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再びボディビルダー主演映画の波がおとずれようとしている!
ミスター・オリンピアか それとも THE HULK?

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月刊ボディビルディング1978年7月号
掲載日:2018.03.29
~~~ルウ・フェリーノ TV映画に主演~~~

IFBB JAPAN 事務総長 松山令子
 長い年月、苦しいトレーニングに精魂をかたむけ、美事な体をつくりあげたボディビルディングのチャンピオンたちにとって、その活躍範囲がボディビル界だけというのはまことにさびしいことである。その立派な体を利用して、もっともっと広い世界で開花してほしいと私は心から思う。

 アメリカでは、以前スティーブ・リーブス、ミッキー・ハーギタイなどが映画で名をあげたことは誰もが知っている。その波は静まり、ここ永い間、ボディビルダーの映画出演がなかったが、最近再び、その波が起ってきたことはよろこばしい限りである。
 1975年、シュワルツネガーが"Stay Hungry"(スティ・ハングリー、いつも目的に向って渇望せよ、という意味)に主演したことは有名で、つづいて彼は"Pumping Iron"(パンピング・アイアン)に主演した。そして今度、500万ドルの契約金で新しい6本のシリーズに主演することがきまった。
 これらの動きは、他の映画製作者たちの関心をひくこととなって、新しくフランク・ゼーンを主役にして、これにロジャー・キャラード、スティーブ・デイビスらを配して"サガン"という映画がつくられることとなった。また、ルー・フェリーノは、TV映画に出演して"The Hulk"(ザ・ハルク--巨大漢)を演じた。
 やがて、こういう波は日本へも上陸して、日本の映画界が、ボディビルダーを主役とする映画をつくる日がきっとくると信じ、きっときてほしいと私は念じている。そういう日がきたときこそ、日本にボディビルダーがみちあふれることだろう。
 このような時代の到来にそなえて、日本のボディビルダー諸君が、たんに体だけでなく、顔つき、声、言葉、身のこなしなど、あらゆる面で多くの人々から尊敬され、愛されるに足る洗練さを身につけて欲しいと思う。現代の青年たちの多くが、部厚い劇画雑誌か競馬情報以外のものを車中で読んでいない現実を見るにつけ、私は、もっと心を養い、教養を高めるのに役立つ実のある読書をせられることを心から祈ってやまない。
 他の映画は次の機会にゆずることとし、今回は、ルウ・フェリーノの主演した"The Hulk"(ザ・ハルク)についてご紹介することにする。

 ボディビル界きっての巨人であるルウ・フェリーノは、1977ミスター・オリンピア・コンテストの優勝を目指して、その前年からニューヨークを離れてカルフォルニヤへ移り住んでいた。彼にふさわしいトレーニング法を選んで、細かく指導してくれるジョー・ウイダーの指導を受けるためである。
 そして、来る日も来る日も、烈しいトレーニングに明け暮れていたルウはある日、思いもかけぬ重大な決断を迫られることになった。パイロット・フィルム製作所から、新しくつくるTV映画シリーズ"ザ・ハルク"に主役のハルクを演じないかという誘いをかけられたのである。
 その時のルウの念頭にあったのは、オリンピア・コンテスト以外の何物でもなかった。トレーニングが進むにつれ、自分の体に対する自信が増し、今年はどうしてもフランク・ゼーンやロビー・ロビンソンを破らねばならぬという意気に燃えていた。
 ちょうど、ゲートがあけられ、まさにオハイオ州のコロンバスに向って全力疾走を開始しようとしているにひとしい状態のルウにとって、オリンピア・コンテストの参加を諦めることなど簡単にできることではなかった。
 一方,TV映画への出演も,そう簡単に諦められることではなかった。誰もが望んでいるチャンスが向からころがりこんできたのだと思うと、そうたやすく断わる決心がつかなかった。

 少年の日、コンテストのステージで戦うシュワルツネガーの雄姿を見たルウの心に、自分もボディビルダーになろうという決心が生まれた。その望みに従ってトレーニングを始めたルウは生まれつき恵まれた体をフルに活用して、たちまちのうちにミスター・アメリカのタイトルをとり、やがて2年連続(1973、1974)してミスター・ユニバースのタイトルをとった。あとはオリンピアのタイトルを目指すばかり。しかも、ルウ自身にとって、この年は決して負けないだろうという自信があった。
 TV映画とオリンピアのタイトルの間に立って、ルウは迷いに迷った。ルウの父、マット・フェリーノは、ルウに向って、つねにジョー・ウイダーに迷惑をかけてはならないこと、そして、どんな場合にも彼の意見を聞いて進退することをいいきかせた。で、ルウはジョー・ウイダーに相談した。ジョー・ウイダーは、ルウに自分のキャリアを大切にすること、また、経済的な面で、将来への有望な道を閉ざさないことを寛大な態度で説いた。

 ルウは1人で考えた。そして遂に、彼自身が到達した結論は、TV映画をとり、オリンピアは今年は断念するということであった。ルウにとっては、この2つは両立しなかった。映画の仕事は非常に時間をとり、とても満足すべきトレーニングが出来る見込みはなかったからである。なぜルウが、オリンピア・コンテストを1年間断念してTV映画をとったか、というその理由はこうである。
 オリンピアのタイトルをとることは彼自身にとって年来の希望の達成として限りなくうれしいことである。しかしそれは、結局、彼自身の問題にすぎない。けれども、TV映画に主演して国中の家庭の茶の間のTVを通じて、彼の申しぶんなく発達した体を見せることは、ボディビルディングへの関心を喚起し、その普及に無限に貢献することあできる。こう考えて、彼は、彼自身のよろこびを後にまわし、ボディビルディング普及への貢献をさきにおいたのであった。茶の間のTVを通じて、1人でも多くの人をよろこばせ、楽しませ、そしてボディビルディングのよさを理解させようと思った。

 さて、いよいよこのハルクという映画について語ることにしよう。先ず、このハルクという言葉の意味は、形容できないほどの巨大漢---大男ということで、このTV映画では、容貌魁偉な、全体に緑色を帯びた人間で、これはディビット・バーナー博士の変身である。
 その恐ろしい顔は誰もが逃げ出すほどで、その上、その怪力は不可能なことがないほどである。逃亡者という設定で、ハルクは逃亡の途中で世の中の不正や邪悪をその力で正し、権力に打ちひしがれた不幸な人々を助けて、世の中を明るくしていく。
 われわれは生来、大きいものが好きである。強いものが好きである。それに正義の味方が好きである。こんな役割のハルクは、きっと子供たちからもおとなからも愛されるにちがいない。おまけに、この強いハルクがやさしい純情な心をもっていたら、すべての人は彼を愛さずにはいられないだろう。
[メーキャップ中のルウ・フェリーノ]

[メーキャップ中のルウ・フェリーノ]

[メーキャップを終って、いよいよ撮影に入るルウ]

[メーキャップを終って、いよいよ撮影に入るルウ]

 この映画の撮影が始まってから、ルウは夜明け前から起き出さねばならぬことも度々で、時には午前3時からメーキャップにとりかからねばならぬこともあった。水中シーンの撮影で、1日中カメラがまわりつづけたこともある。
 この映画の見せどころは、ルウの生来の巨大な体と、人間離れした力わざである。多くの人々が知っているように、"ルウは世界最強の力持ちコンテスト"で世界一の強い男8人の1人として競ったこともあり、(コロンブもこのコンテストの出場者に選ばれ競技中に膝をケガした)"スーパーマン・コンペティション"でスーパーマンのタイトルを得たこともある。
 これでわかるように、ルウはボディビルダーとして極めて優秀な体をつくりあげたばかりでなく、いろいろの能力にすぐれ、かつきわめて力が強い。このルウのいろいろの資質が、ルウをして、このハルクの主役をかちとらせたのだろう。
 このパイロット・フィルム制作のTV映画"ハルク"は、昨年の11月11日の午後8時からスタートし、多くの人々から見られた。この成績にかんがみ次の映画も制作の運びとなるとのことで、それは"地獄の台所”(Hell’s Kitchen)というタイトルだという。でも、ルウは、決してボディビルから立ち去りはしないだろう。そして、きっと、オリンピアのタイトルに挑戦することだろう。

 ルウは、今回のTV映画の撮影の合い間を縫って、トレーニングすることを決して忘れなかった。映画撮影のハード・スケジュールは、ルウがつづけているダブル・スプリット・トレーニング・ルティンを完全に破壊してしまった。けれども、ルウの心にあるボディビルディングへの愛まで破壊することはできなかった。
 ルウは、撮影の合い間に少しでも時間があくと、たとえ1時間でも2時間でも、3時間でもトレーニングをしている。ルウにとってトレーニングは、いまは空気のように、それなしには生きられないものとなっている。
[TV出演中もトレーニングを欠かさないルウ]

[TV出演中もトレーニングを欠かさないルウ]

 では最後に、ルウ自身の言葉で語らせよう。
「ジョー・ウイダーのアドバイスによって、ぼくはハルクをやることに決めました。1977オリンピア・コンテストにそなえて、こんなにトレーニングをしたのに、参加をあきらめるのはほんとうに残念です。しかし、ぼくは映画を通して、ぼくの最高の状態の体を広く世間の人々に見せ得ることをうれしいと思っています。それは、ボディビルディングというスポーツを社会一般の人々の前に強く押出して、クローズ・アップすることになるからです。茶の間のテレビの前でぼくを見る人たちは、きっとぼくの体を見て、ボディビルディングの価値を知るでしょう。

 ぼくは1977年はあきらめました。しかし、決して将来もオリンピア・コンテストに出ないというものではありません。映画が終れば、ぼくはまたトレーニングに専念します。そして次のオリンピアをねらいます。
 ごらんなさい、あのシュワルツネガーを。彼は、映画”スティ・ハングリー”を終えてから数ヵ月のトレーニングをして、1975ミスター・オリンピアのタイトルをあのプレストリア(南アフリカ)でとったではありませんか。
 ぼくにとって、ボディビルディングが何よりもさきです。第一です。時間さえあれば、ぼくはいつもトレーニングをします。そしてぼくは、シュワルツネガーがもう一度、オリンピア・コンテストに復活したらとさえ願っています。そうしたら、どちらが世界最高のボディビルダーであるかを競うことが出来ますから・・・・・。
 思ってもみてください。コンテストは実に興奮そのものです。そして、誰でも、コンテストに出るには年をとり過ぎているということはありません。ビル・パールもジム・モリスもタイトルをとったのは40才を過ぎてからだったのです。
 コンテストの会場での沸騰した観衆の歓呼は、選手たちの耳にとって、天来の音楽です。それは、美酒のように強く甘く心を酔わせます。引退したらもうそんなものはなくなってしまいます。このよろこび、この興奮はぼくの人生の一部です。
 今日のぼくがあるのはボディビルディングをしたからです。ボディビルディングがぼくを映画の世界へつれてきたのです。ぼくを内向性の人間から外向性のタイプに変えたのはボディビルディングです。シュワルツネガーを世に出したのもボディビルディングです。
 ボディビルディングはたんなる体づくりではなく、それは人間の内部に働きかける力をもってきます。ボディビルディングはスポーツでもあり、また人間の心の万能薬でもあります。

 ぼくは、オリンピアをあきらめ、映画をとった今回の自分の決断が正しかったことを望みます。この映画”ハルク”を撮影する間中、ぼくはボディビルディングの普及発展のために出来る限りの努力をするつもりです。
 ぼくは、映画スターになるかもしれない。また、多少の財をつくり得るかも知れない。成功のあかつきには、ぼくはお祝のロウソクに火をともそう。ぼくの大切な初恋の相手・・・・・ボディビルディングのために・・・・・。
(了)
月刊ボディビルディング1978年7月号

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