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来日が決定した スティーブ・デイビス

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月刊ボディビルディング1978年8月号
掲載日:2018.07.11

フランク・ゼーンの再来か?

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 今年のIFBBオールジャパン・チャンピオン・シップス(8月27日・京都市)にゲスト・ポーザーとして招くのは、スティーブ・デイビス(アメリカ)と決定した。その素晴らしいプロポーション、一片のぜい肉もないきれいなカットに富むその体は、巻頭のピン・アップ写真のとおり、フランク・ゼーンの再来を思わせるビルダーである。

 ハイスクール時代、フットボールと野球の選手となり、その後はパワーリフターに転向、ベンチ・プレスで450ポンド(約204kg)をあげた。彼は19才で、身長6フィート(約180cm)、体重はなんと285ポンド(約130kg)であった。パワーリフターとしての彼の体は、現在のボディビルダーとしての彼のそれとは全く異なる。

 高校時代、フットボールや野球のシーズン・オフに、彼はウェイトを用いて体を鍛えてみた。すると、みるみるうちに皮下脂肪がなくなり、筋肉がはっきりと浮き上がってきた。ここから彼は、自分がボディビルダーに向いていることを覚り、やがて、ビンス・ジロンダのジムに入り、本格的にボディビルディングを始めた。

 その頃、同じジムにかの有名なラリー・スコットやドン・ハワーズがいてそれらの先輩との接触がずいぶんと彼に役立った。ビンス・ジロンダが彼にとってよきコーチであったことはいうまでもない。その他、彼の友人として彼に数々のよい助言を与えた人としてフランク・ゼーンやジーン・モージーがある。

 ビンス・ジロンダの指導を受けてから2年後にコンテストに参加し、ジュニア・ミスター・ロスアンゼルス、ティーンエイジ・カリフォルニア、ジュニア・ベニス・ビーチ、ミスターUSA第3位、それにベスト・レッグのタイトルを得た。

 やがて彼は、陸軍に入隊し、5年間ボディビルディングから離れた。陸軍ではヨーロッパに駐屯して、スキー・チームの監督として烈しいトレーニングに明け暮れた。

 陸軍を除隊して、再び彼はボディビルディングを再開した。彼の体は、そのとき155ポンド(約70kg)しかなかった。烈しいスキーのトレーニングが彼を骨と皮ばかりにしてしまったのである。スキーは彼をつららに変えた。しかし彼は、ダイエットによって、たちまち体重を増し、再びコンテストに参加するようになり、ミスター・ベニス・ビーチ、AAU主催のミスターUSA、ミスター・ザザン・カリフォルニア、ミスター・カリフォルニアで優勝し、これらの間に“モスト・マスキュラー”のタイトルを4回得ている。そして1977年アカプルコで開催されたミスター・ワールドで優勝した。

 以上が彼のボディビルでのだいたいのキャリアであるが、彼が最も他のビルダーたちと異なるのは、彼の素晴らしい新陳代謝の機能である。

 前述のとおり、285ポンド(約130kg)あった彼は、ボディビルディングを志すと同時に、ダイエットによって185ポンド(約84kg)に減量したが、それに要したのは僅か9ヵ月という驚くべき短期間であった。

 これは普通の人には考えも及ばぬことである。へたをすれば死んでしまいかねない。でも彼は、見事にこれを成し遂げたのである。この話は、かの有名なブルース・ランダールという一世紀前のボディビルダーを想い起こさせる。

 このランダールは、400ポンド(約181kg)にまでバルク・アップし、それを半分の200ポンド(約90kg)にまで減量して、大きなコンテストで優勝するのがつねであった。彼がコンテストのために減量したときは、まるで高層建築からすべての外被物をはぎとって、その鉄筋だけにしたのと同じであったという。

 130kgから9ヵ月のちに84kgに減量したスティーブ・デイビスもこれと同じだったと想像される。胸郭が広く、身体は筋肉ばかりで、どこにも無用なたるみや膨張がなく、あるのは、くっきりと境界のわかる筋肉のみである。そして、その上に生まれつきの均斉のよい骨格、これらのつくり出す素晴らしいプロポーション。そして彼の目指しているのは、コンテストの勝利と共に、見る人をよろこばせる美しいポージングである。彼は当然のこととして最も敬愛するビルダーは、フランク・ゼーンだという。彼のトレーニング法、彼のダイエット、その他、デイビスから日本のビルダーが学び得るものは無限であろう。
月刊ボディビルディング1978年8月号

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