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ヤブにらみ スポーツ講座5
修練で年令の壁は越えられるか

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月刊ボディビルディング1981年1月号
掲載日:2020.03.24
国立競技場<矢野雅知>
「こんな話があるんですヮ……」
 亜窟先生はおもむろに話し始めた。
「晩年の武蔵はもうろくして、階段を上るのさえもふらつくほどになってしまった。青竹のフシを握りつぶした、といわれるほど獣的な肉体を誇っていた武蔵がですよ!
 いかなる名人、達人であろうと、年には勝てないということなんですが、この武蔵、火事になったらおよそ人間技とは思えない身のこなしで屋根づたいに走った、というんですヮ。実際のところ、宮本武蔵については有名なわりには詳しい記録が残ってないので、これが事実かどうかは分りませんが、剣の世界に生きた武人は、剣技に己れの生命を賭けているのだから、体力の衰えということには、恐らく現代の武道家やスポーツ選手以上に敏感だったでしょうなァ。
肉体の衰えは、死の危険性が大きくなることですから……」
「そうじゃのう……。今の武道家やスポーツ選手なら、30才を過ぎたから引退しようといってもさしたる問題はないが、昔の武人なら引退など許されないし、50才になろうが60才になろうが常に生死を賭けた闘いに備えていなければならなかった。
 だから、剣の技量を衰えさせないために、きわめて過酷な試練を自からに課して、体力の低下をきたさないように死にもの狂いで取り組んだのじゃ。その結果、そう、死から逃れようと修業した結果として、30才や40才などでは、少しも衰えをみせなかったのじゃよ。それどころか、ますます剣技は高まったのじゃ」
 南海先生はゆっくりと杯を傾むけると、さらに話を続けた。
「しかしじゃ、いかなる達人であろうと名人であろうと、老化は防ぐことはできん。必ず肉体が衰えてしまう日がやってくる。ただ、このあたりのレベルになると、肉体の老化はきたしても技量は落ちないだけのものを身につけていた。これが、ほんとうの本物といわれるゆえんじゃよ。
 今日の武道家では、師範クラスの高段者になると技量は低下してしまい、実際に実力のある全日本クラスは四段五段の体力年令の若いものであって、八段や九段などでは彼らに立ち打ちできんようじゃな。今の師範クラスは、40才や50才を過ぎて肉体の衰えと共に一気に技量が低下してしまうものが多い。本物でない証拠じゃよ。
 昔の本物の武人は、死ぬか生きるかのギリギリの瀬戸際で生き続けてきたので、体力の衰えをカバーできるように、最少限のエネルギーでも勝ちを取れるだけの技量を、50才や60才になっても保持していたのじゃ」
 少ない動きで勝ちを取る、ということでは、例の宮本武蔵の「見切り」が想い出される。相手の剣先をわずか数ミリよけるだけで攻撃を加える。あと少しで武蔵に切り込めると思っても、見切られているから剣が届かない。そのわずかなギリギリの間合いのところで武蔵は攻撃をするので、ついに彼を打ち込んだものは一人もいなかった。
 並みの武人なら、相手の攻撃を避けるのに大きく体勢を崩したり、飛び退ったりするので、とても自分の攻撃間合いをつかめない。だから、「切られずに、相手を切る」という終局の目的を達することはできない。そして、この「見切る」とは、なにも武蔵の専売特許ではなく、広くスポーツ全般の動きの中にも重要なものとなってくるハズだ。
 これを察したかのように、亜窟先生が語り始めた。
「自分は学生時代はボクシングをやっとったんですが、相手の攻撃を防ぐことだけに徹っすれば、KOされることはない。相手の攻撃間合いに入らなけりゃいいんですから……。
 しかしですなァ、相手に勝とうとすれば、自分の攻撃できる間合いに飛び込んで、相手にも攻撃されるのを覚悟して打ち合わなくてはならない。しかし、ただ滅茶苦茶に打ち合っているような二流ボクサーは、結局は体力があるかないかで勝負が決まってしまう。打たれても打ち続けられるパワーとスタミナが必要なんですヮ。つまり、ヘタな奴ほど体力で勝負をしたがる。
 しかし、ウマクなると打たれてもほとんど効果のないところ――例えば肩や腕で相手の攻撃を受けとめておいてつまり自分はダメージをほとんど受けないで、相手を打つ。これがいわゆる一流といわれる奴なんですなァ。
 しかしです、超一流というのは、相手にほとんど攻撃させないで、自分のからだは打たせないで、適確な間合いの中で相手を攻撃する。相手のパンチは空を切らせるんです。空振りのパンチというのは、ひじょうにバランスを崩すし、スタミナも消耗するんです。そして、これができるようなら、超一流だ、と自分は言っとるんですヮ。
 ようするに打たせないで、打つという技術を身につけたものは、体力だけに頼らなくなってるし、パンチでのダメージも受けないから、選手寿命もひじょうに長くなってくるというわけですヮ」
 長々とこう語る亜窟先生に、南海先生は
「するとなんじゃな、ボクサーには超一流はほとんどいないということになるのう」とポツリと言う。
「まあ、理屈の上では成り立っても、これはきわめて難しいですからなァ。相手が攻撃する前に、攻撃を事前に察知してわずかの動きで――相手の攻撃を見切ってしまう高度な能力がなけりゃいかんですからなァ」
「そういうことじゃな。これに近い動きをしとったヘビー級の選手では、モハメッド・アリが世界チャンピオンを獲得した若い頃には、実にうまく見切っておったな。殺人パンチャーといわれたソニー・リストンの猛烈なパンチを紙一重のところでサッとかわしてカウンターを決めておったよ」
「今の剣道家でも師範クラスの高令者になれば、動きはたしかにシャープですなァ。
 若手が猛然と打ち込んでくるのを、わずかな動きでいなして一本を決めますからなァ。やはり、体力は衰えても小さな動きの高度なワザで対応できるんですかなァ」
「それもいえるが、師範クラスには若手の方から打ち込んでゆくようになっとるんじゃよ。だから、必ずしもそうとは言い切れん面もあるな。
 じゃが、剣道のように剣に動きを託したものは、比較的高令者になっても技が十分に生かせるが、柔道のようにお互いが組み合った形から技をくり出すというものは、肉体の衰えを技でカバーするのはより困難になるじゃろうな」
 南海先生はズバリと本質をつく。それを亜窟先生はさらに受けていく。
「とくに最近のスポーツ化された柔道などは、ポイント制のせいもあるでしょうが、パワーでどんどん攻め込んで崩してゆくという傾向が強くて、本来の柔の道から遠のいてしまいましたなァ。こういったパワー優先の形では、年とともに実力がどんどん低下してしまうのは否めませんなァ」
「さよう。ワシもこの点は憂慮していたのじゃが、山下(東海大の山下泰裕選手)が本来の柔道を再認識させてくれたな。今の選手はほとんどが自護体の前かがみ姿勢じゃが、彼は自然体であるがゆえに崩しやすそうでいて決っして崩れない。
 彼は重量級であるのに、背筋力では200kgもないし、柔軟性の体前屈だって10cmほどしかない。決して基体礎力そのものは体重に比較して強いものではない。それなのに、圧倒的パワーを持つ外国選手に力負けせずに無敵を誇っているのは、彼が本物の自然体を身につけているからじゃ。だから崩れないし適確なワザが出せる」
「彼は柔道家のおじいさんに、小さい頃からしっかりとこの基本をたたき込まれたといいますな」
「ふむ、とにかく彼は確固たる基本を身につけているので、体力が衰えてもそう早くは技量は落ちんじゃろうな。体力にたよったワザでなく、基本をたたき込んである本物は、年をとっても十分にカバーできるが、40才を過ぎて急激に弱くなるようなものは本物じゃない。体力にたよっているものほど早く衰える。
 かの木村政彦が、40才を過ぎてもほとんどの者がたちうちできなかったというのも、伝説的な連日の猛ゲイコをやって基本を身につけとったからじゃよ。まあなんじゃな、このことはすべての武道家、スポーツマンにも当てはまることじゃな」
「……なるほど。たしかにそうかもしれませんが、現実としては本当に強い最盛期は、決して長くないように思いますなァ」
 南海先生は悠然と語っていたが、そろそろ亜宿先生が自論をぶちかまし始めた。
「自分も今までの話を否定しようとは思いませんがね、現実としては体力のある奴、ことにパワーのある奴は、ほとんどの武道でもスポーツでも優位に立っており、全日本や世界チャンピオンになるような奴は、体力の最も充実した20代、せいぜい30代前半に限られとるようですなァ。いくらワザがあるとはいっても、若い力の前には師範クラスは木端微塵にされちまいますからなァ、実際の話。
 だから自分などは、若い者に、お前はあと何年なら体力がもつ。それまでは徹底的にしごき抜くから、死にもの狂いでついてこい、と言うとるんですヮ。むろん、あと何年という期限を持つことは、心理的な体力限界のバリヤ一になってしまうかもしれんですし、トレーニングいかんでは、まだまだ頑張れるということは百も承知しとります。それでもなおかつ、肉体の最盛期ということを考えずにはおれんのですワ。つまり、それは決して長いもんではないという……」
「たしかにそうじゃ。最も体力も気力も充実した最盛期というのは、ある。それは長い人生ではわずかいっときのことであるかもしれん。じゃが、ワザは底が知れん。ワザを身につける能力は、そうは衰えるもんじゃないわな。それは神経系統に大きく関与しとるが基本の積み重ねが応用動作となり、すべてが無意識のうちに繰り出されるワザとして身につけるには、一朝一夕ではできるもんではない。20代や30代前半でワザが完成されるなんてゆうことはないんじゃよ。だのに20代で全盛期というのは、本物じゃない、とワシは言うとるんじゃ。
 武蔵が次々と真剣勝負を繰り返して負けを知らずに天下の春を誇ったのは20代後半までじゃ。しかし、はたと悟ってそれ以後、いっさいの真剣勝負をしなくなった。そしてそれからいよいよ武蔵は強くなっていったのじゃよ。本物への道を歩み始めたのじゃよ。決して20代が全盛期ではない。しかも、その武蔵ですら、カツ然と悟り、刀を身につけずに丸腰でいられるようになったのは、50才を過ぎてからじゃよ。常に武蔵を倒して名を成したいという武芸者につけ狙われていたのに、ここまで悠然としていられるようになったときこそ、まさしく彼が本物の武人であって、彼の最も優れた技量を持ったときと、ワシは思うのじゃよ」
 亜宿先生は、実際の自分の指導を通しての体験から理論を展開する。一方南海先生は、そんなものは本物じゃない。先人の成しとげたことが、何で今の者にできないことがあろう、と真向からぶつかりあって、ますます白熱した話しになってきた。
(つづく)
[宮本武蔵像]

[宮本武蔵像]

[無敵を誇る柔道の山下泰裕選手(左)]

[無敵を誇る柔道の山下泰裕選手(左)]

月刊ボディビルディング1981年1月号

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