フィジーク・オンライン

1978年度NABBA
ミスター・ユニバース観戦記

この記事をシェアする

0
月刊ボディビルディング1979年1月号
掲載日:2018.08.09
日本ボディビル協会理事長 玉利斉

〝アマ・トールマン・クラス〟

 トールマン・クラスの結果は、1位が英国のビル・リチャードソン、2位がアメリカのタイロン・ヤング、そして3位にジャマイカのチェン・ウイントが入った。
 1位のビル・リチャードソンは、どちらかといえばズン胴で、シェイプはあまりよい方ではないが、長い年月をかけて鍛え込んだ筋肉は、地味だが、いかにも渋い味のビルダーだ。
 2位のタイロン・ヤングは、若々しい伸々とした筋肉をもった選手だが、まだまだバルク、デフィニションともに甘く、これからの選手といったところだろう。
 3位のチェン・ウイントは昨年に引続いての出場で、美しいプロポーションと、静止しての華麗なポージングは相変わらずだった。過去に優勝の実績をもちながら、その栄光にこだわらずいかにもコンテストを楽しんでいるという感じで出場していた。余談だが、今年のミス・ビキニの優勝者サンドラ・コング嬢がウイントと同じジャマイカの出身だったので、パーティで彼と一緒になったとき、「君の彼女かい」と冷かしたところ、彼は笑って「いや彼女じゃあないが、私が連れて来たんだよ」と答えていた。
 4位になった英国のジョン・ウッドは、ヨーロッパでは特異なビルダーの1人だ。というのは、バルクがとくにあるわけでもなく、かといってカットの切れ味がよいわけでもない。ただ、ポージングがすば抜けて巧みなのである。そのポージングも流麗な動きがあり、静止した美しさの強調があり、見事な金髪と相まって、さながら筋肉で表現するバレーを観るような素晴らしさがいまも印象に残っている。
 筋肉だけの採点なら、彼より上位にランクされてもよい選手が数人はいたと思われるが、NABBAのコンテストの面白さは、人間の肉体を発達した筋肉という一面からのみとらえないで動きを含めた総合的な肉体美としての面を重視するので、このような結果がしばしば起こる。須藤孝三選手の人気がNABBAで素晴らしいのも、このあたりに原因があるからだろうと再認識した次第である。

〝アマチュア総合の部〟

 アマチュアの部のオーバーオールは1位がデイブ・ジョーンズ、2位がビル・リチャードソン、3位がサルバドール・ルイズの順だった。ジョーンズの1位は誰が見ても文句なく圧倒的な勝利だったといってもいいだろう。
 舞台を降りたジョーンズは愛嬌のよい好青年で、昼食をしていた私のテーブルにやってきてビールをサービスしてくれ、「シゲル杉田は元気か。彼とはビル・パールのジムで一緒にトレーニングをした仲間だ」と話しかけてきた。「元気だとも、最近、自分のジムを開設したよ」と私がいうと、「もし日本で呼んでくれるなら、よろこんで行きたい」と、来日の希望を語っていた。
 2位のリチャードソンも感じのよい男だ。彼は英国のアーム・レスリング(腕相撲)のチャンピオンでもあるそうだ。全日本腕相撲選手権大会を見ても、上位にボディビルダーがずらりと並ぶが、英国でもやはり同じらしい。
 スペインのサルバドール・ルイズは3位になって、とり巻きのスパニッシュの仲間たちが鼻高々という感じだった。大会の翌日、ホテルの前の公園でミス・ビキニと一緒に写真撮影をしていたが、いかにも嬉しそうに、いろいろポーズをとりながら何枚も何枚も写していた。
アマ総合優勝のデイブ・ジョーンズと語る筆者

アマ総合優勝のデイブ・ジョーンズと語る筆者

アマ総合優勝決定審査。左から2位・リチャードソン、3位・ルイズ、1位・ジョーンズ

アマ総合優勝決定審査。左から2位・リチャードソン、3位・ルイズ、1位・ジョーンズ

〝プロフェッショナルの部〟

 プロフェッショナルの部は約10名が出場したが、昨年のアマ総合優勝のバーティル・フォックスが栄冠を獲得した。2位は英国のロイ・デュバル、そして3位に西ドイツのヘルムット・レイディマイヤーが入った。
 フランスのサージ・ヌブレも出場していたが、ジャッジングでフォックスに破れたことを知って憤慨し、本番のショーを棄権してしまったので、当然受賞の対象からはずされた。
 フォックスとヌブレの勝負は、紙一重の差だった。フォックスは前年のアマ総合優勝の自信に乗って勢いがあったことは確かだ。事実、バルク、デフィニションともに一段と成長し、それに、何よりもそのポーズや雰囲気に伸びざかりの者のもつ独特の迫力が感じられた。
 一方、サージ・ヌブレは、相変わらず素晴らしい肉体と、それをアッピールするテクニックをもっていた。ただ昨年と比べて格別成長のあとは見られなかった。
 ここで、松本氏が私にくれた手紙の中のプロ部門のコンテスト評を参考までに紹介してみよう。

――印象に残ったのは、なんといってもフォックスとヌブレの勝負でした。私は、若さのフォックスとテクニックのヌブレのどちらが勝つにしろ僅差の勝負と見ていましたが、結果は、若さと筋量にまさったフォックスがベテランのヌブレを負かしました。
 やはりこの判定は正しかったと思います。ヌブレは数年前からほとんど進歩しておらず、少々あきられたのではないでしょうか。美しさという点では大したものですが、筋肉の発達面、とくにバックとカーフが完全にフォックスに負けていました。また、ポージングでも迫力という点で劣っていたのが目につきました――

 と鋭い観察をしている。
 2位のロイ・デュバルは久しぶりのカムバックだが、ガッチリとした巌のような筋肉、とくにバックは亀の甲を思わせるくらい大きく逞しかった。男性的なマスクと相まって、やはり当代一流のビルダーの1人といってよいだろう。
 3位のヘルムット・レイディマイヤーは、いかんせん、ヌブレを含めたビッグスリーの敵ではなかった。ヌブレの棄権というハプニングにより、ラッキーにも3位に喰い込んだ。しかし、ゲルマンらしいラフで逞しい雰囲気をもっており、今後の努力次第では大いに期待できよう。
プロ総合審査。左から1位・フォックス、ヌブレ、2位・デュバル、3位・レイディマイヤー

プロ総合審査。左から1位・フォックス、ヌブレ、2位・デュバル、3位・レイディマイヤー

〝各国役員や選手との交流〟

 さて、コンテスト評はこれくらいにして、今大会に出席して感じたこと、あるいは各国役員や選手との交流を通じて感じたことなどについてふれてみたい。
 西ドイツの代表としてジャッジをしていたミスター・ヤングは〝スタジオ2000〟というボディビル誌の主宰者だが、「コーゾー(須藤孝三)かシゲル(杉田茂)をドイツに派遣してもらえないか。2~3カ月、ヨーロッパ各地のコンテストでゲスト・ポーザーとして巡回してもらいたいのだ」としきりに私に依頼してきた。
 私が「帰国して2人に相談してから返事をしよう。ところで、ヌブレが設立したWABBAは、いまどんな状況になっているのか」と尋ねたところ、「WABBAといってもヨーロッパでは2~3カ国が集まれば、それはインターナショナルでありワールドだ。だからワールド・コンテストやインターナショナル・コンテストは、あえてWABBAでなくとも、絶えずどこかで開催されているわけだ。いずれにしろヌブレが設立したWABBAは始めの構想どおりにはいっていないことは事実だ」と語っていた。
 また、私が日本でアーム・レスリング(腕相撲)が盛んなことを話すと、「ドイツにも強い選手が沢山いる。イギリスも盛んだから、この3国で対抗戦をやらないか」と提案してきた。
 大会会場に向う貸切バスの中でトルコの選手団と隣り合せになり、友好を深めたが、そのときトルコのボディビル協会理事長、ヌルタン・バーカー氏が「10月にワイフと一緒に日本に観光に行く」というので、「東京についたらぜひ連絡してほしい」といっておいたところ、10月9日の夕方、スポーツ会館に突然電話があり「ミスター玉利、トルコのバーカーだ。いま東京のホテルに着いた」といってきたのには驚いた。そして、彼はすぐスポーツ会館に車をとばしてきて、東京での再会を喜び合った。
 帰国後、彼から「日本で見せてもらったスポーツ会館やDOスポーツ・プラザなどの施設の立派なことに感心した。トルコも日本を目指して頑張るのでよろしくたのむ。日本のボディビル界との末永い有好を心から望みたい。それからご馳走になった天ぷらの味が忘れられない」と丁重な便りをもらった。
 アメリカの有名なボディビル誌「アイアン・マン」のフランクリン・ペイジ氏から「オクダ選手と日本のボディビル界について取材したいので、時間をくれ」と申込まれ、彼のホテルでいろいろ話合った。取材のあと、彼は奥田選手に対して、次のようなアドバイスをしていた。
 「君は近い将来、必ずミスター・ユニバースになれる可能性を持っていると私は思う。ただ、足りない部分の筋肉の強化に留意してほしい。なんといっても腹筋が弱い。外腹斜筋も足りない。それに大胸筋の上部の発達も不充分だ。バックもアッパー・バックはよいが、ローアー・バックが足りない。これは固有背筋の練習不足だ。それから、一流のビルダーになるためには個性が必要だ。選手個人の考え方、自分が生まれた国の伝統というものを肉体に反映させてこそ、ほんとうに素晴らしいビルダーと云えるだろう。これは私の考え方だから参考にしてほしい……」
 と、ウォーミング・アップのやり方から、より重い重量への挑戦の方法、それに精神的な面にまで、味わい深い言葉を述べていた。
 私との話は、彼がたまたま美術館の部長を職業としているということから東洋と西洋の芸術の話になり、さらに肉体美に対する東洋人と西洋人の考え方の違いについての話になったり、世界のボディビル界の現状についての話になったり、とどまるところを知らなかった。
 話の中でとく印象に残っているのはボディビルダーの薬品使用に対する彼の意見である。
 「アメリカの文明というのは、確かにバイタリティに富んでいて素晴らしい。しかし、ともすると即物的に過ぎるきらいがある。それがボディビルにも影響しているように思える。たとえば、筋肉を大きく逞しくするということは、ビルダーにとって絶対の目的だが、その目的のために手段を選ばず、一部のビルダーが薬品使用に走るのは納得できない。自分の一生の健康ということを考えたら、薬品の使用は愚かなことだ。その点、日本のビルダーは私の見る限りでは薬品を使用していないので非常に嬉しい……」
 これが彼の意見だが、この考え方は私の日頃からのボディビル観と一致しており、心からの共感を彼と分ち合った次第だ。
 大会終了後、八田一朗JBBA会長の古い友人であるロンドン柔道会のチュー会長を道場に尋ねた。チュー会長は「八田さんとは50年来のつき合いになる。八田さんは昔は強くてハンサムだった。ロンドン娘のハートをずいぶんドキドキさせたものです……」と、八田会長との出会いについて語ってくれた。
 100畳以上もある道場の壁の中央に柔道の創始者、嘉納治五郎講道館長と八田会長の写真が並べてかけてあったのは嬉しかった。
 また、私が早大で柔道をやっていた頃の友人で、第1回世界柔道選手権のイギリス代表になったウオーリック・スティーブン氏に会えたのも楽しかった。彼はいま貿易会社の経営者として度々、来日しており、東京では何回も会っているが、ロンドンで会うのは始めてだった。100年以上も続いているというどっしりと落ついたイギリスの典型的なパブに案内され、イギリスの騎士道と日本の武士道についての比較から、日英両国の現在と未来についてまで、夜のふけるのも忘れて語り合った。こうして、いろいろな面にわたって極めて有意義なロンドン行きであったが、これもひとえにボディビルに打ち込んでいたからこそ、と思い、心から日本のボディビル界に感謝すると共にその正しく限りない発展を心から望んで筆を置く。
アイアン・マン誌のフランクリン・ペイジ氏(右)からアドバイスを受ける奥田選手(左)。中央が筆者。

アイアン・マン誌のフランクリン・ペイジ氏(右)からアドバイスを受ける奥田選手(左)。中央が筆者。

ここに掲載した写真は、いずれも佐野匡宣JBBA理事提供
月刊ボディビルディング1979年1月号

Recommend