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ボディビルと私
58歳、私のからだづくり

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月刊ボディビルディング1978年5月号
掲載日:2018.06.29
新橋トレーニング・センター会員
八鍬 白

社長の一言に奮起

「風邪をひくような者は、いやいやながら仕事をしているからだ。気を引きしめて真剣に仕事をすれば病気などにはならない……」

 社長は朝礼で噛みつくようにこう言った。昭和44年も押し迫った12月のある日のことである。

 私は社長の傍らにあって頭に血がのぼるのを覚えた。それは、明らかに私を指摘しているのが判る。実は、私はインフルエンザにかかり、高熱を出して3日間欠勤し、4日目のきょう、ようやく出勤したばかりであった。

 何という暴言であろう。私も役員のはしくれ、今日まで真剣にやってきたつもりである。しかし大酒飲みの私はこの時すでに胃潰瘍と十二支腸潰瘍にかかり、医者通いをしているという状態で、あまり大きなことも言えない。そして、社長のこの無慈悲とも思える暴言に対抗するためには、自から摂生し、強靭な体づくりをする以外にないと考えたのである。

 その時、ふと思い出したのが、会社の近くにある大阪武育センターであった。そこは、柔道・剣道・空手・ボディビルなどの修練場である。私はボディビルを選んだ。そして、指導員が武本蒼岳先生(1970年度ミスター日本)であったことが私にとって最大の幸運であった。

「胃潰瘍と十二支腸潰瘍を患っており、その上、いま風邪もひいているんですが」という私に、武本先生は「熱がなければ大丈夫」と言い、部厚い本を出してきて、これらの病気に効果的な運動が書いてあるページを開いて親切に説明してくれた。決った。私はその場で入会手続をして、即日、練習を開始したのである。

 ときに私の年齢は満50才。体重54kgで、アバラ骨は文字どおり洗濯板のようにデコボコだった。それに反し、はじめて近くで見る武本先生の肉体の凄さには驚いた。他の練習生もなかなかの筋肉美である。

 しかし、高年令の私にとって、バルク・アップやデフィニションなどはどうでもよいのだ。とにかく人並の丈夫な体になりたい。そして社長を見返してやりたいの一心でトレーニングに励んだのである。

 それから早くも8年、現在は東京に転勤し、新橋トレーニング・センターで汗を流している。昨年11月の記録会では、ベンチプレス90kg、スクワット130kgを上げた。一流ビルダーからみれば誠にお粗末な記録であろうが、58才の高年者としてはよい方ではないかと思う。現在、身長163cm、体重68kg(14kg増)、胸囲1m(15cm増)、上腕屈曲囲37cm、前腕囲31cm、大腿囲57cmのサイズである。胃潰瘍、十二支腸潰瘍はすでにトレーニングを開始して6カ月ほどで完治した。人間、何才になっても、やればやれるものである。

 以前、ルーの三原則というのを教わった。すなわち、①筋肉は使わなければ退化する。②適度に使えば発達する。③使いすぎるとおとろえてしまう、というものである。年令、体力にハンディキャップはあっても、それにふさわしい適度な運動をすれば、それ相当の発達がみられ、健康をとりもどすことが出来ることを身をもって体験したのである。

 ボディビルのよさは、その人の力量 に応じた重量を使用して行える点にあると思う。早く効果を得ようとして、無理をすることは禁物である。私も、後からジムに入会した若者たちに、体格も使用重量もどんどん追い抜かれて無念に思ったことは何度もあったが、発奮はしても決して無理をしないように心掛けた。

 現在、私は1日約2時間半の練習を週に2〜3回行なっている。スクワット、ベンチプレス、ツーハンズ・カール、リスト・カールといった基礎種目を主に、それに縄とびなどを実施している。たしかにトレーニングは苦しいが、終ったあとのすがすがしさは何ともいえない。さらに、はつらつとした若者たちと一緒にトレーニングしていると、肉体ばかりでなく精神的にも若返えるから不思議だ。

 また、これまでのトレーニングのほかに、柔軟性を高める運動を加えていきたいと考えている。というのは、昨年来、体のきわめて柔軟な方が入会しその練習ぶりを見たからだ。まるで骨のない軟体動物のように体の屈伸が出来るのだ。銀座で生命の貯蓄運動を推進し、自彊術を教えている宇都宮氏である。体力があるということは、たんに筋力が強いというだけでは不充分であり、柔軟性、敏捷性、持久力、瞬発力等が加味されなければならないことを知った。

 このジムのオーナーである山城侑氏は、なかなか研究熱心で、とくに各運動種目のトレーニング・フォームにきびしい。フォームが悪いと効果が少ないのみならず、思わぬ怪我のもとになるからである。さらに、身体均整法を修得し、会員の腰痛や骨格のひずみの調整にあたっている。

 また、コーチの羽田久氏は、ボディコンテストやパワーリフティングで活躍し、独特の風貌でよく知られているが、その親切な指導もさることながら常に人をして爆笑の渦にまき込むユーモアにあふれている。苦しいトレーニングのあとで、ホッと心をなごませるユーモアは技術指導とは別の面で必要なことだと思う。
新橋トレーニング・センターでトレーニング中の私

新橋トレーニング・センターでトレーニング中の私

日本腕角力協会に入門

 ボディビルをはじめて3年くらいたった頃のことである。会社の昼休みに若い社員たちに腕角力を挑まれた。10人ほどと勝負を争ったが、残念ながら私は全敗であった。やはり年齢のせいかと、淋しく思うとともに、ジムに通っていながら一般の人に全敗するとは何のためのトレーニングなのか、と誠に恥かしい思いをした。そして、一念発起、世田谷区奥沢にある日本腕角力協会の門をたたいたのである。会長は山本哲先生といって、中肉中背の歯医者さんで、当時71才。私より20才も高齢者であった。

 先生はまず、台上で私の手を握って腕角力の態勢をとり、「さあ、僕の肘を1cmでも動かしてみなさい」といわれる。私は必死になって動かそうとしたが、押せども引けども先生の肘は台上に吸いついたように動かない。後で聞いたことであるが、かつて力道山も倒したことがあるという。恐ろしい人がいるものだと思った。

 また、この山本先生は近年まれにみる高潔な方で、腕角力が強いばかりを良しとしない。礼の尊厳を説き、道場は神聖にして自己完成の場であると教える。だから指導はきわめて厳しいが、その反面、弟子たちが可愛いくて仕方がないといった慈愛に満ちている。入会金も月謝も不要(自治会費月1000円のみ)。逆に先生が協会にご寄付をされている現況である。

 先生のもとに集まる弟子たちもまたみな立派である。伊藤五段、山本五段をはじめ、出川昇三段(1970年度全日本パワーリフティング中量級1位)、富永義信三段(1977年度世界パワーリフティング選手権、フェザー級ベンチプレス1位)等、錚々たる人達がそろっている。

 また、元力士の永井三段、1960年度国体重量挙ミドル級優勝者、鈴木邦久二段等々、私より後から入会した人たちが急ピッチで強くなり、私を追い抜いていった。ここでも私は恵まれない体力と年齢差をひしひしと感じた。

 しかし、苦節7年の修練は無駄ではなかった。かつて私を負かした会社の腕角力自慢の若者たちで私に勝てる者は今はない。恵まれない体力の持主でも、鍛練次第では人並に、いや人並以上になれることを私は身をもって知ることができた。

 50才を過ぎてボディビルや腕角力の鍛練に励む私に対して、人は「もの好き」という。「蛮勇」という。「いまに怪我をするから止めろ」という。しかし、過去の私自身の虚弱体質はボディビルと腕角力によって甦ったといっても過言ではない。いまジムで一緒にトレーニングしている息子のような若者たちは、私を理解してくれて「立派だ」といって励ましてくれる。

"生老病死"を仏教で四苦という。人間この四苦から逃れられない宿命にあるならば、つとめて若さを秘めた健康体で、限りある人生を過したいものである。それには自から進んで摂生し積極的にからだづくりをする以外にないのではないだろうか。
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月刊ボディビルディング1978年5月号

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