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協会ニュース 1969年12月号

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月刊ボディビルディング1969年12月号
掲載日:2018.07.11

●吉田実選手帰国

 ’68ミスター日本吉田実選手は、IFBBとNABBAのミスター・ユニバース・コンテストに挑戦のためアメリカ、ヨーロッパを訪れていたが、去る10月10日’69ミスター日本コンテストの当日帰国した。両コンテストともトールマンの部に出場し、IFBBでは4位に入賞したが、NABBAでは惜しくも6位入賞を果たせなかった。

●浦和にボディビル同好会設立

 このたび浦和市に秋山武彦氏をリーダーとする山彦ボディビル同好会が設立され、協会に加盟を申請してきたが、埼玉県には県協会がまだ設立されていないので、本部協会で直接加盟を受理した。

●修志館ボディビル・センター支部開設

 継谷洋一兵庫協会理事長の経営する修志館ボディビル・センターは、このたび支部を開設した。

●西三河ボディビル・ジム開設

 愛知県の高橋義治氏が西三河ボディビル・ジムを設立した。氏は’69ミスター日本を獲得した吉村太一選手と親交があるところから、吉村選手にコーチを依頼している。

●宇都宮に女性の美容と健康の総合センター誕生

 栃木県協会理事長の松本宏夫氏は、多年にわたり女性のスタイル調整のためのトレーニングの研究を行ない、本誌にもしばしば発表してきたが、このたび私費を投じて松本チャーム・アップ・アカデミーを設立した。同アカデミーでは、トレーニングはもちろん、歩き方や話し方、化粧のしかたなどの総合的な美容指導も行なう。宇都宮の新名所として多くの女性に利用されていくことだろう。

●国際プロレス練習場を一般にも開放

 豊登、ストロング小林、ロビンソン選手などの活躍をTBSテレビで放映し多くのファンをつかんでいる国際プロレスでは、このたび選手のための練習場を新設した。しかし、スペースが広いのでリング以外にボディビルの設備をし、来年から会員を募集する予定である。レスリングも習得できる異色ボディビル・ジムが東京に誕生するわけだ。ボディビルだけでは物足りない格闘好きの人の入門は大歓迎の由。

今月の主張 ☆ 競技と健康 ☆

 本誌の10月号で、横浜国立大学の小野教授が「スポーツ競技と健康」という問題に医者の立場から突っ込んだ見解を述べていられたがおおいに参考になる意見だった。

 論旨は、ボディビルダーがトレーニングにより脂肪のないみごとな筋肉をつけるということは、必ずしも健康ということと一致するものではない。しかし、青春の一時期に爆発的に打ち込む練習に対する集中力や、肉体の発達にともなって沸き上がる生命の充実感というものは、それなりに意味と価値があるのだから決して否定するものではない。ただし、大切なことは、筋肉を大きくみごとにさえすれば、ただちに健康なんだと思い込んだり、それを理論としてふりまわすことはとんでもないまちがいで許せない、と強調していられる点だった。

 たしかに、ボディ・コンテストを目指すボディビルダーの場合は、他のスポーツ競技で記録の向上や勝敗を争って血の出るようなハード・トレーニングを続ける選手たちと同じ立場に立たされているということがいえるだろう。
 ボディビルダーに限らず、あらゆるスポーツ選手の一流を目指しての猛トレーニングは、健康づくりのための理想的なトレーニングとはほど遠いものがあるのではないだろうか。しかしそれにもかかわらずあらゆるスポーツが盛んに行なわれ、スポーツ選手が社会でおおいに歓迎されるのは、やはりスポーツを通して獲得する肉体的、精神的な“何もの”かがよほど大きいからに違いない。

 しかしながら、ひとつの競技でズバ抜けてすぐれようと思えば、その競技に必要な能力を思い切って伸ばし、そのためには他の能力をある程度犠牲にするのは止むを得ない事実だろう。相撲の選手がマラソンでよい記録を出せるわけがなく、マラソン選手が重量あげで力を発揮できないのは当然のことである。

 そのように、スポーツ競技の場合はその目的に適した体をつくることが第一に要求されるのだ。ボディ・コンテストを目指すビルダーの場合も、コンテストに勝つための体をつくろうと努力しているわけである。

 さて、われわれはコンテストがボディビルのすべてであるなどと思ってはいない。しかし、小野教授のいわれたように、スポーツ競技として青春の一時期に厳しく自己を鍛えるためにトレーニングに打ち込む効用をコンテストに見い出していきたい。

 しかし、ボディビルそのものは、あらゆる人々の年令や体力に適した、ウェイト・トレーニングを中心とした総合体育として育てていかねばならないだろう。そのためには、ボディビルの実践者の立場からでなく、医学や体育の専門家などの発言に謙虚に耳を傾けその協力を要請しなければならない。
(玉利 斉)
月刊ボディビルディング1969年12月号

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