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★ビルダー・ドキュメント・シリーズ★
上原隆一のチャレンジ・リポート 1979年7月号

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月刊ボディビルディング1979年7月号
掲載日:2018.11.09
---川股 宏---

◇もうこれでダメか◇

 7月から9月にかけては、例年、ボディビル・コンテストのシーズンである。地方コンテスト、ブロック・コンテスト、そしてユニバース選抜大会、アポロ・コンテストがあり、最後にミスター日本コンテストとつづく。

 1年間の精進が実り、目指す表彰台の上で天にも昇る心地の人、はたまた努力の甲斐もむなしく入賞できず、失意のどん底に沈む人・・・・・。関心のない人からみたら、なんだたかが筋肉の比べっこじゃあないか。優勝したからといって賞金が出るわけじゃなし』と思うかも知れないが、ボディビルを愛し、ボディビルに魅せられた者にとっては、それこそコンテストの一瞬に賭けて、激しいトレーニング、きびしい食事法をやってきたのである。

 だから、コンテストの結果が、そのビルダーにとっては、はた目以上に、大げさにいえば人生を左右しかねないほどの大きな意味をもっているといえるかも知れない。

 しかし果たして、出足よく表彰台に登った人が、すべてその後、トントン拍子にトップ・ビルダーになり、逆に表彰台どころか、予選であえなく失格した者が絶対にダメかというと、必ずしもそうでないところにボディビルの面白さ、いや人生の面白さがある。

 ここに紹介する上原隆一選手は、最初は上々の出足だった。トレーニング開始後わずか1年で、初出場した昭和49年度ミスター東京コンテストで堂々2位に入賞というセンセーショナルなビューであった。

 「ようし、来年はミスター東京、そして3~4年後にはミスター日本の表彰台に登ってやろう」と考えたとしても無理はない。しかし、その後、大きな夢とは逆に体の方は遅々として発達せず、ミスター東京コンテストでも優勝どころか、翌50年は5位、51年は8位というさんたんたる結果であった。

 最初が良かっただけに、その後の成績にガッカリすると同時に自信まですっかり失なって、もんもんとする日がつづいた。

 「こんな一文にもならんもん、やめちゃおうか。勝ったからといってどうというんだ」と何度思ったか知れない。そんな彼のくやしさを知ってか知らずか『奴は酒が好きだからダメさ。それに、ちょっとぐらい体が大きいからって天狗になっているのと違うか』と陰でささやく。それでいて面と向っては『この頃また一段とよくなったね。今年は優勝バッチリだね』などとおだてるから、また迷う。

 当時、田端ボディビル・アカデミーでトレーニングしていた上原は、そんな状態の中で昭和52年9月,4度目のミスター東京に挑戦した。これまでにない心血をそそいだトレーニングをつんで、バルクもデフィニションも十分に手ごたえがあり、心の中では大いに期するものがあった。が結果は7位。無残であった。

 同じジムのライバル、加藤利男選手が3位、完全に追い抜かれた。彼は大きなショックを受けた。そして彼をおそったものは「これでケジメがついたボディビルなんてヤメちゃおう」だった。
1978年度ミスター東京コンテスト。左から2位・上原、1位・福岡、3位・加藤

1978年度ミスター東京コンテスト。左から2位・上原、1位・福岡、3位・加藤

◇少年時代の思い出◇

 そんな時、ふと頭の中をよぎったのは幼いときの体験だった。「そうだ。あのときのショックに比べれば、今の方がよっぽどましだ」

 あのときとは、彼の小・中学校時代のことである。

 当時の上原少年は、ブヨブヨの肥満児だったのである。洋服を着ていれば一見強そうに見えるが、実際は、どんな運動でも、重すぎる体重がじゃまをして満足にできない。とくに、鉄棒やマラソンは彼の最も苦手とするところだった。

 少年時代は、少々勉強ができなくても、運動が上手で、ケンカに強い子供が英雄視される。それに対して、動作ののろい者は何かにつけて笑い者になる。そんな、見かけだおしの力のないデブの体質は少年の心に大きな劣等感をもたせた。

 そして、上原少年は、この劣等感によるショックを克服するため、中学に入って間もなくレスリング部に入り、人に倍した努力を重ね、立派に体力のあるひきしまった体に変身させた実績体験をもっている。だから、今度のミスター東京コンテストで不本意な成績だったくらいのショックは少年時代の劣等感によるショックに比べればはるかに程度が良さそうだと思えてきたのである。

 一度こう考えると、若くて楽天的な性格だけに立ち直りも早い。「世の中はそんなに甘いもんじゃあない。一度や二度の失敗やショックでしょぼんとしていたら生きていけない。いっそこれを踏み台にして、もう一度初心に戻ってやってみよう」と、昨日までふさぎこんでいたのがウソのようにどこかへふきとんでしまった。
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◇ーから出直し◇

 心の中で、ショックをおそれず、前向きに挑戦しようと決心すると人間は非常に強くなり、クヨクヨ悩んでいた弱々しさが、まるで別世界のように感じてくる。

 しかし、中にはショックに打ちひしがれ、心の葛藤に負けて、とかく楽な方をえらび、ショックから逃避しようとする者が多い。こんな逃避した弱気な生活からは無気力、退屈さしか生じないことを体験として知っている上原は、逃避すること、あきらめることが最大の敵だと思った。

 ところで、「立ち直るにはどうすべきか」と、ここ数年、低迷をつづけていた上原は、自分なりに客観的に自己分析をしてみたのである。その結果次のような結論に達した。

◎自分は劣等感を感じるのがイヤで、これまで自分よりすぐれている人を避けてはいなかっただろうか。これからは、すぐれた人に積極的に教えを乞うべきではないだろうか。

◎井の中の蛙のように、小さい場所で天狗になっていたことを認め、もっと高い目標に向って努力しよう。

◎良い結果を期待せず、コンテストも失敗を覚悟でがんばろう。そうすれば負けてもクヨクヨすることはない。心の葛藤はコリゴリだ。

◎小さくまとまった体より、時間はかかってもかまわないからスケールの大きいビルダーを目指そう。それがためにはトレーニング法も思いきって変えてみよう。

 こうして、一時的な「一丁、やったろう」というような思いつきではなく地に足のついたチャレンジとなったのである。だから、一から出直し”この言葉が昭和52年の上原には一番ふさわしい言葉となったのである。

◇努力して獲得した喜び◇

 “宮畑豊”上野・御徒町に「サンプレイ・トレーニング・センター」を開設したトップ・ビルダー兼オーナーである。この人こそ、上原にとって新らたな気持で出直すのに最もふさわしい師だと心に決めた。

 「今までお世話になった河合会長や田端のジムを去るのは、何か裏切り行為のようで忍びない。だが、いま俺に必要なのは、時には師としてきびしく、時には兄貴のようになんでも打ちあけられる人が必要なんだ。すべてを宮畑会長に一任して出直したいんだ。田端ジムの皆さん許してくれ」と、気持も

 新たに“サンプレイ・トレーニング・センター”の門をたたいた。昭和53年1月のことであった。

 入会と同時に、初心者とわけへだてなく前・横・後の写真をとり、体形や諸筋の発達状態やバランスを調べる。さらにきびしく欠点をビシビシ指摘する会長の態度は上原の期待するものとまったく一致した。

 たとえば、「まず腹筋、脚を1からやり直し!」と強い語調でいわれた時は、今まで他の会員よりいくらか経験も多く、先輩ズラをしていた上原は頭をガツンとなぐられた思いだった。

 が、なによりもうれしかったのは、宮畑会長から『君の場合はどこを改善するか、どういう方法でやるか』を具体的に示されたことである。そして、生まれ変ったつもりでトレーニングに打ち込むことができたため、思いのほか早くスランプから抜け出せたのである。

 その上、各部の筋肉や、トレーニング法、重量、スタミナ等において、はっきりと宮畑会長との差をみせつけられ、『確かに自分は井の中の蛙であった』と認ざるを得なかったのである。

 入会してすぐに指摘された腹筋は、上原にとって最もふれられたくなかった場所であった。ここ数年の低迷の原因が弱い腹筋にあったことは十分承知していたが、どうしても直し得なかった部位だったのである。だから「自分の腹筋は体質的なもので、もうこれ以上どうにもならないんだ」とあきらめかけていたのである。

◇再度の2位と腹筋の部分賞◇

 『上原君一緒にやろうや』と、会長から声をかけられた。昭和53年度のミスター東京コンテストの前、約3ヵ月間、毎日1時間マンツーマンでしごかれたのである。

 その結果、あきらめていた腹筋が徐々によくなり、コンテストの直前には見事なデフィニションを示してくれたのである。

 「本当にボディビルをやり続けていて良かった。俺もこんな腹筋になれるのか」とうれしくて、何度も段々になった腹筋をなでたものである。

 記憶のよい読者はすでに気がついていると思うが、上原は53年度ミスター東京コンテストで2位に入り、腹筋の部分賞を獲得したのである。

 このことについて宮畑会長にたずねてみると、『やはりビルダーにとって腹筋は絶対不可欠のものです。いくら腕や胸がよくても、体の中心にある腹筋が弱かったら迫力が全然違います』と腹筋の重要性を強調する。

 とにかく、前にも一度、ミスター東京2位に入賞している上原が、「53年度の2位こそが、俺にとって本物の2位」とウソ偽りもなく思えたのは、この腹筋をはじめとする欠点克服のための努力が充実していたからにほかならかない。

 (つづく)
月刊ボディビルディング1979年7月号

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