「ローカル」からの提言
月刊ボディビルディング1981年4月号
掲載日:2020.05.11
岩手県ボディビル協会副理事
岩手大学 向井田善朗
岩手大学 向井田善朗
昨年の11月24日、秋田市で第1回ミスター秋田コンテストが開催された。隣県でもあり、岩手県からゲスト・ポーザーとして2選手が招待されたので私も一緒に見物に出かけた。
11月下旬といえば、東北ではもう初冬の気配すら感じられる。いわば時期はずれのコンテストではあったが、会場は開幕時間が近づくにつれ熱気がムンムンしてきた。初めてのコンテスト開催独特の役員たちのあの殺気にも似た意気込みが、じかに伝わってくるように、会場全体が緊張してくるのがわかった。
ちょうど6年前、第1回ミスター岩手コンテストを開催したとき、私が味わったあの感じがなっかしく想い出された。運営もほぼ申し分なく、主催者の嵯峨さんのご苦労が見事実を結んだといえよう。強いて言えば、出場選手が少なかったことと、レベルがもう一歩といった点ぐらいだったろう。
これで東北地方のほとんどの県がレギュラー・コンテスト開催の力量を備えたことになり、藤原勤也(宮城)、大野次男(福島)両氏と青森県協会役員の方々の、東北における長い地道な働きかけが、今回またひとつ実を結んだといえよう。東北はもはやミスター日本コンテスト開催をも可能にするだけの力量を備えたと断言してもいいろう。
こんなことを思いながらコンテストを見ていくうちに、ゲスト・ポーズの番が来て、石井直方選手が観客の前に姿を現わした。その瞬間、私はそれまでの心地良い自己満足が一気にどっかにふっ飛んでしまった。
それは、私ごときが筆で表現するのをためらうほどのもの凄さであった。あらためて中央と地方のレベルの差を思い知らされたのだった。都市機能の差、文化的な差と少しも変わらないものがボディビルの中にもあったのである。
会場についていえば、ローカルでは催物が少ないために、A級の施設が利用しやすいという利点があり、役員についても、いろんな制約が少ないためけっこう社会的地位の高い方がなっている場合が多い。しかし、選手の質と数、すなわち選手のレベルについてはいかんともしがたいものがる。
また、観客にしてもそうである。コンテスト当日、会場前に長蛇の列ができていて、関係者一同大いに喜んでいたら、隣のホールで行われる民謡ショーの観客だったなどというのは、ローカル・コンテストではよくある笑い話である。
かつて岩手県協会では、第1回ミスー岩手コンテストにおいて、選手数30名以上、観客数200名以上を集めた実績を持つ。ローカルとしては予想以上の華々しいスタートを切ったといえよう。そのときの母体は、私が創設した盛岡市勤労青少年ホーム・ボディビルクラブであった。
ところが、ローカルとしてはいささか出来すぎだったこのコンテストも、その母体を離れ、街へ飛び出して大きなホールでコンテストを行うようになってからは、毎年そのレベルを下げ、観客を減らし、一部のトップ・ビルダー(ローカルでの)のためのコンテストになってきている。
レベルと観客数において、7回目を迎えようとしている岩手も、第1回の秋田も、たいして変わるところがなかったのである。岩手における第1回目と2回目以降の盛りあがり方の違いを明確に認識しない限り、中央とローカルの差を縮めることは不可能であろう。
このような岩手の失敗から、私は次の事を学んだ。地方(ローカル)においては、地域社会とのつながりのない諸活動は、必ず不毛に終るということである。何らかの形での社会への還元の対価として、はじめてそこに普及・発展があると考えられる。基本的思想の欠如したローカル・コンテストは単発に終る運命を持っている。
岩手における2回目以降の実態を見ても、そのプロセスにおいて、いま述べたことがかなりはっきりしているように思われる。
出場選手が、会場の準備をし、後片付けをするというのは、ローカル・コンテストではけっして珍しくない。主催者側であると同時に、出場選手という2つの顔をもったビルダーが、コンテストを自己満足の泥沼へひきずり込んでいくというメカニズムが、今日かなりの普遍性を持っているのではないだろうか。
ボディビルは、その発達の歴史において社会的基盤を持ち得なかった。それは、既存の諸団体のどのカテゴリーにも属さなかったし、属することをある部分で拒んできたとも言える。
今やボディビルは、日本人の文化を変えていくだけの資質を備えているといってよい。それだけに、いまやローカルの現実は問題である。もっと都市とローカルのつながりを密にして、その中からボディビルそのもののもつ社会的役割と普遍性を見い出すことが急務であると私は言いたい。
11月下旬といえば、東北ではもう初冬の気配すら感じられる。いわば時期はずれのコンテストではあったが、会場は開幕時間が近づくにつれ熱気がムンムンしてきた。初めてのコンテスト開催独特の役員たちのあの殺気にも似た意気込みが、じかに伝わってくるように、会場全体が緊張してくるのがわかった。
ちょうど6年前、第1回ミスター岩手コンテストを開催したとき、私が味わったあの感じがなっかしく想い出された。運営もほぼ申し分なく、主催者の嵯峨さんのご苦労が見事実を結んだといえよう。強いて言えば、出場選手が少なかったことと、レベルがもう一歩といった点ぐらいだったろう。
これで東北地方のほとんどの県がレギュラー・コンテスト開催の力量を備えたことになり、藤原勤也(宮城)、大野次男(福島)両氏と青森県協会役員の方々の、東北における長い地道な働きかけが、今回またひとつ実を結んだといえよう。東北はもはやミスター日本コンテスト開催をも可能にするだけの力量を備えたと断言してもいいろう。
こんなことを思いながらコンテストを見ていくうちに、ゲスト・ポーズの番が来て、石井直方選手が観客の前に姿を現わした。その瞬間、私はそれまでの心地良い自己満足が一気にどっかにふっ飛んでしまった。
それは、私ごときが筆で表現するのをためらうほどのもの凄さであった。あらためて中央と地方のレベルの差を思い知らされたのだった。都市機能の差、文化的な差と少しも変わらないものがボディビルの中にもあったのである。
会場についていえば、ローカルでは催物が少ないために、A級の施設が利用しやすいという利点があり、役員についても、いろんな制約が少ないためけっこう社会的地位の高い方がなっている場合が多い。しかし、選手の質と数、すなわち選手のレベルについてはいかんともしがたいものがる。
また、観客にしてもそうである。コンテスト当日、会場前に長蛇の列ができていて、関係者一同大いに喜んでいたら、隣のホールで行われる民謡ショーの観客だったなどというのは、ローカル・コンテストではよくある笑い話である。
かつて岩手県協会では、第1回ミスー岩手コンテストにおいて、選手数30名以上、観客数200名以上を集めた実績を持つ。ローカルとしては予想以上の華々しいスタートを切ったといえよう。そのときの母体は、私が創設した盛岡市勤労青少年ホーム・ボディビルクラブであった。
ところが、ローカルとしてはいささか出来すぎだったこのコンテストも、その母体を離れ、街へ飛び出して大きなホールでコンテストを行うようになってからは、毎年そのレベルを下げ、観客を減らし、一部のトップ・ビルダー(ローカルでの)のためのコンテストになってきている。
レベルと観客数において、7回目を迎えようとしている岩手も、第1回の秋田も、たいして変わるところがなかったのである。岩手における第1回目と2回目以降の盛りあがり方の違いを明確に認識しない限り、中央とローカルの差を縮めることは不可能であろう。
このような岩手の失敗から、私は次の事を学んだ。地方(ローカル)においては、地域社会とのつながりのない諸活動は、必ず不毛に終るということである。何らかの形での社会への還元の対価として、はじめてそこに普及・発展があると考えられる。基本的思想の欠如したローカル・コンテストは単発に終る運命を持っている。
岩手における2回目以降の実態を見ても、そのプロセスにおいて、いま述べたことがかなりはっきりしているように思われる。
出場選手が、会場の準備をし、後片付けをするというのは、ローカル・コンテストではけっして珍しくない。主催者側であると同時に、出場選手という2つの顔をもったビルダーが、コンテストを自己満足の泥沼へひきずり込んでいくというメカニズムが、今日かなりの普遍性を持っているのではないだろうか。
ボディビルは、その発達の歴史において社会的基盤を持ち得なかった。それは、既存の諸団体のどのカテゴリーにも属さなかったし、属することをある部分で拒んできたとも言える。
今やボディビルは、日本人の文化を変えていくだけの資質を備えているといってよい。それだけに、いまやローカルの現実は問題である。もっと都市とローカルのつながりを密にして、その中からボディビルそのもののもつ社会的役割と普遍性を見い出すことが急務であると私は言いたい。
月刊ボディビルディング1981年4月号
Recommend
-
-
- ベストボディ・ジャパンオフィシャルマガジン第二弾。2016年度の大会の様子を予選から日本大会まで全て掲載!
- BESTBODY JAPAN
- BESTBODY JAPAN Vol.2
- 金額: 1,527 円(税込)
-