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ボディビルへの招待
社会的地位の向上と体力低下

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月刊ボディビルディング1981年1月号
掲載日:2020.04.09
 世の中、なかなか思うようにいかないものだ。
 若い頃、ステーキやトンカツを腹いっぱい食べたいと思うときは金がなく何十年かたって金ができ、いくらでも食べられる状況になったときは、やれ血圧が高いの、コレステロールがどうのといって、医者から脂っこいものをひかえろと言われる。
 また、ヒマがあるときは金がなく、金があるときはヒマがない。その両者が兼ね備わるときは、もう人生も終点近い。
 社会的地位と体力の関係も、金とヒマのように、本来望ましい状態とは逆比例しているのが現状だ。
 社会的地位が高いということは、言葉をかえれば、社会的重要度、在存価値が高いということにほかならない。それに付随して、一般的には収入も多くなる。
 学校を卒業して社会にとび込んだ頃は、体力が満ち溢れていて、2日や3日の徹夜ぐらいではビクともしない。ところが、その年代では、官庁でも会社でも,上司から命令されたことをただ夢中で消化しているにすぎない。
 それが30代、40代、50代と歳をとるに比例して、社会的にも家庭的にも存在価値が増してくる。
 だが悲しいことには、体力的には昔の面影いまいずこ……。駅の階段を見上げて嘆息しているのが関の山だ。
 くり返していうが、社会的地位が向上したということは、社会に存在する価値が大きくなって、社会からそれだけ期待されているということだ。
 1人でニタニタとほくそえみながらその座にあぐらをかいていればよいのではない。社会的地位が高ければ高いほど、それにふさわしい能力を発揮して、期待にこたえなければならない義務があるはずだ。
 社長であるならば、会社の業績を伸展させることはもちろん、社員の生活の安定も図らなければならない。
 財界の指導者ともなれば、日本の産業の行く道を方向づけて、日本経済の発展を意図しなければならない。
 偉い政治家であるならば、国民が毎日安心して生活できる社会環境の維持と、20年~30年の遠大なビジョンのもとに、国をますます繁栄させる方策をも同時に遂行すべく努力しなければならない。
 それぞれの地位が向上するに比例して、やらなければならないことが多くなる。それを成し遂げるには、肉体的、精神的の別を問わず、多大の疲労がともなうことはいうまでもない。
 つまり、その高い地位にふさわしい義務を遂行するためには、頭脳と経験と指導力の他に、頑健なる肉体が要求されるのだ。
 歴史に残るような天才・偉人たちがもし、2~3年ずつ生き長らえていたと仮定したならば、この世の文明・分化の発達ぶりはどんなであったろうか? おそらく想像もできないほど高度になものに成長していたにちがいない。
 あなたが、もし現在の自分をエリート(選良)だと思っているなら、また将来、エリートになり得る自信があるなら"義務体育”を己れに課し、実践することが必要だ。
 内面的な能力のみでは、これからの社会では通用しない。その能力を現実のかたちに発露できる強靭な体力の持主だけが、社会の指導者となり得る日が、近い将来必ずやってくると信じたい。 ――河村吉次――
月刊ボディビルディング1981年1月号

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