イギリスの生んだ悲運の大ビルダー
ジョン・シトロン
月刊ボディビルディング1974年6月号
掲載日:2018.07.26
「ことしこそ彼を破る。そのために私はプロの部に出場してきたのではないか…。」1968年、NABBAユニバース・コンテストの舞台で、ジョンは自分にこう言い聞かせた。そしてジョンの前には、あのシュワルツェネガーの巨体が立ちはだかっていた……。
1年前、アマ・ショートマンに優勝し、総合優勝を賭けてシュワルツェネガーと対決しジョンは敗れた。翌68年、ジョンはシュワルツェネガーを破るべく、彼を追ってプロの部に出場ししてきたのだった。ショートマンでフレディ・オルチスを破り、クラス優勝を果たしたジョンはシュワルツェネガーに立ち向かった。
しかし、その結果は敗北だった。またしても苦負を喫してしまった。
1969年、ジョンは再度シュワルツェネガ―に立ち向かったが、結果はおなじだった。‘66‘67(アマ)‘68‘69(プロ)と4年連続クラス優勝を遂げながら、遂に総合優勝の夢を実現できないまま、ジョンはコンテストを去ってしまった。
1年前、アマ・ショートマンに優勝し、総合優勝を賭けてシュワルツェネガーと対決しジョンは敗れた。翌68年、ジョンはシュワルツェネガーを破るべく、彼を追ってプロの部に出場ししてきたのだった。ショートマンでフレディ・オルチスを破り、クラス優勝を果たしたジョンはシュワルツェネガーに立ち向かった。
しかし、その結果は敗北だった。またしても苦負を喫してしまった。
1969年、ジョンは再度シュワルツェネガ―に立ち向かったが、結果はおなじだった。‘66‘67(アマ)‘68‘69(プロ)と4年連続クラス優勝を遂げながら、遂に総合優勝の夢を実現できないまま、ジョンはコンテストを去ってしまった。
月刊ボディビルディング1974年6月号
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