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杉田茂コンテスト・アルバム
1976年度NABBAアマ・ユニバース優勝までの記録

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月刊ボディビルディング1977年2月号
掲載日:2018.07.27

1967ミスター大阪コンテスト予選失格

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1966年、ミスター全日本コンテストに初出場して予選失格した杉田選手は、翌67年10月1日、第1回ミスター大阪コンテストに出場。この日のコンテストに出場した選手は84名。ピック・アップ方式で予選審査が行われたが、結果は予選失格。この大会の優勝者は武本蒼岳選手であった。ゼッケン90番が杉田選手。

昭和38年、16歳でボディビルを開始して以来、着実に進歩を遂げ、47年10月、ミスター日本のタイトルを獲得。さらにNABBA・ユニバース・コンテストに挑戦すること3回、ついに1976年度NABBAアマ・ユニバースの栄冠を獲得した杉田選手は、現在、NABBAプロ・ユニバースを目指して猛トレーニングを続けている。ここで彼がアマ・ユニバースを獲得するまでの戦歴をふりかえってみることにしよう。

1968ミスター大阪コンテスト6位

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8月4日、大阪府立体育館において開催され、吉村太一選手がタイトルを獲得。杉田選手はみごと予選を通過して決勝に進出、6位に入賞した。ゼッケン63番が杉田選手。後にミスター大阪、ミスター日本コンテストで活躍した重村、木本、徳弘らが上位に入賞している。

1968ミスター日本コンテスト7位

9月29日、秋晴れに恵まれた琵琶湖大博覧会々場のメイン・ステージに、60名の精鋭を集めて行われた大会は杉田選手にとって初めて経験するミスター日本コンテストであった。優勝は吉田実選手。杉田選手は初出場ながら7位に入賞、一躍大阪のホープとして注目される。
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1969ミスター大阪コンテスト2位

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9月7日、大阪市中之島の中央公会堂を超満員にして第3回ミスター大阪コンテストが開催され、重村洵選手が待望の優勝を遂げた。前年度6位から一気に2位に躍進した杉田選手が話題の中心となり、「三角筋から上腕にかけての発達がすばらしく、背筋全般のデフィニションは申し分ない。リズム感ゆたかなポージングも美しい」と絶賛を浴びる。

1969ミスター日本コンテスト5位

10月10日、東京・神田共立講堂で行われた第15回ミスター日本コンテストで、進境めざましい杉田選手は5位に入賞。前年よりさらに一段とたくましくなり、将来を大いに期待される。優勝は吉村太一選手。2位から8位までが、同点ないし1~2点の僅差で顔をならべたクロス・ファイトであった。
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1970ミスター大阪コンテスト優勝

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9月23日、大阪・中之島公会堂で開催された第4回ミスター大阪コンテストで、ポージングにおいて圧倒的なうまさを見せて感激の初優勝を飾った。自分の持てる力を余すところなく観客にアピールするポージング技術は絶品だった。2位は徳弘敏選手、3位に木本五郎選手が入賞した。なお、部門賞で杉田選手は〈脚〉を獲得。

1970ミスター日本コンテスト3位

10月3日、大阪毎日ホールで開催された。ここでも杉田選手の無駄のない流れるようなポージングは、独創的で美しく、関係者から絶賛を浴びた。結果は昨年の5位から2位アップして3位に入賞。均整よく発達した筋肉と、逞しく盛り上がった背面がとくに印象的で、力強さを一層盛り上げた。今大会の優勝者は不屈の精神を持つ執念の男、武本蒼岳選手であった。
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1971ミスター日本コンテスト2位

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10月9日、東京・神田の共立講堂でこの大会が行われた。戦前から優勝候補の一角にあげられていた杉田選手であったが、父の入院というアクシデントにより8月の始めから9月半ばなでの1ヵ月半、まったく練習ができずベスト・コンディションにはほど遠い不本意の出場であったが、これを克服して準優勝した杉田選手の根性が高く評価された。この大会は末光健一選手の圧勝となった。

1972ミスター全日本選抜コンテスト出場

7月23日、わが国初の試みとして注目を集めたこの大会は、午後6時より福岡市民会館大ホールにおいて華々しく開催された。結果は8名の審査員全員一致で末光選手が“実力日本一”に選出されたが、杉田選手も格段の進歩をみせ、とくに肩、腕、脚、広背のバルク・アップは目ざましく、一段と迫力もでてきた。この年のミスター日本の最有力候補にのしあがった。
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1972ミスター日本コンテスト優勝

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10月22日、午後0時30分、大阪・毎日ホールに54名の精鋭を集めて開催されたが、バルク、デフィニッション、ポーズともに安定した実力を示した杉田選手が、晴れて第18代ミスター日本に選ばれた。あわせて背と腹の部分賞、およびモスト・マスキュラーのタイトルを獲得。2位に石神日出喜選手、3位に金沢利翼選手が入賞している。

1973NABBAユニバース日本代表選抜コンテスト優勝

8月5日、真夏の太陽が照りつける長島温泉(三重県)シーサイド・プール特設ステージにおいて、NABBAユニバースへの出場権をかけて9名の選手が激突。しかし、実際は杉田、石神、須藤の3強の争いとなり、バルク、デフィニッション、ポージングともに完璧なサエを見せた杉田選手がユニバースへの出場権を獲得した。
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1973NABBAアマ・ユ二バースショートマン2位

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9月22日、口ントンのビクトリア・パレスのステージに、オリ工ンタルカルチュアの化身のごとく現れた日本代表の杉田選手は、流麗なポージングを見せて、日本人ビルダーの気を吐いた。クリス・ディカーソンに優勝を譲ったものの、ショートマン2位、総合5位、ベスト・ポーザー賞を獲得。会場を一躍日本びいきに巻き込んだ。アマ総合優勝はクリス・ディカーソンであった。

1975NABBAアマ・ユ二バースショートマン2位

9月27日、2年前の出場時よりさらにインプルーブされた体をひっさげてビクトリア・パレスのステージに登場した杉田であったが、スコットランドの強豪イアン・ローレンスと大接戦の末、惜しくも破れ、ショートマン2位、総合4位となった。アマ総合優勝はイアン・ローレンス。日本代表として参加したのは須藤孝三選手であり、杉田選手は個人参加であった。
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1976NABBAアマ・ユニバース総合優勝

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9月18日、世界各国より選り抜きの強豪49名のうち36名がアマの部に出場した。JBBA代表は須藤孝三選手、杉田選手は個人参加であった。ショートマンクラスでジェラルドヴィノード(フランス)を破りクラス優勝を果たした杉田選手は、2年連続ミディアムを制覇した須藤孝三選手と総合優勝を賭けて対決。5分間にわたる比較審査が行われ、杉田茂がその栄冠を獲得した。
月刊ボディビルディング1977年2月号

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