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フランク・ゼーンの思い出

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月刊ボディビルディング1977年4月号
掲載日:2018.03.27
松山 令子
東京●ホテルの自分の部屋で就寝前に自分の500枚の写真のサインにはげむゼーン

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フランク・ゼーンはいった。

“ボディビルディングの世界では、私は彫刻家であり、そして批評家である。彫刻の素材は私の体であって、彫刻家である私は、私の理想に向って、私の体をけずったり、肉ずけしたりする。そして、批評家である私は、私のきびしい眼で、私の作品であるところの私の体を批評する。

 ボディビルデングの理想――それは、私にあっては、人間の精神と肉体の美しい調和である。私は、人間の可能な限界まで、人間の精神と肉体の調和を私の体で具現したいと思う。その願いに燃えて、私は日々ボディビルディングのエクササイズにはげむのである"と。

 もし、ボディビルディングというものが、単に大きくて強い筋肉をつくることだけを目的とするものであったなら、おそらくフランクは、ボディビルディングとは最初から無縁の人であったろう、と私は思う。

 まことに、フランクは、精神と肉体の調和を、比類なく美しいプロポーションの体のポージングで表現し得るボディビルダーとして世界最高の人といっても過言ではない。

 1972年、私たちIFBB・JAPANは、アーノルド・シュワルツネガーとフランコ・コロンブという世界チャンピオンの双壁ともいうベき2人と、ボディビルディングのよろこびを体であらわしている巨人、セルジオ・オリバを日本へ招いて、いままで写真でしか世界のトップ・ビルダーの体を見ることのできなかった日本のボディビルダーたちへ見せた。

 彼らを見て、日本のボディビルダーたちが得た感銘は、まさに衝撃といっていいほど強烈であった。そして、それまでやってきた自分たちのトレーニングの方法やトレーニングへの意欲についても俄かに活を入れられたかの観があった。

 私たちIFBB・JAPANというボディビルの連盟が、海外から世界的チャンピオンを招くことは、物心両面での小さからぬ苦労である。しかし私たちは、日本のビルダーたちが、眼のあたりにトップ・レベルのチャンピオンを見て、精気を吹き込まれ、生まれ変ったように、トレーニングへの意欲を見せはじめたことを知って、そのようなトップ・スターを日本のビルダーたちへ見せることが、日本のボディビルダーのレベルをあげ、ボディビルの普及に直接役立つ最も有効な手段であることをさとった。かくして、私たちは来年もまたよいチャンピオンを招こうと決心した。

 1973年、私たちが、IFBBオールジャパン・コンテストのゲスト・ポーザーとして招きたいと思ったのは、誰よりもフランク・ゼ一ンであった。今まで写真でしか見られなかったフランクの均斉美にあふれる体を日本のビルダーたちに見せたいという、私たちの熱意をフランクは理解し、私たちの招待を快よく承諾してくれた。
奈良●パイプのコレクションに凝るゼーンは、奈良で“きせる”を買う

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下関で“郷に入れば郷に従え”と勇敢に箸をつかうゼーン

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奈良法隆寺で永い間の日本の仏教への憧れをみたすべく訪れた数々の仏閣の中の法隆寺でのゼーン

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 この年7月、東京国際空港でフランクを迎えた私たちは、最初の二言三言の話で、彼フランクが、さきの3人のチャンピオンたちの陽気さとは対象的に、静穏な人であることがわかった。

 コンテストでのゲスト・ポーザーとしてのフランクは実にすばらしいの一語であった。彼のポージングは、想像を絶する静かな典雅さ、美しさで、見る人の心を瞑想的な美の世界へさそいいれた。こんなに深い精神的感銘を与えるポージングに私たち日本人ははじめて出あったのであった。

 コンテストが終るまでは緊張していたフランクも、コンテストで成功をおさめ、来日の責任を果たしたあとは、くつろいで、日本を楽しもうという心になっていた。

 日本へ出発する前に、すでに彼は日本に関することを研究して、かなりの予備知識をもっていた。銀座のデパートで携帯用の囲碁セットを買って、ホテルの自分の部屋でひとりで研究したり、いろいろ彼なりに日本で果たしたい希望を持っていた。奈良や京都の神社や仏閣を見ること、坐禅をすること、富士山を見ることなど。

 名古屋へ車で向う途中、富士山を見るべく乙女峠のドライブ・インへ寄った。しかしその日は雲が多く、2時間以上もそこで待っていたが、遂にあきらめて出発せねばならなかった。

 名古屋でのビルダーたちとの交歓を終え、下関へ飛び、そこでも同じつとめを果たし、京都へ。京都でもビルダーたちとの交歓をし、彼の希望にそって、京都の妙心寺に一泊して坐禅を体験した。フランクと、小野藤二氏と令息と私の4人で坐禅をした。

 フランクは、多くの日本人たちに交って、キチンと坐禅を組み、長時間にわたっても姿勢を崩さなかった。はだしになって庭の掃除もした。最も私が驚いたことは、彼が坐禅の翌朝の食事――丼に山盛りのごはんと2~3切れのたくあんと味噌汁という内容のものを、一粒のごはんも残さずに食べたことである。私が前もって食事を残すことはゆるされないと話しておいたのに従ったのであった。

 京都、奈良の神社仏閣を見てフランクは心からよろこんだ。仏前ではつつましやかに合掌して祈った。おみくじは私がほん訳して聞かせると、大切に財布にしまった。

 日本滞在の約10日間、いつの場合も彼は不平ひとつこぼさなかったし、自分は世界のトップ・スターだというごうまんさなど少しもなかった。彼は清水寺へ行ったとき立寄ったレストランの階下がボーリング場になっているのを見たとき、ふと思い出したように、自分はハイスクール時代にボーリング場のピンボーイのアルバイトをしたことがあると語った。

 このように彼は、いたるところで明るく素直に人に接し、彼自身も日本人の良さを現解して、みち足りた心で日本を去った。9月でのマレーシアでのアジア・コンテストにゲスト・ポーザーとして招かれていた彼は、9月の私たちとの再開を約して。
 東京の街角で、彼には珍らしい靴みがきを試してみようとするゼーン

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月刊ボディビルディング1977年4月号

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