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★ビルダー・ドキュメントシリーズ★
“プロビルダーのパイオニア” 大久保智司

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月刊ボディビルディング1977年8月号
掲載日:2018.06.27
一川股宏一

◇結果は二の次◇

大久保は自分の歩んできた人生街道について語ってくれたあと、さらに言葉をつづけて、「ボディビルを始めて20年、どんなに頑張っても思いどおりに筋肉がつかなかったり、
デフィニションがつかなかったり、楽しい思い出、苦しい思い出、いろいろありました。とくに一番こたえたのは、前にも話しましたが、ミスター全日本で優勝したあと、
JBBAのミスター日本で4位になったときです。くやしくてボディビルなんかもうよしちゃおうかと真剣に考えちゃったんですね。」
 しかし、いまになって考えてみるとあのとき止めなくてよかったとつくづく思いますね。こうなったら、私の人生にとってボディビルはきりはなせないものになってしまったんです。
もちろん一生やりとおすつもりです。何歳までバーベルが持てるか挑戦して、皆さんに1つ実例を示してみます。チャールズ・ブロンソンなんか問題じゃあありません。
まだまだ私は肉体スターとして映画に出たいという夢を持っているんですよ……」
 といきいき語る大久保も、体こそ20代と誇示しても、粋なパーマのヘヤースタイルには、よく見ると相当白いものが目立つ。心なしかそれも少し薄いような気もする。
これもプロとして当然なのだろうが、それにしてもこれだけ肉体を維持しつづけるためには、きびしい節制とトレーニングがあったことがわかる。
 どんなに努力しても、結果がどうも思うようにいかないことがある。だが、大久保をみて思うのだが、結果はともかく“努力の過程で、大きく報じられていられているなにかがある”
と感じられるのである。
地位、名誉、財産といった結果を世間の人は評価しがちである。しかし、それはあくまでも表面的なもので、本人のほんとうの価値は、それまでの過程、すなわち“努力”ではないだろうか。
結果についていろいろ問題にするより、そこに至るまでに、果たして最高の努力をしたかどうかを自分自身に問うべきなのです。
「若い頃、私はコンテストに負けたとき、“どこに目をつけているんだ!”と審査員のせいにしたもんです。しかし、そんな自分勝手な不満からは、やり抜いた満足感も、
スポーツ特有の爽快感もないんです。しばらくして冷静になってからよくわかるんです。ようし、これからは二度と他人のせいにするのはよそう、と心きめたんです。
私はほんとうにいい経験をしたと思っています。」
 この気持ちが、のちにプロビルダーのパイオニアとして、長い間、芸能界で生き抜くことにつながるのである。
「私はコンテストに出場する人たちにいいたいことがあるんです。それは結果について一喜一憂するより、なぜもっと一瞬一瞬にベストをつくさないんだ、と。
中には、より簡単に筋肉をつくるために薬品を用いたりする人があると聞きますが、そんなことをしていると、努力から得る自分だけにしかわからない大切な教訓を失ってしまうと思うんです」
第1回ミスター全日本コンテスト表彰式。中央が優勝した大久保

第1回ミスター全日本コンテスト表彰式。中央が優勝した大久保

◇高のぞみするな◇

「川股さん、ずいぶん偉そうにカッコつけちゃいましたが、実をいうと、今までの自分はそんな説教めいたことをいえるガラじゃないんです。そりゃ酒もタバコも女遊びもしませんが、
バクチやかけごとが好きで、ずいぶん女房を泣かせたもんです。バクチに負けたときなど生活は荒れるし、仕事も手につかないんです。それでも、がまん強くじっと耐えているんですよ女房は。
コツコツ貯めたお金が一瞬でパーですからバクチはこわいですね。
 酒もタバコもやらんといっても、こりゃ一番ヤクザなことが好きだったんです。でも今はキッパリやめました。トレーニングがバクチをやめるための避難場所だったんです。
いまは、してボディビルで体を鍛え、心は宗教できたえているんです」
 大久保にとって、ボディビルのトレーニングに打ち込むことによって、バクチから足を洗ったばかりでなく、それはプロビルダーとしての成功、家庭の幸福にもつながるのである。
 幸福とか不幸とかは、主観的なものだと思う。「幸福な人」「不幸な人」がいるのではなく、「自分は幸福だ」「自分は不幸だ」と自分で決めてしまっているに過ぎないのだ。
 同じ境遇の貧しい家庭に育っても、1人は楽しく前向きに生活し、もう1人は不運をなげき、暗い人生を送る。現実は現実として認め、将来に大きな夢をえがいて努力することが大切なのである。
その努力なくして、ただ人をうらんだりしてはならない。
 大久保も貧乏を経験し、ライバルと戦い、バクチで負け、女房子供を泣かしたことはあるが、将来の夢は失なわなかった。「もっと努力せよ、もっと学べ。そうすれば自分は鍛えられる。
かえって苦難は天命だ」と自分にいいきかせてきた。そして、体がよくなるのと平行して精神的にも強くなった。
 要するに「ものは心の持ち方一つ」と悟ったのだ。いろいろな職業を渡り歩き、いろいろな人とつき合ってきたからこそ得られた教訓であろう。
現実は現実としてとらえ、決して高望みはしない。堅実に一歩一歩前進することが大切なのである。
「私は、体だってないものねだりはしませんよ。自分の持味、欠点をどううまく調和させるか研究します。そして、じっくり欠点は直していきます。努力すれば必ず直るものです。
でも身長を高くしたり、マスクをうんとハンサムにしようとしてもそれはできませんなあ…。つまり、まったく可能性のない夢を追ってはいけないということです……」
昭和36年当初の大久保

昭和36年当初の大久保

◇逃げるな◇

“1つのことをやり続ける”この続けることが何ごとにおいても大きな成果を得る条件なのである。どんなに苦しいときでも、決して逃げずに勇敢に立ち向かう。
また、どんな歓美な誘惑にも負けずに努力をし続けること、これは並の気持では出来ないことです。
 成功者達の伝記や身の上話をきいても、ほとんどの人が、成功した理由は努力しつづけたことだと言っている。松下電器の松下幸之助会長も、裏長屋でソケットを改良していたとき、
何回も失敗を重ねたが、これが自分の天職だと心得て、決して逃げることは考えなかったという。もし、松下会長が大学を出ていたら、今日の世界のナショナルは生まれていなかっただろう。
 その他にも、経済界、政界で学歴も財産もなく、腕一本で努力に努力を重ねて成功した人がたくさんいる。学歴がないから他に生きる道がない。その道から逃れられないから、
血のにじむような努力をする。そしてそれが成果となって実るのである。
 話が少し飛躍してしまったが、大久保もこれと同じような心境だったのではないだろうか。「プロビルダーとして志したからには、決してへこたれないぞ。今にみろ!」と自分に言い聞かせ、
歯をくいしばって頑張ったからこそ、20年という年輪ができたのではないだろうか。“この道より我を生かす道なし、我この道を行く”つまりこの心境だったと思う。
「私はヘラクレスという人を、映画をみて想像することがあるんですよ。それもスティーブマックイン主演の、“パピオン”とだぶらせながらなんです。
 ヘラクレスの肉体や行動が後世にまで残っているのは、私は、ヘラクレスがドレイ船に乗せられ、くさりにしばられて逃げることができず、くる日もくる日も船をこぎつづけたからだと
想像してみるんですよ。その運動量は何セットなんていうもんじゃない、毎日、毎日、もしかすると一生かもしれないんです。でも、パピオンのようにいつかは解放される。
いや、チャンスがきたら自分が他のドレイをも一緒に解放してやろう、という夢をすてないんですよね。
 ヘラクレスは夢をもって、苦しさに耐え、船をこぎ続ける。おそらく食べ物も満足にないから、船底に住むネズミなどを食べる。トレーニング、プラス、タンパク質、
結果は理論的にいってもグーですよね。ハハハ……
 どんな境遇にいても、パピオンのように夢をすてずに、その夢のためにはどんな危険にも挑戦する生きざま、いいですね」と面白く語る大久保。
逃げないで苦難に挑戦する人生からは、マイナスをプラスに、不幸を幸福に変えてしまう何かが秘められているのだ。
最近の大久保、昭和52年5月写す

最近の大久保、昭和52年5月写す

◇うぬぼれるな◇

一流のビルダーになりたかったら、酒とタバコはやめた方がいい、といえば、キッパリ禁酒、禁煙できる相当意志の強い人でも、うぬぼれには弱い。
筋肉が発達してくると、鼻の方もだんだん高くなってくるものである。ビルダーに限らず、うぬぼれに弱いのが人間の特徴らしい。
 ゼべットじいさんの言うことをぜんぜん聞かなくなったピノキオが、だんだん鼻が高くなり、かわいらしさもなくなって、友だちからも嫌われる。
人の言うことを素直に聞かなくなって高慢になり友人も離れていく。いましめのためにこんなピノキオを女神がっくったのだという。まったくピノキオ選手は世の中に多いものだ。
「私はプロビルダーとしてお金を稼がなければなりませんから、体をくずすことは出来ません。欠点も克服しなければなりません。さもなければお客さんは逃げますからね。
うぬぼれているひまはありません。
 若い人にいいたいのは、人の忠告を素直に聞くこと。“なんだ俺より悪い体のくせに”と思うようになったら、もうその人はいくら練習してもそれがピーク、あとは下降あるのみです。
人の意見をよく聞き、悪いものはすて、自分の長所をどんどん伸ばすことが飛躍につながるんです。酒やタバコより悪いのはうぬぼれです」
 人の意見に耳をかさず、何んでも自分の考えが正しいときめつける自分本位、相手の気持がどうあろうとおかまいなしの“うぬぼれ屋さん”を大久保は体験的にいましめているのだ。
きっと大久保も何回かピノキオさんになりかかった経験があるのだろう。

◇エピローグ◇

 プロビルダーのパイオニア、大久保智司を2ヵ月にわたって紹介した。その間、何回か大久保に会ったが、地方巡業に出ていることが多くて、なかなかつかまえるのが大変だった。
 忙しい地方巡業の合間をぬって、さらに美しく逞しい体を求めてトレーニングをつづける。もちろん、パートナーの奥さんも同じである。
体調がよくなければコンテストの出場をやめることもできるアマチュア・ビルダーとは違うのだ。つねにベスト・コンディションでなければならない。プロのきびしさをつくづく知らされた。
「川股さんが雑誌にプロビルダーのパイオニアとして紹介するという話を聞いたときは緊張しましたよ。私のやってきたことはそれほど大したことではありませんが、
多くの読者の目にとまりますからね。ですから、大阪に行っている時も、南海ジムで毎日根をつめてトレーニングしました。何年ぶりかで充実しました。
これを機会に、またコンテストに出て若い人にどんどん挑戦したいと思っています。須藤選手や小先選手のバルクやデフィニションにどう対決しようかと策を練っているところです」
 たしかにいまの日本のトップ・ビルダーと比べるとバルクでは見劣りするが、プロポーションのよさ、それからとくに腹筋のキレ、きれいに焼いたハダなど、さすがプロといえる。
それに体ばかりでなく気持もまだ若い。
「私は今年はカーフを徹底的にやり込みます」という大久保の言葉には1つの工ピソードがある。
 この取材中に、たまたま私の練習友達の野原正勝さんという人を大久保に紹介した。野原さんはあまり器具を用いないトレーニング法なのだが、一流ビルダーでも及ばない脚をしている。
 この野原さんを見た大久保は、ウウッとうなり「ようし、私もやってみよう」と、その日の練習から早速、野原流の脚のトレーニングを始めた。前にも書いたが、
人の良いところはどんな人からも見ならうという大久保の姿勢は、ボディビルばかりでなく、今後の人生においても大いに期待がもてる。「将来の設計は着々築いています。
具体的な方法も考えました」という大久保は、いま、銀行屋さんとも相当仲良しとのことである。  (終)
【訂正】前号53ページの加藤さんについて「浅草でヘラクレスという店の経営者」と書きましたが、ヘラクレスというアクロバット・チームをもつ加藤さんの間違いです。
 また、52ページの日暮里の薄井さんは照井さんの間違いです。おわびして訂正します。
月刊ボディビルディング1977年8月号

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