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チャンピオンへの道 <心理学によるトレーニングの効果> 1976年8月号

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月刊ボディビルディング1976年8月号
掲載日:2018.04.16
川股 宏

巨木と小さなカブト虫

 前号で自分との闘い、自分に打ち勝つことの大切さを述べたが、これにまつわる2つの教訓を紹介しよう。
 
1つはデール・カネギーの「道は開ける」の一節〝カブト虫に打倒されるな!”の森にそびえる1本の巨木の勝利と敗北の物語りである。
 
すでに400年を経ているこの巨木は、その間、何度も雷や台風、雪崩におそわれたが、それを生き抜いた。ところが、カブト虫の大群、それも人間の指でつぶすことのできるような小さなカブト虫に、少しずつ、間断のない攻撃をうけて、ついに倒されてしまった。人間も、戦争や地震、洪水などのような大きな障害に対してはよくこれを克服するが、悩みという小さな虫、いわわゆる心中の虫には案外悪く、ついには倒されてしまう、と記されている。
 
戦時中の苦しさの中の自殺者よりも高度成長下の安定の中での自殺者の方がはるかに多いということは、このことをよく物語っている。小さな取るに足らぬ物事に心を奪われてはいけない。自分と闘い、自分に勝ち抜け!

あと一尺を掘れ

 この物語りは、いまでも時には新聞のニュースとなる金脈とか財宝などの宝探しの物語りである。
 
1人の若者が、ある山中に金脈があるだろうと信じ、毎日毎日掘りつづけた。1年〜10年〜30年とせっせと掘りつづけた。そして老いてしまったその若者は、「ここには金脈はなかった。このために俺の人生は無駄になった」と涙ながらに山を下りることを決心した。そして下山の途中、いままで掘りつづけたクワをふもとの農夫に売ってしまった。
 
クワを買った、かの農夫、「あんひとが毎日せっせと掘ってただが、なんかいいことあるんでねえか。よーし。俺らもひとつ真似して掘ってみよう」と、クワをかついで山に行った。
 
若者が掘っていた場所を一尺ばかり掘ったところで「カチン」とクワに何かが当った。それは若者が信じていた金脈だったのである。これは途中であきらめず、最後までやり抜けという教訓である。
 
一般に、三日、三月、三年等と諺などに出てくるが、あきらめ、止める時点は、目的達成の一歩手前が多いのである。つまり、金脈の一尺まできたときなのである。
 
遠い大きな目標に到着するには多くの障害があろう。それを乗り越えていくことよりも、もっと困難なのは自分との闘いなのだ。自分が自分に「もうだめだ」と語りかけたときこそ、挫折するときである。そのとき、強い信念と、あと一歩の努力をするかしないかが勝ちと負けの分かれ道なのだ。苦しさに耐え、くずれかかる弱い心を支える哲学を、自分自身でつくろう。

ザトペックを破ったミムン

 ”オリンピックは参加することに意義がある”とは、かのクーベルタン男爵の言葉である。しかし、選手にとっては、必ずしも参加することに意義を感じている人は少ないのではなかろうか。上位に入賞すること、いや、金メダルを獲得することを目的として努力しているのである。
 
オリンピックの金、銀、銅のメダルは、一般人にとっては輝やかしい栄光の象徴に見えても、選手にとっては金のみが勝者であり、銀、銅は敗者である。その差は天地の開きがある。
 
金メダルを目指して行うはげしいトレーニング、それこそ自分との闘いである。すべてを犠牲にした長期間の血のにじむような努力なくしてはとうてい金メダル獲得は不可能である。
 
ここに、その栄光にたどりついた一人の男を紹介しよう。
 
その男の名はミムンという。フランスの有名な長距離ランナーである。彼は当時のマラソンの王者、ザトペックを破り、金メダルを獲得することを求めてくる日もくる日も走り、苦しんだ。彼の家族も、そしてまわりの人も一緒になって金メダルとザトペックを追い求めたのだ。
 
そして、ついに8年目、ミムンはザトペックを破った。ミムンは栄光のメダルを胸にして、涙ながらに「大きなことをしたかったら、大きな夢を求めつづけることだ」と語っている。
 
ここにミムンを紹介したのはほかでもない。彼はザトペックを破るためにただ走り続けただけではない。記録を伸ばすために、あらゆる研究をし、努力し、また研究をして走った。そして重要なことは、その間、つねに目標を追い求め、強い精神力とはげしいトレーニングを続けたのである。
「自分と闘う」、これはただたんにハードなトレーニングをすればよいというものではない。ボディビルにおいても、人よりただ多くトレーニングをし、多く食べれば大きな筋肉がつくという単純なものではない。自分の肉体とトレーニングを、客観的に、そして冷静な心で深くみつめ、的確な判断のもとにトレーニングしなければならないのだ。

 たとえば、人によっては休みたくないトレーニングを逆に休み、何日間かのレイ・オフをとることが効果をあげる場合もある。こんなとき、あせる気持から、内面的な自分の心と心の闘いがあろう。疲労のたまったまま練習を続けても何の進歩もない。にわとりが瀬戸ものの卵をだいているのと同じでいつまでたってもひなにはならない。瀬戸ものの卵と気がついたら、すぐに中止し、ほんものの卵を探して新らたな努力をすることだ。
〔左は1971年、右は1975年の須藤孝三選手〕

〔左は1971年、右は1975年の須藤孝三選手〕

疑問と解答への遍歴

 人はこのように、疑問と解答への遍歴をくり返しながら進歩し、目覚めえのきっかけをつかむのだ。
 
悟りを開いた釈迦ですら、この心の疑問と解答への遍歴を何度もくりかえしたのち、悟りの道を開いたのだ。その遍歴のあとがボディビルの道にもあてはまると思われるので簡単に紹介してみたい。
 
釈迦は29歳で出家し、35歳で悟りを開くのであるが、まず最初にぶち当ったのが生・老・病・死の問題である。これを解決するために長い難行、苦行を続けた。そうすることによって来世の安楽が得られると釈迦は信じていたのである。
 
しかし、この難行、苦行は体を衰弱させ、心の平静を乱したのみで悟りまで到達することはできなかった。食べるものも食べずに苦行しても悟りの道は開けないことを6年目に気がついた釈迦は、ここで苦行生活をやめた。
 
その後の釈迦は、アシュヴッダという巨木の元で、坐禅をし、心静かに瞑想に耽った。その間、愛欲と闘い、迫害に耐え、暴力にくじけない心を成就したという。つまり、釈迦の悟りは苦行でもなく、歓楽でもない中道で悟りを開いたといわれている。
 
この教訓はボディビルにあてはめることもできる。ただガムシャラにトレーニングしたからといって筋肉は発達しない。栄養、運動、休養のバランスが大切なのである。一方のみを強調しても体の完成はない。そのバランスを静かな心でよく見きわめ、自分にあったよき方法へと改善を加え、努力を重ねることが完成につながるのである。大きな夢を力強い信念と情熱で求め続ける、そこには男のロマンがあり、完成と悟りという心の成長がある。

個性・長所を伸ばせ

 昨年のNABBAユニバース・コンテストで須藤選手が世界の強豪を押えてミディアム・クラスで優勝したことは、まだ読者の記憶に新しいことと思う。
 
ではその勝利の原因は何だろうか。本誌の増刊号に比較審査の写真が載っていたのを見たが、上位入賞者のほとんどが須藤選手よりも大きな肩幅とバルクを持っていた。しかし、下半身を含めた全身を比較したとき、やはり須藤選手に一日の長が認められる。
 
つまり脚が決め手になったのだ。あの逞しくキレのよい美しい脚が、彼にトロフィーと栄冠をもたらしたのではなかろうか。
 
始めて見たころの須藤選手は、乗馬ズボンのような太い脚がいやに目立ったものだ。それは上体に比してアンバランスでさえあった。その後、上体の発達に意を注ぐとともに、太い脚にクッキリとしたデフィニションをつけ、力強い迫力と美しさに変えていった。長所を上手に伸ばした結果が栄冠につながったのである。
 
欠点、短所を直すことはもちろん大切であるが、神から与えられた長所や利点をどんどん伸ばすことも大切である。大きなコンテストになればなるほど、実力が伯仲してくる。そんなとき審査員に強くアッピールする長所を1つでももっている選手が有利となる。自分の欠点を知ると同時に、長所はどこかを知れ!
 
これはどこにでもある例であるが、ある小学校に、運動以外はまったくダメな劣等生がいた。担任の先生も、このままでは将来きっと非行に走るにちがいない、と心配し、いろいろ指導したが、いっこうに効果はなかった。
 
あるとき、ふと、走ることが好きなのに目をつけ、運動を徹底的に指導してみた。その結果、クラスでは誰1人その生徒にかなわなくなった。その後陸上競技の優越感は徐々に勉強の面にまで拡がり、ついにはクラスでも上位に入るようになったという。この話も欠点、短所を直す1つの手段として、まず長所をさらに伸ばして成功した例といえるであろう。
 
須藤選手がデビューした当時、脚以外はまったく目立たず、将来、彼が世界のトップ・ビルダーに成長するとはとても考えられなかった。しかし現在に見る彼は、長所の脚をさらに伸ばしそれに見合う上体をつくり上げ、いまや押しも押されもしないチャンピオンとなったのである。
月刊ボディビルディング1976年8月号

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