1976年度NABBA
ミスター・ユニバース・コンテスト 杉田茂選手優勝記念祝稿
月刊ボディビルディング1976年12月号
掲載日:2018.07.20
川股 宏
1976 MR UNIVERSE SIGERU SUGITA! CONGRATULATION!
アナウンサーの声が興奮ぎみに場内にこだまする。1976年9月18日ロンドンのビクトリア劇場でのことである。
このコンテストには、グリメック、レジ・パーク、ビル・パーク、シュワルツェネガーといった、男性の肉体の極限まで鍛えつくした男たちの栄光の歴史がある。
この美の祭典、NABBAの世界大会で、ついに、その栄光あるトロフィを手中に収めた男の名前は、日本男子杉田茂である。
アナウンサーの声はさらに続いて、会場は興奮のるつぼと化した。“総合第2位、ミディアム1位、須藤孝三”これもまたすごい。2年連続ミディアム1位、総合優勝は僚友、杉田に破れたとはいえ、堂々たる準優勝である。
まだ続く。“ミディアム4位、そして新人賞、榎本正司”あのシャープな体の美しさと気迫は、審査員の間に大きなセンセイションを巻き起こした。
観客の間にも、あの日本人たちはいったいどうしたんだ。美しく迫力がありすぎる。「俺はミスター・スギタのあの華麗なポージングと迫力ある筋肉美がたまらん」「いやいや、俺はなんといっても、あのミスター・スドウの褐色の肌、すばらしいプロポーションそれに極限に近い肉体の完成度に軍配をあげる」「何をいっていやがる!ミスター・エノモトのするどい眼光とシャープな肉体からほとばしる気迫、これこそ日本のサムライだ」
会場の話題を日本の3選手が独占してしまった。とにかく、世界最高の肉体美の祭典において、われわれ日本のボディビル界が夢にまで見た世界制覇をなし遂げ、NABBAの歴史に新しい1ページをしるしたのである。
エピソードは続く・・・・・・総合優勝を決定するときの審査員の苦労、自分が審査員を引受けたことをくやんだに相違ない。ミスター・スギタとミスター・スドウの決戦、その優劣はNABBAコンテスト史上、かつてない接戦だったという。しかしどちらかを選らばなければならない。
審査員の良識とプライドに訴えて、考え、悩み、また考える。だが、わからない。何回も何回も比較審査がくりかえされる。NABBAのチャンピオンの座を決めるときがきた。いかに甲乙つけがたくても、1位と2位は決めなければならないのだ。
こうして日本人同志の優勝争いの結果、栄冠は杉田茂選手の頭上に輝やいたのである。ジョン・グリメック、ビル・バールらの神話と偶像の世界から日本の杉田が現実の世界へと引きもどしてくれたのである。
杉田君、おめでとう。彼がミスター日本になってから4年。ユニバースに挑戦すること3回、その間、アメリカにおける修業までして鍛えた努力が遂にむくわれたのだ。君は多くのビルダーたちに、努力の尊さを身をもって教えてくれた。
須藤君、優勝こそ逸したとはいえ、まことに立派な成績である。榎本君も初出場で4位入賞、それに新人賞まで獲得たのだからたいしたものだ。2人ともまだ若いし、充分な素質をもっているのだから、持ち前の根性でトレーニングを積んでいけば必ず杉田選手に続く世界のチャンピオンが誕生するにちがいない。
このコンテストには、グリメック、レジ・パーク、ビル・パーク、シュワルツェネガーといった、男性の肉体の極限まで鍛えつくした男たちの栄光の歴史がある。
この美の祭典、NABBAの世界大会で、ついに、その栄光あるトロフィを手中に収めた男の名前は、日本男子杉田茂である。
アナウンサーの声はさらに続いて、会場は興奮のるつぼと化した。“総合第2位、ミディアム1位、須藤孝三”これもまたすごい。2年連続ミディアム1位、総合優勝は僚友、杉田に破れたとはいえ、堂々たる準優勝である。
まだ続く。“ミディアム4位、そして新人賞、榎本正司”あのシャープな体の美しさと気迫は、審査員の間に大きなセンセイションを巻き起こした。
観客の間にも、あの日本人たちはいったいどうしたんだ。美しく迫力がありすぎる。「俺はミスター・スギタのあの華麗なポージングと迫力ある筋肉美がたまらん」「いやいや、俺はなんといっても、あのミスター・スドウの褐色の肌、すばらしいプロポーションそれに極限に近い肉体の完成度に軍配をあげる」「何をいっていやがる!ミスター・エノモトのするどい眼光とシャープな肉体からほとばしる気迫、これこそ日本のサムライだ」
会場の話題を日本の3選手が独占してしまった。とにかく、世界最高の肉体美の祭典において、われわれ日本のボディビル界が夢にまで見た世界制覇をなし遂げ、NABBAの歴史に新しい1ページをしるしたのである。
エピソードは続く・・・・・・総合優勝を決定するときの審査員の苦労、自分が審査員を引受けたことをくやんだに相違ない。ミスター・スギタとミスター・スドウの決戦、その優劣はNABBAコンテスト史上、かつてない接戦だったという。しかしどちらかを選らばなければならない。
審査員の良識とプライドに訴えて、考え、悩み、また考える。だが、わからない。何回も何回も比較審査がくりかえされる。NABBAのチャンピオンの座を決めるときがきた。いかに甲乙つけがたくても、1位と2位は決めなければならないのだ。
こうして日本人同志の優勝争いの結果、栄冠は杉田茂選手の頭上に輝やいたのである。ジョン・グリメック、ビル・バールらの神話と偶像の世界から日本の杉田が現実の世界へと引きもどしてくれたのである。
杉田君、おめでとう。彼がミスター日本になってから4年。ユニバースに挑戦すること3回、その間、アメリカにおける修業までして鍛えた努力が遂にむくわれたのだ。君は多くのビルダーたちに、努力の尊さを身をもって教えてくれた。
須藤君、優勝こそ逸したとはいえ、まことに立派な成績である。榎本君も初出場で4位入賞、それに新人賞まで獲得たのだからたいしたものだ。2人ともまだ若いし、充分な素質をもっているのだから、持ち前の根性でトレーニングを積んでいけば必ず杉田選手に続く世界のチャンピオンが誕生するにちがいない。
日本選手活躍の原因はどこに
ボディビルは人間が競い合う最高のスポーツである。他のスポーツでは技術と体力、それに闘志がすぐれていれば、多少の不節制をしたとしても勝つことができる。また、運ということも見逃せない条件である。ところがボディビルにはそんな運はない。日常の節制と鍛練がそのまま舞台にあらわれるのである。
話は古くなるが、1904年、日露戦争のときのことである。
世界の人々の目は極東の島国、日本JAPANという国名に釘づけにされた。当時、日本は中国の一部らしいという程度の知識しかもっていなかった世界の人々は、この小さな日本が、かつてはナポレオンを栄光の座から引きずりおろした、巨大な軍備を誇るロシヤ帝国と一対一で戦おうというのであるから驚いた。
勝負は目に見えている。おそらく3カ月もすれば決着は着くだろう。もちろんロシヤ大勝で、日本の無ぼうは非常識極まりない行動だと判断されていた。
ところがどうだろう。1905年、203高地を陥し入れてからの日本軍は、連戦連勝、ついに強大国ロシヤを破ったのである。
世界のジャーナリズムの目は、当然その原因について向けられた。その原因の第一は、五尺三寸そこそこの日本人の食べ物に、勝利の秘密の源がかくされているものと信じた。
そして調査努力の結果、あった!あった!これこそ勝利の秘密だといって話題になったものは、梅を塩でつけた「UMEBOSHI」、豆を発酵させた「MISO」、魚を干した「KATUBUSHI」、ダイコンを塩づけにした「TAKUWAN」、そしてMISOとKATUBUSHIで作ったスープがまたすごいスタミナ食だということで、各国の専門家が早速これらの研究をしたという、ウソのような本当の話がある。日本人の精神力、つまり、勤勉、忍耐、根性といったものを外国人は見逃していたのである。
この度の日本選手の大活躍は、世界のビルダーや関係者にとって、かつての日露戦争のときのように驚かされたに違いない。そして、日本選手の大勝利の原因について真剣な討議をしていることであろう。
従来、体格や肉体美においては、肉類を常食とする欧米人が、植物食の多い東洋人より勝れていることが定説となっていた。ボディビルにおいても、欧米のトップ・ビルダーたちのトレーニング法や食事法をまねて、少しでもこれに近づこうと努力しているにすぎなかった。まさか、欧米人と対等に戦って勝てるとは日本人自身でさえ考えていなかった。
ボディビルの歴史も古く、タンパク質中心の栄養食をふんだんに摂り、それでも足りずにステロイドの注射までするといわれる欧米のビルダーに対して、ステロイドはもちろん使わず、立派に職業をもって生活を確保しながらのトレーニングで、完全に彼らを破ったのである。しかも、杉田選手、須藤選手に続くビルダーが続々生まれているというのだ。
こんな日本のボディビル界を知ったら、欧米の関係者はさらに驚くに違いない。そして、その秘密は?と今度は逆に研究の目を向けてくるだろう。
しかし、さっき述べたように、日本人の勤勉、忍耐、根性といった精神力までマネすることはむずかしいであろう。この精神力が、敗戦のどん底から立ちあがって、今や経済大国となり、追いこすことが出来ないと思われていた体格まで追い越してしまったのである。(次回は岸記念体育館での記者会見語録を記す)
話は古くなるが、1904年、日露戦争のときのことである。
世界の人々の目は極東の島国、日本JAPANという国名に釘づけにされた。当時、日本は中国の一部らしいという程度の知識しかもっていなかった世界の人々は、この小さな日本が、かつてはナポレオンを栄光の座から引きずりおろした、巨大な軍備を誇るロシヤ帝国と一対一で戦おうというのであるから驚いた。
勝負は目に見えている。おそらく3カ月もすれば決着は着くだろう。もちろんロシヤ大勝で、日本の無ぼうは非常識極まりない行動だと判断されていた。
ところがどうだろう。1905年、203高地を陥し入れてからの日本軍は、連戦連勝、ついに強大国ロシヤを破ったのである。
世界のジャーナリズムの目は、当然その原因について向けられた。その原因の第一は、五尺三寸そこそこの日本人の食べ物に、勝利の秘密の源がかくされているものと信じた。
そして調査努力の結果、あった!あった!これこそ勝利の秘密だといって話題になったものは、梅を塩でつけた「UMEBOSHI」、豆を発酵させた「MISO」、魚を干した「KATUBUSHI」、ダイコンを塩づけにした「TAKUWAN」、そしてMISOとKATUBUSHIで作ったスープがまたすごいスタミナ食だということで、各国の専門家が早速これらの研究をしたという、ウソのような本当の話がある。日本人の精神力、つまり、勤勉、忍耐、根性といったものを外国人は見逃していたのである。
この度の日本選手の大活躍は、世界のビルダーや関係者にとって、かつての日露戦争のときのように驚かされたに違いない。そして、日本選手の大勝利の原因について真剣な討議をしていることであろう。
従来、体格や肉体美においては、肉類を常食とする欧米人が、植物食の多い東洋人より勝れていることが定説となっていた。ボディビルにおいても、欧米のトップ・ビルダーたちのトレーニング法や食事法をまねて、少しでもこれに近づこうと努力しているにすぎなかった。まさか、欧米人と対等に戦って勝てるとは日本人自身でさえ考えていなかった。
ボディビルの歴史も古く、タンパク質中心の栄養食をふんだんに摂り、それでも足りずにステロイドの注射までするといわれる欧米のビルダーに対して、ステロイドはもちろん使わず、立派に職業をもって生活を確保しながらのトレーニングで、完全に彼らを破ったのである。しかも、杉田選手、須藤選手に続くビルダーが続々生まれているというのだ。
こんな日本のボディビル界を知ったら、欧米の関係者はさらに驚くに違いない。そして、その秘密は?と今度は逆に研究の目を向けてくるだろう。
しかし、さっき述べたように、日本人の勤勉、忍耐、根性といった精神力までマネすることはむずかしいであろう。この精神力が、敗戦のどん底から立ちあがって、今や経済大国となり、追いこすことが出来ないと思われていた体格まで追い越してしまったのである。(次回は岸記念体育館での記者会見語録を記す)
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