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◇ボディビル随想◇
筋肉の美と価値

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月刊ボディビルディング1974年9月号
掲載日:2018.07.28
遠藤 昭(ルポライター)

◆ピーピー狂想曲の克服◆

肉体というよりも、筋肉というものにぼくが関心を持ちだしたのは、中学2年生頃からである。

 無論、それは、第二次性徴の訪れとも密接に関連していたのであろうけれど、もう一つ、体質の改善というぼく自身に特有の理由があった。

 ぼくは、幼い頃から胃腸がことのほか弱かった。少し冷えると下痢をする、暑さの中で山へでも行こうものなら、翌日はきまって下痢をする。何か変わったものを食べると、どんな薬を飲んでみても、ぼくは、相変わらず、ピーピーと下痢ばかりしていた。

 このピーピー狂想曲(?)は、全くイヤになるほどうつなものであった。もちろん、憂うつなだけではない。食べたものが消化されず、そのまま肛門から出るのだから、ぼくの顔色は悪く、体は骨皮筋衛門とあだ名されるしまつであった。

 どんな医者に診てもらうが、どんな薬を飲もうが、いっこうに下痢の治る気配はない。ぼくは、もう、半分はヤケクソで「医者や薬など当てにすまい」と決意した。「自分の体は、何にも頼らず、自分で治すよりほかない」と考えたのである。

 では、どうするか?それには、体を鍛えることだと思った。以後、ぼくは、学校から帰ると、ウサギ跳び、腹筋運動、腕立伏せを少しずつやり始めた。

 最初のうちは、腹に力が入らなかった。腸の中を、食物がグルグル、タボタボと駆けめぐるのが分かった。が、「オレには、たぶん、これしか体質を改善する方法はないんだ」といい聞かせつつ、ともかく、毎日、運動を続けた。

 次第に、ピーピー狂想曲は、間遠くなっていった。そして、運動を始めて3ヶ月もたつと、腹は固まり、あのいまわしい下痢が、ピタリと止んだのである。それは、不思議なほどであった。洗濯板のような胸にも、少しずつ肉が付き始めた。その頃から、ぼくは、筋肉というものに関心を持ちだし、よりすばらしい筋肉に憧れ始めたのである。

 高校へ進むと、大学受験勉強に入った。「今は、勉強だけをするときだ。体を鍛えても、大学入試に落ちればダメじゃないか」という気持に襲われながらも、そのたびに「オレは、日課のウサギ跳び、腹筋運動、腕立伏せを止めれば病気になるんだ。そうなったら、受験勉強どころではない」と思い直した。

 事実、日課の運動を怠ると、体に変調をきたすのである。だから、勉強に一層力を入れるためにも、わずかな時間を裂いて、運動を続ける必要があった。“運動を止めれば、オレは、病気になる。”――この考えは、以後、ぼくの人生において、一貫したモットーになった。

◆筋肉の美と価値◆

 運動を続けていると、胸囲は増え、腕は太くなっていく。それがまた大きな楽しみとなってきた。

 ぼくは、病気を治すために運動を始めた。そして、病気を克服し、やせ細っていた自分の体に、少しづつ筋肉がつきはじめたとき、筋肉の美しさというものにひかれ出したのであった。

 作家の三島由紀夫氏のことを知ったのは、その頃であった。氏は、30才にして、ボディビルを始め、虚弱な体を鍛えあげて、今は見事な筋肉を持っている、ということであった。氏の裸体を写真で見たとき、「オレもこうなりたい」と思ったものである。

 目ざす国立大学に合格すると、ぼくは、自分の筋肉にも自信を持ちだし、それをさらに鍛えるために、ボディビルを始めた。窪田登先生の本を読み、一人で始めた。「受験勉強をしなければ……」という後ろめたさからも解放され、ぼくは晴々とした気持で、より逞しい筋肉に創りあげるために、ボディビルを日課とするようになった。自分の好きなときに、自分一人ででき、しかも、狭い部屋ででもできるボディビルは、ぼくにとって格好の運動であった。

 筋肉、とくに男性の筋肉の美しさ、裸体の美しさというものは、もともとできているものではなく、自分で創造していくものだ、ということに、やがて、ぼくは気付いた。

 人の体のうち、顔は、持って生まれた要素が大きく、後でどうこうやってもどうしようもない。身長でさえ、そういう要素が強い。ところが、筋肉は違う。もとは見るも無残なヤセッポチであっても、鍛えることによって、より逞しく、より美しい筋肉を作り出していくことができる。各自が、後天的に創造できるものである。その意味では、筋肉は、一種の芸術だともいえる。そこに、ぼくは、筋肉というものの魅力を感じた。

 もちろん、逞しく美しい筋肉を創造していくことには、たゆまぬ努力が必要であり、苦痛さえ伴う。筋肉はまた、不断の努力なしには創造し得ないということである。そこに、筋肉の美の価値がある。

 勉強ができるようになると、勉強への関心は、一層深まってくるのと同様に、自分自身が筋肉をそなえてくると、筋肉の美への関心もまた大きくなってくる。と同時に、自分の筋肉を誇り、他に示したいという気持ちも生まれてくる。ぼくも、そうであった。その意味で、虚弱であった体を克服して築きあげた見事な筋肉を誇示する三島氏の気持が、ぼくには、よく理解できた。

 それからまた、筋肉は、その人の性格や思想に影響を与える、とも考えるようになった。ぼくの場合、ボディビルをした後は、ダラけた体はシャキッとし、気分は爽快になる。また、物事に対する考え方に対しても、ウジウジと陰湿で消極的であったのが、能動的、積極的なものになってくる。

 それは、ただ単に、運動によって生じる生理的な現象だとばかりはいい切れない。つまり、自分は、逞しい筋肉を持っているのだということの自覚と、確実にこの空間の一部を自分の肉体で領しているのだという意識が、ボディビルをするたびに喚起され、それが、物事に対するぼくの考え方や味方に影響を与えるものである。
〔ありし日の三島由紀夫氏〕

〔ありし日の三島由紀夫氏〕

◆ボディビルの持続◆

 大学を卒業すると、ぼくは、サラリーマンとなったが、1日20分あるいは、1週1時間の簡単なボディビルを励行して、今日に至っている。その理由は、他人はいざ知らず、ぼくの場合、運動を止めれば病気になるからであり、また、既述のような筋肉哲学(?)を持っているからである。

 身長174cm、体重80cm、胸囲110cm――これが、現在のぼくの体格である。

 ぼくの体格を見て、「君のような体になるには、毎日、かなり長時間の運動をしないといかんだろう。そんな時間があれば、ぼくは、本でも読みたいネ」こんなことをいうヤツも大勢いた。冗談ジャナイ!ぼくなど、毎日20分、それが無理なときは、日曜日にまとめて1時間、ボディビルをするだけだ。誰でも、1日に20分、あるいは1週に1時間という時間が、捻出できないわけがない。わけがないにもかかわらず、「忙しく、とてもその20分がとれない……」などというヤツは、ヤル気がないだけの話だ。要は、ヤル気があるかどうか、そして、1日20分の運動を続けていく根気があるかどうかだ。

 しかも、そんなことをホザくヤツに限って、たびたび病気にかかることを、さもインテリの特徴であるかのごとく、青白い顔をして誇らしげに吹聴する。これなどは、愚の骨頂というべきだろう。

 病気になって、勉強や仕事に打ち込めるわけがない。真のインテリなら、何よりも健康を欲するはずだ。飢饉、戦争、獄中生活、あるいは、生活難、重労働といった特殊な環境におかれた場合ならいざ知らず、通常の生活の中で病気になるのは、自分の健康管理が悪いからであり、むしろ恥とすべきことではないか。

 さらに、である。モヤシか鳥のガラのような自分の体のことは棚にあげて、女性の肉体にはアレコレ注文をつける男のなんと多いことか。その身勝手さ、図々しさには、あきれるというより腹が立つ。「一度、素ッ裸になって、テメェのその体を体に写して、とっくり見てみろ!」といいたい。女性の肉体に注文を付ける前に、まず、自分の体を雄々しく鍛えあげるべきではないか。

 ――いささかケンカ論法じみてきたが、ともかく、ぼくは、これからもボディビルを根気よく続けていこうと思っている。冷たく光る鉄の塊。ダンベルを心の友として……
月刊ボディビルディング1974年9月号

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