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~~~44歳にしてまだ発達をつづける!!~~~
ポージングの芸術家 エド・コーニー

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月刊ボディビルディング1978年11月号
掲載日:2018.07.22
国立競技場指導係主任 矢野雅知

“超”のつく一流

 今を去る60年も前のことであるが,ジョルジュ・アダンなる当時25才の青年が,どこにでもころがっているようなボートで,英仏海峡を7時間45分で横断したという。

 むろん,こんなキチガイじみたマネなど,他の者がやるわけがない。それでも彼は「俺に続け!俺の記録に挑戦するヤツはいないか!」と,勇気ある男,いやキチガイじみたヤツの出現を待ち望んでいた。

 だが,いつまでたってもそんなヤツは現われない。かくして70才になった彼は,世の若者たちへの見せしめのために(?),再びちっぽけなボートを漕いで渡ったのである。しかも,6時間24分という45年前の自分の記録を破るオマケまでつけて……70才のジイサンがである!

 平均寿命が伸びたとはいえ,70才といえばかなりのお年寄りではないか。私はこの話を聞いて,考えた。

 こんな男は,とても常識では考えられない。こんなスーパー・じいさんがいたなんて,ちょっと信じられない。彼のように,一般にささやかれている体力の限界を超越した男こそ,“超”のつく一流と呼ぶにふさわしいのではなかろうか。

 若い,最もからだ中に力があふれている年代に,次々と記録をぬり変えていくのも,確かに偉大なことである。だが,ある一時期だけ線香花火のように華々しく活躍したかと思えば,たちまち消えてしまうような者を超一流と呼べるだろうか。

 東京オリンピックからモントリオール・オリンピックまで,数々のメダルを獲得して,今なおモスクワを目指している陸上競技界の“不死鳥”シェビンスカ夫人などがさしずめ“超一流”というにふさわしかろう。

 ボクシングの世界においても,つい先ごろ,モハメッド・アリが,史上初の3度目のタイトル奪還をやってのけた。かつては「ほら吹きクレイ」といわれ,猛牛ソニー・リストンをワン・ラウンド1分でKOした若さは,残念ながら36才の今日では少し衰えたりとはいえども,そのパワー,スピードを補なうテクニック,頭脳ではまだまだ彼の右に出る者はいないといわれている。ボクシングという世界で,36才にして15ラウンドという長丁場を戦い抜き,若いチャンピオンを破って三たび世界最強の座を勝ち取ったというところに,アリが超一流といわれるにふさわしい真骨頂があると私は思う。

 よけいなことを長々と書いてしまったが,ボディビルディングの世界においても,同様な意味で“超”のつく一流ビルダーとなれば,そうザラにはいない。私はシュワルツェネガーが引退したいま,現役ビルダーで超一流ビルダーと呼ぶにふさわしいビルダーを一人だけ挙げろといわれたら,躊躇なくエド・コーニーを挙げる。
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44歳のポージングの芸術家

 エド・コーニーの名は,1970年頃からアメリカにおけるトップ・ビルダーの1人に数えられていたが,本当に脚光を浴びはじめたのは,昨年あたりからである。我が国では,エド・コーニーといっても,まだピンとこない人が多いかも知れないが,今やコーニーは世界中のビルダーが注目している1人である。それは,ただ素晴らしいフィジークの持ち主というだけでなく,エド・コーニーとくれば,誰もが最高のポーザー,いやボディビルディングをスポーツというよりも”芸術”の領域まで高めた,世界でも極めて数少ないビルダーとして認められているからである。

 だいたい40代の中年ともなれば,青春時代の甘い思い出にふけり,ポコンと突き出した腹をボンヤリと眺めたり背中を丸めてうつむきかげんに歩いたりと,とにかくすべての動作がスローになって,生気のない,いかにも中高年者独特の人生の折り返し点を回ったといった感じを抱く。

 だが,コーニーは違う。彼は今だに肉体を改善しつつ,しかも征服すべき新たなゴールを目指すという,若々しい青年の夢を持っているし,実際にそれを実行している。数年前には,40才半ばのコーニーがボディビルダーの頂点に立つことなど,まったく信じられないことであった。

 だいぶ前のことであるが,窪田登教授がコーニーの写真を見て,「バランスのとれた,いいビルダーだ。もう少し発達すれば,世界の超一流スターになるだろう」とほめていた頃,正直いって私はさほど注目していなかった。いや,注目に価するほどのことはないとさえ思っていた。後に,「パンピング・アイアン」の本や映画を観ることによって,はじめてエド・コーニーというビルダーに注目するようになったのである。

 では実際に,彼はアメリカにおいてどれだけの評価を得ているのであろうか?

 これについては,たとえばマッスルダイジェスト誌の77年度読者の選んだ10大ビルダーで,彼が堂々第1位に選ばれたのをみれば一目瞭然であろう。ちなみに第2位はサカラック,そして第3位以下はゼーン・ヌブレ,コー,メンツァー,ロビンソンと続く。

 また,ABCテレビの「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」でもコーニーが紹介されている。それに,今春メキシコ湾沿岸諸州のボディビルディングのチャンピオン大会のゲスト・ポーザーに,エド・コーニーが招かれると発表されるや,その地方のボディビルファンは,その日を今か今かと首を長くして待ち望んでいたという。

 それは――満員札止めになるほどふくれあがった観衆は,史上最高といわれるコーニーのポージングに完全に魅了され,全員総立ちになるほど興奮のうずに巻き込まれたという,あのミスター・オリンピアでの歴史的な思い出がよみがえってきたからである。
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コーニーのポージング観

 このように,今や44才のボディビルダーが,マッスルダムの中心的存在になってきている。そこで今回は,アイアンマン誌のボブ・サマー氏のレポートをもとに,エド・コーニーのボディビルディングに対する考え方などを中心に紹介していきたい。


――エド・コーニーといえば,いまでは“ポージングの芸術家”と同義語にさえなっているが,この驚くべきポージング・センスの背景となっているものは,いったい何なのであろうか?まずこの点についてうかがいたい。

コーニー そう……私のポージングでの観点というのは,観客に私のすべてをいかにして伝えるか,ということである。観客の誰もが,私のトレーニングによって得た最終的な結果を私の肉体に見出そうとするのだから,私自身を出来るだけ彼らが理解できるように表現しなくてはならない。つまり,そのように表現することが重要だと考えている。

 だから,実際には,ポージングでは言葉のかわりに,私の動き,私の表情を通して,観客に語りかけているのである。「私は腕をこうして鍛えてきた……これがその腕だ。さあ見てくれ!」と,いったように,無言の語りかけをするのである。

 彫刻家のように,私自身で自分の肉体のハーモニーを造り上げる。トレーニング・ジムでの毎日の鍛練から,そこはもう少しカットをつけよう,あそこはもっと太くしなくてはダメだ,というように,からだ全体のバランスをとりながら自分の肉体を形成していく。この肉体形成を,いかにしてやったかということが,私のポージンジ・ルーティンで表現されるわけだ。

 ポージングは,ただ腕を曲げたり筋肉に力を込めたりして,カッコをとるだけではなく,もっと,その奥にあるもの,それまでの過程といったものまで表現するようにしなければならない。

――なるほど,それはつまり,彫刻家が造り上げた彫像のように,君のポージングは,自分自身が造り上げた芸術を,見るものにいかに伝えるかという表現であるということですネ。

コーニー まさしくそのとおりだ。ポージングとは,純粋に自分自身を表現することである。

 悲嘆,失望といったさまざまな精神的な葛藤に打ち克って,心の中に想い描いている理想的なものに,自分自身を絶えず近づけようということを,ボディビルダーはせき立てられるし,そのために闘いつづけている。ボディビルディングとは,こういったパーソナルなものである。それを私は自分のポージングを通してボディビルディングとは私にとって何か,ということを表現しているわけである。

 言うまでもなく,この意味するところは,当然,人によって違う。我々はそれぞれ異なったからだと,異なったポージング・スタイルをもっており,誰もが同じというわけにはいかない。

 私はゲスト・ポーザーなどで各地を旅行するが,そんなときよく私のポージング・スタイルをマネるビルダーを見る。あるいはフランク・ゼーン型,ボイヤー・コー型のスタイルをマネするビルダーもいる。しかし,似たようなポーズをとったというだけで,決して同じものとはならない。彼らは私がもっているものを経験していないのだから,彼らのポージング・ルーティンはまったくフラットなものになってしまう。

――確かに,1つのポージングをとってみても,そこには何年間ものトレーニング成果が現われており,一朝一タではつかみ得るものではないだろう。

 ところで,君がステージでポージングをすれば,必ず観客からは大きな称賛があるわけだが,そういった反応,たとえば1977年のミスター・オリンピアで受けたような反応に対して,君はどんな気持で受けとめているのだろうか。

コーニー もちろん,それは大変喜ばしいことだ。彼らの中に私の存在がグーッとくい込んでいるのだ,ということを教えてくれる。その日のために私がトレーニングして得た成果を,彼らが認めてくれたということはやはりうれしいものだ。

 私が「パンピング・アイアン」をプロモートしたとき,ボストンでショーを開いたことがある。知ってのとおり,ボストンというところは非常に保守的で,ボディビルディングなどというものは,恐らく見むきもしないだろうし,たとえ見に来たとしても,たいした反応は得られないだろうと思っていた。

 ところが,当日,劇場には1500人もの人が押しかけ,私がステージに出てポージングをやったときなど,大きな拍手と,アンコールを求める声が一斉にわき上がり,正直いって驚かされた。あの保守的なボストンの人々が,アンコールを求めて絶叫していたのである。ま,ポージングをとおしていろんなことを学び,いろんな経験をしたナ。

――保安的なボストニアンでさえ,君のポージングには魅了されて絶叫するのだから,やはりそれだけのポージングをするまでには,かなりの練習をしているのだろう?

[註]コーニーはポージングの手ほどきを,かってリーブスやグリメックと覇を競ったクランシー・ロスから受けている。そして,コーニーほどポージング練習をやるビルダーはおそらく他にはいないとさえいわれている。

コーニー イエス。ポージングの練習はかなりやっている。1つのポーズから次のポーズへ移っていく動きも全体のルーティンの大切な部分である。すべての動き,すべての形,すべてのポーズを,何度も何度も納得するまでやる。

 また,バック・ミュージッグも効果を挙げるのに大きな役割をする。

――それについて尋ねたいのだが,昨年のAFABミスターUSAコンテストとIFBBミスター・ユニバース選抜コンテストのとき,君があのフランク・シナトラの「マイ・ウェイ(My Way)」をバック・ミュージックにしてポージングしていたのを拝見させてもらったが,ポージングも申し分なかったが,それをより一層引き立てていたのが音楽だったと思う。

 これまでバック・ミュージックといえば,だいたい曲だけで,君が歌を用いるという方法をとったことで我々は全く魅了されてしまったのだが,よくその歌詞を調べてみたら,どうも君にとって何らかの意味があるように思えるのだが……。

コーニー それは,4分38秒という歌をバック・ミュージックにしてポーズをとるというのを,あなたが見たことがなかったから,そんなふうに思ったのかも知れない。たしかに,あれは私の最も好きな歌であり,フランク・シナトラも好きな歌手である。そして「マイ・ウェイ」は,私の人生について語っているような気がして,そんな点が好きになった理由である。

――君はシナトラに会ったことはあるの? 彼の歌の感動を,君のポージングで表現していることをシナトラが知ったら面白いのに……。

コーニー 残念ながら,彼には会ったことはない。恐らく,彼は,私のことも,私が「マイ・ウェイ」をバック・ミュージックにしていることも知らないと思う。でも,近く彼のコンサートが開かれるというので休暇をとって妻と聴きに行くつもりだから,その時,彼に会ってこようと思っている。

――ちょっと君の家族のことを教えてくれないか?

コーニー 妻と19才になる娘がいるんだが,ついこのあいだ結婚したばかりだ。それから1才半の男の子がいて,これが可愛いいヤツでネ。あと生まれたばかりの女の子がいる。

――ところで,「パンピング・アイアン」の本に,君は確かナイト・クラブにつとめていると書いてあったと思うが,今でもそう?

コーニー いや,もうそこはやめて今はすべてボディビルディングに打ち込んでいる。トレーニングの指導やゲスト・ポーザーとして各地を回ったり,今までの経験を生かしてセミナーも開いている。また,そういった関係のプロモーターもやっているんだが,これが非常に好評だ。
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 ――×――×――×――

 パンピング・アイアンの中でコーニーは次のように述べている。

 「ボディビルダーってヤツは,四六時中,トレーニングばかりしてやがって,その分,仕事でもすればカネになるのに,まったく何のたしにもならないことをよくやるョ,と一般の人は思っているようだ。だが,私は,自分なりに高い目標を立て,そのゴールを目指して努力することに満足感を味わっている。これこそ“人生意気に感ず”というものだろう。決してカネには代えられないものだ」

 この言葉は,ボディビルディングに全てをささげた男にしか語れないものであろう。オギャーッと生まれた瞬間から,「ボディビルディングはカネには代えられない喜びがある」なんてことを言うわけがない。いつ,どうしてこのように語るエド・コーニーが形成されていったのだろうか。次回はこういった観点に重点をおいて彼にいろいろ尋ねてみたい。
 (つづく)
月刊ボディビルディング1978年11月号

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