フィジーク・オンライン
  • トップ
  • スペシャリスト
  • JBBAボディビル・テキスト47 指導者のためのからだづくりの科学 各論Ⅲ(生理学的事項)  3.筋

JBBAボディビル・テキスト47
指導者のためのからだづくりの科学
各論Ⅲ(生理学的事項)  3.筋

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1977年8月号
掲載日:2018.06.22
日本ボディビル協会指導員審査会委員長 佐野匡宣
 人体の運動において、その動力はすべて筋肉の収縮によってまかなわれており、いかなる身体運動も筋収縮なくしては起こり得ない。
 人体の筋肉は、重さにして体重の約50%、その数も300種類、650個に及び、他のいかなる組織よりも大きな部分を占めている。そして、表情筋や括約筋等の特殊なものは別として、
その大部分は関節運動に関与している。ただ、附着部や、その様式によって若干違った役割を果しているものもある。
 筋自身は、筋線維の走行に沿った直線的な収縮をするが、それが関節を軸とした骨格の回転運動となり、その複合によって、いろいろな身体運動がひきおこされる。
 すなわち、関節によって連結された2個の骨にまたがって、1つの筋肉が附着し、この筋の収縮力によって骨が相互に引きよせられ、関節を軸として起こる回転運動が最も簡単な場合である。
複雑な身体運動も、すべて多くの関節におけるこのような回転運動の合成と考えてよい。
 しかし、600以上もある人体の筋肉エンジンは、自動車や船や飛行機などのエンジンのように、他の部分から完全に独立したものではなく、また、容易に取りはずしができるというものでもない。
筋肉エンジンは、血管や神経や他の組織によって、その周囲と結びついている。そして、それぞれ固有の目的をもって働いている。小さな筋肉が目の水晶体の焦点を合わせたり、
大きな騒音を防ぐために耳の感度を調節したり、あるいは飲食、消化、呼吸等に関係するものもある。心臓も高度に特殊化した筋肉である。
 筋肉のもう一つの特徴は、筋肉と骨との関係である。くらげが立つことができないように、筋肉だけでいろいろな身体運動をすることはできない。
 人体は沢山の硬い棒、すなわち骨がゆるく結合した構造をもっている。この連結部のナットやボルトが堅すぎると動きにくいし、反対にゆるすぎると崩れてしまう。
筋肉はこのような連結部(関節)を引張ったり、ゆるめたりして、それぞれの仕事の目的に合った姿勢や動きをすることができる。
 骨格筋としての典型的な筋肉は、無数の細かい線維でできた膠質のロープと考えられる。その仕事は筋線維の収縮だけという、単純な機械的な運動である。すなわち、筋肉は引っ張ることはできるが、
押すことはできない。しかし、実際には、筋肉と骨との組合せによって、いろいろな種類の運動や力を発揮している。そして、これらの筋肉はいつも自動調節されている。
 骨格には自から動く力はない。要するに、身体運動の原動力は1本の筋線維の収縮に発しており、筋収縮なくしては身体運動はあり得ない。そして、この筋収縮は筋細胞の構造と密接に関連している。
 筋肉の動きを再検討する場合、化学的な面と機械的な面を考えなければならない。筋肉は体内でつくられた特別な燃料を使った酸化という複雑な過程で運動し、その過程で発生する化学エネルギーは、
一部は仕事に、一部は熱へ転換する。すなわち、筋細胞という化学工場は、化学的エネルギーを機械的エネルギーに変換し、外界に対して力を与えたり、運動を起したりすることによってその役割を果している。
 本項ではこのような運動を発現させる機能としての筋について考えてみたい。個々の骨格筋についての名称、構造、起始・附着やその作用等については、すでにこのJBBAテキスト10~17(本誌1977年5月~12月)に
記したのでそれを参照されたい。

3ー1筋力と筋パワー

 筋肉エンジンが他のエンジンと比べて優れている点は、他の内燃機関のごとく高い熱を出さないで仕事をすることができることである。いかに優れた設計のエンジンであっても、
最低100度の温度で働かなければ効率の良い力は出ない。
 また、エンジン性能の重要な規準は馬力である。重量挙げにおいては1~2秒間に6~7馬力程度の割合で仕事をし、100m競走では約2馬力を維持し、1時間以上の長時間にわたる運動では、
その馬力維持の限界は約0.5馬力であるといわれている。
 筋肉エンジンは、トレーニングされた競技選手では0.4~0.5馬力の安定したエネルギーを長時間出しつづけることができ、短時間に貯臓エネルギーを利用する短距離ランナーでは時速約37kgで走ることが出来るし、
10マイル(16km)競争の記録では時速約20kmのスピードである。
 このような筋肉エンジンの出力はどこからくるものであろうか。また、この出力の原因はなんなのか。では次にこの筋肉エンジンの出力、つまり筋力とか筋パワーというものについてふれてみたい。
 筋、ことに骨格筋の作用がなければ人間の活動は考えられないが、随意運動として行われる筋運動は、いずれも筋の収縮によって行われ、その発揮される力を筋力といっており、
また、一定の筋力をいかに長く維持できるかということを筋持久力といっている。
 しかし、筋力という用語は、一般の生理学では使用されない。一般の人体生理学では、筋の発生する力は、あくまで物理学上の力であって、人間の筋であろうと、動物の筋であろうと、また機械であろうと、
その出す力はあくもで力学上の力として見ている。
 これは、中枢神経とはなんの関係もなく、筋線維が電気的に興奮させられて収縮するときのものであって、筋線維だけを独立させてみているものである。つまり、人体生理学においては、
生体の現象を現在の物理学と化学との立場から、できるだけ条件を単純化して、その原因と結果を明確に探究しようとの研究方法を選んでいるからである。もし、いろいろの複雑な条件のもとに探究すれば、
甲論乙駁していつになっても仲々事柄が判然としにくいためである。したがって、筋の収縮にしても、これを複雑な神経支配のもとにみない方がよいということになろう。
 このようにして見た筋の力は、筋線維の断面積の大きさに比例するため。全体の筋束の出す力も筋の断面積に比例することになる。
 ところが、生きた人間、生きた動物が出す力は、実際には、中枢神経系からその興奮が運動神経に到達して筋を興奮させるものである。このような筋の収縮により起こる力が筋力である。
故に、筋力というときには、生体が自然の状態で、大脳の神経支配のもとに力を出したときのことをいう。
 生理学者たちは、基礎問題の追求研究に多忙のため、実際面に関連した研究は犠牲にしてきたようである。
 しかし、運動生理学においては、絶えず健康な人体が、人間として活動するときのものとして追求研究されており、その現象を、生きた人間の成果としてみている。
このような立場に立ってみると、人間の身体運動について、人間の意志というものを除いて考えることは出来ない。すなわち、身体運動における神経支配や、精神面等の心理的要因が重要な位置を占めていることが理解できる。
 筋力はスピードを得てパワー(仕事率)になっていくと猪飼博士はいっているが、パワーという言葉は比較的耳なれた言葉で、体育やスポーツの分野だけでなく、日常生活においてもしばしば使われる。
たとえば「あの人のパンチにはパワーがある」とか「いま少しパワーがあれば」「なんとなくパワー不足である」等と使われるが、これらはいずれも力学的な意味の背景があると考えてよい。
 筋パワーという言葉については、金子公宥博士(大阪体育大教授)は、その著「人体筋のダイナミクス」の中で次のように述べている。
 ――「筋パワー」という言葉は、musculer powerに対する邦語として筆者たちが使いはじめたものであって、まだ専門語として熟しているわけではない。それは文字どおり「筋活動のパワー」であり、
「パワー」は理工学用語としての工率または仕事率で、「単位時間当りの仕事」ないし「力×速度」と定義されるものである。
 筋パワーを身体的能力としてとらえる場合には「パワーを発揮する能力」という意味をもつことになる。それはちようど「筋力」が筋活動による「力」であると同時に、
敏捷性、持久性などと共に列挙されるような体力的要素としてとらえられる場合があるのと同じ理である。
 さらに註訳を加えるならば、筋パワーの対象となる筋活動は「最大努力のもとで爆発的に機械的パワーを発生する筋活動」であって、低水準のパワーを持続的に発生するような筋活動や、
機械的仕事のなされない等尺性収縮は一応除くのが普通である。
 そこでこのような意味を含めて「筋パワー」を次のように限定して定義したい。「筋パワーとは最大努力のもとで(筋活動により)爆発的に発揮される機械的パワーないし、
短時間内に多くの機械的エネルギーを発揮する能力である」
 今日、体育・スポーツの分野では、「瞬発力」という言葉が広く用いられているが……(略)……それらは筆者等の「筋パワー」と定義するものと矛盾するものではない。
……(略)……しかし「パワー(仕事率)」を評価の指標とする場合は、身体の形態的差異などの原因を消去し、より一層、筋自体の質的ないし、機能的特性に注目することになる。
 筆者らが「瞬発力」でなく、あえて「筋パワー」という語を使用した所以がここにあるのであり、あくまでも物理的なパワーをもとに筋機能を評価したかったからに他ならない――。
 以上のように「筋パワー」について金子博士は述べている。すなわち、筋収縮のパワーという意味で、瞬発力に相当する内容を、力学的な定義にしたがって、パワーでとらえようとするものである。
 先にも述べたように、われわれもよく「アイツは馬力がある」とか「アイツはパワー不足だ」等と使用しているが、パワーとは元来物理的用語で、工率とか仕事率と呼ばれ、
実用単位としてKW/時とか馬力とかがよく使われる。
「馬力」とはイギリス流のパワーの単位で、1馬力とは毎秒75kg・mの仕事をするものをいい、また、毎秒当り0.178カロリーのエネルギー発揮に相当する。
 たとえば、50kgの石を10m動かすのに甲は10秒かかり、乙は20秒かかったとすると、2人のした仕事は各々500kg・mで、仕事の量は同じである。しかし、単位時間当りについてみると、
甲は1秒間に50kg・mの仕事をし、乙は25kg・mの仕事しかしていない。すなわち仕事の早さでは甲の方が乙よりもすぐれている。このようにきまった時間にどれだけの仕事をするかというように表わすと、
評価したり比較したりするのに非常に便利である。
 このようにパワーは、力学的には、パワー=仕事÷時間であり、仕事は力×距離であるからパワー=力×距離÷時間、あるいはパワー=力×速度の公式で表わされる。
 エンジンやモーターが、その馬力の大きさで性能を評価されるのと同様に身体運動においても運動を発現させる機構としての筋について、力強い馬力が必要であり、
その比較や評価にパワーを用いることは非常に便利であり当を得ているといえよう。
 実際の運動における筋収縮は、静的ではなく動的である。この場合、重力負荷のときは荷重を上回る力が発揮されなければ運動は起こらない。他方、慣性負荷のときには、
負荷が大きくて作用力が小さい場合でも、与えた力に比例した加速度が生じてくる。
 たとえば、垂直跳では身体が重力負荷となる。また疾走の場合は慣性負荷に相当するが、慣性負荷では始動時にいかに力が加えられるかがパワーに大きく影響する。
 いくら力が強くてもスピードがにぶい場合は、たとえその対象負荷が小さくとも力を充分に発揮できない。負荷が大きい場合には、スピードに加えて強い力が要求されるという力と速度の関係がある。
「あの人は筋力はあるがパワーがない」とか「筋力とスピードは別だ」とかの言葉をしばしば耳にするように、「筋力とパワー」「筋力とスピード」の関係はわれわれにとって大きな関心事であるが、
これに関しての詳細は別の項にゆずる。ただ、次のことは認識しておいてもらいたい。
 重い物を持ち上げようとすれば、大きい力が必要であるが、このとき、大きな力を出しても軽い物を持ち上げるときのような速いスピードを出すことはできない。
また、軽い物なら速いスピードで持ち上げることができるが、重い物のように強い力を出すことはできない。パワーは「力×速さ」とも表現されるように、両要素の関係によって必然的に変化するものである。
 負荷が一定の場合なら、力の強い者ほど速いスピードを出す有利な条件を具えていることになるが、この場合でも負荷がある程度の大きさにならないと「当然だ」とはいえない。
ごく軽い負荷、あるいはバットの素振りのような場合には力と速さは無関係となる。このことはパワーを考える場合には常に念頭におかなければならない事柄である。
 単に筋力という場合には、通常、最大筋力、ないしは等尺性筋力を指しているようで、「あの人は筋力が強い」とか「握力計で筋力をテストする」等はその例である。
しかし、等尺性筋力と同義の静的筋力に対して、動的筋力と称して何回かの反復可能な荷重や、鉄棒の懸垂屈腕回数等で評価することもある。
 また、通常の等尺性筋力(または静的筋力)に対抗して外部から強い力を与え、均り合いの状態が破れる直前の筋力を、breaking strengthと称して評価することもある。breaking strengthには統一された邦語はないが、
耐筋力とか抵抗筋力とでもいうべきものである。
 だが、ダイナミックな運動においては、筋のエネルギーを短い時間に多量に動員する必要がある。つまり、パワーが必要だということになる。これに対して、筋力(静的筋力)では、
エネルギー動員の速さがとくに問題になるのではなく、その「量」が決定的にその大きさを左右する。したがって、筋力は強いがパワーがないという場合には
「力はあるがスピードがない」という評価につながるものである。
 また、反復運動におけるパワー、すなわち筋運動の持続性に注目すると、その持続性如何は、そこに関与するエネルギーの供給過程によって違ってくる。
 筋肉中のリン酸化合物を専らエネルギー源とした非乳酸性の持続限界は大きくても約8秒程度であり、次いで解糖過程におけるグリコーゲン分解により乳酸を生成する過程による乳酸性の持続時間を加えても
約30~40程度が限界で、これが無気的パワーである。
 その後、さらに運動を持続させるためには、酸素の補給如何が重要なポイントとなる有酸素的パワーの問題となる。
 このように筋力と筋持久力とは相当に異なった要素を含んでいることを理解すべきである。要するに筋力とは時間と無関係な筋肉の出し得る力のことで、握力計とか背筋力計ではかることができるものであり、
最大努力をしたときの力を最大筋力という。これに対して筋持久力とは、一定の筋力を、どれくらい長い時間出しつづけることができるかというもので、発揮している筋力とその発揮し得る時間との積で表わすことができる。
月刊ボディビルディング1977年8月号

Recommend