ばんざい!!フランコ・コロンブ
3回目の来日
月刊ボディビルディング1977年8月号
掲載日:2018.07.27
今年8月28日、下関での1977年IFBBオールジャパン・チャンピオンシップスのゲスト・ポーザーとして、アーノルド・シュワルツネガーとならんで世界最高峰のチャンピオン、フランコ・コロンブを迎えることができるのは
望外のよろこびである。IFBB JAPANは、彼をシュワルツネガ一とともに1972年に招いた。そして1974年にも招いた。そして今年は3回目の来日である。
今年のオールジャパン・コンテストの実行にあたった雨森徹次IFBB西日本代表は、今年も彼を招きたいと主張した。1972年の来日の際、下関を訪れたときのフランコの人なつこい愛らしい人柄が忘れられないのである。
雨森さんの要請を受けてフランコとの折衝にあたった私は不安だった。果してフランコが3回も同じ日本へくることを承知するだろうか。日本は彼にとって3回もくるだけの魅力ある国なのだろうか。
しかし、彼はこころよく来日を決意してくれた。何というよろこび。
私たちIFBB JAPANが年々多大の骨折りに堪えながら、海外から世界チャンピオンを招くのは、日本のボディビルダー達に真のボディビルダーの何たるかを見せて、彼らの眼識を高めるためである。
それが私たちが日本のボディビル界へ贈る大きな貢献なのである。
コ口ンブの素晴らしさは言葉でいうより眼で見る方が文句なくよくわかる。1976ミスター・オリンピアのタイトルを得た彼は充実しきっていて、彼の長いボディビル生活の中で今年は最高である。
誠実で正直で素直な心の彼にしてつくり得た美事な体である。私はどこから見ても、彼の体の欠点を見つけることはできない。今年をおいて、日本で彼を見るチャンスはもうないと思う。
下関は遠いかも知れない。しかし、アメリカはもっと遠い。ぜひ彼の体の立派さ、彼の人柄の愛らしさにふれて、ボディビルディングのエッセンスを満喫していただきたい。
ここに、1972年の下関での楽しいだんらんのひとときの、門外不出の珍らしい写真をお目にかけることとする。 ――1977.6.25 松山合子――
望外のよろこびである。IFBB JAPANは、彼をシュワルツネガ一とともに1972年に招いた。そして1974年にも招いた。そして今年は3回目の来日である。
今年のオールジャパン・コンテストの実行にあたった雨森徹次IFBB西日本代表は、今年も彼を招きたいと主張した。1972年の来日の際、下関を訪れたときのフランコの人なつこい愛らしい人柄が忘れられないのである。
雨森さんの要請を受けてフランコとの折衝にあたった私は不安だった。果してフランコが3回も同じ日本へくることを承知するだろうか。日本は彼にとって3回もくるだけの魅力ある国なのだろうか。
しかし、彼はこころよく来日を決意してくれた。何というよろこび。
私たちIFBB JAPANが年々多大の骨折りに堪えながら、海外から世界チャンピオンを招くのは、日本のボディビルダー達に真のボディビルダーの何たるかを見せて、彼らの眼識を高めるためである。
それが私たちが日本のボディビル界へ贈る大きな貢献なのである。
コ口ンブの素晴らしさは言葉でいうより眼で見る方が文句なくよくわかる。1976ミスター・オリンピアのタイトルを得た彼は充実しきっていて、彼の長いボディビル生活の中で今年は最高である。
誠実で正直で素直な心の彼にしてつくり得た美事な体である。私はどこから見ても、彼の体の欠点を見つけることはできない。今年をおいて、日本で彼を見るチャンスはもうないと思う。
下関は遠いかも知れない。しかし、アメリカはもっと遠い。ぜひ彼の体の立派さ、彼の人柄の愛らしさにふれて、ボディビルディングのエッセンスを満喫していただきたい。
ここに、1972年の下関での楽しいだんらんのひとときの、門外不出の珍らしい写真をお目にかけることとする。 ――1977.6.25 松山合子――
日本の情緒を楽しむフランコ・コロンブ(右)とアーノルド・シュワルツネガー (1972年4月 於下関)
最近のフランコ・コロンブ。どうして彼が1976ミスター・オリンピアで優勝したか、その質問にこの写真は完全に答えている。
月刊ボディビルディング1977年8月号
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