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★第32回ミスター・コリア大会、第10回日韓親善大会に出席して★

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月刊ボディビルディング1981年4月号
掲載日:2020.05.08
韓国ボディビル界の現状
目を見張るレベルの向上と底辺の広さ

IFBB・JAPAN理事長 大久保 忠義

10年目を迎えた日韓親善大会

 昨年12月5日、団長の私と監督の益田相福氏、滝川守選手、堀カメラマンの4人は午後4時、金浦空港に到着。機内から一歩外に出てびっくりした。福岡から50分という距離なのに凄く寒い。日本の寒さとは、寒さが違う。とにかく寒いのだ。
 空港ターミナルで入国手続きをすませ、出口の方を見ると、例年のことながら大韓民国ボディビル連盟の会長以下、役員たちが出迎えに来てくれていた。堅い握手を交し、肩をたたきあって再会を喜ぶ。
 空港の外に出ると道路はカチンカチンに凍結しており、山は雪で白一色である。ちょうど国旗降下の時間で、歩いている人は立ち止まり、車は停車して、降下する国旗に対して敬意を表していた。
 こんな風景は日本では見られないが外国ではごくあたり前のことである。私は以前、海上自衛隊に勤務しており練習艦隊でアメリカやカナダ、南米などの各地に寄港したとき、やはり韓国と同じように国旗を大切にしているのを目にして来た。国旗を大切にする心が、すなわち愛国心につながるのだと思う。
 ホテルに向う車中で見る市内の様子も、5年前に訪韓したときとはずいぶん変った。高層ビルが増え、立体交差の道路も目につく。韓国の経済成長は素晴らしいと聞いていたが、都市機能の発達ぶりを見ただけでも、それがうかがえる。自動車も多く、その80%がポニーという1500ccクラスの国産車だそうだ。いまでは オートマチックの国産車がつくられているという。
 YMCAホテルに着くと、ロビーに一足先に東京からの直行便で来た金平選手の姿が見えた。
 その夜は自由行動で、夜のソウル市内を歩いてみた。私達はその寒さにふるえているのだが、道行く人達は、とても軽装である。韓国の人に言わせると『これくらいは、寒いうちに入らない』ということだが、韓国人のいう本当の寒さとは、いったいどんなのをいうのだろう。夜9時頃だったが、凍りついた道路で子供たちが滑って遊んでいた。
 今夜の市内見物の案内役は、監督の益田氏で、彼は仕事で1年間に数十回も訪韓し、自称、李王様の末えいだとうそぶいているほどである。私達は安心して益田氏の後につづく。
 先ず最初に入ったのが、最近オープンしたばかりだというマンモス・キャバレーである。一番奥の方がかすんで見えるほどの大きなこのキャバレーがびっしり満員である。運よく席がとれ韓国の有名歌手の歌や、美人ダンサーの踊りをたっぷり楽しみ、つぎは益田氏のいきつけの店があるから行こうというので、寒い街の中をウロウロ歩き回った。
 途中、プーンと何とも言えない良い匂いがしてきた。見ると、屋台で鳥の足を唐揚げしていた。これをどっさり買いこみ、益田氏のいきつけの店で1杯やり、11時半頃ホテルに帰った。それから今度は、さっきの唐揚をサカナにウイスキーを飲みながら、みんなでボディビル談義や人生感の話に花が咲き、夜の更けるのも忘れて語りあった。
 6日は昼食後、ショッピングに出かけた。韓国連盟より差し向けてくれた案内人が、土産物店に連れて行ってくれ、とても安く買うことができた。小遣いのあまりない私達にとって、たいへんありがたいことであった。買物のあと、韓国有数のロッテというショッピング・センターに立寄ったが、その大きさ、品物の豊富さ、お客の多さにびっくりした。また、美人の多かったこともつけ加えておこう。
[日本選手団を代表してメッセージを述べる私]

[日本選手団を代表してメッセージを述べる私]

 夕方から韓国式のパーティーに招待された。会場は日本大使館のすぐ近くの料亭で、大韓力道連盟の役員たちが、一生懸命接待してくれ、その心遣いに感謝した。韓国ボディビル連盟の金会長とは10年来の付き合いで、金会長はIFBBアジア連盟の執行部委員でもある。
 その執行部委員の目から見た、日本のボディビル界について、通訳の益田氏を交え、いろいろと話し合う機会がもてたことは、今後のIFBB日本連盟の進むべき道の参考になった。
[ライト・クラス上位3名]

[ライト・クラス上位3名]

[ミドル・クラス上位3名]

[ミドル・クラス上位3名]

大幅に向上した韓国のレベル

 7日、金氏と一緒に昼食をとりながら2時間ばかり話し合い、タクシーで今日の第32回ミスター・コリア大会、および第10回日韓親善大会の会場に向う。
 30分ばかりでソウル郊外のチャンシル学生体育館に着く。出来たばかりの立派な体育館である。学生用にこのような立派な体育館をつくる韓国の体育教育の姿勢、それに高校・大学の体育の正式課目にボディビルを取り入れて基礎体力の養成に力を入れている現状を見てほんとうにうらやましいと思った。また、ボディビル連盟が一本化していることも、力を最大限に発揮できるのであろう。
 案内されて会場に入るや、以前、日本を訪れた役員や選手達が近づいてきて、握手ぜめで再会を喜び合った。握手のあとみんな印を押したように『雨森ヘイジャン(会長)は元気ですか』という言葉が必ず入る。これは雨森IFBB・JAPAN前事務総長が10年間に及ぶ長い年月、日韓親善の要となって交流してきた結果であると思う。
 いよいよ第32回ミスター・コリア、ならびに第10回日韓親善大会の開幕である。
 日本を代表する私達は少人数ではあるが、胸を張って最前列に整列する。そして後ろに70名あまりの高校生と一般の選手が並ぶ。観客も全員起立して国旗に向い国歌が吹奏される。張専務理事の開会宣言につづき、大韓力道連盟の李会長が挨拶。
 そして日本選手団長として私が紹介された。私は『日韓親善大会も記念すべき10年目を迎え、これからも絶えることなくつづけていきたい』と声を大にして宣言した。
 お祝のメッセージが終って、審査員が発表された。今回の特色は、審査員に政治家や報道関係者、芸術家と、まったく分野の違う人を入れたことである。もちろん、韓国のボディビル関係者や、国際ジャッジの資格をもつ私も選ばれた。
 審査は、まず高校生のクラス別審査が行われ、つづいて一般のクラス別審査が行われた。日本を訪れたことのある選手も何人か出場していた。各クラスの入賞者のレベルが上がったことに目を見張った。日本の選手も、しっかりしなければどんどん引き離されてしまうのではないかと思う程、全体的にレベル・アップしている。
 一般の部のライト・クラスで優勝した選手は陸軍の軍人で、バルクもありカットも良かったが、首の細いのが気になった。ミドル・クラス1位の選手は、全身よく発達し肌もよく焼きこんでいて欠点がない。ライト・ヘビー・クラス1位の選手は、スタイルよし、顔よし、カットもありバルクもある。しかし下半身、とくにカーフが全くない。
 各クラス別の審査が終り、総合優勝はこの3名に絞られた。審査員が別室に入り、話し合った。そして、外国からのただ1人の審査員の私の意見を求めてきた。私は『3人とも甲乙つけがたいが、あえて1人を選ぶとすればミドル・クラスの優勝者を選ぶ』と、前述のような意見をつけ加えて言った。
 やはり、総合優勝はミドル・クラスのシン・ヤング・ユング選手に決定した。彼はアジア大会でもライト・クラスで2位に入賞している素晴らしい選手で、しかも実に控え目の好青年であった。
 4時間あまりの大会を終え、大会々長から差し回された大型自家用車でホテルに戻る。ひと休みしたあと、夕食に本場の焼肉を食べに行く。いつものことながら、次々と料理が運ばれ、しかも量が多いのだ。とても食べきれたものではない。
 8日、みんなでそろって市内見物に行くことにした。昼近くだったので、韓国人の普通一般の人が入る食堂で昼食をとろうというわけで、タクシーに乗ることにした。ところが5名であるため、2台ではもったいないということで、少し大きめのタクシーを止めチップをはずんで5名が乗り込む。折り重なるようにして乗っている私達を見て運転手が笑い出す。それにつられて私達も笑った。せめて外国に来たときくらいは、すべてに余裕をもって、大らかな気持ですごしたほうがいいと思った。
 食事のあと、街をぶらついてみたが、とにかく寒くて見物する気にもなれない。こんな寒い時に観光するのは私達だけかと思ったら、なんと常夏のシンガポールからの観光団がいたのには驚いた。
 『寒くないか?』と聞いて見ると、『寒い、寒い。でも生まれて初めて雪を見たので、いい土産話が出来た』と喜んでいた。
 こうして短い期間ではあったが、その間、韓国連盟の金会長をはじめ、役員の方々の温かいおもてなしに、ただ感謝あるのみである。今後は、国際親善と日韓ボディビル界の交流のために少しでも多くIFBBの役員が参加してくれるよう希望して筆を置く。
[ライト・ヘビー・クラス上位3名]

[ライト・ヘビー・クラス上位3名]

[ゲスト・ポーズを披露する滝川選手。後方が金平選手]

[ゲスト・ポーズを披露する滝川選手。後方が金平選手]

月刊ボディビルディング1981年4月号

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