ヨーロッパひとり歩き(その4)
各国のボディビル専門誌
月刊ボディビルディング1979年6月号
掲載日:2018.11.06
〔イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー〕
(財)スポーツ会館トレーナー
早稲田大学ボディビル部監督 岸正世史
(財)スポーツ会館トレーナー
早稲田大学ボディビル部監督 岸正世史
~イギリス~
先頃、わが国において、パワーリフディングの普及発展のために、日本ボディビル協会(JBBA)と日本パワリフティング協会(JPA)が組織と競技会の一本化に向かい、基本的な合意を見たというニュースがあった。
永年の懸案事項であったというだけに、玉利JBBA副会長、関JPA理事長をはじめ各関係機関諸氏のご尽力に心から敬意を表したい。
さて前号では、イギリスのボディビル専門誌として
“Health&Strength"と“BODYBUILDING”をとりあげた。
両誌の記事や編集スタッフを見てもわかるように、これらは、いずれもコンテスト一辺倒のボディビル専門誌と言える。ちょうど、NABBAがそうであるように。
では、イギリスにおけるパワーリフティングはいかなる状況にあるのか、またその組織は.........。
昨年、フィンランドのタークで行われた第8回世界選手権大会では、英国勢は75kg級優勝のP.フィオアをはじめとして、各階級での上位入賞者はまことに多く、団体3位以内の入賞は逸したもののまさにアメリカに次ぐパワーリフティング王国の感がするほどだった。
ただ、パワーリフティングにおいて、これほど厚い選手層を持ちながら、それがあまり世に知られていないというのは、コンテストに比べたパワーリフティングの現在までの普及度によるのもさることながら、伝統を重んじるイギリス国民性とあいまって、NABBAの存在があまりにも大きいと言うべきなのであろう。
イギリスにおけるパワーリフティングは、すべて英国アマチュア・ウェイトリフティング協会(BAWLA)の組織下にある。
そして、そのBAWLAの公式機関誌が、これからご紹介する“TheStrengthAthlete”なのだ。
私が編集者のジョージ・カークレイ氏を訪ねたのは、ちょうど真夏の暑いさかりであった。
暑いといっても、それは日本の比ではなく、この時でも長袖を着ていたことを覚えている。
カークレイ氏の自宅は、ロンドンから少し南に行った郊外、クライブ・ロードの静かな住宅街の一角にある。
赤やピンクのバラが美しい庭を背に、チャイムを鳴らすと、カークレイ氏が直接出て来た。私はこの時が初対面だったので、「ミスター・カークレイはご在宅でしょうか」などと、当の本人に聞いてしまった。
氏が、英国ウェイトリフティング界の長老というイメージからはややかけ離れたきわめてスマートな紳士であったからだ。
応接ルームに落ち着いた我々は、雑談をしているうちに、いつの間にか14年前の東京オリンピックの思い出を語り合っていた。
カークレイ氏は、東京オリンピックの時、英国ウェイトリフティング・チームの役員として来日している。
「あの時は、ミヤケ(フェザー級、三宅義信氏)という素晴らしいリフタ一がいた」
「ミスター・オーヌマ(日本チームのコーチ、大沼賢治氏)は元気でいるか?」
と、感慨深気に私に問う。
また「今度日本で世界選手権でも開催されたら、ぜひまた行きたい」と、もの静かなカークレイ氏は、ひと言ひと言かみしめるように話す。
私が、在英中にBAWLAの公式競技会を見たい旨を伝えると、9月2日(1978年)の国際パワーリフティング・マッチを教えてくれた。
スコットランドとイングランドの対抗戦である。
ロンドンのイングランド国民から見れば、スコットランドは外国である。
また、その逆も言える。ウェールズや北アイルランドにおいてもしかりである。
国境の通過にパスポートの提示が求められないだけだ。通貨の発行はそれぞれの国の銀行が行う。私がスコットランドのとある民家に世話になった時、そこの主人に
「日本に帰ったら手紙をくれ。宛先はENGLANDでもUNITEDKINGDOMでもない。SCOTLANDだ。そう書かないと届かない」と教えてくれたものだ。
さて、このパワーリフティング・マッチ。カークレイ氏は、親切にも「外国」の地図を拡げて開催地を示してくれた。
スコットランドの首都、グラスゴーに近いコートブリッジにあるコートブリッジ・インドア・スポーツ・センターというところだった。
また、ロンドンYMCAが私の下宿からそう遠くない場所にあったのだが別の意味で民間のウェイト・リフティング道場を知りたかったのでその旨を話すと、これも快く紹介してくれた。
グローブホール・ジムというトレーニング・センターで、私は、取材の他、自らのトレーニングをするためにも、以降何度も足を運ぶことになった。
"The Strength Athlete"誌には、ウェイトリフティング、パワーリフティングそれぞれの国内の公式競技会をはじめ、ヨーロッパ選手権、世界選手権までの記事がもれなく載る。
記録はもちろんのこと、担当レフェリーの名前から競技のこまかな様子までが記されるといった完璧さだ。
競技会は一般の部だけではない。大学から高校までのいわゆるジュニアにおける競技会までをも写真つきの記事で報告されるのだ。
編集者、ジョージ・カークレイ氏のウェイトリフティング、パワーリフティングに対する並々ならぬ情熱を見る思いがする。
イギリスにおけるウェイトリフティングとパワーリフティングの実力を国際レベルで比較した場合、圧倒的に後者が前者よりも優っている。
ちなみに、前回のモントリオール・ オリンピック(1976年)では、英国ウェイトリフティング・チームは1つのメダルをも手にすることはできなかった。
一方、昨年行われたパワーリフティング世界選手権大会での英国チームの成績については、前述の通りである。
イギリスがアメリカに次ぐ世界のパワーリフティング王国であることも、 前に述べた通りだが、これを示す1978年度のヨーロッパ・パワーリフティング選手権大会の結果が“The Strength Athlete"誌1978年5月号に報告されている。
開催地は地元イギリスのバーミンガムで、記事はジョージ・カークレイ氏自身によるものである。
それによると、「ヨーロッパ・チャンピオンシップスで、英国リフター、黄金の収穫をあげる」というタイトルで大々的に報告されている。
参考のために、この大会での各級優勝者とその記録を別表にあげておこう。
“The Strength Athlete"誌も、やはり町の一般書店にはない。“Health&Strength”誌同様、ロンドンではラッジゲート・サーカスのゴールデン・グロス・スポーツ(スポーツ用品店)か、BAWLA加盟のトレーニング・センターに限られるようである。
月刊だが、時には隔月刊にもなる。35ペンス(約150円)。
永年の懸案事項であったというだけに、玉利JBBA副会長、関JPA理事長をはじめ各関係機関諸氏のご尽力に心から敬意を表したい。
さて前号では、イギリスのボディビル専門誌として
“Health&Strength"と“BODYBUILDING”をとりあげた。
両誌の記事や編集スタッフを見てもわかるように、これらは、いずれもコンテスト一辺倒のボディビル専門誌と言える。ちょうど、NABBAがそうであるように。
では、イギリスにおけるパワーリフティングはいかなる状況にあるのか、またその組織は.........。
昨年、フィンランドのタークで行われた第8回世界選手権大会では、英国勢は75kg級優勝のP.フィオアをはじめとして、各階級での上位入賞者はまことに多く、団体3位以内の入賞は逸したもののまさにアメリカに次ぐパワーリフティング王国の感がするほどだった。
ただ、パワーリフティングにおいて、これほど厚い選手層を持ちながら、それがあまり世に知られていないというのは、コンテストに比べたパワーリフティングの現在までの普及度によるのもさることながら、伝統を重んじるイギリス国民性とあいまって、NABBAの存在があまりにも大きいと言うべきなのであろう。
イギリスにおけるパワーリフティングは、すべて英国アマチュア・ウェイトリフティング協会(BAWLA)の組織下にある。
そして、そのBAWLAの公式機関誌が、これからご紹介する“TheStrengthAthlete”なのだ。
私が編集者のジョージ・カークレイ氏を訪ねたのは、ちょうど真夏の暑いさかりであった。
暑いといっても、それは日本の比ではなく、この時でも長袖を着ていたことを覚えている。
カークレイ氏の自宅は、ロンドンから少し南に行った郊外、クライブ・ロードの静かな住宅街の一角にある。
赤やピンクのバラが美しい庭を背に、チャイムを鳴らすと、カークレイ氏が直接出て来た。私はこの時が初対面だったので、「ミスター・カークレイはご在宅でしょうか」などと、当の本人に聞いてしまった。
氏が、英国ウェイトリフティング界の長老というイメージからはややかけ離れたきわめてスマートな紳士であったからだ。
応接ルームに落ち着いた我々は、雑談をしているうちに、いつの間にか14年前の東京オリンピックの思い出を語り合っていた。
カークレイ氏は、東京オリンピックの時、英国ウェイトリフティング・チームの役員として来日している。
「あの時は、ミヤケ(フェザー級、三宅義信氏)という素晴らしいリフタ一がいた」
「ミスター・オーヌマ(日本チームのコーチ、大沼賢治氏)は元気でいるか?」
と、感慨深気に私に問う。
また「今度日本で世界選手権でも開催されたら、ぜひまた行きたい」と、もの静かなカークレイ氏は、ひと言ひと言かみしめるように話す。
私が、在英中にBAWLAの公式競技会を見たい旨を伝えると、9月2日(1978年)の国際パワーリフティング・マッチを教えてくれた。
スコットランドとイングランドの対抗戦である。
ロンドンのイングランド国民から見れば、スコットランドは外国である。
また、その逆も言える。ウェールズや北アイルランドにおいてもしかりである。
国境の通過にパスポートの提示が求められないだけだ。通貨の発行はそれぞれの国の銀行が行う。私がスコットランドのとある民家に世話になった時、そこの主人に
「日本に帰ったら手紙をくれ。宛先はENGLANDでもUNITEDKINGDOMでもない。SCOTLANDだ。そう書かないと届かない」と教えてくれたものだ。
さて、このパワーリフティング・マッチ。カークレイ氏は、親切にも「外国」の地図を拡げて開催地を示してくれた。
スコットランドの首都、グラスゴーに近いコートブリッジにあるコートブリッジ・インドア・スポーツ・センターというところだった。
また、ロンドンYMCAが私の下宿からそう遠くない場所にあったのだが別の意味で民間のウェイト・リフティング道場を知りたかったのでその旨を話すと、これも快く紹介してくれた。
グローブホール・ジムというトレーニング・センターで、私は、取材の他、自らのトレーニングをするためにも、以降何度も足を運ぶことになった。
"The Strength Athlete"誌には、ウェイトリフティング、パワーリフティングそれぞれの国内の公式競技会をはじめ、ヨーロッパ選手権、世界選手権までの記事がもれなく載る。
記録はもちろんのこと、担当レフェリーの名前から競技のこまかな様子までが記されるといった完璧さだ。
競技会は一般の部だけではない。大学から高校までのいわゆるジュニアにおける競技会までをも写真つきの記事で報告されるのだ。
編集者、ジョージ・カークレイ氏のウェイトリフティング、パワーリフティングに対する並々ならぬ情熱を見る思いがする。
イギリスにおけるウェイトリフティングとパワーリフティングの実力を国際レベルで比較した場合、圧倒的に後者が前者よりも優っている。
ちなみに、前回のモントリオール・ オリンピック(1976年)では、英国ウェイトリフティング・チームは1つのメダルをも手にすることはできなかった。
一方、昨年行われたパワーリフティング世界選手権大会での英国チームの成績については、前述の通りである。
イギリスがアメリカに次ぐ世界のパワーリフティング王国であることも、 前に述べた通りだが、これを示す1978年度のヨーロッパ・パワーリフティング選手権大会の結果が“The Strength Athlete"誌1978年5月号に報告されている。
開催地は地元イギリスのバーミンガムで、記事はジョージ・カークレイ氏自身によるものである。
それによると、「ヨーロッパ・チャンピオンシップスで、英国リフター、黄金の収穫をあげる」というタイトルで大々的に報告されている。
参考のために、この大会での各級優勝者とその記録を別表にあげておこう。
“The Strength Athlete"誌も、やはり町の一般書店にはない。“Health&Strength”誌同様、ロンドンではラッジゲート・サーカスのゴールデン・グロス・スポーツ(スポーツ用品店)か、BAWLA加盟のトレーニング・センターに限られるようである。
月刊だが、時には隔月刊にもなる。35ペンス(約150円)。
イギリスのウェイトリフテテングとパワーリフティングの専門誌“The Strength Athlete"
1978年度ヨーロッパ・パワーリフティング選手権大会成績表
~ドイツ~
ドイツのボディビル界の様子は、わが国にはほとんど伝えられていない。
その理由の一つとして、ドイツ人ビルダーの国際舞台での活躍があまり多くないという事実があげられるだろう。
ここ1~2年の間、ドイツのビルダーがユニバース・コンテストで活躍した例と言えば、昨年1978年NABBAユニバースのプロ3位、ヘルムット・レイドメイアーと、同じ年のIFBBユニバース・ヘビー級2位のジュサップ・ウィルコッツが記憶に新しいところだ。
ウィルコッツは、「肉の弾丸」の異名をとるあのマイク・メンツァーに続いく2位ということで、評価はされているようだが、NABBAのレイドメイアーにおいては、現在ではいささか一流ビルダーとは言い難い。
私は1978年度NABBAユニバースでは、予備審査の段階から居合わせたが、しのぎをけずる白熱のアマチュア部門にひきかえ、プロ部門の出場選手層の薄さには驚かざるをえなかった。
バーティル・フォックスとサージ・ヌブレのビッグ・ツー、それに続くロイ・デュバルを含めたビッグ・スリーは文句なしであったが、あとプロ・ビルダーといえるのは、やっとこのレイドメイアーくらいであった。
プロ部門は総勢9名と少なかったがレイドメイアーまでの4人の選手を除くとあとは目をおおうばかりのレベルの選手ばかりであった。
頭数をそろえるためだけに出場させられたのだと思われてもしかたがなかろう。
結果は、周知のとおり、サージ・ヌブレのジャッジに対する不満による棄権というアクシデントで、ドイツのヘルムット・レイドメイアーが3位に繰り上がった。
では、ここ10数年間におけるNABBAユニバースでのドイツ人ビルダーの3位以内入賞者をあげてみよう。
じつは、この作業、特別面倒なことではないのだ。なぜなら、あと1人のビルダーの名前をあげればいいのだから。
すなわち、1962年、1964年のいずれもプロ・トールマンで2位となったラインハルト・スモロナだけなのだ。
1970年のアマ・トールマンでやはり2位となった前述のレイドメイアーは1974年にはプロ・トールマンに出場、ドイツ人唯一のクラス優勝(総合4位)を果たしているが。
さて、このことは、ドイツという国がそもそもボディビルが盛んではない国だということなのだろうか。
否、である。ユニバースでの成績はひとまず置くことにして、私はわが日本国よりははるかに盛んな国であると思っている。
昨年、ドイツを訪れた際、私はベルリンに続くドイツ第二の都市ハンブルグにしばらく滞在したが、私のいたステインダムには3軒ものボディビル・センターがあった。
英語のできる若者をつかまえて、この辺はボディビルが盛んな土地なのかと聞いてみたところ「ドイツはだいたいどこでも同じだよ」という返事が返ってきた。
同じドイツでも、フランクフルトなどのようにエアラインの国際線が乗り入れている都市とは違い、ハンブルグは大都市でありながら、英語を話せる人は少ない。
そんなハンブルグで、ステインダムの3軒のボディビル・センターのうち1つ、クルト・シュマッハー・アレー・スポーツ・センターには英語を話せるマネージャーがいた。
さっそく訪問した私は、ドイツのボディビル界について様々なことを質問したが、私を一番喜ばせたことは、ボディビルをはじめ、ウェイト・トレーニングに対して日本にいまだに根強くあるような妙な誤解が、ここドイツではほとんどないということであった。
一般世間にボディビルの意義が正しく理解され、各種スポーツの競技者は必ずと言っていいほどウェイト・トレーニングを専門トレーニングの中にとり入れている。さすが、「スポーツ大国ドイツ」である。
ちなみに、このK・シュマッハー・A・スポーツ・センターからは毎年ミスター・ドイツ・コンテストに選手を送り、好成績を収めているとのことだ。
また、ここのマネージャーも語っていたが、ドイツのビルダーは、カットは素晴らしいがバルク不足だというのが国際舞台での現在のところの一般的評価らしい。
私も同じ様なことはNABBAユニバースで感じていた。私が帰国して、ドイツ人ビルダーの感想を聞かれた時、次の様に語ったものだ。
「ドイツには、国際的に見て一流ビルダーは少ないが、一流半、のビルダーがゴロゴロしている。それはとても日本の比ではない。それを思うと何かゾクゾクするような恐しさを感じる」
さて、ドイツの専門誌だが、NABBA系の"athletik SPORT JOURNAL”と、IFBB系の"Sport Revue"の2誌がある。
まず、前者から簡単に紹介していこう。創刊はわりあい新しく、5年前の1974年5月。発行は、ドイツの中部都市エッセンにあるATHLETIKーSPORTJOURNAL社。
昨年、フランクフルトで手に入れた同誌1978年10月号の表紙は、サージ・ヌブレとサンドラ・コング(ジャマイカ、1977年NABBAミス・ビキニ2位、1978年同優勝)のあざやかなカラー写真である。
同号には次の様な記事が載っている。
最初は、ワールド・ニュース。アーノルド・シュワルツェネガー、フランコ・コロンブ、セルジオ・オリバ、ロビー・ロビンソン、ダニー・パディラそれにメンツァー兄弟らの近況が報告されている。
そして、「ミスター・ユニバース、トニー・エモットのトレーニング」が12ページという長きにわたって、豊富な写真とともに紹介されている。
ヨーロッパでは圧倒的な人気を集めているサージ・ヌブレを、一昨年、1977年のユニバースで堂々破ったこのトニー・エモットは、いまドイツで大いに注目されているようだ。
同号の真中にとじ込んであるピンナップ写真は、またまたヌブレのフロント・ポーズ。
さらに、ミスター・ベルリン・コンテストの大会報告と続く。
前述のIFBBユニバース・ヘビー級2位のジュサップ・ウィルコッツの特集記事も載っている。
もっとも、この時点ではまだユニバース出場前であったから、肩書きは、1978年度“SPORT JOURNAL”誌主催のミスター・ドイツ優勝者とだけなっているが。
ボディビルを始めた頃のウィルコッツの写真も載っており、よくあるパターンの記事だが、「使用前一使用の後」の対比は相変わらず面白く、多くのビルダーのはげみとなろう。
最後は、ジムめぐり。ドイツのやはり中部都市ドルトムンドのダス・スポーツ・スタジオが、10月号に紹介されている。
発行は毎月1回。3ドイツ・マルク(約330円)。表紙にはドイツ・マルクの他、オーストリア・シリング、スイス・フラン、オランダ・ギルダー、ルクセンブルグ・フラン、ベルギー・フラン、ユーゴスラビア・ディナールと、それぞれの国際価格が明示されているあたりは、いかにもインターナショナルな専門誌といった感じがする。
次に、"Sport Revue”誌であるが、こちらは"athletik SPORT JOURNAL”誌より歴史は古い。今から10年前の1969年1月号が創刊号となっている。
では、ハンブルグで手に入れた1978年7月号の同誌を紹介しよう。表紙は1978年度IFBBミスター・ドイツの覇者、ジョセフ・ラウファー。
記事の最初は、ドイツ国内のコンテスト・ガイドや情報コーナー。ミスター南部ドイツ、ミスター・エッセン、ミスター・アウグスブルグなどのコンテストの予告がのっている。
続いてリッキー・ウェインによる世界のボディビルデング・ニュース。ここでも、マイク・メンツァーの近況が伝えられている。
他にビル・パール、カルマン・ツカラック、ロン・テュー、フェル、1977年度ミスター・ルクセンブルグのヘンリー・ホープナーらに関する情報も載っている。
さて、この号最大の記事は、ミュンヘンで行われた1978年度第19回ミスター・ドイツの報告である。
ミスター・ドイツには、同号表紙のジョセフ・ラウファー、ミスター・ドイツ・ジュニアには、ガブリエル・ワイルドが輝いた。2人とも、中ほどでピンナップ写真となっている。
それにしても、優勝したラウファーは肩巾の広い素晴らしいビルダーだ。この年の11月に行われたIFBBユニバースで、ヘビー級2位になった前述のジュサップ・ウィルコッツは、このラウファーに破れ、2位に甘んじているのであるから、ドイツ・ビルダーの意外なる層の厚さに驚く。
なお、この大会でのゲスト・ポーザーは、マイク・メンツァーであった。
ミスター・ドイツ・コンテストに関する長い記事が終わると、ジュニア優勝のガブリエル・ワイルドのトレーニング法が、6ページをさいて多数の写真が1ページ大でのっている。
ビルダーのフロント・ポーズの写真なのだが首、両腕、腰、両脚の各部分に亀裂が走っている。
読んでみよう。これは、他でもない、筋肉増強剤ステロイドの使用に対する警告の記事なのだ。
「アメリカやヨーロッパの一部の有名ビルダーは皆、薬を使って体をつくりあげてきた。これらのことは、ボディビルはいったい何のためにやるのかといった根本的な問題を問い正す必要性を我々に教えている」といった内容である。
他に、モハメッド・マッカウェイによる腹筋のトレーニング法、ジャック・ネアリールによる1977年度ミスター・オリンピア、ミスター・ワールドの回顧録、フランク・ゼーンのトレーニング法といった記事がある。
発行は、ミュンヘンのSportRevue社、4ドイツ・マルク(約440円)。こちらも同様に、ヨーロッパにおけるドイツ語圏各国の通貨での価格が書いてある。なお"athletik SPORT JOURNAL"、"SportRevue”両誌ともドイツ国内であれば、国鉄、地下鉄の主要駅マガジン・スタンドで売っている。
"SportRevue"誌などは、フランクフルト空港のマガジン・スタンドでも売っているくらいだから、まさにドイツという国は、ボディビルが市民権を得ているといえるのではないだろうか。
その理由の一つとして、ドイツ人ビルダーの国際舞台での活躍があまり多くないという事実があげられるだろう。
ここ1~2年の間、ドイツのビルダーがユニバース・コンテストで活躍した例と言えば、昨年1978年NABBAユニバースのプロ3位、ヘルムット・レイドメイアーと、同じ年のIFBBユニバース・ヘビー級2位のジュサップ・ウィルコッツが記憶に新しいところだ。
ウィルコッツは、「肉の弾丸」の異名をとるあのマイク・メンツァーに続いく2位ということで、評価はされているようだが、NABBAのレイドメイアーにおいては、現在ではいささか一流ビルダーとは言い難い。
私は1978年度NABBAユニバースでは、予備審査の段階から居合わせたが、しのぎをけずる白熱のアマチュア部門にひきかえ、プロ部門の出場選手層の薄さには驚かざるをえなかった。
バーティル・フォックスとサージ・ヌブレのビッグ・ツー、それに続くロイ・デュバルを含めたビッグ・スリーは文句なしであったが、あとプロ・ビルダーといえるのは、やっとこのレイドメイアーくらいであった。
プロ部門は総勢9名と少なかったがレイドメイアーまでの4人の選手を除くとあとは目をおおうばかりのレベルの選手ばかりであった。
頭数をそろえるためだけに出場させられたのだと思われてもしかたがなかろう。
結果は、周知のとおり、サージ・ヌブレのジャッジに対する不満による棄権というアクシデントで、ドイツのヘルムット・レイドメイアーが3位に繰り上がった。
では、ここ10数年間におけるNABBAユニバースでのドイツ人ビルダーの3位以内入賞者をあげてみよう。
じつは、この作業、特別面倒なことではないのだ。なぜなら、あと1人のビルダーの名前をあげればいいのだから。
すなわち、1962年、1964年のいずれもプロ・トールマンで2位となったラインハルト・スモロナだけなのだ。
1970年のアマ・トールマンでやはり2位となった前述のレイドメイアーは1974年にはプロ・トールマンに出場、ドイツ人唯一のクラス優勝(総合4位)を果たしているが。
さて、このことは、ドイツという国がそもそもボディビルが盛んではない国だということなのだろうか。
否、である。ユニバースでの成績はひとまず置くことにして、私はわが日本国よりははるかに盛んな国であると思っている。
昨年、ドイツを訪れた際、私はベルリンに続くドイツ第二の都市ハンブルグにしばらく滞在したが、私のいたステインダムには3軒ものボディビル・センターがあった。
英語のできる若者をつかまえて、この辺はボディビルが盛んな土地なのかと聞いてみたところ「ドイツはだいたいどこでも同じだよ」という返事が返ってきた。
同じドイツでも、フランクフルトなどのようにエアラインの国際線が乗り入れている都市とは違い、ハンブルグは大都市でありながら、英語を話せる人は少ない。
そんなハンブルグで、ステインダムの3軒のボディビル・センターのうち1つ、クルト・シュマッハー・アレー・スポーツ・センターには英語を話せるマネージャーがいた。
さっそく訪問した私は、ドイツのボディビル界について様々なことを質問したが、私を一番喜ばせたことは、ボディビルをはじめ、ウェイト・トレーニングに対して日本にいまだに根強くあるような妙な誤解が、ここドイツではほとんどないということであった。
一般世間にボディビルの意義が正しく理解され、各種スポーツの競技者は必ずと言っていいほどウェイト・トレーニングを専門トレーニングの中にとり入れている。さすが、「スポーツ大国ドイツ」である。
ちなみに、このK・シュマッハー・A・スポーツ・センターからは毎年ミスター・ドイツ・コンテストに選手を送り、好成績を収めているとのことだ。
また、ここのマネージャーも語っていたが、ドイツのビルダーは、カットは素晴らしいがバルク不足だというのが国際舞台での現在のところの一般的評価らしい。
私も同じ様なことはNABBAユニバースで感じていた。私が帰国して、ドイツ人ビルダーの感想を聞かれた時、次の様に語ったものだ。
「ドイツには、国際的に見て一流ビルダーは少ないが、一流半、のビルダーがゴロゴロしている。それはとても日本の比ではない。それを思うと何かゾクゾクするような恐しさを感じる」
さて、ドイツの専門誌だが、NABBA系の"athletik SPORT JOURNAL”と、IFBB系の"Sport Revue"の2誌がある。
まず、前者から簡単に紹介していこう。創刊はわりあい新しく、5年前の1974年5月。発行は、ドイツの中部都市エッセンにあるATHLETIKーSPORTJOURNAL社。
昨年、フランクフルトで手に入れた同誌1978年10月号の表紙は、サージ・ヌブレとサンドラ・コング(ジャマイカ、1977年NABBAミス・ビキニ2位、1978年同優勝)のあざやかなカラー写真である。
同号には次の様な記事が載っている。
最初は、ワールド・ニュース。アーノルド・シュワルツェネガー、フランコ・コロンブ、セルジオ・オリバ、ロビー・ロビンソン、ダニー・パディラそれにメンツァー兄弟らの近況が報告されている。
そして、「ミスター・ユニバース、トニー・エモットのトレーニング」が12ページという長きにわたって、豊富な写真とともに紹介されている。
ヨーロッパでは圧倒的な人気を集めているサージ・ヌブレを、一昨年、1977年のユニバースで堂々破ったこのトニー・エモットは、いまドイツで大いに注目されているようだ。
同号の真中にとじ込んであるピンナップ写真は、またまたヌブレのフロント・ポーズ。
さらに、ミスター・ベルリン・コンテストの大会報告と続く。
前述のIFBBユニバース・ヘビー級2位のジュサップ・ウィルコッツの特集記事も載っている。
もっとも、この時点ではまだユニバース出場前であったから、肩書きは、1978年度“SPORT JOURNAL”誌主催のミスター・ドイツ優勝者とだけなっているが。
ボディビルを始めた頃のウィルコッツの写真も載っており、よくあるパターンの記事だが、「使用前一使用の後」の対比は相変わらず面白く、多くのビルダーのはげみとなろう。
最後は、ジムめぐり。ドイツのやはり中部都市ドルトムンドのダス・スポーツ・スタジオが、10月号に紹介されている。
発行は毎月1回。3ドイツ・マルク(約330円)。表紙にはドイツ・マルクの他、オーストリア・シリング、スイス・フラン、オランダ・ギルダー、ルクセンブルグ・フラン、ベルギー・フラン、ユーゴスラビア・ディナールと、それぞれの国際価格が明示されているあたりは、いかにもインターナショナルな専門誌といった感じがする。
次に、"Sport Revue”誌であるが、こちらは"athletik SPORT JOURNAL”誌より歴史は古い。今から10年前の1969年1月号が創刊号となっている。
では、ハンブルグで手に入れた1978年7月号の同誌を紹介しよう。表紙は1978年度IFBBミスター・ドイツの覇者、ジョセフ・ラウファー。
記事の最初は、ドイツ国内のコンテスト・ガイドや情報コーナー。ミスター南部ドイツ、ミスター・エッセン、ミスター・アウグスブルグなどのコンテストの予告がのっている。
続いてリッキー・ウェインによる世界のボディビルデング・ニュース。ここでも、マイク・メンツァーの近況が伝えられている。
他にビル・パール、カルマン・ツカラック、ロン・テュー、フェル、1977年度ミスター・ルクセンブルグのヘンリー・ホープナーらに関する情報も載っている。
さて、この号最大の記事は、ミュンヘンで行われた1978年度第19回ミスター・ドイツの報告である。
ミスター・ドイツには、同号表紙のジョセフ・ラウファー、ミスター・ドイツ・ジュニアには、ガブリエル・ワイルドが輝いた。2人とも、中ほどでピンナップ写真となっている。
それにしても、優勝したラウファーは肩巾の広い素晴らしいビルダーだ。この年の11月に行われたIFBBユニバースで、ヘビー級2位になった前述のジュサップ・ウィルコッツは、このラウファーに破れ、2位に甘んじているのであるから、ドイツ・ビルダーの意外なる層の厚さに驚く。
なお、この大会でのゲスト・ポーザーは、マイク・メンツァーであった。
ミスター・ドイツ・コンテストに関する長い記事が終わると、ジュニア優勝のガブリエル・ワイルドのトレーニング法が、6ページをさいて多数の写真が1ページ大でのっている。
ビルダーのフロント・ポーズの写真なのだが首、両腕、腰、両脚の各部分に亀裂が走っている。
読んでみよう。これは、他でもない、筋肉増強剤ステロイドの使用に対する警告の記事なのだ。
「アメリカやヨーロッパの一部の有名ビルダーは皆、薬を使って体をつくりあげてきた。これらのことは、ボディビルはいったい何のためにやるのかといった根本的な問題を問い正す必要性を我々に教えている」といった内容である。
他に、モハメッド・マッカウェイによる腹筋のトレーニング法、ジャック・ネアリールによる1977年度ミスター・オリンピア、ミスター・ワールドの回顧録、フランク・ゼーンのトレーニング法といった記事がある。
発行は、ミュンヘンのSportRevue社、4ドイツ・マルク(約440円)。こちらも同様に、ヨーロッパにおけるドイツ語圏各国の通貨での価格が書いてある。なお"athletik SPORT JOURNAL"、"SportRevue”両誌ともドイツ国内であれば、国鉄、地下鉄の主要駅マガジン・スタンドで売っている。
"SportRevue"誌などは、フランクフルト空港のマガジン・スタンドでも売っているくらいだから、まさにドイツという国は、ボディビルが市民権を得ているといえるのではないだろうか。
ドイツの"athletik SPORT JOURNAL"誌
~フランス~
"PLEINE FORME"誌。創刊は4年前、1975年12月。発行はパリのJIBENA&Cie社で、2カ月に1度。編集者は、ルシェン・デミールズ他。6フラン(約300円)。
フランス版“MUSCLE”誌。創刊は5年前、1974年10月。発行元は前記“PLEINE FORME”誌と同じ。3カ月に1度。編集者は、ルシェン・デミールズ、マーク・ハンカード他。7フラン(約350円)。
以上は、パリ国鉄のサンラザール駅や、モンパルナス駅、および北駅、東駅の各マガジン・ショップで容易に手に入る。
フランス版“MUSCLE”誌。創刊は5年前、1974年10月。発行元は前記“PLEINE FORME”誌と同じ。3カ月に1度。編集者は、ルシェン・デミールズ、マーク・ハンカード他。7フラン(約350円)。
以上は、パリ国鉄のサンラザール駅や、モンパルナス駅、および北駅、東駅の各マガジン・ショップで容易に手に入る。
フランスの"PLEINE FORME"誌
IFBB系のフランス版“MUSCLE”誌
~オランダ・ベルギー~
"Music News”誌。デンハーグに本部を置くオランダ・パワーリフティング・アンド・ボディビルディング協会(NPBO)の公式機関誌。創刊は3年前の1976年。編集者はキーズ・V・ヴェルデン他。
国際編集委員にオスカー・ハイデンスタム、ピーター・フアッシング、サージ・ヌブレらが名をつらねている。
発行は2カ月に1回。30ギルダー(約300円)。オランダ、ベルギー両国共通誌。
記事の中、ミスター・ベルギー、WABBA(World Amateur Body Building Association)ミスター・ヨーロッパの各1978年度コンテストの模様が報告されているので、それぞれの優勝者をここに記しておこう。
<ミスター・ベルギー>
ピエール・ヴァンデンスティーン
<WABBAミスター・ヨーロッパ>
○ショートマン
ピエール・ヴァンデンスティーン(ベルギー)
〇ミディアム
マッサロニ(イタリア)
〇トールマン
ビル・リチャードソン(イギリス)
○オーバーオール
ビル・リチャードソン(イギリス)
”Music News”誌はオランダ、ベルギー各地のやはり国鉄主要駅で手に入れることができる。
国際編集委員にオスカー・ハイデンスタム、ピーター・フアッシング、サージ・ヌブレらが名をつらねている。
発行は2カ月に1回。30ギルダー(約300円)。オランダ、ベルギー両国共通誌。
記事の中、ミスター・ベルギー、WABBA(World Amateur Body Building Association)ミスター・ヨーロッパの各1978年度コンテストの模様が報告されているので、それぞれの優勝者をここに記しておこう。
<ミスター・ベルギー>
ピエール・ヴァンデンスティーン
<WABBAミスター・ヨーロッパ>
○ショートマン
ピエール・ヴァンデンスティーン(ベルギー)
〇ミディアム
マッサロニ(イタリア)
〇トールマン
ビル・リチャードソン(イギリス)
○オーバーオール
ビル・リチャードソン(イギリス)
”Music News”誌はオランダ、ベルギー各地のやはり国鉄主要駅で手に入れることができる。
オランダの”Music News”誌
月刊ボディビルディング1979年6月号
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