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1980年度第10回世界パワーリフティング選手権大会
ステージからの報告 PARTII 

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月刊ボディビルディング1981年3月号
掲載日:2020.04.13
★アメリカ テキサス州 ダラス
<110kg級、スーパーヘビー級>

日本選手団副団長 吉田 進
 1月号、2月号と2ヵ月にわたって連載された第10回世界パワーリフティング選手権大会の報告は、関二三男団長が、日本チーム最後の仲村昌英選手(110kg級)の競技を見届けたあと、連日の国際会議とレフリーによる疲労のため寝込んでしまったため、ここからは私がバトン・タッチを受けて、全体の印象を含めて、最後のスーパー・ヘビー級の報告をします。

 やはり日本を離れて遠く米国まで来るということは、とくに海外へ出るのが始めての私にとって、見るもの聞くもの、すべてが新鮮でびっくりすることばかりで、最初の2~3日は異常に神経が働き、まったく疲れたという実感はなかった。
 しかし、私にとって最悪だったのは大会第1日目の因幡、伊差川、槐、徳嵩の4選手が出場した次の日に、なぜかほっとして、ドッと疲れが出てしまったことである。朝起きても体が自分のものではないようである。ダルイ、頭が痛い、眠い。そのへんから大会3日目の100kg級の試合への不安材料はうすうす感じられた。
 日本を発つとき97~98gあった体重は、毎日、部厚いステーキを食べていたにもかかわらず94.6gまで落ちていた。結果は、トータル660kgと、まったく満足できないものであった。しかし、これは誰の責任でもなく、私の力がなかったからである。
〔舞台に並んだ110kg級スーパー・ベビー級の選手だち〕

〔舞台に並んだ110kg級スーパー・ベビー級の選手だち〕

 アメリカ人は、大きいもの、そして強いものが好きである。そのハイライトがパワーリフティングのスーパー・ヘビー級である。観衆は1000人くらいは入っただろうか。立見の人も相当いる。エア・コンディションの限界を越えて、すごい暑さで、日本の真夏に冷房を止めたようなものである。
 それに、観衆の熱気も加わって、ムンムンとする雰囲気の中で、1人1人のリフターの仕草にみんなが一喜一憂するのである。まさにお祭りだ!
 その中のまたメインエベンターは米は国の新人、ワディングトンで、世界選手権初出場ではあるが、440kgのスクワット世界記録保持者である。体重は約150kg、身長はそんなに高くはない。それでも180cm以上はあるだろう。バランスのとれた理想的な体つきをしている。
 すでにスーパー・ヘビー級のスクワットもケネディ(米)の372.5kgを最高にすべて終っている。あとはワディングトンただ1人を残すのみ。まさに彼のワンマン・ショウである。
 ワディングトンのスクワットの1回目は422.5kgである。彼が出てくると観衆は総立ちである。「カモン、カモン」の大声援の中、緊張のためか、顔面真っ赤になったワディングトンがバーをかつぐ。肩の上でバーが大きく揺れている。スタンスを決める。レフリーの手が下りた。
 彼はゆっくりと体をかがめた。一瞬場内は静かになった。しかし、そのあとは、まったくあっけなかった。いとも簡単に彼は立ち上がってしまったのだ。何という強さ!観衆は気が狂ったように騒いでいる。「世界新をネラエ!世界新だ!」
 ワディングトンの2回目は442.5kg。成功すれば世界新である。彼は再びゆでダコのように頭から湯気を立てんばかりに興奮しきった表情で、ゆっくりバーに近づいて、かついだ。ゆっくりとおりる。そして、こんどはゆっくりと上がりはじめた。全身がふるえている。観衆は総立ちとなり、口々に何かわめいている。そして彼は、ついに立ったのだ。
 しかし、判定は白1つ、赤2つで不成功。当の本人は、もちろんくやしがったが、観衆が収まらない。一時は騒然としたが、やはり十分におりきっていなかったのである。
 3回目の試技で、彼はさらに2.5kg増量して445kgに挑戦したが、こんどは最初から立てなかった。それにしてもその怪力たるやスゴイ。彼の脚はまるで牛のようだった。彼のそばにいると日本の仲村選手がまるで子供のように見えるのである。
 アメリカの重量級の強さには定評があるが、このスーパー・ヘビー級では、ワディングトンの他に、カズマイヤーという怪力男がいる。彼は、さきに行われた世界選手権の米国予選で運悪く失格してしまい、その勇姿を見ることはできなかったが、とにかく誰が出てきても優勝を狙えるだけの選手層の厚さを誇っている。
〔スーパー・ヘビー級の新星、米国のワディングトン〕

〔スーパー・ヘビー級の新星、米国のワディングトン〕

 つぎの種目、ベンチ・プレスでは、世界ナンバーワンのベンチ・プレッサーといわれている。そのカズマイヤーが出場していないので、世界新は出なかった。観衆も不満そうで、あまり盛りあがらなかった。
 うわさでは、ベンチ・プレスで300kgに一番のりするのはカズマイヤーだといわれていただけに、ケネディの最高重量245kgもあまり目立なかった。
 会場で聞いたもう1つのうわさに、10年ほど前、アメリカで活躍したジム・ウィリアムスが、再び練習を始めているというのである。彼は、ヒジにバンデージを巻いてではあるが、300kg以上のベンチ・プレスをやっているという。世界一の怪力男を賭けたこのスーパー・ヘビー級は、これから先、まだまだ興味がつきない。
 さて、最後の種目、デッド・リフトでは、110kg級でとてつもない記録が出た。ジョン・クックである。彼はもともとデッド・リフトの神様といわれているほど有名だが、その彼が、なんと395kgに成功したのである。
 スーパー・ヘビー級の、あのホルトでさえ400gなのである。そのときの彼の体重は160kg。それをわずか110kgのジョン・クックが引っぱってしまったというのだから驚く。引き方はごくあたりまえで、スタンスの狭いデッド・リフトである。体型的には長身で、手が長い。体にはまったく脂肪がなく、多分、普段の体重は120kgぐらいでではないかと思う。
 このジョン・クックに刺激されたのか、スーパー・ヘビー級のケネディが402.5kgの史上最高を狙ったが、膝まで引いて、それ以上は引けなかった。
〔スーパー・ヘビー級優勝のケネディ〕

〔スーパー・ヘビー級優勝のケネディ〕

 こうして3日間に及んだ大会の幕はおろされた。テキサスの田舎町、アーリントンもまた、いつもの静かな町にもどるのであろう。駐車場を埋めつくしていた車も、夜のうちに三々五々散っていった。
 選手たちは、夜の9時からビヤ・パーティがあるので、みな会場に集っている。関団長はまだ前後不覚で寝入っている。そのまま起こさずにパーティに出た。スポンサーであるコアーズ・ビールのホールでビールの飲み放題だ。各国の選手はみな紳士で、大トラは1人も出なかった。
 なごやかにパーティが進むうち、優秀選手や功労のあった役員の表彰があり、因幡選手や伊差川選手など、上位入賞者には向うから挨拶に来る選手などもいて、大会の最後を飾るにふさわしいパーティは、夜の更けるのも忘れてつづいた。
 私個人としては「いかに重量級の世界の壁は厚いといっても、次に世界選手権に参加する時は、やはり入賞しなければいかんなァ」という思いが、頭の隅をかすめたが、とにかく無事に終って良かったと、早くも酔いの回った頭でニコニコしていたのだった。
 思えば、ロスアンゼルスで乗りついだ飛行機からの眺め、まるまる2時間砂漠ばかりの土地を飛び、さらに1時間、見境いもつかなく広がった畑を飛びつづけて、やっと着いたこのテキサスの広さ! この広いアメリカの中で、いまパワーリフティングは確実に人々の心をつかまえ、何万人もの若者が黙々とバーベルに向っているのである。心の中にチャンピオンの夢をみて……。
 そして来年は、カリフォルニア・サンタクララで行われるワールド・ゲームにもパワーリフティングの参加が決定している。今ここへ来て思うことは1つ。目的に向って汗を流し、壁にぶつかり、また壁を破って、同じ苦しさや、同じ楽しさを味わって来た人々には、言葉の障害を乗り越えて心が通じ合うのだ。まさにそんなすばらしい気持になれたアメリカであった。
〔スーパー・ヘビー級上位入賞者表彰台上左から2位・キール、1位・ケネディ、3位・ヘイモーネン〕

〔スーパー・ヘビー級上位入賞者表彰台上左から2位・キール、1位・ケネディ、3位・ヘイモーネン〕

月刊ボディビルディング1981年3月号

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