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☆第6回世界パワーリフティング選手権大会に参加して☆
世界のトップリフターが競う手に汗にぎる“力の祭典”

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月刊ボディビルディング1977年1月号
掲載日:2018.06.27
日本選手団コーチ兼ドクター 渡辺勝利
 第6回1976年度世界パワーリフティング選手権大会は、11月6日、7日の両日、アメリカ、ペンシルヴァニア州のヨーク市で開催され、世界13カ国から77選手が参加して熱戦が繰りひろげられた。

 日本からは関二三男団長兼コーチをはじめ、フライ級・因幡、渡部、フェザー級・富永、ライト級・長野、中尾ミドル級・中川、市丸、ライトへビー級・井上、100kg級・仲村、へビー級足立の10選手がエントリーした。いずれも日本のパワーリフティング界を代表するトップ・クラスのリフターばかりという豪華メンバーである。

 日本の各選手は、時差による睡眠不足と長旅による疲労、減量、それに加えて英語による競技進行、使い慣れない器具、外人レフリーの厳しい判定等の不利な条件のもとで、一人の失格者もなく、充分に実力を発揮した。チーム・ポイントも昨年より11点増えて、イギリス、アメリカ、フィンランドに次いで団体4位に躍進した。

 なお、予期せぬ助人、東京YMCAの三浦氏が関コーチのサブ・コーチとして大活躍してくれたことを感謝すると共に、一言つけ加えておきたい。

イギリスが初の団体優勝

 過去の5回の大会で、2位に圧倒的大差をつけてトップを独占してきた常勝アメリカが、僅少差ながらイギリスに1位の座を明け渡した。この波乱の原因は、1位を予想されていたアメリカのへルナンデス、クレイン両選手の故障、棄権にあるとしても、3年連続8階級にチャンピオンを保持してきたパワー王国アメリカのお尻に火がついたことは確かである。

 イギリス、フィンランド、スウェーデン等のヨーロッパ勢、および日本の肉薄は、横綱アメリカにもフンドシを締め直し、本気を起こさせるものがあったに違いない。

 イギリスの勝因は、ミドル級ウェスト選手が、デッド・リフトの第3試技で一挙に12.5kgアップして285kgを引っばり、カーピノ選手(米)を体重差で下した劇的な逆転優勝にもみられるように、選手、コーチ、役員一丸の激しい闘志と執念、緻密な計算による重量選択にあったといえよう。

因幡、世界新でフライ級三連勝

 第1日目は正午からウイリアム・ペン・ヘイスクールの講堂で、フライ級からライト・へビー級までの6クラスの競技が行われ、その熱戦は翌日午前1時まで続いた。試合時間はなんと13時間である。

 フライ級では因幡選手がスクワットとトータルで2つの世界新をマークして文句なく三連勝を飾った。しかし、過去2年、90kgもあった2位との差が今年はレディング(米)が50kg差に詰めてきたし、パイロー(英)、ニイミ(フインランド)もこの1年で45kgも記録を伸ばして55kg差にせまってきた。ことにレディングは肩を痛めていたのかベンチ・プレスで自己のベストよりも40kg低い87.5kgで試技を終えての記録なので、来年、完全なコンディションで出場してくれば、因幡選手の四連勝をおびやかすいやな存在となろう。

 渡部選手は、昨年2位になったときの記録を5kg上まわったが、215kgのデッド・リフトを惜しくも失敗し、6位に甘んじた。医学的にあきらかに侏儒症(こびと)の選手がこのクラスに参加して5位になったが、渡部選手の身長では減量がきつすぎるので、次の大会には一階級上げて自己の体重で充分に実力を出すようにした方がよいのではないかと感じた。

 バンタム級ではガント(米)が昨年の記録を一挙に45kgも更新して2連勝した。そのたゆまざる努力と根性は賞讃されてよいだろう。

富永、ベンチ・プレスで世界新

 フェザー級では富永選手が大健闘しベンチ・プレスで155kgの世界新を出し、トータルで2位にくい込んだのはホームランともいえる快挙であった。外国旅行中は時差による睡眠不足、食事の相違、神経的な疲労等の理由で誰でも2~3kg体重が減少するものだが、いつの大会でも減量に苦労する富永選手にとっては、これが幸いしたのか国内での試合のときよりはるかにスムーズに減量できたのが好成績の原因であったと考えられる。それに、ベンチ・プレス世界新の際の重量選択と。バランス良くバーを受け渡すように補助員に細かく指示してくれた関コーチの陰の力も見のがすことはできない。

 〔注〕べンチ・プレスのバーベルのとり方については後述。

 ライト級は、ミドル級と共にリフターの平均的体重のため、国内大会においても、また世界大会でも、出場選手が多く激戦区であるが、今大会もこのクラスに7カ国10選手が参加し、熾烈な戦いが展開された。

 その中にあって、中尾、長野の両選手は選考会のときとほぼ同記録をマークし5位、6位に入賞した。

 とくに中尾選手は、渡米前の練習で肩を痛めていながら、ベンチ・プレスでライト級全選手中最高の155kgをマークした。試合後、中尾選手は「テクニック抜きのパワーそのものの迫力を見せつけられた。テクニック、精神の集中法等は日本の選手の方が上だが、そういうものを度外視した力のすごさを感じた。これからは、食事法、練習法をもう一度よく再検討してパワーそのものを強くすること、とくに背筋の力を鍛え直さないと世界大会で上位に入賞するのはむずかしいと思う」と語っていた。

 長野選手も「ベンチ・プレスとスクワットは同じレベルだが、デッド・リフトがケタ違いに強い」とびっくりしていた。なにしろ、このクラスのデッド・リフトの勝負は、日本の両選手が全試技を終え、着換えて観客席に戻った後も、まだ5選手が残っており、それからまだ30分も235~265kgの間で激戦が続けられたのである。

 ミドル級は、実力伯仲の12選手がトップと100kg差でもつれ合うという最も見ごたえのあるクラスであった。ちなみにこの大会で中川選手が出した記録を例にとって、これを上まわった選手を数えてみると、スクワット220kg以上の者9人、ベンチ・プレス155kg以上の者6人、デッド・リフト240kg以上の者10人という充実ぶりである。

 1位に僅か60kg差で5位に入賞した中川選手は、試合後、次のように語っていた。

 「体調は良くなかったが、記録はまあまあでした。話には聞いていたが、世界の強さをまざまざと感じた。参加選手がすべてパワーの体に鍛えあがっていて、同じクラスでも自分の体が1クラス下のような気がした。この大会に続いて行われたミスター・ワールドにも出場したが、日本ではパワーとフィジークの両立が可能であっても、世界のトップ・レベルではパワーの体とフィジークの体はまったく別であると感じた。外国選手の背筋は1週間に2回以上の練習によって鍛え込まれたという感じで、この点、我々も1からスタートし直さなくてはいけない。あまりの世界の強さに、最初のうちはあきらめの気持であったが、帰途につく頃は、練習方法を工夫すれば自分の記録ももっと伸びる可能性があるのだという自信に変わってきた」

 市丸選手は減量がきつすぎたのと、アクシデントにより充分に実力が発揮できず残念であった。

 そのアクシデントとは、市丸選手が使い慣れていた市販のマーク入りのシャツがコスチューム・チェックのアマチュア規定にひっかかり、急きょ、新しいシャツで出場することになった。そのために、230kgのスクワットのとき、三角筋の上面より1インチ以内という規定より下にバーがすべってしまい。主審からのスクワットの合図がもらえず、30秒近くもかつがされていたのが後の試技にひびいてしまったのである。市丸選手は「あのときはバーベルをかついだまま、主審に飛びひざげりをしようかと思ったくらいだ」とくやしがっていた。
日本選手団(羽田空港にて)

日本選手団(羽田空港にて)

ベスト・リフターにコリンズ

 ベスト・リフターにコリンズ
ライト・へビー級ではコリンズ(英)が1階級上の優勝記録を上まわる817.5kgをマークして優勝。
2年連続ベストリフターに選ばれた。2位のトーマス(米)が、昨年ミドル級で優勝したときの記録を82.5kg更新して800kgを出し怪物コリンズに肉薄してきたのが興味深い。というのは、体重が昨年より6kg増えたが、なおこのクラスのリミットまでにあと2kg余裕があるからである。

 これらの強豪を相手に、健闘よく6位に入賞した井上選手は「コリンズが280kgでスクワットのアップをしていたのにはびっくりした。鍛えに鍛えて自分のスタートの重量がスクワットで250kg以上、ベンチ・プレスが180kg以上、デッド・リフトが280kg以上可能になってからでないと、とても勝負にならない」と語っていたが、外国選手と接して得た貴重な体験を生かして頑張れば、井上選手の素質からいってこのスタート重量は決して無理な数字ではない。

強烈なパワーの重量級

 ミドル・へビー級からスーパー・へビー級までの4クラスの試技は、翌日7日正午から同会場で行われた。

 まず最初に行われたミドル・へビー級では、10kg減量して出場したパワーの英雄パシフィコが812.5kgで優勝。これで彼は、へビー級(73年)、100kg級(74、75年)に続いて3階級制覇の偉業をなしとげた。肩の故障さえなければ860kgは出せたと考えられ、ベストリフターに選ばれたかも知れない。

 ベンチ・プレスで自己のベストよりも100kgも低い160kgからスタートしたパシフィコは、肩の激痛を手で押えながら、敢然と第2試技に挑んだ。彼は肩幅ぐらいに狭く持ったバーベルをいったん胸の上に止めて、肘をゆるめそして一気にプレスするという、肩をかばいながらのやり方で、みごと185kgを挙げ、観衆をシビレさせた。

 100kg級はイギリスのジョーダンが860kgで優勝した。試技のたびに“Jordan is a king”“I’m a king”と自分を鼓舞しながら登場し観衆の“Come on”“Come on”の声援に“Yes”“Yes”と大きく答えながら、金髪を振り乱し、はじきとばすような気迫で肩をぶつけてバーをかつぎ、335kgのスクワットを軽々と成功させた。まさにジョーダンは風格も記録も王者であった。

 デッド・リフトで362.5kgの世界記録をもつアネロ(米)が、これをあげれば一発逆転という377.5kgに挑戦したが、惜しくも失敗、2位となった。

 背筋を痛めていた仲村選手は、それでも昨年より10kg良い記録を出して7位に入った。重量級になると世界の壁は厚い。

 へビー級は、ヤング(米)が各種目に平均的力を発揮し、トータル910kgで優勝した。

 8月の全米選手権の100kg級で、アネロにデッド・リフト(362.5kg)で大逆転され、同記録ながら体重差により代表の座を奮われたフィリップス(米)が、フェルナンデスの欠場で出場権を得てこのクラスに参加した。補欠であると気が入らず、練習も積んでいないのが普通であるが、彼は逆に奮起したらしく、スクワットで345kgの世界新をマークし、トータルでも、昨年より47.5kg良い記録を出したのだから恐れ入る。アメリカの層の厚さ、その中で代表に選ばれることの価値と喜びをひしひしと感じさせられた。

 各国の力自慢の大男が集まっているこのクラスで、5位に入賞した足立選手のふともらした短い一言「外国選手はアップの時も試合の時も頑張り方が違うヮ。ワシャ自分に腹が立った」この言葉が非常に印象に残った。

ラインホルト、1010kgで四連勝

 スーパー・へビー級は、筋肉のかたまり、160kgのラインホルトが1010kgで4連勝した。365kgのデッド・リフトを楽々と引いて優勝を決めた彼は、第3試技で自己の持つ401.5kgの世界記録を大きく上まわる410kgにバーベルをセットした。同僚のパシフィコがマイクを握り、彼を紹介して、410kgの世界新に挑戦することを告げると、興奮した満場の観衆が総立ちになって彼のあらわれるのを待った。

 やがてラインホルトが大きく肩で呼吸しつつ、うなずきながら登場し、バーに手をかけた。観衆は一瞬、息を殺して注目する。場内は水を打ったように静かになった。グッと全身に力が入る。引いた。浮いた!410kgが膝まで浮いたが、それ以上バーは動こうとしなかった。

 失敗にもかかわらず、観客の満足ぶりはその鳴り止まない拍手の長さでわかる。パワーの最後のクラスの最後の種目を飾るにふさわしいフィナーレであった。
記事画像2
〔左はミスター・ワールド・コンテストのショートマン・クラス3位に入賞した関二三男選手。右はショートマン・クラスの入賞者〕

〔左はミスター・ワールド・コンテストのショートマン・クラス3位に入賞した関二三男選手。右はショートマン・クラスの入賞者〕

競技方法、器具について

 競技方法、器具について
 正規のバーの太さが今回から29mmになった。従来の28mmのバーに比べ、手の小さい日本人には不利になるのではないかと心配されたが、実際に握ってみると、外国製のバーは硬くできていて、しかもローレット加工の刻みが深いので、とくにやりにくいということはなかったようである。

 プレートは最高1枚45kgのものを世界大会では使用しているが、日本の20kgプレートと違って重量が中心に加わるので、少し感じが違ってくるようである。

 スクワットでは、試合用、ウォームアップ用とも選手の身長に合わせて簡単に上げ下げの調節ができるオイル・ジャッキが使われていたが、日本でも練習用とまではいわないが、せめて公式競技用に1台試作してもらいたいものだ。

 スクワットにおける、両大腿部上面が床面に対し平行以下になるまで下げるという判定基準は、その年により、またレフリーにより異なるので、いつも選手を悩ませるのだが、今回は全般にやや甘く、高いかなと思われるものでも白ランプがついていた。

 ベンチ・プレスの台は日本の台より幅がやや広く造られており、やり易かったという人が多かった。しかし、バーの支持台は手の握る位置より外側にあって、しかも高い位置に固定されていて、全選手が補助員からバーを受け取って試技をするという方法なのでベンチに寝て肩の位置を定め、準備ができたら、自分でラックからバーベルを持ちあげてとる、というやり方に慣れている日本選手には、まったく不利であった。ベンチ・プレスの支持台もスクワットのようにも油圧式になると非常に試技し易いと思うのだが。

 ベンチ・プレスの判定は今回も非常に厳しく、第7回大会はオーストラリアで今回の世界選手権大会における日本選手団の成績、マナーに関しては、まったくいうことはないが、

 デッド・リフトでは、硬いバーと1枚45kgのプレートのために、バーがしなうことがなく、中川選手も「直接、力が伝わり、すぐに浮いてくるのでやり易い」と語っていた。現在の日本のプレートとバーでは、世界選手権を開催できないことは確かである。
[ミスター・ワールド・コンテスト。左はミディアム・クラス入賞者。右はトールマン・クラス入賞者]

[ミスター・ワールド・コンテスト。左はミディアム・クラス入賞者。右はトールマン・クラス入賞者]

第7回大会はオーストラリアで

 今回の世界選手権大会における日本選手団の成績、マナーに関しては、まったくいうことはないが、今後は、たんに選手個々の力のみに頼っていて良いのだろうか、という点についていろいろ考えさせられた。というのは、各国とも充実した組織、厳しいコーチ陣のもとでトレーニングを積み、強化合宿を重ねて、着実に力をつけてきているからである。さらに、各国のパワーリフティング協会は、いずれもその国の競技団体として公認され、また、広く一般からもスポーツ競技として高く評価されているのである。

 第4回大会6位、第5回大会5位、そして今回の第6回大会では4位と躍進し、次の大会では3位を狙う日本チームにとって、一日も早く強化体制が組織されることを祈らずにはいられない。

 第7回大会は11月4・5日に、オーストラリアのパース市で開催されることが決定している。いつの日か、日本パワーリフティング・チームの世界制覇の日が来るのを夢みるのは私一人ではないだろう。

ミスター・ワールド大会

 ミスター・ワールド大会は11月7日夜、ウイリアム・ペン・ハイスクールの講堂に満員の観衆を集めて行なわれた。(なお、プレ・ジャッジは同日午前中にヨーク・バーベル・クラブで行われた)

 各国から22選手が参加し、3クラスに分かれてその筋肉美を競った。日本からは関二三男、中川幸雄、中尾達文の3選手がショートマン・クラスに出場し、デフィニションとポージングのうまさで満場をわかせた。そして関選手がこのクラスで念願の3位入賞を決めた。

 総合ではミディアム・クラス優勝のフォックスが優勝。そのほかモスト・マスキュラーマンとすべての部分賞を1人占めにしての完全優勝であった。各クラスの成績は次のとおり。
記事画像5
月刊ボディビルディング1977年1月号

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