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1979ABBFアジア選手権大会に参加して <その1>

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月刊ボディビルディング1980年1月号
掲載日:2019.02.27
初の国際大会参加とプレジャッジ
1979ミスター・アジア・ミドルクラス2位・菊池 正幸

初の国際大会参加に緊張

 9月11日。いよいよ明日は日本を飛び発つ。そして私のボディビル人生において、最良の日を迎えようとしている。この事を誰が予測できたであろうか。他ならぬ私がまだ夢心地なのだから。

 そう、私はこの12日から16日までフィリピンのマニラにおいて行なわれるアジア選手権に、IFBB・JAPANの代表として、阿野田英生さん、黒木寿さん、そして国際総局の松山令子先生と共に参加することになった。

 私を今日まで温く見守り、また時には厳しく叱咤激励して育ててくれた、師であり兄のような伊藤孝一さん(東北トレーニング・センター会長)をはじめ、お世話になった多くの方々への感謝の気持が頭の中を去来し、なかなか寝つかれない。

 仙台を10時に出て、磯村さん(IFBB東日本理事長)宅についたのが午後3時。それからボディビル誌に載せる写真撮影を行ない、今夜は磯村さん宅にお世話になることになった。

 9月12日、磯村さん一家のさわやかな明るい話し声で目が覚める。奥様の真心のこもった手料理をご馳走になり、すぐ身仕度をととのえて駅に向う。

 9時30分、「しっかり頑張ってきなさい」の磯村さんご夫妻の激励を受けて小岩駅を発つ。

 成田駅でバスに乗り換える。物々しい警戒である。途中で一度検問に会い12時10分、ようやく成田国際空港に到着した。

 集合場所のノースウエストのカウンターを捜していると、向うから松山先生、阿野田さん、黒木さんがやってくるのが見えた。これで全員無事にそろう。しかし私の十分遅れで、みんな大変心配されたらしい。やはり、団体行動をするときは充分余裕をみておかなければいけないと後悔する。

 チェックインまでだいぶ時間があるので空港内のレストランで食事をしたり、明日からはじまるコンテストの予想などをして時間をつぶす。

 午後4時、いよいよチェックインが始まる。規定の手続きをすませ、税関を通り、機内に乗込む。5時30分、我々を乗せたジャンボ・ジェット機は、沖縄経由、マニラへと飛び発った。

 しばらく仮眠していると、間もなく那覇空港に着陸するとのアナウンス。シートベルトを締めて窓から外を覗くと、絵に書いたような美しい市内の夜景が目に飛び込んできた。

 停まること約20分。機は再び闇の中に飛び発った。途中、時差の関係で時計の針を1時間遅らせる。

 スチュワーデスの運んできた機内食を食べたり、入国手続用紙に必要事項を書き入れたりしていると、間もなくマニラ空港に到着するというアナウンスが流れてきた。高ぶる気持を抑えながら、シートベルトを締める。

 機は二度三度大きくバウンドして、やがて吸いつくように止まる。時計は9時を少し過ぎていた。

 タラップを降りると、まずそのムッとくる南国特有の暑さに驚く。入国手続をすまして空港の外に出る。タクシーをひろい、指定のホテル・ミラドールへと急ぐ。20分ぐらい闇の中を突っ走ってやっとホテルに着いた。

 フロントで手続きをすませ、ボーイに部屋を案内してもらう。私と阿野田さんが一緒で、すぐ隣に黒木さん、少し離れて松山先生と続く。今日のあわただしかった1日を振り返り、何よりも全員無事に着いたことに感謝する。明日に備えて早々にベッドにもぐり込み、隣りの阿野田さんと健闘を誓い合って、眠りにつく。

いよいよ本番、プレジャッジ

 9月13日。7時30分、ベッドから跳ね起き、マニラでの最初の朝をむかえる。阿野田さんはすでに洗面をすませて戻ってきた。

 午前10時から検量が行なわれ、午後2時から、いよいよプレジャッジの開始である。国際コンテストでは、このプレジャッジの段階で順位を決定してしまう。だから、後で述べるように微に入り細にわたり、とにかくクタクタになるまで徹底的に審査される。そして、その結果は、翌日の正式会場での発表まで伏せられている。

 そうこうしているうちに、黒木さんが現われ、松山先生を誘ってみんなで食事に行く。もうすでに各国の選手や役員たちが食事をしている。IFBB審査委員会のオスカー・ステート氏の顔も見える。

 我々が入っていくと、みな一斉にこちらに顔を向け、温いほほ笑みで迎えてくれた。松山先生は、アジアのIFBB関係者とも交際が古く、また、何年ぶりかの再会ということもあって話がはずみ、食事をされるいとまもないぐらいだった。たんに我々を国際コンテストに連れてくるということのほかに、アジアの、また世界中のあらゆるIFBB加盟国との間の親善や交流を担うという重要な仕事があることを新ためて知った。
[体重測定を無事通過してほっと笑顔の日本ティーム。うしろで各国の選手も笑顔をならべる。(松山)]

[体重測定を無事通過してほっと笑顔の日本ティーム。うしろで各国の選手も笑顔をならべる。(松山)]

 和気あいあいのうちに朝食を終え、廊下に出ると、ばったり野沢さん(健康体力研究所社長)に会った。「ちょっと暇ができたのでコンテストを見に来ました」という。いかにも野沢さんらしいバイタリティーだ。

 検量が始まる時間がきたので、部屋でトレパンに着替えて、このホテルの9階に設けられたプレジャッジの会場に急ぐ。

 このアジア選手権は、バンタムクラス(65kg以下)、ライトクラス(70kg以下)、ミドルクラス(80kg以下)、ライトヘビークラス(90kg以下)、ヘビークラス(90kg以上)の5クラスに分かれて争われる。

 日本からは、阿野田さんがバンダムクラス、私がミドルクラス、黒木さんがライトヘビークラスにエントリーしている。

 やがてバンタムクラスから検量が始まる。体重を気にして、朝食を控えめに食べていた阿野田さんがまず無事にパス。私は難なくパス。黒木さんは阿野田さんとは逆に、軽すぎはしないかと心配していたが、これまたパス。これで3人とも無事に第一関門は通過した。

 それにしても、各クラスの検量を見て感じたのは、バルクのすごさだ。どう見てもそのクラスのリミット以上に見えるバルクの持主が各クラスに2,3人はいる。

 あたりを見回わすと、1人、見覚えのある選手が目に入った。Gメンでおなじみの、あの香港の空手アクションスター、ヤン・スウ選手だ。彼はライトヘビークラスにエントリーしており黒木選手が戦う相手だ。それはともかく、声をかけ、彼と一緒に記念写真を撮る。

 12時近くにすべての検量が終り、レストランで昼食をとる。フィリピン料理は実においしい。とくに果物は新鮮でおいしく、さすが南国ならではのものという感じだ。
[カメラマンから大いに受けた阿野田選手のポーズ(松山)]

[カメラマンから大いに受けた阿野田選手のポーズ(松山)]

[全身バランスよく発達した筋肉が賞賛された菊池選手(松山)]

[全身バランスよく発達した筋肉が賞賛された菊池選手(松山)]

プレジャッジ開始

 2時ちょっと前、ビルダーパンツの上にトレパンをはき、カメラとタオルをぶら下げてプレジャッジ会場に行ってみると、すでに200人くらいの観客が入っている。日本のコンテストと違って、プレジャッジ風景も一般公開するようだ。

 やがて審査員が席につき、コンテストに関する一連の注意のあと、いよいよバンタムクラスからプレジャッジが開始された。

---バンタムクラス---

 このクラスに出場する阿野田さんは舞台裏でパンプアップに励んでいる。私と黒木さんは舞台下でカメラを構える。

 やがて各国の精鋭7人が入場し、正面を向いて整列する。とても65kg以下とは思われない選手ばかりだ。リラックスポーズから始まり、ターニングライトの指示で、前面・側面・背面・側面・前面と、自然体で1回転する。

 中に1人だけ飛び抜けて素晴らしい選手がいる。シンガポールのモウ・テク・ヒン選手だ。彼のことは、出発前夜、磯村さん宅で写真を見たり話を聞いたりして、ある程度のことは知っていたが、その頃(2~3年前)から比べるとかなり良くなっていた。身長はせいぜい150cmくらいしかないが、褐色の皮膚にバルクとディフィニッションがハイレベルにマッチし、どこといって欠点のないそのバランスの良さは今大会屈指の選手だ。とくに彼の眼光の鋭さからは、厳しい修練に耐えてきた者のみがもつ、他を圧する気迫が感じられた。

 その他の選手も決して悪いわけではなく、日本のコンテストに出れば、いずれも1,2位を争う選手ばかりだ。

 次に基本ポーズに移り、ここで徹底的に比較審査が行なわれる。そして、さらに1人ずつ、リラックス、基本、フリーとそれぞれのポーズをとらせて審査をする。

 阿野田さんは、リラックスポーズでやや胸の厚みが足りないような気もしたが、ポーズが決ったときの美しさではNo.1だった。最前列に陣どってカメラを構えていたアマチュア・カメラマンがさかんにシャッターを押していたのが印象的だった。

 こうしてようやく審査が終り、阿野田さんが息を切らして帰って来た。そして開口一番「えらいシンドイわ」。それもそのはず、なんとバンタムクラスの7人だけで約1時間もかかっての大熱戦だった。

 続いてライトクラスが始まったが、私はパンプアップのため舞台裏に行ったので、このクラスはほんのちょっとのぞいただけだが、イラクの選手で、すごい迫力のあるビルダーが目についた。

 舞台裏では、ミドルクラス以上の選手がパンプアップに精を出していた。この光景は、話す言葉も、髪の毛や肌の色も違うが、日本のコンテストと全く同じだ。ただし、重いクラスということもあるが、そのバルクの大きさは日本のコンテストではちょっと見られないすごさだ。

 ライトヘビークラスのヤン・スー選手もすでにパンプアップをすませていた。バルクはかなりあるがデフィニッションがあまりなく、あと10kgくらい減量しないと上位入賞は無理のように思われた。

---ミドルクラス---

 ライトクラスも終りに近づき、私の出場するミドルクラスが呼ばれ、ゼッケン順に並ぶように指示された。このクラスは8ヵ国8人のエントリーだ。それにしても80kg以下とは思われない選手が2,3人いる。

 いよいよミドルクラスがコールされ審査が開始された。審査員が一斉にこちらに目を向ける。緊張のため胸が高鳴り、正直なところ、このときは上位入賞の自信もなく、棄権して日本へ帰りたいとすら思った。

 例のごとくリラックスポーズから入る。舞台下に阿野田さん、黒木さんの顔が見える。松山先生の心配そうな顔も見える。

 つづいて基本ポーズに移り、ダブルパイセップスポーズから始める。このへんでようやく胸の動揺が治まった。

 最後はフリーポーズである。すでに40~50分はたっている。私はコールされるまでの僅かの時間、必死にパンプアップを行なったが、どうしたわけか汗も出ないしパンプもしない。

 極度の疲労の中であえいでいると、コールがあり、最後の舞台に立つ。カをふりしぼって1分間のフリーポーズを行なう。こうして舞台裏に戻ったときは全身の力が抜け、立っているのがやっとの状態だった。

 私のクラスで目についたのはイラクのタリブシャハブ選手で、全体のバルクがものすごく、とくにマスキュラーポーズをとったときの迫力は、大く浮き出た血管とともに形容しがたいほどのすごさだった。その他にも、マレーシアのバスリケラナ選手、韓国のティ・ピュン・キン選手等、いずれ劣らぬつわものぞろいだ。

 やがて最後の選手もフリーポーズを終え、これで1時間におよんだミドルクラスの激闘に終止符が打たれた。今日の判定は、明日の大会々場で発表される。
[得意のポーズを見せる黒木選手(中央)引き立て役のようなパキスタン選手(左)。イラクの選手は横からは冴えない。(松山)]

[得意のポーズを見せる黒木選手(中央)引き立て役のようなパキスタン選手(左)。イラクの選手は横からは冴えない。(松山)]

---ライトヘビークラス---

 さて次は、黒木さんの出るライトヘビークラスだ。しっかり頑張るよう握手を交わし、急いで舞台下に廻り、カメラを構える。

 間もなく、8ヵ国8人の選手が舞台に現われた。さすがにこのクラスになるとバルクがすごい。しかし、全体的にカットがもうひとつ。その中でも、黒木さんの日焼けした皮膚とマッチしたプロポーションは、審査員の目を引きつけるのに十分だった。

 かなり実力は接近しているが、黒木さんとイラクのアジズ・アブダル・ガム選手の優勝争いのように思われた。

 比較審査が終わり、最後のフリーポーズに移った。堂々と落ち着いて、流れるようなポージング、そしてピシッときめるテクニックは、なんといっても黒木さんの右に出る者はいない。アジズ選手は終始にこやかに笑みをたたえ、シュワルツネガーの得意ポーズを多用していたのが印象的だった。ホンコンのヤン・スー選手は、空手の型からヒントを得たような、彼独特のポージングで、つめかけた観衆を沸かせていた。

 やがてライトヘビークラスも終了し最後のヘビークラスへと移った。

 このクラスの出場選手は6ヵ国6人である。さすがにバルクはあるが、カットがあまりなく、世界とのレベルの差はかなりあるように思われた。このクラスもイラクの選手がよかった。

 全体を通じての感想は、イラクがバンタムクラスを除いた各クラスに、素晴らしい選手を派遣してきたことだ。彼らの特徴は、何度もいうように、すごいバルクと、それに負けないだけのディフィニッションも兼ね備えており、とくにマスキュラーポーズをとったときの迫力ときたら、とても私の拙い文章ではこれを表現することができないほどのすごさだった。

 また、他の選手も、未完成ではあるが、部分的には目を引くものをもっており、今後、彼らが自分の欠点を直して出てくる時には、バルクがあるだけに、私を含めて日本の選手は、そうと頑張らないと、ユニバースはおろかアジアでもかなり苦戦を強いられるように思われた。

 部屋に戻り、松山先生を交えて、プレジャッジの感想や反省点を出し合って、しばし討論。時計を見ると、もう8時になろうとしていた。

 夕食後、ホテル内のレストランに行き、ビールで今日の健闘に乾杯する。そのビールのうまかったこと。酔いも手伝って話がはずみ、果ては恋物語まで出る始末。

 すっかり酔いがまわり、夜も更けてきたので、各自部屋に戻り、眠りにつく。

 (次回は、マルコス大統領ご出席のもとに開かれたアジア選手権本大会の模様と、フィリピン観光等について書くつもりです。)
月刊ボディビルディング1980年1月号

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