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1979年度全日本学生チャンピオン
高西文利選手の食事法

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月刊ボディビルディング1980年3月号
掲載日:2019.09.04
★内外一流選手の食事作戦★
“大学生活はまさに変身の4年間だった”

健康体力研究所・野沢秀雄

1.わが青春に悔いなし

1979年の最後を飾って、12月9日に関西外語大学で開催された「全日本東西大学対抗ボディビル選手権大会」で法政大学4年の高西文利選手が圧倒的な強さでチャンピオンに選ばれた。

振返れば、ボディビルにあけて、ボディビルに暮れた4年間の学生生活だったが、高西選手ほど劇的な体型の変化をとげたビルダーも珍しいのではなかろうか?――というのは、入学してまもなくの7月にボディビル部に入ったのだが、そのときの体重が56kgあるかなし。この細かった身体が1年、2年とぐんぐん大きくなって、3年の秋にはなんと92kgにもなったのだ。実に36kgの増加である。

「自分のベスト・コンディションは約80kgだ。そうしないと脂肪がのってディフィニションが得られない」と気づき、昨年は7月ごろからすでに約12〜13kg減量して、この体重を約4ヵ月間維持して、11月の東日本選手権、12月の全日本選手権と、大差をつけて優勝することができたわけである。

高西選手は筋肉の発達と同時に、肩巾や胸廓など「骨格」までが、はっきり太く、大きくなっており,「ボディビルは一時的に筋肉を肥大させるにすぎない」という迷信を打破してくれている。今月は高西選手の食事法を紹介してゆこう。

2.恵まれた法政大学の環境

「スター」のような有名選手が生れる条件は、ボディビルも他のスポーツも共通である。当人の素質と努力がまず第一に必要で、ついで周囲の環境が重要な見逃せない条件である。

高西選手は人一倍の努力家で、負けず嫌い、「他の部員が帰ってしまったあと、なおも黙々と一人で部室の重いバーベルと取組んだ」と彼が語っているように、徹底して、納得するまで筋肉をきたえたことは感動的である。

「全日本のころは自分自身驚くほど筋肉が充実して、血管が筋肉の上をバリバリ走り、力をこめると、筋肉線維の1本1本が浮びあがる体質になれました」と、そのころ健康体力研究所を訪れて語っている。

第2の環境の点では、「関東地区の各大学のうち、もっともデラックス」「街のジムより設備や広さに恵まれている」といわれる法政大学ウェイト・トレーニング室で練習でき、しかもよき先輩たちに恵まれたことが幸いしている。

法政大学の強さを明らかにする一端として、4年生の岡田宏一選手から寄せられた年賀状の一部を引用させていただく。

「わが法大ボディビル部は川浪主将の時代から始まり、白尾・田山・高西・石川・山本など、花の全盛時代を築きあげてきました。4年前、われわれ新人が食事法やトレーニングの講義を、健康体力研究所のみなさんから聞いたことが強く印象に残っており、その後も適切なアドバイスをいただき、感謝しています。しかし、この春には私を含めてこれらの面々のすべてが大学を去ってゆくことになり、クラブの将来を考えると大変心配です」

そのとおり、法政大学の部員は熱心で、合宿生活に招かれて講義をしたことでわかるように、研究意欲が高い。そして伝統的にリーダーが部員のことを思いやり、後々まで面倒を見る気持ちが実にすばらしい。岡田選手はこう続けて結んでいる。

「最近の関東学連をみると、明治・早稲田の躍進がめざましく、法大の7連覇、8連覇がむずかしいことが予想されます。わがクラブの後進の主力選手は、竹内(新人王・東日本10位)・川ロ(新人戦3位)・村松(新人戦7位)・原田(新人戦9位)などです。まだまだ力不足ですが、今後ともよろしくご指導ください」

このよき伝統をひきついで、第二、第三の高西選手が育っていくことを願ってやまない。

3.高西選手自身の食事法

高西選手は長崎県の出身で、現在は葛飾区のアパートに下宿している。

「外食では思うような栄養がとれないので自炊をずっとしています」と彼は語っている。多くの若者は、つい面倒がって、せっかく台所つきのアパートに入っても料理をあまりつくらず、それでいて「生活費が高くついてかなわない」などとぼやいている。こんな不平をいう前に、自分で工夫すると、意外に簡単に、しかも安く高栄養の食事をとることができる。

その好例として、高西選手の別表の食事内容はたいへん役に立つにちがいない。
〈表1〉高西選手の通常の食事法

〈表1〉高西選手の通常の食事法

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①この食事法になるまでに、試行錯誤をくりかえし、現在は前記のような内容になっており、これで筋肉は十分良い発達を見せているわけだ。

②高西選手の体位は、身長170cm・体重80kg・胸囲110~115cm・上腕囲40〜42cm・大腿囲61cm・腹囲76cmと完成された域に達している。

この体を維持してゆくのに、前記のような約2800カロリー、たんぱく質約170g、体重1kg当り約2g、全体に占める炭水化物(糖質)の割合が約50%という食事内容は理想的な数字である。

③野菜や油のとり方、および間食のとり方も適当である。間食の量はもう1~2品、たとえばチーズやピーナッツなどを加えてもよい。

④朝食・昼食・夕食の内容がほぼ揃っており、しかも朝食をこれだけしっかりと食べていることは好ましい。

ボディビルをやっているのに「朝は時間がなくて、ほとんど食べない」という人がいるが、これは失格だ。夕食にどかっと食べすぎると、翌朝起きづらく,食欲もわいてこない。

⑤サバやサンマ・イワシ・サケ・シーチキン・マグロなど、缶詰は種類が多く、そのうえ、水煮・みそ煮・照焼・フレークなど味付の方法にもいろいろあるから、自炊生活者はおおいに利用するとよい。

⑥この他、独身者にすすめられるものとしては、卵・チーズ・ハム・ソーセージ・納豆・とうふなどがある。もちろんプロティンパウダーや牛乳などは体づくりの必需品となりつつあることはいうまでもない。

⑦高西選手は前回の長宗選手とちがって、サプルメント・フーズはプロティンのみである。プロティンの中にビタミンやカルシウムなどが含まれているので、これだけでも充分なことがわかる。

4,筋肉のカットをつける秘訣

高西選手の筋肉はバルクがあり、かつ「切れ」が良いことが特徴だ。

「高校時代、器械体操を2年間やっていたので、筋肉の張りや柔かさがついたと思う」と彼は語っている。

健康体力研究所の森本君やミスター大阪5位の北川哲夫選手、あるいは長野県のビルダー荒井友雄さんなど、体操出身のビルダーで大成している人が多い。「体操選手の筋肉は柔軟で伸びがある。弾力性がちがうようだ」と高西選手は語っている。

事実、高西選手の柔軟性は驚くほどで、「ボディビル選手の体は固い」という常識がウソであることを証明してくれているわけだ。

食事の面から、筋肉のカットを出すことについて、高西選手は次のような配慮をおこなっている。

①コンテストの前になると朝食や夕食にごはんをとらない。昼食のランチもライスは1口か2口だけにする。

②ヨーグルトやアイスクリームなど甘い間食をやめる。

③プロティンはなるべく水だけで飲む

④豚肉は300gでなく、200gに減らす。余分な油はとらず、カロリーを低下させるためである。

———つまり、前表の食事から炭水化物や脂肪をとって、1日約2300カロリーくらいで生活する。高西選手の場合週に6日、部分ごとの3分割トレーニングを毎日約2時間半おこなっているが、これだけ激しい練習をして、前記の食事法により、ちょうど体重がふえもしなければ減りもしないで、約80kgをきちんと維持できるわけだ。

この点、ろくに運動もしないのに、高西選手以上の食事をとっている人が多いが、これでは脂肪がついて、筋肉のカットが得られないのは当然である。

酒やタバコはいっさいとらず、この点も徹底していて好ましい。来日したバーティル・フォックスは私にこう語っていた。「タバコを吸うボディビルダーはナンセンスであり、カッコをつけるためにタバコを飲むのは、精神的にみてチグハグで、矛盾していることになる」と。なるべくなら控えよう。

最後に、ステロイド剤の使用については「絶対に私は使っていません。そんなものをとろうとも思わない」と高西選手はスポーツマンらしく、きっぱりと断言している。この言葉にウソはない。ステロイド剤を使用した筋肉は感覚でかなりわかるものである。

5.明日に向って……

高西選手は今春4月から、スポーツ会館への入社が内定しており、学生時代につくった体や技術を活かして、若い人たちを指導してあげる仕事をすることになる。

「ボディビルの仕事をしたい」と望む人は多いが、現実には社会的な認知がまだまだ遅れていて、関連する業界の規模も零細である。

気力のある若い人たちが、前向きにプラスになる考えで、体力づくりを推進していただきたい。

「1980年代はフィジカル・エリートの時代だ」と新聞などによく報道されるようになった。

今までは石油が豊富で、華美なファッションで身体を飾りたてることができた。ところが省エネルギー時代となるとファッションはシンプル化し、体の線が重要になりだしたのだ。

脂肪のつかない,筋肉質の体こそ80年代の美の理想だ」(1月14日付・日経流通新聞)とさえいわれている。

ボディビルを盛んにする絶好のチャンスが到来したわけである。ところが肝心のボディビル界は、まとまりが悪いだけでなく、他人の足を引張ったり悪口をいったりで、進歩がいっこうにみられない。もっと前向きに積極的に手をとりあって推進できないかと、つくづく思う今日このごろである。

幸いなことに、世代の交替がおこなわれて、トレーニング・センターを経営する会長さんも、30才前半といった人が多い。

高西君のように、すぐれた選手は、これからぜひともボディビルの普及のために、力を尽くしてがんばってほしい。そして、日本におけるボディビル産業、体づくり運動の輪がもっともっと広がって、ライフワークとして生計を立てられる人が多勢生れてくることが夢である。

「ボディビルでがんばった気力・体力・根性を忘れないで持ち続けるなら社会でも必ず成功する」と確信している。社会に出ると、仕事のすすめ方や目上の人に対する接し方、能力開発など、勉強してゆかねばならないことが多い。

若さをいかして、勇気をもって道をきりひらいてゆこう。後に続く人びとのためにも……。
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月刊ボディビルディング1980年3月号

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