フィジーク・オンライン

素手で猛獣と闘った男たちの物語
“人間対ワイルド・アニマル"

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1978年2月号
掲載日:2018.06.10
国立競技場指導主任 矢野雅知
 我ら人間は、古来から幾多のアドベンチャーに挑んできた。常識ではとても考えられないようなことを、やりとげてきた。「そんな無茶な!」「そんなバカなこと、出来るわけがない!」と非難され、誹謗されながらも、そこにわずかの可能性を見い出せば、それに全てを託して実行に移してきた。しかし、それらが必ずしも成功したというわけではない。そういった中で、ひと握りの挑戦者は「栄誉」「名声」を手中に収めることができた。
 今を去る数十年も前に、大空高く成層圏から飛び降りるという冒険をして奇蹟的に助かった奴がいるかと思えば地球の屋根エベレストから直滑降した冒険野郎がいるし、北極圏1万2千キロ横断を単身やってのけた奴もいる。
 彼らが、自然の猛威に死を賭して敢然と立ち向っていったのと同様に、凶暴なワイルド・アニマルに敢然と向っていった奴もいる。

丸腰の人間と猛獣がもし闘えば

 人間は万物の霊長として、弱肉強食の自然界の事実上の帝王として君臨している。今や、人間の科学文明に対抗しうる生物はこの地球上には存在しない。古代のマンモスも原始の人類によって征服され、アフリカのジャングルにも自動車道路ができて、次々と野生動物たちは人間の手によって管理・保護されなければ生きられなくなってきた。海の世界においても、ジョーズのごとき怪物が現れたところで、最新の科学を駆使すれば、簡単にこれを撃退することができよう。
 もはや、自然界において、人間に敵対するものはない!と言えそうだが文明の助けなしに、つまり、素手で彼らに立ち向ったとすれば果たしてどうなるだろうか?
 陽気にカメラをぶら下げて車外に出たばかりに、ライオンに襲われてズタズタに食いちぎられたという、衝撃のシーンが放映されて話題になった。マンガなら、ここで正義の味方、月光仮面あたりが登場して、無事救出というのがいつものストーリーなのだが、現実には、家族の者たちは車外に出て助けることも出来ず、ただヒステリックに泣き叫ぶだけであった。
 豪快無双のヘラクレスさえも、地面をガサガサとはいずり回るたった1匹のサソリに、一命を落としたではないか。
 野良ネコを見れば、腕まくりして追いかけまわす文明人も、突如として眼の前にゴキブリが現われたら、けたたましい悲鳴をあげる。ましてや、ネコ族の王、ライオンともなると"百獣の王"といわれるぐらいで、万物の霊長人間様でも、丸腰でこれに立ち向う奴などいるわけがない。文明を離れた人間の存在など、まったくチッポケなものだ。
 だが、素手で「帝王」の座を守り抜いた奴らがいる。そういった記録をもとに、今回は人間対ワイルド・アニマルというテーマで話を進めていこう。

 我ら人間の体力をもってすれば、ネコの1匹や2匹、頭をポカリと殴りつけてやっつけることが出来よう。「我輩はネコである」などとふんぞり返って陽なたボッコでもしているようなネコなら、殴るまでもない。上から踏んづけてやれば、たあいもなく降参するであろう。
 まあ、これもせいぜい体重4kg程度のネコだから出来るが、ネコ族の大ボス、180kg近くの雄ライオンともなれば、そうはいかない。「我輩はライオンである」とデーンと構えられたら、我ら人類は足を踏んづけるどころか、「さようでございます、ハイ」と地面にヒタイをこすりつけることになる。
 ローマに行くと、餓えたライオンに人間を喰わせて、それを美女に囲まれた皇帝が上から面白そうに見物したという古代ローマの遺跡が残っている。おそらく、この中に引っぱり出された者は、ライオンのうなり声を耳にしただけで、もはや血の気は失せて、歯の根も合わないほどガチガチふるえ出したに違いない。
 だが、万物の霊長の中には、この百獣の王と素手で闘って、見事、勝利をもぎとったスゴイ奴がいる。

〈ハーキュリースのマント〉
 まず、人間対ライオンとくれば、あのハーキュリースの武勇伝が浮んでこよう。ネメラの巨大なライオンを殺したという伝説である。
 巨大なライオンに対しては、矢も剣も、普通の動物の頭ガイ骨なら一撃でたたき割ることの出来る大きなクラブでさえ、まったく通じなかった。ハーキュリースに残されたたった1つの道は、ライオンに組みついて、首をガッチリとかかえ込んで絞めあげることだけであった。
 すでに手には何の武器も持たぬハーキュリースに、巨大なライオンは、グォウォォと無気味なうねり声をあげながら追ってくる。そして、一瞬、身をかがめるや、大地をけって跳びかかってきた。そのとき、この豪勇無双のハーキュリース、怪力でライオンの首をガッチリ受けとめ、万力のような腕力でギリギリとしめあげた。
 すでにハーキュリースの指は1本、根元から噛みちぎられていた。鮮血が飛び散るなかで、巨大なライオンは最後の力をふりしぼって苦しそうにもがいていたが、ついにガックリと力つきて、絞め殺されたのである。その後、ハーキュリースは、この巨大なライオンの皮をはぎとり、マントとして生涯着用していたという。
 同様な伝説は、ハーキュリースの友人、フィリアスにもある。バイブルに登場するサムソンもまた、彼に跳びかかってきた若いライオンの口の中に手を入れて、アゴを引き裂いたと伝えられている。こうなると、やや現実離れしてくるが、まあ、話としては面白かろう。

〈怪物ポリダマス〉
 記録に残っている"ライオン殺し"のヒーローは、ギリシャに実在したストロングマン、ポリダマスである。彼は身長2m03、体重135kgという怪物であり、紀元前408年のパングラテストとして名をはせた。
 パングラテストとは、今のボクシングとレスリングを一緒にしたような格闘技で、簡単にいえばケンカ・ファイトである。そして、彼はこのチャンピオンであった。とにかく強かった。恐ろしく強かった。人々は彼こそハーキュリースの再来であるとウワサした。そのウワサにたがわず、ライオンと闘うことになったとき、彼はものの見事に絞め殺したのである。
 彼にはまだ逸話がある。ポリダマスのウワサを聞いたペルシャ王、ダリウスⅠ世は、彼を招いた。
 さすがギリシャの王だけあって、ダリウスの周囲にはケタはずれの大男がズラリと並んで彼を護衛している。その中でも、とくに屈強なもの3人を選んでポリダマスに挑ませた。ダリウスとしては、いかにギリシャの誇るパングラテストといえども、我がペルシャにも豪力は存在するのだ、というところを示したかったのであろう。
 しかし、王の意志に反して、勝負はいとも簡単についてしまった。彼らはポリダマスの太い腕につかまれるや、次々とうめき声をあげて、彼の膝下にころがったのである。

〈無傷の勝利を得たボディビルディングの元祖〉
 ライオン対人間の闘いで、もう1人忘れられない人物がいる。それはかのユーゼン・サンドウである。サンドウはライオンのオリの中に入って、観衆の見守る中で"ファイト"したのである。時は1893年、ところはアメリカのサンフランシスコでのこと。
 このとき、オリの中のライオンには口輪がはめられており、手足にはミトン(グローブ)がはめられていた。これでも、ライオンは一撃のもとにサンドウの頭ガイ骨をたたき割ってしまうだけの力を持っていた。
 サンドウは、この闘いにおいて、まったくの無傷の勝利を握り、いちやく脚光を浴びたのである。余談だが、牛と闘った空手家がいるが、前もって注射で動きを鈍くしておいたともいわれるが、このときのライオンにも、あらかじめ気を沈めるように沈静剤が打ってあったという。

〈ゲンコツをふるう文明人〉
 ところで、人間が食い殺されるのを防ぐとき、ネコ族の首ったまにとっついて、グイグイ絞めあげるだけで、相手をギブアップさせることが、果たして可能だろうか。彼らネコ族は、見方によっては人間様よりもはるかに敏捷である。それを、相手の攻撃をはずして、首ったまをうまくつかめるかどうか。まずは無理だろう。「絞め殺す」前に、ネコ族の動きを鈍くすることが必要になるはずだ。そこで、最初にノックアウト・パンチを放つことが勝敗のキメ手となってくる。しかし、成長したアフリカ・ライオンのアゴへうまくノックアウト・パンチをたたきこめるだろうか。これも疑問である。
 だが、霊長類の中のオランウータンというかなり大きな奴がいる。こいつはヘタなプロレスラーよりも強い力を発揮するが、これをノックアウトした人間様がいる。動物を捕まえては各国の動物園に送り込んでいるフランク・ブックという人物である。
 彼があるときオランウータンと格闘するハメになった。そのときブック氏のはなった起死回生の一発が、ものの美事にオランウータンのアゴに命中してダウンさせたというものである。ちなみに、このオランウータンは、ライオンと同じほど大きなアゴをしている。

〈猛獣をなぐって服従させる調教師〉
 もう1つ驚くべき事実として伝えられているものに、カルカッタのタイガー調教師、ソホング・スワミの例がある。このスワミという人は、士人が震えあがるタイガーを、逆に震えあがらせて服従させるのを本職とする、文明人の1人である。
 ふつう、サーカスなどでライオンやトラを扱う芸人は、ムチをふるって芸をしこむが、このスワミ氏は、ムチを使わずに素手でこれらのトラをなぐりつけて調教したというスゴイ文明人であった。 
 トラが少しでも「ウォー」とうなって、芸をするのを拒めば、「コノヤロー!」と、どなるより先に、彼のゲンコツが飛んできて、トラの頭をガツンと殴りつけるという次第である。彼はこの要領で、まだ子供のトラをつかまえてきて殴るのである。トラの方にしては、もの心がついた頃には、スワミという人間様には殴られるもの、という習慣になっているので、「コンチキショー」なんて気は起きないのであろう。
 このスワミ氏が、例によってジャングルに入り込んで、子供のトラを捕まえようとしたとき、怒った親のトラと決闘することになった。だが文明人スワミ氏は、得意のゲンコツをふるってものの見事にこれをノックアウトしたのである。もっともこのとき、さしものスワミ氏も怒り狂ったトラにひっかかれて、惨々なめに会ったということである。

腕力で猛獣を窒息させられるか

 ネコ族に対抗するには鉄拳をふるって、鼻っぱしからアゴにパンチをたたき込むのが、かなり有効な手段であることが解ったが、それではライオンの首をかかえこんで窒息させられるだけの力が人間にあるものだろうか。
 この疑問に対しては、ベテランのレスラーたちは次のように述べている。「頭を全面に出してホールドすれば、テコの作用で強い力を発揮できるから窒息させることは可能であろう」
 トラやライオンなどのネコ族のボスと比較すれば1ランク下がるが、レオパードやクーガーといったところと闘ったという記録はいくつかある。やはり、それらは首を絞めているものが多い。そう考えてみると、ケタはずれの腕力をもつ者ならば、ライオンを絞め殺すことも決して不可能なことではない、と思われる。
 では、その例を紹介してみよう。

〈レオパードを絞め殺したアキレイ〉
 最初に登場するのは、カール・アキレイという、リアルに動物の生態を観せるジオラマ館を創設した人である。1896年、アキレイが32才のときのことである。
 彼ははじめて探検したアフリカで、レオパードと闘うことになった。レオパードといっても、体重わずか40kgほどの雄だったのが幸いして、アキレイの放った必殺パンチで、まず敵の攻撃の手がゆるんだ。すかさずアキレイはレオパードの首を両手ではさんで、満身の力を込めてグイグイとしぼりあげた。レオパードはガックリと首を垂れ戦意を喪失した。そして、仕上げはナイフを取り出してブスリと刺した、というものである。

〈ターザンの恐怖のノドつかみ〉
 次はグリップの力技で紹介した「ターザン」を演じた2番目の俳優、フランク・メリルに登場してもらおう。
 彼はターザンのジャングル・シーンを撮影中に、本当にレオパードと闘うことになってしまった。まず先制攻撃はレオパードがしかけた。いきなりターザンの脚にガブリと噛みついたのである。怒り狂ったターザンは、「殺してやる!」とばかりに、自慢の握力でレオパードのノドをガチッとつかむや渾身の力をこめてグイグイと絞めあげた。
 このとき、スタッフの1人がレオパードの背後に回って、両脚を押さえつけていたので、「ツメ」による攻撃は避けられたが、もしこの助けがなければ、いくら「殺してやる!」とエキサイトしてみても、からだ全身、ズタズタに引き裂かれてしまっただろう。とにかく、このメリルは「恐怖のノドつかみ」で、レオパードを完膚なきまでに打ちのめしたのである。

〈クーガーのノドもとに噛みついたファウセット〉
 もう1つの実話。話は30年ほど前になるが、「金脈はないか、金脈はないか」とどこかの国の元首相みたいに金にとりつかれて山に入り込んでいたF・ファウセットなる人物がいた。 この金抗夫、からだが大きく、ひじょうにパワフルな筋肉を所有していた。
 1945年のことである。例によって金脈を探していたとき、偶然、2匹のクーガーの子供を見つけた。「こいつァいい」と、さっそく1匹つかまえて、2匹目を追いかけているとき、母親のクーガーがヒョッコリもどってきた。ネコ族の母親とて子供に対する愛情に変わりはない。「てめぇ、うちの子に何するんだ!!」とばかりに、やにわにファウセットにおどりかかってきた。彼も力にかけては人後に落ちない。恐ろしい地獄の闘いが始まった。
 だが、彼の形勢はきわめて不利。力つきて、もはや喰い殺されるものとあきらめかけてきたとき、フッとこの文明人に野生の本性がよみがえった。彼はクーガーのノドもと、頸動脈めがけて逆にガブリと噛みついたのである。
 何百とある人間の筋肉の中でも、最も強力なのがガブリとやるアゴの筋肉である。クーガーにしてみれば、まさか人間野郎が自分のノドに喰らいついてくるとは思いもしなかったに違いない。この予想外の噛みつき攻撃には、さしものクーガーもギブアップせざるをえなかった。

〈レオパードをフルネルソンでしとめたハレット〉
 さらに新しいところでは、1957年、ベルギー領コンゴの密林で起きた事件がある。「コンゴ・キタブ」の著者で知られるジーン・ピリー・ハレットが体重55kgの雄のレオパードと闘った。
 彼は体重102kgの偉丈夫だが、以前に事故で右手首から先を失っていた。このハンディを背負いながらも、まずレオパードの後ろから前足をかかえ込んで、頭と肩を彼の胸にガッチリとホールドした。いわゆるフルネルソンにきめたのである。
 むろん、レオパードは激しく抵抗するが、前足のツメはむなしく空をきるばかりだ。さらにハレットは、レオパードの胴体に両足をからませてグイグイ絞め上げるという、アナコンダ殺法まで取り入れたのである。
 しかも、この万全の体勢になりながらも、なおもレオパードを絞め殺すことはできなかった。あとでハレットは「このアニマルの生命力には、まったく驚かされた」と語っているが、彼が連れていた士人のポーターの1人が恐る恐る投げたナイフによって、ようやく膠着状態を脱して、ハレットはレオパードを仕止めることが出来たのである。

英雄ウルサス

 ここで視点をかえて、人間対猛牛について触れておこう。
 馬に乗ったカウボーイが、逃げまわる子牛を追いかけ回して、ロープを投げて、アッという間に子牛をつかまえて縛り上げるというロディオは、迫力に富んでいて観ていて楽しいものである。相手が成牛ではないとはいえ、子牛を力づくでねじ伏せて捕まえるにはそれなりのパワーも備えていなくてはならない。
 このロディオで、最も体重が軽く有名だったのが、エミール・ブラッガである。彼の体重は80kg。それでいて体重700kg以上の牛を引っくり返してつかまえていたのである。彼によって、首の骨をへし折られた牛も何頭かいたほどである。ブラッガは、屠殺場の見習人として働いていたとき、テコの作用を応用して、牛の角をつかんでねじ伏せるベストの方法をあみ出したのである。
 彼は1900年初期に、ヨーロッパ各地を巡業して、この荒技を示し、観衆から"第二のウルサス"と呼ばれ、称讃を浴びた。 
 "ウルサス"---この名は、いまだに人々に語りつがれているヒーローの名前である。ハーキュリースのような腕をもち、ガッシリとした脚をしたジャイアントである。まるで盾のような頑丈な胸をした彼は、あたかもスーパーマンのようであった。ウルサスついては、いまでも次のような話が伝えられている。
 皇帝ネロによって「死刑!」の判決を受けたウルサスは、裸のまま古代ローマのアリーナ(闘技場)に引き出された。アリーナは1万余の大観衆で膨れあがっている。群衆は、これから始まろうとしている残虐なスリルを求めていた。目をおおいたくなるほど残酷なシーンには、なぜかしら心を引かれるのが人間の心理である。 
 ウルサスの怪力は、すでにローマ中に鳴り響いている。人々は、これから始まろうとする壮絶な闘いに期待していた。やがてトランペットの音が響きわたり、巨大なジャーマン・オーラック(古代ヨーロッパの野牛)がアリーナに引き入れられてきた。が、しかしどうしたことかウルサスは砂上にひざまずいて天に祈っているではないか。敬虔なクリスチャンとして死のうとしているのだろうか。生を放棄したのだろうか。ウルサスのまったく無抵抗のおとなしい姿に、群衆は失望した。失望は激しい怒りとなり、「立て!ウルサス」「恥を知れ!」と非難の声が交錯した。
 「ガルルル」天に向かってほえ狂っていた巨大なオーラックは、ウルサスめがけて突進してきた。巨木も角で押し倒さんばかりの勢いである。ドドド・・・、無気味な地ひびきが聞えてくるようだ。
 このとき、突如としてウルサスは立ち上がった。やはり、彼は死地へ赴くために祈っていたのではなかった。迫りくる巨大なオーラックの前に立ちはだかると、その太い角をガッチリと受けとめた。ズズズッとオーラックの突進する勢いでウルサスは後ろに押しやられた。
 ウルサスの頭は、巨大な野牛の部厚い腕の中にかくれてしまい、彼の腕の筋肉からは、いまにも鮮血がほとばしり出そうにみえる。彼の背中は弓のように曲がり、脚は、足首まで砂の中にめり込んだ。観衆は総立ちになって、いまだかって誰れも観たことのない壮絶なシーンに、かたずをのんだ。
 このとき、巨大なオーラックの突進はストップした。豪勇ウルサスと巨大なアニマルは、まったく動かなくなった。休んでいるのではない。お互いに巨大なエネルギーを発散しつつ、均衡が保たれているのである。ほんのわずかな亀裂が生ずれば、ドッとダムが決壊するように。極度の緊張が続き、静かな死闘が演じられている。まるで、大地に太い根をはっているかのようにである。再び動くことはないかのように、ズーッと動かない。たいまつがともされたアリーナは、シーンと静まり返っている。人がいないのではない、1万余の観衆は、ただジッとかたずをのんで、この闘争を見つめたままだ。
 やがて---観衆の耳には、オーラックがうめき苦しむように吼えたのが聞えた。ゆっくりと、きわめてゆっくりと、ウルサスの銅鉄の腕は、巨大なオーラックの頭部をひっくり返しはじめた。ウルサスの顔も、腕も、胸の筋肉さえも、どす黒く変色している。彼の背中は、さらにググッと折れていく。
 ウルサスの呼吸も明らかに乱れている。苦しそうだ。さらに、さらにもっと、オーラックの巨大な頭はひっくり返っていった。口からはアワをふいている。そのとき「ボキッ!」という骨の折れる鈍い音がして、オーラックはズズーンと地面にころがった。その首は不自然にころがっている。ウルサスのからだからは汗がひたたり落ちている。ようやく、ツノから手を離すと、ヨロヨロと立ち上った。
 アリーナには、ウォーッという人々の叫び声が鳴りひびいた。ウォーッという嵐のような唸り声は、やがて「ウルサス万歳!ウルサス万歳!」の大合唱へと共鳴していく。英雄誕生の瞬間である。

神国日本の真骨頂

 これまでに述べてきた人間対アニマルの話は、すべて外国のことである。そこで、最後に我がニッポン国に話を移してみよう。

〈柳生但馬守の剣禅一如〉
 アニマル対大和民族で代々語りつがれているのは、大和武尊のオロチ退治に始まろうが、それは神器の刀を用いているし相手に酒をのませて酔わせてもいる。また、有名な加藤清正のトラ退治も天下の槍を使っている。
 熊とスモウをとって負かしたという金太郎という、えらくの力強い坊やが足柄山に住んでいたともいうが、これとても昔話の童話にすぎない。我が神国日本には、諸外国の力豪が、「ハハーッ」と土下座するほどの力豪は生まれていないのだろうか?
 それが、いるのだ。さすが「神国」だけあって、力だけでアニマルをねじ伏せるよりも、さらにハイレベルの精神力、いわゆる「気」で打ち負かすものがいるのだ。その生涯を剣禅一如の境地にまで没入せしめた剣豪だ。
 将軍家光のもとに、ある日、一頭のトラが送られてきた。みんな珍しがったが、ウォーウォーと吼えるトラが怖くて、オリのそばにも近づけない。そんなとき、将軍家御指南役の柳生但馬守は、1人でオリの中へ静かに入っていった。それまで、唸り声をあげていたトラは、但馬守に睨みすえられて声も出なくなり、オリの片隅にうずくまってしまったという。

〈宮本武蔵に睨まれたネコ〉
 こんな逸話もある。宮本武蔵がある藩に立ち寄ったときのことである。
 藩主が武蔵に、剣について尋ねているとき、たまたま1匹のネコが、庭を走りすぎようとした。武蔵がそれをキッと睨むと、一瞬、ネコはビーンと突っ立って、まったく動けなくなってしまったという。
 またあるとき、牛がひょんなことから暴れて、街を暴走しはじめた。人々が争って逃げまどう中で、武蔵はスーッと道のまん中に出て立ち止まった。狂った牛は武蔵めがけて突っ込むかと思われたが、急に立ち止まると、Uターンして逃げたという。
 その真実はともかくとして、ハーキュリースやウルサスらの英雄にも持ち得なかった「気」というパワーで圧倒して、アニマルを屈服せしめた神国日本の武士は、対アニマル戦においても世界に冠たるべしであろう。
 しかし、現実の我々をみた場合、とても神国うんぬんというわけにはいくまい。秋田犬に子供が噛み殺されたなどというニュースを耳にするが、せめて我々もトレーニングによって、秋田犬だろうが土佐犬だろうが、はては人里にさまよい出てくる熊公だろうが、ガッチリとはがい締めにして、首の骨をへし折るとか、ベアーバッグでギブアップさせるぐらいのパワーを備えたいものである。
 "熊に襲われた少女、ボディビルダーが救助"なんてニュースが流れればビルダー諸兄の鼻も一段と高くなろうというものである。
月刊ボディビルディング1978年2月号

Recommend