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NABBAユニバースに初名のり

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月刊ボディビルディング1969年12月号
掲載日:2018.05.02
山 田 豊

<吉田実選手のみやげ話>

左はミスター・ユニバース・コンテスト。ポーズをとっているのはボイヤー・コウ。右はその前日に行なわれたジャッジングでポーズするシュワルツェネガー。

左はミスター・ユニバース・コンテスト。ポーズをとっているのはボイヤー・コウ。右はその前日に行なわれたジャッジングでポーズするシュワルツェネガー。

 伝統を誇る英国NABBA(ナショナル・アマチュア・ボディビルダーズ・アソシエーション)のMr.ユニバース・コンテストは、今年で21回目を数える。その大会に、1968年度ミスター日本の吉田実選手が出場した。NABBAのコンテストへの日本人ビルダーの参加は吉田選手をもって嚆矢(こうし)とする。すなわち、日本のビルダーがNABBAのコンテストを肌で知った最初である。

 その意味で、吉田選手の経験は貴重である。なればこそ、現在、東京都内小岩と平井のそれぞれの「第1ボディビル・センター」を預かると同時に、実業界でも活躍している吉田氏のスケジュールは繁忙の一語につきるが、強引に割りこみ、あえて取材を断行したゆえんである。

 NABBAの今年度大会の状況は、いまのところ海外の専門誌もまだ充分に報道していない。されば、内外に先んじて興味あるニュースをお届けできるわけである。それも吉田氏の「目」がたしかめてきたものである。意義は大きいと考える。

 ただし、ここでは大会の運営面の紹介に焦点をしぼった。主観的立場よりする報告は、いずれ後日、氏自身の筆が本誌誌上を飾ってくださるであろうから、期して待っていただくことを読者にお願いして、まずはその露払い。

抜群・シュワルツェネガー

 吉田選手がロンドン入りしたのは9月18日であった。アメリカでのIFBBのコンテストから回る。

「宿舎はロイヤル・ホテルが当てられ出場ビルダーは全員ロイヤル・ホテルにはいりました。18日と会期の2日を含めた3日間の宿泊費と朝食代はNABBA持ち。部屋の割りあては、シングルの部屋を1人1室」

 大会の期間は19日と20日の2日にわたったが、19日はジャッジング、20日がコンテストだった。

「19日のジャッジングと20日のMr.ユニバース・コンテストは、はっきり二分されたもの、という印象でしたね。ポスターはほとんど見かけませんでしたが、プログラムはアート紙の大判で立派なものでした。そこに参加ビルダーの紹介記事が出ているわけです。ビルダーの人数は、アマが60名近く、プロが25名くらいでした。人数がはっきりしなくて申しわけないんですが、あとからエントリーした者がかなりいたらしく、当日になってみると、プログラム記載の人数をずっとオーバーしていたからなんです。国籍は、やはりヨーロッパ、アメリカが主で、アジアは少なかった。私のほかにはインドとマレーシアからきていただけで……」

 クラスは、アマチュアがショート・マン、ミーディアム・ハイト、トール・マンの3階級、プロはショート・マンとトール・マンの2階級。吉田選手はアマのトール・マンに出た。優勝はアマがボイヤー・コウ(アメリカ)、プロはシュワルツェネガー(オーストリア)。各クラスの1位をあげると、

アマチュア
 トール・マン  J・ハイスロップ
 ミーディアム  B・コウ
 ショート・マン F・コロンボ

プ ロ
 トール・マン  シュワルツェネガー
 ショート・マン J・シトロン
会場となったビクトリア・パレス

会場となったビクトリア・パレス

左の2葉はシュワルツェネガー、以下右へジョン・シトロン、デニス・ティネリーノ。本篇に掲載した写真はすべて吉田実氏苦心の撮影になるものである。

左の2葉はシュワルツェネガー、以下右へジョン・シトロン、デニス・ティネリーノ。本篇に掲載した写真はすべて吉田実氏苦心の撮影になるものである。

 これまで優勝者は、アマ、プロを問わず、トール・マンからが圧倒的だっただけに、ミーディアムに出たボイヤー・コウの活躍は出色。だが、

「シュワルツェネガーは抜群でしたねえ」

フリー・ポーズで勝負

 19日のジャッジングは、宿舎ロイヤル・ホテルのボール・ルーム(舞踏室)で行なわれた。もちろん、参加選手にとってはこの日こそ問題。

「コンテストではいっさいの装身具、オイルの使用は不可、という通達だったので、私は忠実にそれを守って、何も持たずに出かけたんです。ところが会場へはいっておどろいた。なんのことはない。私のほかはみんなオイルを塗ってるんですね。なかには日焼けがまに合わなかったのか、優勝候補と目される連中で色つきのオリーブ油を体に塗ったりしているのがいたり……」

 それに対してNABBA側からは、なんの注意も出なかったとか。通達は有名無実と化しているのであろうか。それとも、各国から選手が集まるので統制には最初からサジを投げているのか。しかしそれにしても、あまり愉快なことではない。この世界でも正直者がバカを見るとは情けない。それも紳士の国を自認するイギリスでの話だから、よけい解せない。今後、用心が肝要というもの。

 当日、会場であるボール・ルームには、かなりの観衆が数えられた。いや観衆といっても、たんなる見物人でもなさそうだったという。

「500人くらいの人数なんですが、見ていたら入口で身分証明書のようなものを提示していましたから、一般の人でもないんでしょうね。NABBAの関係者や各地のジムの関係者、それから報道陣といった人たちだと思いました。といって、カメラマンの姿はありませんでした。撮影禁止でもありましたけど……カメラといえば、ジャッジングが終わったあと、舞台裏にあたる部屋でみんなポーズをとってカメラにおさまりました。NABBAのカメラマンによるもので、それ以外の撮影はダメということでした。審査場の印象は、小さな舞台があるだけで、装飾もなく、観客もさっきいったように500人くらい、ということで、何か、日本の地方コンテストの感じでしたね」

 さて、かんじんの審査……ここでいっさいはきまる。

 司会はNABBA事務局長のオスカー・ハイデンスタム氏。審査員は15名その構成はNABBA関係者、各国の協会役員、それとビルダーの古顔。吉田選手は審査員の中に、イギリスの著名ビルダーであるロイ・パロットの顔を見ている。

 審査員は舞台から4~5メートルはなれたテーブルに1列にズラッと並ぶ。さあいよいよジャッジングのスタート。

「アマのショート・マン・クラスがトップです。まず、出場者全員が横1列に勢ぞろいして、リラックス・ポーズをとる。次に後ろを向いてこれもリラックス・ポーズです。それがすむと、こんどはゼッケン番号順に1人1人がフリー・ポーズをとります。時間の制限もない。しかし時間の制限はないとっても、3分も4分も持たせられるビルダーはめったにいませんからね。全体でもそう時間はかかりませんよ。このやり方は各クラス全部同じです」

 バック・ポーズあるいはサイド・ポーズなどを入れろ、ということはないしたがって、見せたくないところは見せなくてもすむわけである。

国旗に見守られて

 ゼッケン番号は、身長の低いほうから高いほうへと数字を追っていく。ショート・マン・クラスは身長5フィート6インチまで、それ以上5フィート9インチまでがミーディアム、さらにそれ以上はトール・マン・クラスになる。吉田選手は5フィート9 1/2インチ。それで

「トール・マンには20名出たんですがゼッケン番号は私がいちばん若かった」という。

 採点は、各クラスごとに、全員のフリー・ポーズが終わってから決定される。そのさい、せっているケースが出ると、

「審査員のだれかが、何番と何番といって2人ないし3人の選手を呼び出して、あらためてまた比較審査する。そして決定していました。まあ多くて3人くらいでしたね」

 入賞はアマでは各クラスとも6位まで。プロでは4位まで。それ以外は順位は出さない。吉田選手は残念ながら入賞を逸した。

「トール・マン・クラスではとにかくバルクの大きさがものをいいますね。私はデフィニションで勝負しようと、体重を昨年のミスター日本のときと同じ86kgに落として出たんですけど、ショート・マンは別として、トール・マンとなるとぜったいにバルクが要求されるんです。現在の日本のビルダーのレベルではちょっと歯が立たないんじゃないでしょうか。しかし、ショート・マンなら、トップ・クラスが評価どおりの実力を発揮すれば、上位のいいところまでいけるという確信をもちましたし、ミーディアムでしたらよくて入賞か、という感じを受けました。ということは、トール・マンにもどんどん進出しなければならんのですから、日本のボディビルも今後に待たねば、という思いでした」

 今年度のミスター・ユニバースではモースト・マスキュラーはイタリアの新進フランコ・コロンボがとり、ベスト・ポーザーには優勝のボイヤー・コウが選ばれた。19日のジャッジングはほぼ6時間かかった。

 次いで翌20日、ビクトリア・パレスでMr.ユニバース・コンテストの開催。ビクトリア・パレスは劇場である。

「日比谷公会堂より少し小さいくらいですが、両側に豪華なボックスもあって、ちょっと見ただけではどれくらい観客がはいっているか見当がつきませんでしたが、満員は満員でした」

 コンテストは午後2時の開始。選手たちは午前10時には会場にはいった。リハーサルのためである。ホテルから全員、貸し切バスで乗りこむ。

 ショウといったフンイキだが、あくまでもコンテストである。そのすすめ方はアマのショート・マンをトップに、ミーディアム、ミス・ビキニ、プロのショート・マン、トール・マンとつづきラストがアマのトール・マンである。このあたり、いかにもアマチュア意識の強いイギリスらしい。プログラムにもアマのトール・マンのところには、“世界でもっとも発達したクラス”とうたっている。ミス・ビキニは、文字どおり水着美女のコンテストである。その審査はリハーサルの間に行なわれた。
ミス・ビキニ・コンテストのプレ・ジャッジング風景

ミス・ビキニ・コンテストのプレ・ジャッジング風景

 舞台には参加国の国旗がはなやかな色彩をはなって並んでいる。オーケストラ・ボックスには楽団がはいっている。コンテストのアナウンスはボードビリアンが担当。そのアナウンサーがオープニングを宣したあと、コンテスト開始に先立って、

「今回初めて、遠い日本からはるばる参加したミノル・ヨシダをご紹介します」

 と、吉田選手の方に紹介のゼスチュアをすると、場内には盛んな拍手が鳴りわたった。

舞踏会で幕

 オーケストラ・ボックスから、高らかにファンファーレがひびくと、最初の登場者であるアマのショート・マン・クラス参加の全選手が、舞台に1列横隊に整列する。舞台中央には四角のポージング台が設けられてある。そのポージング台の後方に階段がある。したがって、階段のところに並んだビルダーは、一段高いかっこうになる。このお目見えがすむと、ゼッケン番号順にポージング台に立ってポーズだ。しかし、順位は前日のジャッジングでもう決定しているところから、ポーズするといっても、たとえば前日の審査で15ポーズしても、当日は10ポーズで終える選手もいる。だが、力はぬかない。そうした呼吸は観客にすぐ反映するからだ。

「自分でもポーズが決まったと思ったところで、かならず拍手がきました」

 と、吉田選手も語っている。

「拍手が多かったですね。観客もよく知っていると思いました」

 それだけに気は抜けないわけである。控え室にあてられた楽屋で、プッシュ・アップやイスを代用してのバー・ディップスでコンディションを整えてから舞台に出る。

 よく知っている、と吉田選手の受けとったものは、一般的なボディビルへのナジミの深さにほかなるまい。それは、吉田選手が大会のポスターを街で見かけたことはなかったにもかかわらず、会場が埋めつくされたということでもわかる。

「個人個人のビルダーについてもよく知ってるんですね。私たちのバスが到着すると、ファンたちが寄ってきてサインを求めるんです」

 開場前から切符売場に行列ができていたという。観客の性別では「女性が半分くらいでした。もっともあっちではワイフ同伴の外出の習慣があるということもあるでしょうが……」

 大会は、表彰式を迎えて最高潮に達する。会場のムードは、知っている顔の登場につれて盛り上がるが、さらにそれに拍車をかけるのは、やはり各クラスの演技の合い間に目を楽しませるアトラクションだろう。アトラクションには、日本のミスター日本の大会と同様に、プロの体操演技も一枚はいっているが、NABBAのほうはもっと多彩で、ちょいとしたコミックなんかもはさまっている。

 表彰式はアマのミスター・ユニバース、プロのミスター・ユニバースにつづいて、各クラスの入賞者の順で行なわれる。コンテストがすべて終わり、参加者全員がいならんでのものだから壮観であり、はなやかでもある。ミスター・ユニバースや入賞者に、NABBAの役員や各界の名士から、トロフィーと賞状が手渡される。

「目まぐるしいですね。アナウンサーに呼ばれて、入れかわり立ちかわりとび出すんですから……」

 しかし、表彰式がすんでも大会は終わったわけではない。そのあとダンス・パーティが催される。今年も20日夜ロイヤル・ホテルのボール・ルームで開かれた。一般の男女も招待される。ダーク・スーツのビルダーたちがイヴニング・ドレスの美女と踊るのである。NABBAの大会はそうしたフンイキの中で幕をとじる。優雅なフィナーレだ。
月刊ボディビルディング1969年12月号

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