フィジーク・オンライン

1978年度NABBAミスター・ユニバース観戦記

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1978年12月号
掲載日:2018.06.29
日本ボディビル協会理事長 玉利 斉

“セッチンづめ”の一幕

 9月19日16時、広島から上京した奥田孝美選手と新宿のスポーツ会館で落ち合って成田に向う。前日の新聞に過激派がまた成田で行動を開始したと出ていたので、どんな様子かと気になったが、何ごともなく無事空港につく。
 21時、いよいよ機上の人となり、成田を後に一路ロンドンへ向う。
 機中で、昨年のコンテストの状況、選手としての心構えなど、いろいろと奥田選手にアドバイスする。一語一語かみしめるようにうなずく奥田選手を見て、3日後のコンテストへ静かな闘志を燃やしていることがひしひしと感じられる。
 明け方、給油のためアンカレッジに着陸。この空港のロビーに20年間にわたって人間や動物と闘い、厳しい自然に打ち勝って君臨したが、ついに勇敢な狩人に射止められたという身長約3m、体重はゆうに500kgを越すという白熊の剥製が飾ってある。さすがに北国の帝王、逞しさ日本一の奥田選手もその前に立つと、なんと可愛く見えることか。
 朝6時45分、フランスのドゴール空港に到着。我々の乗った飛行機はここが終点なので、10時のロンドン行きの出発まで空港内で待機する。
 ここでちょっとした失敗をやらかしたのである。
 奥田選手と2人でトイレットに入り用をたしたまではよかったが、これが有料トイレということに気がつかなかった。フランスでは空港外に出る予定がなかったので、フランスのコインなど1枚も持っていない。
 出るに出られなくなり、通りかかった係の老婦人に、金を交換してくるから待っててくれと頼み、奥田選手を人質にエクスチェンジに行った。間の悪いときは悪いもので、7時半にならないと交換業務は始まらないという。時計を見ると7時20分、あと10分ほどある。ところが、7時30分になっても、鼻歌など歌いながらのんびりと仕事の準備をしていて、いっこうに業務を開始しない。
 こちらはトイレで人質になっている奥田選手が気が気ではない。やいやい催促してやっとチェンジしてトイレにかけつけたときはすでに8時ちょっと前。こうして無事(?)奥田選手を助け出したが、これこそ文字どおり“セッチンづめ”の一幕。後で2人で「まあいいや、これでウンがついたのだろうさ」と苦笑した次第である。
 10時、ドゴール空港を発ち、時差の関係でやはり10時にロンドン郊外のヒースロー空港に着く。わがJBBAヨーロッパ代表の松本氏が迎えに来てくれていた。
 奥田選手を紹介してまず固い握手をかわす。大会スケジュールの打合せ、ヨーロッパや日本のボディビル界の状況、各国選手のコンディションなど、話がはずんでタクシーの中でも中断するいとまもない。
 その夜は、昨年、須藤君や石神君と行った韓国料理店で、奥田選手に大いに焼肉で蛋白質をたっぷりとってもらい、旅の疲れをふっとばしてもらう。
 翌21日朝9時、NABBA本部にオスカー・ヘイデンスタム会長を訪問する。まだ事務員も来ていない事務所で明日からの大会の準備に一人でとり組んでいた会長は、私の顔を見るなり、立ちあがって手をさしのべ「ミスター玉利よく来てくれた。あなたがたのためにホテルの用意や大会の通行証、写真撮影の許可証など、すべて準備は万全だ。コーゾー(須藤孝三選手)に勝ったというオクダに期待している。もし時間が許すなら、大会終了後、英国の北部の方をオクダと一緒に回ってくれないか。もちろん、経費は全部負担するから」と手放しの歓迎ぶりを示してくれる。
 お土産を手渡すと、昨年私がプレゼントした電卓を机の引出しから出して「とても便利で大切に使っている」と喜んでくれる。
 すでに彼とは手紙で昨年来、数回にわたってやりとりして世界のボディビル界に対するNABBAの姿勢や彼の考え方を私はよく理解しており、JBBAとも完全な意見の一致をみているので、大会前の多忙なときにじゃまになってはと思い早々に辞去する。
 奥田選手がトレーニングしたいというので、YMCAを訪れ、事情を説明して特別にウェイト・ルームでトレーニングさせてもらう。この体育館は、最近、建て替えたというだけあって、近代的な設備をそなえた、なかなか立派な体育館だ。私自身、民間のスポーツ・クラブの連盟の理事長も引受けているので、専門的な興味からいろいろ観察する。
 さて、夕方6時の便で佐野理事とサススポーツの伊藤社長がヒースロー空港に着くというので、松本氏と一緒に迎えに行ったが、運悪く行き違いになってしまった。私は千葉県協会の野口洋子理事のいとこでロンドンに在住している野口ちづみさんと落ち合って野口さんからの伝言をつたえ、食事を共にしてホテルに戻ると佐野理事と伊藤社長がロビーで待っていた。
 佐野理事たちは、9月12日に日本を発ち、スイスや北欧の体育施設を見たり観光をしながらロンドンに来たのでいろいろ話はつきないが、明日はいよいよプレ・ジャッジなので、早々に部屋に引きあげる。
ロンドン市内の公園にて。左から奥田選手、玉利理事長、伊藤社長、松本氏

ロンドン市内の公園にて。左から奥田選手、玉利理事長、伊藤社長、松本氏

奥田選手惜しくもクラス5位

 22日、ジャッジング会場に向うバスに乗り込む。顔見知りの各国役員や選手が続々乗り込んでくる。
 バスの中で、佐野理事と2人で奥田選手に「俺は日本人だ、という気概をもって、勝負を意識せず持てる力を思いきって出せ」とはげます。いまさら筋肉がどうの、ポーズがどうのという段階ではない。ただ、自信をもって堂々とポーズしてくれることを願うだけだ。
 会場に一歩入ると、大会関係者で熱気にあふれている。
 サージ・ヌブレを見つけたので「やあー、日本に来たそうじゃあないか。連絡をくれるだろうと待っていたんだぜ」と呼びかけると、フランス人特有の肩をちょっと上げるゼスチュアで、「いやー、私を日本に呼んでくれた人の不利になるようなことは出来なかったよ」との返事。「ともかく、きょうは君は出場選手だ。善戦を祈るよ」と握手をして別れた。
 審査員席に着くと、私の左隣りはへイデンスタム会長の参謀長といった役どころのNABBAの実力者ハロルド氏だ。右隣りもNABBAの事務局員だ。名前は忘れたが、彼はアクロバット的なショーマンとして日本に来たことがあるという。
 斜めうしろに、アメリカで最も程度の高いボディビル雑誌といわれている“Iron Man”の有力なスッタフ、フランクリン・ページと視線があった。陽気な彼は、片目をつむってニッコリとウインクを送ってくる。
 審査員の構成は、NABBAの本部から4名、それに各国から1名ずつと学識経験者が入って、全部で15~16名だったろうか。しかし、選手を送り出している国が全部審査員になっているというわけではない。
 審査方法は昨年と全く同じピック・アップ方式で、一次審査で各クラスから6名くらいずつ選出し、二次審査でその6名に順位をつけるといったやり方だ。相変らず時間をたっぷりかけて入念に審査する。ヘイデンスタム会長が自から進行のマイクを握り、審査員の意見を聞きながら選手のゼッケンNo.を呼んで、いろいろな組合せをつくって審査の公平を期す。
 まず、クラス3(ショートマン・クラス)では、スペインのサルバドル・ルイスが1位、2位がイングランドのウエスレイ・イムンディ、3位にアメリカのロペスが入った。残念ながら期待した奥田選手は5位になってしまった。
 審査しながら感じたことは、奥田選手は、むしろ従来の日本選手が国際舞台に立ったときの弱点であるバルクや逞しさといった点では見劣りせず、逆に日本のお家芸ともいえる流れるような華麗なポージングが見られず、表現力の不足が直接の敗因につながったのではないだろうか。
 また、奥田選手の敗因を部分的な面からいうなら、肩、腕、背の発達ぶりは、バルクといい、カットといい申し分なかっただけに、大胸筋の厚みの少なさと、腹筋の弱さが、余計オーバーラップされて損をしたと思われる。
 奥田選手がゼッケンNo.を呼ばれて舞台に出たとき、隣にいたハロルド氏は私の顔を見て「グッド・アイデア」と言ったが、これはおそらく、今まで出場した日本選手が、どちらかといえば均斉とポーズの美しさを強調するタイプが多かったのに対して、バルクと力感を意識的に出した新しいタイプの選手だと感じたからであろう。
 従来の日本選手のお株を取られたといった感じだったのがアメリカのロペスだった。彼はプエルトリコ出身とのことで、白人よりむしろ東洋人に近い風貌をしている。一見、細く見える目立たない選手だが、ひとたびポージングをはじめると、実に素晴らしい筋肉美を発揮する。
 2位のイムンディは、腕と脚が太く胸の厚い、典型的な白人の逞しさをもった選手だ。しかし、美しさとか、デフィニションといった点になるとかなり落ちる。
 1位のルイズは、これといった欠点の無い、よくまとまった選手だ。どちらかといえば均斉美型の選手で、スケールの大きさとか、迫力という点では少し物足りなかった。これ以上の成長はちょっと無理といった感じだ。
 こうして、ショートマン・クラスのベスト3を観察してみると、決して奥田選手が勝てなかった相手ではない。とくに奥田選手のバック・ポーズの迫力は、ショートマン・クラスはもちろん、オーバーオールで1位になったデイブ・ジョーンズやケーシー・ビエターと比較しても優りこそすれ劣っていなかった。私の見間違いでなければ、隣の席のハロルド氏は確かに奥田選手を1位にしていた。
 奥田選手がもっとポージングを研究し、さっき指摘した筋肉の部分的な弱さを克服すれば、今大会のレベル程度なら間違いなく栄冠を日本に持ち帰ることができただろう。今度の敗戦を跳躍のバネとして、好漢の一層の奮起を期待したい。
 クラス2(ミディアム・クラス)はすばり言ってデイブ・ジョーンズとケシー・ビエターの一騎打だった。
 ジョーンズは昨年に比べてひと回り大きくなり、弱かった脚もかなり良くなっていた。しかし、カーフがまだ少し弱いのが気になった。勝負度胸がよいというのか、自信満々、笑顔を見せ立ながらのポージングで万雷の拍手を浴びた。とにかく上半身の発達は、どの部分も物凄く大きく、力強いの一語につきる。
 2位のビエターは、精悍な面魂をした選手だ。名前を呼ばれて自分のポージングの番がきたとき、舞台のソデで待っていた彼は、いきなりボクサーがやるようなストレート・パンチを2、3発くり出し、ポーズ台に駆け上っていった。
 ボディビルダーというより、ボクサーかレスラーのような格闘競技者の闘志を感じさせる選手だ。体つきも華麗というよりも、重戦車のような迫力を感じさせる。首から脚まで、とにかく全身これ筋肉といった、ギリシャの古典的な彫刻を見るようだ。現代にヘラクレスがよみがえったかのような気分にさせられた。
 結局、軍配はデイブ・ジョーンズに上ったが、これは、脚が長く、上半身が大きく、かつシャープで、どことなくモダンな体型のジョーンズと、やや胴長で、重心の低いクラシックな感じのするビエターの、全く違ったタイプの争いであり、審査員の考え方、好みの問題で、ジョーンズに点が多く入ったということだろう。筋肉の発達といった面ではビエターも決して遜色はなかった。
 3位にはイギリスのエディ・マクドノーが入った。彼は確か40才を越えているベテラン・ビルダーである。地元の選手だけに、人気はたいへんなもので“エディ!エディ!”のかけ声がすさまじく、まさに耳をつんざくばかりだった。40才を越して、なおこれだけの体を維持する努力と健闘ぶりは、立派の一言に尽きるといえよう。
プレジャッジ風景

プレジャッジ風景

オーバオール審査風景。右端が奥田選手、中央がジョーンズ、その左がロペス

オーバオール審査風景。右端が奥田選手、中央がジョーンズ、その左がロペス

トールマン・クラス、オーバーオール、プロフェッショナルの部については次号に記す。
なお、使用した写真は佐野匡宣理事提供 
月刊ボディビルディング1978年12月号

Recommend