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★ビルダー・ドキュメント・シリーズ★
“根性と信念とバイタリティーのかたまり”
佐々木 隆という男

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月刊ボディビルディング1977年5月号
掲載日:2018.03.27
川股 宏
佐々木 隆 昭和9年4月22日生、妻まちこさんとは人もうらやむ“おしどり夫婦”

 株式会社ジャスビ(法律事務相談業務代行)、株式会社東京昌美(理容美容委託経営)、株式会社湘南設備(給排水設備施行)、株式会社USP(美術印刷)、大森ボディビル・センター、ハワイ利用学院、以上6社を経営。

 昭和28年、33年度理容コンテスト優勝、昭和36年度司法試験合格。

 ◇プロローグ◇

 私が大森ボディビル・センターの佐々木会長と面識をもったのは、一緒に仕事をやっている野沢秀雄氏の紹介によるものだった。会った瞬間「これは変った人物だ。俺も変っているが、俺以上!俺もお前も大物だ!」と心の中でおかしくなったものだ。

 「ヤヤ ドウモ ドウモ」で始まる話しぶりは、腹の底からの明朗さと、反面、東北人特有のバイタリティが感じ取れるのだ。差し出された名刺に印刷された、前記のような数々の肩書からもそれがうかがわれる。

 「こんなすばらしいビルダー野郎がどんどん増えてきたら、ボディビル界の見通しは明るい」と、佐々木氏に今日までの歩みを聞いてみた。もちろん短い時間、少ない誌面、そしてつたない私の文章からは、ほんの一部分しか探り出せないことを承知の上で。

 ◇ビルダーよ自信を持て◇

 「ボディビルでいくら体がよくなったって、チャンピオンになったって、めしを食べることなんぞできっこないし、実際、バカらしいくらいだ。他のスポーツでチャンピオンになったら、それこそ家を建てるくらいわけないのになあ」こんな会話を何度も聞いたことがある。努力の割に恵まれないことをいいたいのだろう。

 だがはたしてそうだろうか?ボディビルの魅力にひかれ、長くこれを実践し、いまではジムのオーナーとして立派にやっている人も沢山いる。また、直接ボディビルにたずさわっていなくても、トレーニングで鍛えた体力や精神力を生かして成功している人はいくらでもいる。

 ここに紹介する佐々木隆もその1人である。

 「ボディビルの効用」には、トレーニングや食事で、逆三角形の見事な肉体と強い筋力をつけることがまず頭に浮かぶが、忘れてはならないのは、その過程で養われる強い精神力である。

 黙々とボディビルにとり組んだ情熱が、人生に応用されたとき、それこそ「チャンピオンになっても、なんの利益もない」どころか、はかりしれない大きな財産となるのである。ここに登場する佐々木隆こそ、まさに健康と体力と、精神力を同時に獲得し、これを有効に生かして社会的にも成功した人といっていい。

 ◇理容技術コンテスト優勝◇

 13才のときに父親を失った佐々木は、何か技術を身につけ、1日も早く独立できる職業はないかと子供心にもいろいろ悩んだ。そして選んだのが理容士である。

 こうして佐々木は故郷、青森から北海道に渡った。生まれつき器用で頭の回転が良かった彼の腕はメキメキ上達していった。そして19才のときには、前北海道理容士コンテストで優勝したのである。しかし、これくらいで満足している佐々木ではない。さらに腕を磨くと共に早く店が持ちたかった。そして20才のとき上京し、1年間みっちり勉強して、翌年には故郷、青森に帰って念願の第1号店を開店する。

 それから1年、店も順調にいっていたが、もっと大規模な理容チェーンを頭にえがいていた佐々木は、21才のとき再び店をたたんで上京した。

 この上京にはもう1つの理由もあったのである。前述のように、19才のとき全北海道理容士コンテストでは優勝しているが、どうしても理容士日本一になりたかったのである。そして就職したのが港区新橋の大阪ホテルの理容室である。ここは外人客も多く、マナーと技術が非常にうるさい店だった。

 上京してしばらくしたころ、佐々木はどういう風の吹きまわしか、理容士とは全く関係のない司法試験に挑戦してやろうと考えた。もちろん理容士がいやになったのではない。独学で最難関といわれる司法試験にどこまで挑戦できるか試してみたかったのである。

 司法試験を目指したもう1つの理由は、佐々木の生家が、いつもゴタゴタが絶えず、父や母がその度に頭を悩ましていたのを佐々木は小さいときから見ていた。こんなとき法律的な知識があれば、なんとかうまい解決法があるのではないかと、潜在的にそのころから頭の中にあったという。

 こうして、9時に店が終ると、食事もそこそこに司法試験の勉強にとりくんだ。連日、明け方の2時、3時までやったという。そして6時には店に出なければならない。睡眠時間はせいぜい3時間しかない。
〔大森ボディビル・センターの内部とリラックス・ルーム〕

〔大森ボディビル・センターの内部とリラックス・ルーム〕

〔佐々木さん(右)にインタビューする筆者〕

〔佐々木さん(右)にインタビューする筆者〕

 ◇ボディビルとの出合い◇

 こんな無理が長く続くわけがない。1年もするとめっきり体重が落ち、1日中だるさがつきまとった。

 「佐々木さん、そんな無理をしたらダメじゃないか。なんか、ボディビルという運動がとても体によいと聞いたが、どうかね、ひとつやってみたら」と、当時かかりつけの医者が勧めてくれた。

 「ようし、やってみよう。やってやれないことはない。大切なのは集中力だ。トレーニングも勉強も全神経を集中してやれば、短い時間でも効果があがるはずだ。ナポレオンも云っていたじゃないか。頭の中を“引き出し”にせよって。1つのことに集中し、それが終ったらまた次のことに集中する。その度ごとに前の“引き出し”を閉めて忘れ、今やっていることに全力を尽せって」

 こうして彼がボディビルを始めたのが昭和32年、22才のときである。とりあえずコンクリート・バーベルを購入して見よう見まねで練習を開始した。「自己流のトレーニングでしたが、グングン効果があらわれました。それでももの足りず、サンケイ・ボディビルセンターに通いはじめたんです。当時、ここには三島由紀夫さんも来ていて一生懸命に練習していましたよ」と20年前をなつかしむ。

 体も丈夫になり、佐々木の持前のファイトと集中力はさらに倍加された。昭和33年には全日本理容士コンクールで優勝。そして昭和36年には司法試験に合格したのだ。彼が27才のときである。しかし佐々木は司法研修所には入らず、理容をはじめとする事業家としての道を歩むことにする。

 「私がバーベルとのつき合いから得たもの、それはなにか仏教の禅に通じるようなものを感じましたね。それに毎日の孤独なトレーニングからは、精神的に動じない何かを勝ちとったような気がします」と、彼自身がかたっているように、精神的にも肉体的にもボディビルによって佐々木は2廻りも3廻りも大きくなってきた。
〔佐々木さんが経営する理容店の1つ〕

〔佐々木さんが経営する理容店の1つ〕

 ◇人に分ける◇

 一度自信を得た人は、人生が大きく回転してくるものだ。佐々木の事業も同時に順調に発展してきた。国鉄関係に食い込んだ佐々木は、新橋の客車区や機関区、新幹線関係などに次々と理容所を開設。さらには、日本パルプとか千代田生命ビルなどにも手を拡げていった。

 「あのころの私は完全にリズムに乗っていました。このかげには、ボディビルで鍛えた肉体と精神力が大きくあずかっていたと思います。たとえば何か事業をやりたい、だが金はない。そんなとき銀行に融資を申込む。まず一度や二度は必ず断られます。ところがドッコイそんなことでは絶対あきらめません。1日でも2日でもねばる。係長でダメなら課長、課長でダメなら支店長という具合に熱意をもってアタックします。1つの銀行がダメならまた別の銀行に行くんです。もうダメかと思っても必ず熱意は通じるものですよ。ワッハッハ……。事業を興したり拡げたりすることに比べれば司法試験の勉強なんて軽い軽い」なんともはや私は完全に煙に巻かれてしまった。

 「その後、サンケイ・ボディビルセンターは閉鎖され、再び私はホーム・ジムでコツコツ練習していたんですが、私がボディビルで得た喜びを、みんなにも分けてやりたいと考えましてね、ジムを作る決心をしました。利益は無視などといえばカッコよすぎるが、まあそんな気持で作ったのが、この大森ボディビル・センターなんです」時に昭和49年。

 大森ボディビル・センターに入ってみると、まずその清潔さにびっくりする。会員が練習後にゆっくり話し合えるように応接セットがズラリと並び、よくこんなに思い切ってスペースをさいたと思うほどの部屋作りである。

 「これからのボディビル・ジムは発想を大きく変えなきゃダメですよ!川股さん。体を作るだけでなく、友人も作る、精神も作る、恋人も世話する、就職の相談にものる、いろんな悩みも聞いてやる、こういう雰囲気がなくてはダメですね……。法律相談から金の相談、なんでも気軽に相談にのってやるんです」と語るが、ウソではない。実によく会員のめんどうを見る。

 「私がこのジムにかけた資金と時間を他の事業に向けていたら、あと何十、事業ができたかなあ」と笑いながらも楽しそうである。

 楽しいのもそのはず。そばではいつもチャーミングな奥さんが、これまた佐々木に負けないくらい明るい態度でジムを走りまわっている。

 「おーい、まち子!お茶」といえばすぐに「はーい」と、まるで新婚ホヤホヤのような甘い返事が返ってくる。よくもまあ、いい年をして仲の良いことと、だんだん頭が変にんなってくる。

 そんなヤッカミもあって、奥さんとの出会いは聞きそびれてしまったが、きっとボディビルで鍛えた根性でしつこく追っかけたにちがいない。

 ◇強い個性と集中力◇

 佐々木を一言で言い表すのはむずかしいが、強いて言えば強い個性と集中力の持主といえよう。さらに豊かな創造性と人並外れた強い探求心、旺盛な行動力、それでいてやさしい人間味あふれる心の持主という、ちょっと一般の人とは違っている。

 彼はいつも、体の内部からの衝動的な力によって行動している。そしてそれに全力を集中する。だから、その結果は決してなおざりではない。1つ1つ目的を達成していく。その裏には、心の中に、いつもやむにやまれぬ衝動性があるようだ。だから彼の足跡は、いくたの試行的行動にみちている。理容、法律、印刷、スポーツというように全く関係のない事業を次々と成功させていく。

 そして、どれもこれもいいかげんにすることなく、すべてにベストを尽すのだ。どんなことでも徹底的に考え、自分の計画に向って勇気と信念をもって突き進んでいく。

 だが、彼の性格は一見、二重人格的ですらある。それは、ある時は豪放でものすごく冒険心に富んだ態度に見えるが、その反面、芸術家のような繊細な神経が随所に顔を見せる。この相反する性格は、実は二重人格ではなく、成功のためになくてはならない性格的要素なのである。

 佐々木の当面の目標は、東京23区内に理容チェーンをはりめぐらすことである。おそらく彼なら、ごく近い将来必ずこれをやり遂げるに違いない。

 ◇エピローグ◇

 私はある人から佐々木の話をきき、この人こそビルダー・ドキュメント・シリーズにぴったりの人だと思った。彼からそのとき「売名的なものでなければ……」ということでOKしてもらった。

 私はこのシリーズで、読者の皆さんから「ワァすごい」とか「偉い人だなあ」といった見方より、ボディビルとの出合いが、1人の人間をどう変えていったかを読みとってほしいのだ。

 佐々木は最後に、読者の皆さんに対して「同じボディビルを志ざし、愛する仲間として、何か困ったことや、相談したいことがあったら、いつでも相談にのりますよ。気軽にきてくれるように伝えてください」と語っていたことをお伝えしておく。

 体を鍛え、精神を鍛え、目標に向って前向きに進もう!
〔佐々木 隆さん〕

〔佐々木 隆さん〕

月刊ボディビルディング1977年5月号

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