のと全く同じで、腰のおろし方については日本よりだいぶ甘い判定をしていた。
重量180kg。いよいよ因幡君の出番である。先ほど更新されたばかりの世界新記録157.5kgを大幅に上わってのスタートだけに、場内は一瞬ア然としやがてヤンヤの喝采である。
HIDEAKI.INABA!! アナウンサーはヒデアキ・イナビと発音する。観衆もイナビ!イナビ!とすごい声援である。彼はステージのソデから格好よく、たのもしく現われた。そして、観衆に向かって両手を上げ、ニッコリ笑ってから一礼してスクワット台の方にゆっくり歩いていった。
肩の位置を決め、落ちついてバーベルをかついだ。小さな細いフライ級の選手に、果たして180kgのスクワットができるのだろうか。場内はシーンとして彼の動きをジッと見つめている。主審の合図(手びょうし)で因幡君の体は低くしずんだ。文句のつけようのないほど深く腰を落とした。そして、スーッと立ち上がった。白いランプがパッパッパッと3つついた。成功である。
「イナビ!イナビ!」場内われんばかりの拍手と歓声である。私の胸もうれしさでジーンとあつくなった。そして次の重量195kgを係員に告げた。
10数人の試技があって再び因幡君の登場である。ステージのソデには沢山のカメラマンが集まってきた。役員たちもこの大記録をひと目見ようとステージに出てきた。
場内カタズをのむうちに因幡君の試技が始まった。充分すぎるほど腰は下りた。少し重い感じはしたがスムーズに立ち上がった。もちろん白ランプ3つ成功である。場合はイナビ!イナビの大合唱と拍手で大へんである。
次の重量200kgを申し込んでから少し時間があったので、どの程度腰を下ろせばいいか大沼氏を交えて3人で話し合った。1回目、2回目とも外国選手に比べると下ろし過ぎのように見えた。それで3回目はもう少し浅く下ろすように注意し、何回かスブリで感じをつかませた。195kgに成功したときの状態からみて、腰の下ろし具合を少し浅くすれば多分成功するだろうと思われた。あとは大沼氏に頼んで私は場内にまわって8mmを廻すことにした。
いよいよ200kg。最後の試技である。すでに195kgに成功しているので、彼は意外に落ちついている。静かにバーベルをかついで台から離れた。合図が出た。腰が下りてきた。よし!そこで止めるんだ、と私は心の中で叫んだ。
彼は前のように深くしゃがんで立ち始めたが、ちょうど半分ほどのところで力尽きて止まってしまった。失敗である。しかし、それまでのフライ級世界新記録を37.5kgも上廻わる195kgを出したのだから立派である。
【因幡スクワット195キロに成功】
ベンチ・プレス3回目にようやく成功
やがてスクワットが終わって今度はベンチ・プレスである。フライ級のベンチ・プレス世界記録は意外に低く90kgである。因幡君のスタートはこれを15kgも上回わる105kg、もちろん最初から世界新記録である。
彼はこの世界選手権にそなえてジムで練習していたときは、112.5kgを胸の上で完全に止めて、1回、1回、1回と完全に3回成功させている。そこで、105kgからスタートして2回目に112.5kg、最後に115kgの予定だった。もちろん、105kgで失敗しょうなどとは夢にも思っていなかった。
前号でもちょっとふれたが、この大会でのベンチ・プレスのやり方は、選手がベンチに寝てバーを握ったら、2人の補助者がバーベルをラックからはずしてくれる。バーベルをとった選手は、すぐ胸まで下ろし、いったん静止したのち、合図を待って差上げるのである。
ところがどうしたことだろう。因幡君はラックからバーベルをはずしてもらってから、バーベルを差し上げたままなのである。私は大声で「下ろすんだ!下ろせ!」とどなった。
私の声が聞こえたのか、彼はすぐバーベルを下ろし、胸上に止めた。合図があって上げ始めた。バーはいくぶん右を下にして、ほんの僅か斜めに上がっていく。英国の選手団がノーグッド!ノーグッド!と大声で叫んでいる。しかし、左右交互に上がっていくというのではなく、いくらか斜めになったまま同じスピードで上がったのである。私は成功を疑わなかった。しかし、判定はパッパッパッと赤ランプが3つで失敗である。私は頭を何かでガーンとぶっとばされたような気がした。
確かに完璧な試技とはいえないかも知れないが、いままでに成功した何人かの選手の場合も、厳密にいえばいくらか傾いていた。それが因幡君の場合だけ失敗とはどういうことだろう。
主審は英国、そしてさっき大声で失敗のアピールをしていたのはすべて英国の選手であった。そうか!そこに原因があったのだ。
というのは、昨日の会議でも日本の正式加盟に反対したのは英国だけだった。そのとき、隣の席にいたジャマイカの役員が「ミスター・イナバがいるから英国は反対しているんだ。いまのフライ級世界記録保持者は英国選手。そのうえ、今大会では英国と米国が団体優勝の有力候補にあがっている。それで無理を承知で日本の加盟を拒否しているんだ」と教えてくれた。
しばらくして2回目の試技をするために因幡君がステージに姿をあらわした。まだ試技が始まってもいないのに早くも英国選手団から「ノーグッド!ノーグッド!」のヤジがとび出した。第1回は緊張しすぎて、バーベルを下ろすタイミングが悪く、それが失敗につながったが、彼の実力からみて、落ちついてやりさえすれば105kgは問題ないはずだ。休憩中に何度もそのことを話し、彼もこんどは完全なプレスをしてきますと自信満足だった。
ベンチに横になった彼は、足の下に板を入れてくれるように補助に注文をつけた。そして、さっきの失敗にこりて、今度は完全なプレスをした。やった!と思った瞬間、またもら赤ランプが3つ、失敗である。
プレスも完全、尻も完全にベンチに着いていたが、足の下に板を入れたため、開始の瞬間、尻がピクッと動いたというのだ。私は心臓はかなり強い方だが、このときばかりは気が動転して心臓が止まってしまうのではないかと思った。
因幡君が帰ってきた。もうアトがない。足に力を入れるな!腕だけで上げろ!いいか、腕だけで上げるんだぞ!と同じことを何回もくり返していった。その間、2人の選手が試技を終え、因幡君の番がきた。あとは因幡君を信じ、神に祈るよりほかはない。
このとき、時間にすればほんの僅かの間に、いらんなことが私の頭の中をよぎっていった。--3回目も失敗だったらどうしよう。東京から30時間もとんで何しに来たんだ。日本を出るとき、みんなに、そして報道関係者になんといったか。いや、因幡君なら必ずやる。やってくれるに違いない。それに今度の旅行はツイている。この広いアメリカで、一度行方不明になった荷物が2日目には無事に戻ったではないか--神だのみとはこんなものである。ちょっとしたツキまで味方にしたくなるものだ。
やがて因幡君がバーをつかみ、ラックからバーがはなれた。バーを胸に下ろした。そして拳上の合図。ドジルナ!もう後がないんだぞ!バーが上がりきった。どう見ても前の2回と大差のない上げ方だった。果たして成功か失敗か。私たちの夢はこの一瞬にきまるのだ。しかし、なかなかランプはつかない。
場内から成功をアピールする拍手が鳴りやまない。私も手が痛くなるほど拍手をした。ついた!白ランプ3つ。ヤッター、私の目から大ツブの涙があとからあとからこぼれた。大沼氏の目にも遠藤氏の目にも熱い涙がキラリと光っていた。
大きな拍手の波はなかなか消えなかった。もちろん、フライ級ベンチ・プレスの世界新記録である。
その後、私のベンチ・プレスは120kg成功、続いて125kg。日本を発つちょっと前は122.5kgしか上げられなかったが、どういう訳か125kgを上げることができた。
彼はこの世界選手権にそなえてジムで練習していたときは、112.5kgを胸の上で完全に止めて、1回、1回、1回と完全に3回成功させている。そこで、105kgからスタートして2回目に112.5kg、最後に115kgの予定だった。もちろん、105kgで失敗しょうなどとは夢にも思っていなかった。
前号でもちょっとふれたが、この大会でのベンチ・プレスのやり方は、選手がベンチに寝てバーを握ったら、2人の補助者がバーベルをラックからはずしてくれる。バーベルをとった選手は、すぐ胸まで下ろし、いったん静止したのち、合図を待って差上げるのである。
ところがどうしたことだろう。因幡君はラックからバーベルをはずしてもらってから、バーベルを差し上げたままなのである。私は大声で「下ろすんだ!下ろせ!」とどなった。
私の声が聞こえたのか、彼はすぐバーベルを下ろし、胸上に止めた。合図があって上げ始めた。バーはいくぶん右を下にして、ほんの僅か斜めに上がっていく。英国の選手団がノーグッド!ノーグッド!と大声で叫んでいる。しかし、左右交互に上がっていくというのではなく、いくらか斜めになったまま同じスピードで上がったのである。私は成功を疑わなかった。しかし、判定はパッパッパッと赤ランプが3つで失敗である。私は頭を何かでガーンとぶっとばされたような気がした。
確かに完璧な試技とはいえないかも知れないが、いままでに成功した何人かの選手の場合も、厳密にいえばいくらか傾いていた。それが因幡君の場合だけ失敗とはどういうことだろう。
主審は英国、そしてさっき大声で失敗のアピールをしていたのはすべて英国の選手であった。そうか!そこに原因があったのだ。
というのは、昨日の会議でも日本の正式加盟に反対したのは英国だけだった。そのとき、隣の席にいたジャマイカの役員が「ミスター・イナバがいるから英国は反対しているんだ。いまのフライ級世界記録保持者は英国選手。そのうえ、今大会では英国と米国が団体優勝の有力候補にあがっている。それで無理を承知で日本の加盟を拒否しているんだ」と教えてくれた。
しばらくして2回目の試技をするために因幡君がステージに姿をあらわした。まだ試技が始まってもいないのに早くも英国選手団から「ノーグッド!ノーグッド!」のヤジがとび出した。第1回は緊張しすぎて、バーベルを下ろすタイミングが悪く、それが失敗につながったが、彼の実力からみて、落ちついてやりさえすれば105kgは問題ないはずだ。休憩中に何度もそのことを話し、彼もこんどは完全なプレスをしてきますと自信満足だった。
ベンチに横になった彼は、足の下に板を入れてくれるように補助に注文をつけた。そして、さっきの失敗にこりて、今度は完全なプレスをした。やった!と思った瞬間、またもら赤ランプが3つ、失敗である。
プレスも完全、尻も完全にベンチに着いていたが、足の下に板を入れたため、開始の瞬間、尻がピクッと動いたというのだ。私は心臓はかなり強い方だが、このときばかりは気が動転して心臓が止まってしまうのではないかと思った。
因幡君が帰ってきた。もうアトがない。足に力を入れるな!腕だけで上げろ!いいか、腕だけで上げるんだぞ!と同じことを何回もくり返していった。その間、2人の選手が試技を終え、因幡君の番がきた。あとは因幡君を信じ、神に祈るよりほかはない。
このとき、時間にすればほんの僅かの間に、いらんなことが私の頭の中をよぎっていった。--3回目も失敗だったらどうしよう。東京から30時間もとんで何しに来たんだ。日本を出るとき、みんなに、そして報道関係者になんといったか。いや、因幡君なら必ずやる。やってくれるに違いない。それに今度の旅行はツイている。この広いアメリカで、一度行方不明になった荷物が2日目には無事に戻ったではないか--神だのみとはこんなものである。ちょっとしたツキまで味方にしたくなるものだ。
やがて因幡君がバーをつかみ、ラックからバーがはなれた。バーを胸に下ろした。そして拳上の合図。ドジルナ!もう後がないんだぞ!バーが上がりきった。どう見ても前の2回と大差のない上げ方だった。果たして成功か失敗か。私たちの夢はこの一瞬にきまるのだ。しかし、なかなかランプはつかない。
場内から成功をアピールする拍手が鳴りやまない。私も手が痛くなるほど拍手をした。ついた!白ランプ3つ。ヤッター、私の目から大ツブの涙があとからあとからこぼれた。大沼氏の目にも遠藤氏の目にも熱い涙がキラリと光っていた。
大きな拍手の波はなかなか消えなかった。もちろん、フライ級ベンチ・プレスの世界新記録である。
その後、私のベンチ・プレスは120kg成功、続いて125kg。日本を発つちょっと前は122.5kgしか上げられなかったが、どういう訳か125kgを上げることができた。
デッド・リフト220kg成功 フライ級完全制覇の偉業達成
さていよいよ最後のデッド・リフトである。私はまず180kgからスタートした。そのすぐ後でオリンピック・リフターのケン・マグドウェルがフライ級世界新の182.5kgをマークした。この種目に強い因幡君はまだまだ出番ではない。それも道理、彼のスタートは始めから世界記録を大幅に上まわる200kgである。外国の選手や役員たちは、全く信じられないといった顔つきである。200kgに成功すれば、3種目全部世界記録を更新しての優勝であり、当然、トータルも世界新記録であル。
重量が200kgにあがった。日本国内の試合でもそうであるように、200kgスタートの選手は以外に多く、因幡君は6番目であった。この種目は彼の実力からみても、判定の基準から最も安心してみていられる種目である。
因幡君の出番がきた。すでに2種目に世界新を出している因幡君の登場とあって、早やくも場内からはあらしのような拍手がわきあがった。もうすでに英国選手のイヤらしいヤジも聞えてこない。自信に満ちた因幡君は、ちょっと笑みを浮べながら、片手を高く上げて格好よくステージに進み出た。まさに王者の風格といったところだ。
バーに手をかけ、気を入れ、足に力が入ったナと思ったら、あっという間に持ち上げてしまった。間髪を入れず主審からダウンの合図。もちろん白ランプ3つで成功である。これで念願のフライ級完全制覇がなったのだ。場内からは「イナビ!イナビ!」のコーラスとピーピーという声、それに拍手がまざってすごいさわぎである。
しかし私は、さっき3回目にようやく成功したベンチ・プレスのときのような感激はなかった。ベンチ・プレスが成功した時点で、彼のフライ級完全制覇は約束されていたといっても過言ではない。重量的にも判定のうえからもまったく問題はなかった。
それにしても、試合前に、ノドに指を突っ込んで吐き出すというアクシデントがあったにもかかわらず、因幡君の調子は尻上がりに良くなってきた感じがした。そこで私は、ためらわずに次の重量を220kgと申し込んだ。
200kgから220kgはちょっと大幅すぎるようだが、これに成功すればトータル520kgとなり、フライ級リミット52kgの10倍に当るのだ。こんなすごい記録になることは、われわれ日本選手団以外、だれ1人気づいていない。
その間に私もトータル500kgをマークして、なんとか面目を保とうと205kgに挑戦しこれを成功させた。
しばらくして、いよいよ最後の大ヅメ。因幡君のリミット10倍にいどむときがやってきた。私はすかさずアナウンサーのところに行って、この220kgに成功すればトータルでリミットの10倍になることをアッピールした。
アナウンサーはしばらく計算していたが、やがて「ウオーッ」と大げさにビックリして、マイクロフォンをつかみ、「レディズ・アンド・ジェントルメン・・・・・・」そのあとは何をいってるのかよくわからなかったが、多分私のアッピールを場内に伝えたらしく場内はもちろん、選手控室からもウォーンとうなるようなためいきが聞こえてきた。
因幡君は前よりもさらに格好よく、今度は両手を上げてバーに向った。そしてゆっくり手をかけた。おやっ?いつもより足幅が少し狭いようだな、と思った瞬間、彼はもう試技に入っていた。しかし、ひざを通過したところでなんとしても上がらない。そこで主審からダウンの合図。もちろん失敗である。ステージに現われてきたときのように格好よくはいかなかった。
彼はどうして上がらなかったのか自分でも分からない、という顔をしてクビをかしげながらもどってきた。私はすかさず「もう少し足幅を広くするように、そして肩の力を抜いて、あとはただ一心に引っぱってしまえ」と注意を与えながら、背中をもんだり、手のひらをマッサージしてやった。
2人置いて再びリミットの10倍にいどむ。アナウンサーはまたもや「史上初の10倍なるか!」と告げている。因幡君も心なしか先ほどより格好をつけずに現われた。それだけ真剣になっているのであろう。私は舞台のすみから「これで最後だ。肩がぶっつぶれてもいいから引っぱれ!」と声をかけた。
彼はバーに近づいた。足の位置を慎重に決めた。脚と腰に力が入ったと思ったらバーベルがスーッと上がっていく。さっきの試技が信じられないほど軽々と成功した。ダウンの合図。白ランプ3つ。ここにリミット10倍という前人未踏の大記録が世界の桧舞台で誕生したのである。
もう観衆も役員も選手もない。ワーワー、ピーピー、拍手のあらし、イナビ!イナビ!の大合唱。そして、ファンタスチックの声が出た。私も遠藤氏も彼の手をとって、その偉業をたたえた。
遠く離れた日本から、30時間も費し多額の費用をかけ、沢山の人の期待を背にここまで来た甲斐があった。その期待に応えることができてほんとうによかった。これで胸をはって日本に帰ることができる。そう思ったら、また胸がいっぱいになってしまった。
重量が200kgにあがった。日本国内の試合でもそうであるように、200kgスタートの選手は以外に多く、因幡君は6番目であった。この種目は彼の実力からみても、判定の基準から最も安心してみていられる種目である。
因幡君の出番がきた。すでに2種目に世界新を出している因幡君の登場とあって、早やくも場内からはあらしのような拍手がわきあがった。もうすでに英国選手のイヤらしいヤジも聞えてこない。自信に満ちた因幡君は、ちょっと笑みを浮べながら、片手を高く上げて格好よくステージに進み出た。まさに王者の風格といったところだ。
バーに手をかけ、気を入れ、足に力が入ったナと思ったら、あっという間に持ち上げてしまった。間髪を入れず主審からダウンの合図。もちろん白ランプ3つで成功である。これで念願のフライ級完全制覇がなったのだ。場内からは「イナビ!イナビ!」のコーラスとピーピーという声、それに拍手がまざってすごいさわぎである。
しかし私は、さっき3回目にようやく成功したベンチ・プレスのときのような感激はなかった。ベンチ・プレスが成功した時点で、彼のフライ級完全制覇は約束されていたといっても過言ではない。重量的にも判定のうえからもまったく問題はなかった。
それにしても、試合前に、ノドに指を突っ込んで吐き出すというアクシデントがあったにもかかわらず、因幡君の調子は尻上がりに良くなってきた感じがした。そこで私は、ためらわずに次の重量を220kgと申し込んだ。
200kgから220kgはちょっと大幅すぎるようだが、これに成功すればトータル520kgとなり、フライ級リミット52kgの10倍に当るのだ。こんなすごい記録になることは、われわれ日本選手団以外、だれ1人気づいていない。
その間に私もトータル500kgをマークして、なんとか面目を保とうと205kgに挑戦しこれを成功させた。
しばらくして、いよいよ最後の大ヅメ。因幡君のリミット10倍にいどむときがやってきた。私はすかさずアナウンサーのところに行って、この220kgに成功すればトータルでリミットの10倍になることをアッピールした。
アナウンサーはしばらく計算していたが、やがて「ウオーッ」と大げさにビックリして、マイクロフォンをつかみ、「レディズ・アンド・ジェントルメン・・・・・・」そのあとは何をいってるのかよくわからなかったが、多分私のアッピールを場内に伝えたらしく場内はもちろん、選手控室からもウォーンとうなるようなためいきが聞こえてきた。
因幡君は前よりもさらに格好よく、今度は両手を上げてバーに向った。そしてゆっくり手をかけた。おやっ?いつもより足幅が少し狭いようだな、と思った瞬間、彼はもう試技に入っていた。しかし、ひざを通過したところでなんとしても上がらない。そこで主審からダウンの合図。もちろん失敗である。ステージに現われてきたときのように格好よくはいかなかった。
彼はどうして上がらなかったのか自分でも分からない、という顔をしてクビをかしげながらもどってきた。私はすかさず「もう少し足幅を広くするように、そして肩の力を抜いて、あとはただ一心に引っぱってしまえ」と注意を与えながら、背中をもんだり、手のひらをマッサージしてやった。
2人置いて再びリミットの10倍にいどむ。アナウンサーはまたもや「史上初の10倍なるか!」と告げている。因幡君も心なしか先ほどより格好をつけずに現われた。それだけ真剣になっているのであろう。私は舞台のすみから「これで最後だ。肩がぶっつぶれてもいいから引っぱれ!」と声をかけた。
彼はバーに近づいた。足の位置を慎重に決めた。脚と腰に力が入ったと思ったらバーベルがスーッと上がっていく。さっきの試技が信じられないほど軽々と成功した。ダウンの合図。白ランプ3つ。ここにリミット10倍という前人未踏の大記録が世界の桧舞台で誕生したのである。
もう観衆も役員も選手もない。ワーワー、ピーピー、拍手のあらし、イナビ!イナビ!の大合唱。そして、ファンタスチックの声が出た。私も遠藤氏も彼の手をとって、その偉業をたたえた。
遠く離れた日本から、30時間も費し多額の費用をかけ、沢山の人の期待を背にここまで来た甲斐があった。その期待に応えることができてほんとうによかった。これで胸をはって日本に帰ることができる。そう思ったら、また胸がいっぱいになってしまった。
ライト級の人気リフター ブルーもリミット10倍に挑戦
因幡君のつくったリミット10倍という大記録は、アメリカの人気リフターライト級のドナルド・ブルーに相当のやる気を起こさせた。彼は当年とってなんと45才。黒人である。風格がありそれがまた格好がいい。真赤なTシャツにライト・ブルーのパンツ。その彼が観客の声援に応えるべくデッド・リフトを開始した。
45才という年令を超越したすごいリフターである。力も強い。265kgをアッという間に引いた。もちろん成功である。その後が問題なのである。
彼の2回目の試技は290kg。これに成功すれば因幡君に続いてリミットの10倍になるのだ。私はアメリカきっての人気リフターをうつそうと8mmを回わし始めた。
ブルーのデッド・リフトが始まった。8mmをとおして見る彼は実に力強い。290kgが浮いた。ひざを通過した。しかしそれまでだった。10倍はやはりなかなか達成できる記録ではない。
彼は再び290kgにいどんだ。だが、今度は10cmほど浮いただけだった。しかし、このブルーのスポーツマン・シップに溢れた試合態度、不屈の根生に観象は惜しみない拍手を送った。
さらにその後で、ミドル級に出場した英国の選手が、リミットの10倍にいどんだが、これまた残念ながら及ばなかった。やはり因幡君のつくった10倍という記録は偉大な記録なのである。
勝つということはいいことだ。それも大記録をうち立てての勝利である。会場を出るときも、みんな寄ってきて「コングラジレイション!」の握手ぜめに合った。
われわれは喜びをかみしめながらホテルに帰り、改めてディナー・ルームでカンパイをした。その場に居合わせ他の客も因幡君の大記録達成の話を聞いて、口々に「コングラジレイション!コングラジレイション!」と言って祝ってくれた。その間、3人とも溢れる涙をおさえることができなかった。
われわれはディナー・ルームの終了までカンパイを繰り返した。ビールがうまい。いくら飲んでもおいしい。ボディ・コンテストとはまた違った感激である。
部屋に帰って、この大記録達成のニュースを日本へ報告するために電話を頼んだ。メチャクチャな英語で交換嬢を手こずらし、やっとの思いで日本に通じたが、話す言葉が胸につかえて思うように話せない。何回も何回も聞き直された。おかげで通話料を81ドルも払うハメになってしまった。
電話のあとも3人でじっくり喜びをかみしめながら、苦しく、そして楽しかったきょう一日を話しながら夜がふけるまでカンパイを続けた。
45才という年令を超越したすごいリフターである。力も強い。265kgをアッという間に引いた。もちろん成功である。その後が問題なのである。
彼の2回目の試技は290kg。これに成功すれば因幡君に続いてリミットの10倍になるのだ。私はアメリカきっての人気リフターをうつそうと8mmを回わし始めた。
ブルーのデッド・リフトが始まった。8mmをとおして見る彼は実に力強い。290kgが浮いた。ひざを通過した。しかしそれまでだった。10倍はやはりなかなか達成できる記録ではない。
彼は再び290kgにいどんだ。だが、今度は10cmほど浮いただけだった。しかし、このブルーのスポーツマン・シップに溢れた試合態度、不屈の根生に観象は惜しみない拍手を送った。
さらにその後で、ミドル級に出場した英国の選手が、リミットの10倍にいどんだが、これまた残念ながら及ばなかった。やはり因幡君のつくった10倍という記録は偉大な記録なのである。
勝つということはいいことだ。それも大記録をうち立てての勝利である。会場を出るときも、みんな寄ってきて「コングラジレイション!」の握手ぜめに合った。
われわれは喜びをかみしめながらホテルに帰り、改めてディナー・ルームでカンパイをした。その場に居合わせ他の客も因幡君の大記録達成の話を聞いて、口々に「コングラジレイション!コングラジレイション!」と言って祝ってくれた。その間、3人とも溢れる涙をおさえることができなかった。
われわれはディナー・ルームの終了までカンパイを繰り返した。ビールがうまい。いくら飲んでもおいしい。ボディ・コンテストとはまた違った感激である。
部屋に帰って、この大記録達成のニュースを日本へ報告するために電話を頼んだ。メチャクチャな英語で交換嬢を手こずらし、やっとの思いで日本に通じたが、話す言葉が胸につかえて思うように話せない。何回も何回も聞き直された。おかげで通話料を81ドルも払うハメになってしまった。
電話のあとも3人でじっくり喜びをかみしめながら、苦しく、そして楽しかったきょう一日を話しながら夜がふけるまでカンパイを続けた。
【因幡君の完全制覇なり、彼を抱きあげて喜ぶ遠藤氏と私】
ミスター・ワールドに出場
次の日、現地では11月10日、ミスター・ワールドのフィジック・コンテストである。私もこのコンテストで、あわよくば何かの賞をとってやろうと、ひそかに狙っていた。
午前10時からヨーク・バーベル・クラブでプレジャッジ。このミスター・ワールドではプレジャッジですべてが決定してしまうとのこと。この辺が日本のコンテストとはちょっと違っている。最初の予定では、折角いったのだから、因幡君も一緒に出ることになっていたのだが、昨日の疲れで欠場することになった。
全員控え室に集まり、身長を計ってショート、ミーディアム、トールのどれに該当するかが確かめられた。コンテスト出場選手は合計37名。うちショートマンが一番多かった。
やがて選手たちは着替えを始めた。洋服をきているときはさほど大きくは見えなかったが、ハダカを見て私はびっくりしてしまった。とにかくみんなでかい。ショートマン・クラスの選手で、私の見たところ45cm以上の腕をしたのが2人はいた。着替えにかかっていた私は、あまりのすごさに欠場しようかと思った。しかし、ここまできて欠場したのでは何にもならない。気をとりなおして出場することにした。
アメリカには優秀なコンテスト・ビルダーがゴロゴロいるとは聞いていたが、これを見てそれがなるほどとうなずけた。しかも、こんな良い選手でも日本ではまったく知られていない。とにかく、バルクがケタ違いである。それにデフィニションもある。もう私の及ぶところではない。
審査が開始された。まずショートマン全員が呼び出され、審査員の前に一列に並んでまずリラックス・ポーズ。つぎに左側サイド・ポーズ、右側サイド・ポーズ。最後に正面ポーズで審査を終わる、続いてミディアム、トールマンも同様にして終了。
次は1人ずつポージング台上での審査である。スポット・ライトを浴びて思い思いに得意のポージィングを展開する。私は3人目であった。10ポーズほどやって早々に引きさがった。
全員のポージングが終わり、最後は数名が呼ばれて部分賞の審査。こうしてプレジャッジは終了した。(つづく)
午前10時からヨーク・バーベル・クラブでプレジャッジ。このミスター・ワールドではプレジャッジですべてが決定してしまうとのこと。この辺が日本のコンテストとはちょっと違っている。最初の予定では、折角いったのだから、因幡君も一緒に出ることになっていたのだが、昨日の疲れで欠場することになった。
全員控え室に集まり、身長を計ってショート、ミーディアム、トールのどれに該当するかが確かめられた。コンテスト出場選手は合計37名。うちショートマンが一番多かった。
やがて選手たちは着替えを始めた。洋服をきているときはさほど大きくは見えなかったが、ハダカを見て私はびっくりしてしまった。とにかくみんなでかい。ショートマン・クラスの選手で、私の見たところ45cm以上の腕をしたのが2人はいた。着替えにかかっていた私は、あまりのすごさに欠場しようかと思った。しかし、ここまできて欠場したのでは何にもならない。気をとりなおして出場することにした。
アメリカには優秀なコンテスト・ビルダーがゴロゴロいるとは聞いていたが、これを見てそれがなるほどとうなずけた。しかも、こんな良い選手でも日本ではまったく知られていない。とにかく、バルクがケタ違いである。それにデフィニションもある。もう私の及ぶところではない。
審査が開始された。まずショートマン全員が呼び出され、審査員の前に一列に並んでまずリラックス・ポーズ。つぎに左側サイド・ポーズ、右側サイド・ポーズ。最後に正面ポーズで審査を終わる、続いてミディアム、トールマンも同様にして終了。
次は1人ずつポージング台上での審査である。スポット・ライトを浴びて思い思いに得意のポージィングを展開する。私は3人目であった。10ポーズほどやって早々に引きさがった。
全員のポージングが終わり、最後は数名が呼ばれて部分賞の審査。こうしてプレジャッジは終了した。(つづく)
月刊ボディビルディング1975年2月号
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