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怪力法と若木竹丸
<その1>

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月刊ボディビルディング1975年9月号
掲載日:2018.06.18
国立競技場トレーニング・センター主任 矢野雅知

~ボディビルディングの祖~

 ボディビル界で名をなした人物は少なくない。だが,歴史を作った人物となると数少ない。

 近代ボディビルディングの先駆をなすドイツのユーゼン・サンドウ。力感あふれる崇高なポージングで一時代を築いたジョン・カール・グリメック。そして,ボディビル界に華麗なる足跡を残し,今なおさん然たる栄光を浴び続けるスター,スティーブ・リーブスがいる。

 彼らが世界のボディビルディングの歴史を作ったのであるなら,わが国のボディビル界の歴史を作った先駆者に若木竹丸氏がいる。

 若木竹丸。現在65歳。476ページの大著「怪力法並に肉体改造・体力増進法」の著者として,また,比類ない怪力と逞しい肉体所有者として,全国に鳴り響いたのが戦前であった。

 当時の力技の世界記録をことごとく打ち破ったその肉体は,驚くなかれ,身長160cmたらず,体重も65kgほどしかなかったのである。その体格で,ロシヤのライオンと謳われたジョージ・ハッケンシュミットやアーサー・サクソンらの巨人と互格の記録を打ちたてたのである。身長から推した記録では世界的にみても氏の右に出る者はいない。

 若木氏は現在,文京区に隠居している。ボディビル界の第一線は退いてはいるが,「怪力法」は戦後になって開花したといえよう。数々のスポーツ分野でヒーローが生み出され,わが国初の肉体改造書の使命は見事に果たされている。

~若木氏の上腕~

 若木氏については,いまさら言をまたないほど多数紹介されているのだが私は私なりの若木竹丸氏の印象を述べてみたいと思う。

 私が若木氏を訪問して,とおされた部屋には,うず高く書物が積み重ねられていた。書物に囲まれた隠居部屋にドッシリと腰をおろす若木氏は,依然としてカクシャクとしている。するどい眼光からは気迫が伝わってくる。猛烈な修練を生んだ精神力が,なお耳順(60歳)を越えた今日にも,強烈な迫力を示している。太い血管の走る逞しい前腕は,腕角力で無敵を誇った往年をしのばせる。

 書物の前に置かれている手製のバーベルは,ほとんど使われていないというのに,全盛期に屈曲囲50cmを越えたといわれる上腕は,今なおコールドで40cm近くのサイズを有している。

 普通のビルダーならトレーニングを継続していないと,またたく間に筋肉はしぼんでしまい,もとの貧相な腕にもどってしまう。だいたい上腕囲40cmの大台を維持するには,中途半端なことでは出来るものではない。トレーニングを中止すると,ガクンともとのレベルに落ち込んでしまい,そしてサイズが一定するのが普通である。

 しかし若木氏は,さしたるトレーニングを行わずに,およそ40cm近くの上腕を保っている。しかも65歳。これは長期にわたる激しいトレーニングのたまものであろうか。そして,それは全盛期,50cm以上を誇っていたという腕であったればこそ,トレーニングを止めても,この40cm近くを維持することを可能にしているのであろうか。

 果たして現役ビルダーの何人が,60歳を越えてもなおかつ,それだけのサイズを保つことが出来るだろうか。ほとんどいないのではないか。現役時代のみならず,数十年の長きにわたって強靭な肉体を示すことこそ,歴史を作った人物の名に恥じない,大いなる業績である,と私は思う。

~若木氏と宮本武蔵~

 若木氏の庵には2枚の障子がある。そして,それぞれに違った見事な水墨画が描かれている。一枚には孤虎が今まさに天に向って猛然と襲いかからんとする図であり,その雄々しい躍動的な画とは対称的に,もう一方には,沈静な趣きの吉祥天女の神々しい静的な図が描かれている。ともに若木氏の筆によるものである。

 常人の描ける図でないことは,私の素人眼にも一瞥して解る。尋常一様の画ではない。見事である。

 この書画を観たとき,私は宮本武蔵を連想した。

 武蔵がある藩の家老に招かれたときのことである。部屋にとおした武蔵を故意に長い時間待たせた。そして,となりの部屋で,腕のたつ剣士に武蔵の隙をうかがわせた。つまり武蔵の器量を試したのである。しかし,武蔵は,微動だにせずただじっとそこに坐っているだけだったが,ついに打ち込むことすらできなかった。

 やがて武蔵は,障子に水墨画を描いて,ゆうゆう立ち去ったという。そのとき武蔵が残した画は,若木氏が障子に描いた2枚の画と同じように,静かで,それでいて強い気迫を感じさせるものであった……と,私は空想した。

 その気迫を生むものは,生命を賭した数々の体験であって,それなしには表わすことは不可能ではないだろうか。武蔵は30歳頃までに60余度の真剣勝負に生死を賭けており,若木氏もまた,その青年時代には強い義侠心から,命がけの場に幾度も自ら踏み込んでいるという。だから,自称芸術家の青白いインテリ青年などでは,とうてい到達することのできない画境を示しているのでは……と思える。

 武蔵の名が高いのは,剣のみでなくて,諸芸にその才能をみせたことによるのを見逃せない。

 武蔵えがくところの「故木鳴鵙図」は重要美術品になっている。それは剣を通じて達観した禅の境地を如実に示している。さらに,すさまじいまでの剣気の現われている木像など,芸術的にも高く評価されており,まさに他の追随を許さぬものである。しかし武蔵は,ついに「野におけるレンゲ草」であった。自己の強烈な個性が封建社会の組織の構成員になることをいさぎよしとせず,熊本の草庵でその生涯を終えた。

 作家の司馬遼太郎氏は述べている。「明治以前で平易達意の名文家は,歎異抄の著者と,連如上人と,武蔵の五輪書だけであろう」と。

 つまり,論理性が高く,文飾を排しきびしい用語を用い,しかも読みやすい五輪書が,兵法の極意書として有名であるなら,若木氏の「怪力法」もまた,肉体鍛練法の極意書として著名である。ともに並みはずれた技量をもち高名ながらその道での第一線にたっての華々しい地位にはつかなかった。武蔵は「独行道」を座右の銘とするほど「独」に徹していた。若木氏もまた,常に「独」で行動した人である。若木氏と宮本武蔵は,どこか似てないだろうか。武蔵が性欲をも抑制して,剣の修業に没頭したように,若木氏もまたその青春の若いエネルギーのすべてをバーベルに打ち込んだ。自己に対して必要以上に厳しくすることを旨としたのである。この2人に共通点はないだろうか。

 武蔵は剣のみでなく,禅を通して書画その他にたぐい稀な才能を示したことにより,一道に秀でるものはまた,すべての道にすぐれていることを身をもって示した。すぐれた武道家は,すぐれた芸術家でもある。その意味でも,若木氏は自ら求めずとも,宮本武蔵の映像を彷彿とさせる人物に想われてしたかがない。
【我が国ボディビル界の先駆者,若き日の若木竹丸氏】

【我が国ボディビル界の先駆者,若き日の若木竹丸氏】

~怪カ法と大山倍達~

 空手の大山倍達氏は述べている。空手に必要な要素は,まず第一に「力」である。次いで「スピード」であり,三番目に「技術」,つまり技であるという。世界のあらゆる武道家,プロレスラーをことごとく打ち負かしてきた大山氏が,身をもって体験した結果がこれである。

 力もワザのうちなのである。いかに技がすぐれていても,筋力,スピードのあるものには立ち打ち出来ない。だから映画ならいざしらず,あのブルース・リーは60余kg程度の体重では,実戦の場において,スピードと技だけでは限界があるだろうという。

 現在,空手の世界的な選手になると体重も100kgを越える巨体ぞろいなのである。技なき巨体なら,スピードと技で対抗出来るであろう。しかし,その巨体が技を身につけたときはまるで違うのである。

 つまり,どのスポーツにも言えることであるのだが,「技術が同等ならば,体力のある方が優る」という言葉が当然の結果として導き出される。そうすると,武道家はまず筋力,パワーを高めなくてはならないといえるであろう。そのためには,ウェイト・トレーニングが最上の手段である。だから大山氏もその修練のためにバーベル運動を重要視していた。ボディビルディングを実践したことによって,大山氏の1m75cmほどの身長でも,巨体のプロレスラーをねじ伏せることが出来たといえるであろう。

 そして,そのトレーニングは「怪力法」によって行なわれたのである。いわば一冊の「怪力法」が,世界のマス・オオヤマを形成したともいえるのである。事実,大山氏は「もし私がバーベルによるトレーニングをして体力を作っていなかったならば,世界を舞台にして活躍することはなかっただろう」という意味のことを述べている。そして,弟子にはウェイト・トレーニングを大いに奨励しているという。

 以上でわかるように,格技においては筋力・パワーはことに重要である。古い習慣をなかなか破りにくい角力界で,本格的にウェイト・トレーニングを採用するなら,さらにレベルはあがるであろう。輪島が右手一本の強い力で横綱までのし上ったのである。幕下で伸び悩む力士が,本格的なウェイト・トレーニングでパワーを高めればよいのにといつも思う。
【若木氏の著わした「怪カ法並に肉体改造・体力増進法」と内容の一部】

【若木氏の著わした「怪カ法並に肉体改造・体力増進法」と内容の一部】

~怪力法と木村政彦~

 高い体力は技術をカバーすることが出来る事実をもっと知る必要があろう。

 若木氏はその全盛期に,柔道の経験もないのに,2・3段の黒帯を怪力でもってねじ倒したという。それも,腕力だけで相手をふり回すことが出来たのである。相手が四段の柔道家になると,負けることもあったという。技の修練をしてないので,四段ぐらいになるとパワーだけでは通じない面もあったのだろう。ただ,テクニックなしに四段の柔道家とわたりあえたというのも,格技にはパワーが絶対的に必要であるといえることになろう。もしも若木氏にテクニックが身についていれば,素晴らしい強さを見せたことは充分に想像出来るからである。

 それを証明した柔道家がいる。あの木村政彦氏である。

 木村氏の強さは異常であった。日本柔道選手権に12年間連続優勝。練習の時でさえ負けたことがなかった。膝をつくのが,せいぜい年に1度ぐらいしかなかったという。

 私の知人で柔道家がいる。彼が若い頃に木村氏と立ち合ったことがある。そのときは,立っていられなかったそうだ。立ち上がると同時に投げとばされるという具合いであったらしい。とにかく足払いをかけられただけで,身体が一回転してしまうほどシャープな技をみせたという。

 元プロレスラーの遠藤幸吉氏も柔道家として著名であったが,木村氏にかかっては問題にされなかった。「木村の前に木村なし,木村の後に木村なし」とまで言われた氏は,まさに不世出の柔道家と言えよう。しかし,その体格は1m72cmの身長で,体重も90kgに満たなかったのである。この程度の体格でこれだけの強さをみせたのである。そこにはたゆまざる努力があったことは言うまでもなかろう。

 ともかくその修練はすさまじかったという。朝から晩まで,柔道の立ち合い稽古を行い,それから銭湯に行くときは,わざわざ遠くの方まで鉄げたをはいて,しかもうさぎ飛びで行ったという。無敗のまま,12年間も柔道日本ーとして君臨したのである。そのためには,人一倍の筋力・パワー作りに励んだのである。

 やはり「怪力法」をもとにバーベルでトレーニングをしていた。木村氏は今だにバーベルで,プレスを何十回とやるそうである。また,両腕を前方に伸ばして,その上に50kgほどのバーベルをのせる。そして両腕を上げたり下げたりして,バーベルを前後にころがすという肩のトレーニングをしていると聞いている。

 柔道日本はオリンピックや世界選手権で惨敗している。木村氏は,以前からへーシンクなどは筋力・パワー作りをしているのだから,我が国の柔道家も,もっとウェイト・トレーニングをしなくてはいけないと訴えていた。しかし,講道館のウェイト・トレーニング場は,もっばら外人選手が使用しているのが現状である。案の定,東京オリンピックでへーシンクに敗れ,ミュンへンでは,ウェイト・トレーニングの実践者として名高いルスカにまたしても敗れてしまった。木村氏のそばに「怪力法」があったことを,現在の柔道界の人々に改めて認識していただきたいと思う。

~カとビルダー~

 若木氏が「怪力法」を世に送ったとき,それはボディビルディングの書であったわけである。だが,題名の示すように,肉体改造されたことは,同時に筋力・パワーも当然高まっていなくてはならない。ボディビルディングの実践者で「力」のないものは,真のビルダーではない,と若木氏は強調する。とくに僧帽筋や腰の発達が重要であるという。

 一般にビルダーの体形は,上体が逆三角形になっているのを良しとする。だからといって極端に細い腰は,全身の発揮する筋力が小さくなる。だから(ある程度)腰は大きくなくてはならないと言う。それでは逆三角形の上体がくずれて,ビルダーのプロポーションにマイナスとなってしまうのではないのか,と疑問をぶつけると,「だから,それ以上に上体を発達させればよいのだ」と,軽くいなされた。

 若木氏の全盛期には,ウェストは1m近くあったそうだが,それでもなおかつ大きな胸囲の発達を示していたので,逆三角形の上体を誇っており,リラックスしても,両腕が横に張り出していたという。だから若木氏は,力と美の共存するボディビルディングを主張されるのである。

~若木氏と腕角カ~

 今,話題の腕角力では,若木氏は抜群の強さを発揮していた。当時の腕角力チャンピオンが,若木氏とまともにやっては相手にならないので,若木氏は相手の手首を持って行なったという。それでも軽くあしらうことが出来たという。チャンピオンですらそれであるから,他の選手は手首に2本の指をひっかけるだけで行なったという。

 とくに,若木氏は瞬発力がズバ抜けて強かったようである。腕角力ではいつも一瞬のうちに相手をねじ伏せたという。相手の方は,力を入れた感じがしないほどであったという。これほどまでになるにはきびしいトレーニングを要したことは言うまでもないことなのだが,その真骨頂が私に示された。

~日常生活とトレーニング~

 私が部屋の真ん中に,小さいテープルを移動しようとなにげなく持ち上げると,「それじゃだめだ。こうして持つのだ」と,そのテーブルを両手の親指と人差指の2本の指で持ち上げて,移動した。「どんなささいなことでも,たえず自分を鍛えるようにしむけるのだ。いついかなるときでも,物を持つときは最も自分にとってきついような持ち方をしなくてはならない……」

 私は今さらながらその怪力を作り上げた背景に脱帽せざるをえなかった。日常生活ですらトレーニングの場とする若木氏に,畏敬の念を強く抱いたのである。

 やはり,怪力・若木竹丸は後世に語り継がれる人物の一人であろう。
月刊ボディビルディング1975年9月号

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