第8回全日本東西対抗学生ボディビル選手権大会観戦記
個人・河村、団体・東軍が優勝
月刊ボディビルディング1974年2月号
掲載日:2018.07.01
第8回全日本東西対抗学生ボディビル選手権大会は12月2日、大阪の中之島公会堂において行われ、関東・東北連盟の東軍と、関西・中部連盟の西軍の代表20名ずつが出場し、団体戦、個人戦が争われた。
われわれ東軍は12月1日に東京を出発し、その日は近畿大学の合宿所にお世話になった。そこで、夜7時から各選手は明日の大会のための練習をしてもよいとのことで、夕食もそこそこに選手たちはさっそく最後のトレーニンに入った。とくに、比較的練習量の少ないポージングに重点がおかれたようだった。ふだんはあまり顔を合わせたことのない他の大学の選手たちとも打ちとけて、いろいろとアドバイスし合い、試合の前日の雰囲気もだんだんと高まっていった。消灯時間の10時半はアッという間に過ぎ、あとは晴れの舞台を待つだけとなった。
いよいよ当日、朝8時半に起床、朝食をすませて全員そろって会場に向かった。朝のあわただしい中で、4年生の中から「これが学生での最後の試合だ!みんなガンバロウ!」と声がかかり、団結の意気はいやがうえにもあがっていった。
試合開始の12時まで、各選手とも落ちつかない様子で会場のライティングの調整など見ていた。とくに今大会は関西の主催なので、運営も関西の方式で行うということで、ポージングのときに音楽は流さない、そして、レベルチェックのときにポージングを入れるなど、みな初めての試合方式のため、東軍選手はいくらか勝手が違ってとまどっていた。
12時。大会の幕は切って落とされた。審査員の紹介や河村選手による選手宣誓もとどこおりなく進み、場内は大会へ臨もうとする緊張感と興奮がひしひしとみなぎってきた。もうこうなれば、東軍選手も旅の疲れなどどこかえすっとんでいってしまっに違いない。
われわれ東軍は12月1日に東京を出発し、その日は近畿大学の合宿所にお世話になった。そこで、夜7時から各選手は明日の大会のための練習をしてもよいとのことで、夕食もそこそこに選手たちはさっそく最後のトレーニンに入った。とくに、比較的練習量の少ないポージングに重点がおかれたようだった。ふだんはあまり顔を合わせたことのない他の大学の選手たちとも打ちとけて、いろいろとアドバイスし合い、試合の前日の雰囲気もだんだんと高まっていった。消灯時間の10時半はアッという間に過ぎ、あとは晴れの舞台を待つだけとなった。
いよいよ当日、朝8時半に起床、朝食をすませて全員そろって会場に向かった。朝のあわただしい中で、4年生の中から「これが学生での最後の試合だ!みんなガンバロウ!」と声がかかり、団結の意気はいやがうえにもあがっていった。
試合開始の12時まで、各選手とも落ちつかない様子で会場のライティングの調整など見ていた。とくに今大会は関西の主催なので、運営も関西の方式で行うということで、ポージングのときに音楽は流さない、そして、レベルチェックのときにポージングを入れるなど、みな初めての試合方式のため、東軍選手はいくらか勝手が違ってとまどっていた。
12時。大会の幕は切って落とされた。審査員の紹介や河村選手による選手宣誓もとどこおりなく進み、場内は大会へ臨もうとする緊張感と興奮がひしひしとみなぎってきた。もうこうなれば、東軍選手も旅の疲れなどどこかえすっとんでいってしまっに違いない。
観客席は大部分が学生で占められており、その中にちらほら一般の応援客が見える。いつも感じることであるが学生服姿だけの大会に終わってしまうのが残念であり、数多くの一般応援がほしいものである。それにはもちろん学生自身が努力し、学生ボディビル界のレベル・アップにつとめることが必要なことはいうまでもない。
前にもちょっと触れたが、この大会で目新しかったことは、審査基準判定(レベル・チェック)で前面とバック・ポーズをとることで、選手たちにも多少途惑いの面があったようである。しかし、ここにおいても河村選手の見事なプロポーションは他の選手を寄せつけなかった。予選なかばにして竹下選手と河村選手が登場するや、場内は最高の盛りあがりを見せ、試合、応援ともいっそう白熱化してきた。
決勝進出者はほぼ予想どおりで、東軍11名、西軍9名と決まり、東軍の優勢となった。ここで新理事の紹介があり、全日本学生ボディビル連盟結成へ向って一歩一歩近づいている折から、紹介される各理事も選手以上にファイトを内に秘めているようだった。
大会もいよいよ大詰め、決勝審査が開始された。選手も役員も応援側も、共に熱気が充満し、緊迫感は最高潮に達し、まさに場内は興奮の坩堝と化した。東西の両軍から選び抜かれた選手たちも、日頃の成果のすべてをこの舞台に賭けている。迫力、盛りあがり、緊迫感、いずれも近年まれな見ごたえのある大会となった。
決勝審査が終わっても、何やら興奮さめやらぬまま、ゲスト・ポーズに入った。‘73ミスター日本の杉田茂選手と‘73ミスター大阪の荒木健一選手の2人であったが、その逞しい筋肉、華麗なポージング、どれをとっても素晴らしいの一語につきる。
表彰式に入り、個人の部では東軍の河村選手、団体の部も東軍の優勝となった。近畿大学の伊集院先生の講評によると、「全般的に腕が細い。ポージングと脚が東軍は良かった」ということだった。たしかに、腕に限らず、全体的にバルグが不足していたように思えた。しかし、プロポーションに恵まれた選手が多く,これからのトレーニング次第では将来大いに伸びる可能性を秘めており、1974年のこの大会が楽しみである。
前にもちょっと触れたが、この大会で目新しかったことは、審査基準判定(レベル・チェック)で前面とバック・ポーズをとることで、選手たちにも多少途惑いの面があったようである。しかし、ここにおいても河村選手の見事なプロポーションは他の選手を寄せつけなかった。予選なかばにして竹下選手と河村選手が登場するや、場内は最高の盛りあがりを見せ、試合、応援ともいっそう白熱化してきた。
決勝進出者はほぼ予想どおりで、東軍11名、西軍9名と決まり、東軍の優勢となった。ここで新理事の紹介があり、全日本学生ボディビル連盟結成へ向って一歩一歩近づいている折から、紹介される各理事も選手以上にファイトを内に秘めているようだった。
大会もいよいよ大詰め、決勝審査が開始された。選手も役員も応援側も、共に熱気が充満し、緊迫感は最高潮に達し、まさに場内は興奮の坩堝と化した。東西の両軍から選び抜かれた選手たちも、日頃の成果のすべてをこの舞台に賭けている。迫力、盛りあがり、緊迫感、いずれも近年まれな見ごたえのある大会となった。
決勝審査が終わっても、何やら興奮さめやらぬまま、ゲスト・ポーズに入った。‘73ミスター日本の杉田茂選手と‘73ミスター大阪の荒木健一選手の2人であったが、その逞しい筋肉、華麗なポージング、どれをとっても素晴らしいの一語につきる。
表彰式に入り、個人の部では東軍の河村選手、団体の部も東軍の優勝となった。近畿大学の伊集院先生の講評によると、「全般的に腕が細い。ポージングと脚が東軍は良かった」ということだった。たしかに、腕に限らず、全体的にバルグが不足していたように思えた。しかし、プロポーションに恵まれた選手が多く,これからのトレーニング次第では将来大いに伸びる可能性を秘めており、1974年のこの大会が楽しみである。
(関東学生ボディビル連盟情宣局長・中島裕一)
全日本学生チャンピオン 東洋大学工学部4年 河村 登
私は4年生になって初めて学生のボディコンテストに出場できるようになり、運良く関東、東日本、全日本と連続して優勝できたことを非常によろこんでおります。これも先輩たちの暖かい指導と部員たちのはげましがなかったなら、とてもこの栄誉に浴することはできなかったと思います。ここにあらためてお礼を申しあげます。これからはミスター日本のレベルに向って精進していくつもりです。とくに体全体のバルク・アップと、下半身に重点を置いてトレーニングするつもりです。
月刊ボディビルディング1974年2月号
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