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ピンチ・グリップの力技

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月刊ボディビルディング1977年12月号
掲載日:2018.07.29
国立競技場指導主任 矢野雅知
 今回はピンチ・グリップによるリフティングやチンニングなどの「力技」を紹介しよう。

 これには次のようなバリエーションがある。

①両面とも平らなバーベル・プレートを持ち上げるピンチ・グリップ。〔1写真〕
②木製のプレートの下に重りをとりつけ、プレートをつかんで持ち上げるピンチ・グリップ。〔写真2〕
③ピンチ・グリップと同様な形となるように、天井のたる木にぶら下がるもの。〔写真3〕
④バーベル・プレートの中心部をもってリフティングする(ずっと以前のプレートは、シャフトを通す穴の部分が、ちょうどカラーを取り付けたようになっていたので、多分その部分をつかんだものと思われる)。
⑤同様に、親指と他の4本の指ではさんで持ち上げたり、保持したりするもの。
その他のバリエーション

◎天井歩き

 いまから約100年、1879年のことであるが、ウイリアム・ブライキーという人が「How to Get Strong and How to Stay So」という筋力獲得法の本を出版している。その中で彼は次のように述べている。
 「メタルのプレートか何か重たくて平べったいものを、親指と人差指などでつまみ上げたりすることで、指の小さな筋肉を発達させることができる・・・。こうして鍛えてゆけば、地下室の天井のハリやたる木にぶらさがることだって出来るようになるだろう。さらには、30~60cmの間隔のたる木にぶら下がって、グリップの力だけで自分の全体重を支えながら歩くことだって出来るはずだ。これが出来るようになれば、もはやたいへんなフィンガー・ストレングスの持ち主である・・・・・・」

 たしかに、天井のたる木をつかんでぶら下がれたら、それだけでたいへんなものである。それで移動するなどというなら、ものすごい力技であろう。

 ところが、かつて我が国に実在して歴史の裏側で活躍した忍者の中には、天井にコウモリのように這いつくばったり、ハリを両ひざではさんでダラリとぶらさがったり、両手でハリをつかんでぶらさがる者もいたという。このとき、特殊な道具を用いたともいうが、マンガ等でおなじみの忍者ならそんな芸当も可能であったのではないかと想像できよう。それは、彼ら忍びの者にとっては明日の糧を得るために必要な特殊技術であるからだ。

 ともかく、このように強いグリップを持つことは、格闘技などでは大切な要素でもある。柔道史上最強といわれた“鬼”の木村政彦氏は、マキ割りをたたいてグリップを強化したため、相手の柔道着を一度つかんでしまえば、絶対に離されることがなかったという。また、琉球に伝わる空手などでも、指の力を強化するために、重たいツボを指でつまみ上げるなどの修業をしたし、我が国のボディビルディングの祖たる若木竹丸氏なども、指の力を鍛えるために、急な階段を何度も指だけで這い上る訓練をつんだと伝えられている。

 ところで、デビット・ウィロビー氏の「スーパー・アスレイト」によると、この天井歩きをやった男がたった一人だけいた。それはフィラデルフィアのへンリー・シンコスキーである。

 彼が実際に演じたのを、チャールス・マクマーンという人が目撃して、信頼すべきレポートを記している。それは1915年のことである。マクマーンによると、シンコスキーの天井歩きの方法は、まず肘を少しまげたチンニングをする。そこで脚をキックして、その反動です速く手を動かす。次に同じように反対の手を数インチ移動させる・・・・・・というものであった。彼はグリップの力が尽きるまでに、この方法で1.5~1.8メートル進んだという。このとき彼の体重は79kgであった。

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 では、バーベル・プレートのピンチ・グリップでは、一体どのくらいの重量が持ち上げられるものだろうか。

 全然トレーニングしてない平均的な男性は、18kgを持ち上げる能力がある。女性では10kg前後であろう。だいたい35kg近く持ち上げられたら、そうとうな指力の持ち主といえよう。さらに45kgのバーベル・プレートが持ち上がるなら「素晴しい」の一語につきる。

 このピンチ・グリップでズバ抜けた能力を示したのは、オーストラリアの農夫であったブルース・ホワイトである。彼は身長172cm、体重わずか、66kg、手首囲18.4cm、そして前腕の太さはたった29cmである。しかしながら、彼の手のヒラは例外で、前記のサイズと比較するときわだって大きい。そのサイズは、巾10cm、長さ20cmもあった。

 この独特なからだによって、ホワイトは次のような驚くべきピンチ・グリップを記録した。

①親指と人差指(右手)で27kg
②親指と中指で34.5kg
③親指と中指プラス薬指で41.8kg
④親指と他の4本の指で51.7kg

 ホワイトの親指は、最大圧25.9kg発揮できる。人差指は13.6kg、中指17.3kg。薬指はおよそ11.3kgの力を出せた。そして小指は約6.8kgであった。したがって、それら4本の指を合わせてみると、13.6+17.3+11.3+6.8kg、つまり49kgの力を発揮できる能力を有していたことになる。これは親指だけの力の2倍近くであるが、これがゆえに、ピンチ・グリップでは、親指が制限要素となって現われてしまうことになる。
実際に天井歩きをやってみせたヘンリー・シンコスキー

実際に天井歩きをやってみせたヘンリー・シンコスキー

ピンチ・グリップをしているブルース・ホワイト(写真1)

ピンチ・グリップをしているブルース・ホワイト(写真1)

 ところで、バーベル・プレートのピンチ・グリップでは、ホワイト以外でも2、3の代表的力持ちが45kg以上を記録している。しかし、彼らはすべてホワイトよりも大きな男である。最も体重の軽いものでも77kgであり、重たいものは135kgもある。だから、相対的なピンチ・グリップの能力でいえば、ホワイトの右に出るものはいないだろう。それはやはり、彼ら大男たちに比べても決して遜色のない手の大きさによるところ大である。それにまた、ホワイトはバック・ストレングスでも非凡な能力を持っていた。彼は1961年にツー・ハンズ・デッドリフトで275kgという軽量級の世界記録を樹立している。
ピンチ・グリップを鍛える木製のプレート(写真2)

ピンチ・グリップを鍛える木製のプレート(写真2)

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 では、その他の特筆すべきストロングマンについて述べてゆこう。

 サクソン三兄弟として名をはせた(1905~1914年)アーサー・サクソンは、手が大きく、恐るべき強さのグリップを持っていた。彼は1日2回の公演でいつも驚くべきピンチ・グリップ・パワーを披露していた。つまり、リングリング・ブラザーズ・サーカスでは、12人から14人もの人間を載せた木製の板を、彼の足で支えるのであるが、この板を右手でワン・ハンド・スナッチしている。板の重さ40kg、巾25cm、長さ4m60cm、そして厚さは7.6cmもあった。この板を片手でつかんでスナッチしたのである。私は、これはフラットの50kgのバーベル・プレートをピンチ・グリップしたのに等しいと評価している。

 また、サクソンが持ち上げていたウェイトは、まだ彼の最大重量ではなかった。彼はバーベル・プレートでのピンチ・グリップでは、少なくとも54kgいや58kgが可能であったろう。

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 イギリスのプロフェッショナル・ストロングマンで、“ヤング・アポロン”として知られているJ・C・トルソンはピンチ・リフティングで驚くべき力を発揮した。

 彼は体重72kg(1933年)ながら、鉄のバーをクニャッと曲げたりしたそうだから、腕力のほうもそうとうなものであった。このトルソンのピンチ・リフティングとは、次のようなものである。

 29kgの鉛のカタマリの上に、イングリッシュペニイ(100円玉と同じようなサイズのコイン)をハンダでくっつけて、それを親指と人差指の二本指のピンチ・グリップでリフティングしたのである。

 これに20人ほどの他のストロングマンが挑戦したが、ほとんどのものが成功しなかった。ただ一人だけ、当時のワン・ハンド・デッドリフト225kgの中量級の世界記録を保持する、イギリスのアマチュア・ウェイトリフター、ローレンス・チャペル(体重74kg)が成功した。また、ブルース・ホワイトもその後、この鉛のカタマリに挑んで成功している。

 このようにコインのようなうすっぺらのものをピンチ・グリップするのは、バーベル・プレートのピンチ・グリップに比べるとズッと難しいことは言うまでもない。

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 グリップ・ストレングスのへビー級チャンピオンたるハーマン・ガナーは2つの大きなバーベル・プレートを重ねて、50kgをピンチ・リフトした。このピンチ・グリップでは、アーサー・サクソンの記録よりも8%上回っている。おそらくガナーの最大能力は、バーベル・プレートのピンチ・グリップでは60kgが可能だったものと思われる。

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 “アポロン”(ルイス・ユニ)は、1892年パリで、なんと12cmもの厚さのバーベル・プレート(41kg)をピンチ・リフトしたといわれている。

 後年、アポロンが持ち上げたといわれるおよそ180kgほどの“アポロン・バーベル”に、多くのストロングマンが挑戦したが、ほとんどのものが失敗している。それはバーベルのシャフトがきわめて太かったからである。これを持ち上げたアポロンは、やはり厚いプレートをピンチ・グリップできるだけの並みはずれたパワーを持っていたのであろう。

 たぶん、ハーマン・ガナーよりもアポロンのほうが強かったのでは・・・・・・と思われる。それは、アポロンの方が、手が大きくてグリップのパワーが強かったからである。

 ◎ピンチ・グリップによるチンニング

 先に、ピンチ・グリップでたる木にぶら下がって「歩く」という力技について述べたが、二つのたる木にぶら下がってチンニングすることが、たいへんな力技である。

 フィラデルフィアのA・I・バーガー(身長181cm、体重87kg)は、次のような記録を1941年につくっている。

①48.6kgのバーベル・プレートをピンチ・リフトした。
②15.7kgのプレート2つ(計31.4kg)を重ねたものを、ピンチ・グリップで肩までクリーンした。
③76cm間隔の2本のたる木にピンチ・グリップでぶら下がり、チンニングを12回行なった。
④同じように4.5kgを負荷して6回チンニングした。
⑤さらに同様に19.3kgを加えて(体重と合わせて106.3kg)チンニング1回成功した。
1本のたる木にぶら下がってのチンニング(写真3)

1本のたる木にぶら下がってのチンニング(写真3)

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 ウォルター・メツェラーも、たる木にピンチ・グリップでぶら下がって、チンニング12回に成功している。また13.5kgのウェイトをつけてチンニングを1回成功している。このとき体重は67.5kgであったから、体重を考慮してA・I・バーガーの記録と比較すると相対的なピンチ・グリップの強さは同じくらいであると判断される。

 また、このことからメツェラーは、プレートでのピンチ・グリップの能力は、およそ37kgぐらいと思われる。

 読者の参考のために述べておくと。体重72kgの人間がピンチ・グリップによるチンニングを1回できるということは、バーベル・プレートのピンチ・グリップで33kgできることに相当するものと考えていいだろう。これは平均的な男性が、ピンチ・リフトできるウエイトの、およそ2倍である。

 読者もバーベル・プレートを2枚重ねて、ピンチ・グリップしてみてはいかがであろう。
月刊ボディビルディング1977年12月号

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