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重量挙と共に歩んだ60年 バーベルこそ我がいのち

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月刊ボディビルディング1981年7月号
掲載日:2020.06.08
語る人……井口幸男 ききて……玉利斉

ボディビルに国民の関心が

玉利――井口先生が日本の重量挙げを育ててこられたお話をお聞きして、つくづく感じるんですが、やはり最初に何かをつくるということは、人にはわからないいろいろな苦労があるものですね。協会が軌道に乗ったのはいつごろからですか?

井口――戦後、国体などがキッカケで重量挙げの競技人口も徐々に増え、協会としての運営が軌道に乗って、全国的な活動ができるようになったのは、昭和28、9年からですね。

玉利――そして、そのあたりから、それまで重量挙協会を中心としてきたウェイト・トレーニングの中から、ボディビルというものが一応、重量挙げ競技と切り離されて、国民に関心をもたれるようになってくるんですね。

 あれは確か昭和30年頃だったと思いますが、私が井口先生をお訪ねしたとき、若気のいたりで、生意気にも重量挙げ競技と切り離したボディビルの必要性などを得々としゃべったのを覚えています。いま考えるとお恥しい次第です。

 しかし、こうして先生とお話をしていると、うたた今昔の感があるんですが、ボディビルに対する考え方としては、その当時と現在と全く同じです。

 つまり、先生も、スポーツ種目としては重量挙げ競技が専門だが、その基礎はボディビルだというお考えだったでしょうし、我々は、重量挙げはオリンピック種目の競技で、ボディビルはあくまでも基礎体力づくりだ、ということに徹底していたんです。当時の日本は、スポーツ競技はたくさんあるが、体力づくり、とくに基礎体力づくりそのものの運動がない。この体力をつくらなければ日本人の体格、体力はもちろん、競技力も向上しない。そこで、よし、これを広く普及していこうという趣旨だったんです。

井口――それにしても、当時、日本人の間ではほとんど知られていなかったボディビルに玉利さんがのめり込んでいった直接のキッカケというものが何かあったんでしょう?

玉利――キッカケというのは、私は先生と違って、子供の頃から体が細くて、弱かったものですから、なんとか強くなりたいと、つねづね思っていたんです。そして、早稲田に入ってすぐ柔道部に入ったんです。ところが、やっぱり体力がないからなかなか強くなれないんです。たまたま柔道部の隣がレスリングの道場で、選手たちがコンクリート・バーベルや鉄アレイを使ってトレーニングしているんです。そして体も筋肉隆々としているんですね。そこで、私も見よう見まねでやっていたんです。

 それからしばらくしたある日、レスリング部のOBで、第1回日米対抗レスリングなどで活躍した平松さん(初代JBBA理事長)が見えましてね、裸になったところを見て私はびっくりしたんです。確か当時40歳を越していたのに逆三角型の実に見事な体をしているんです。なるほどバーベル運動をやればこういう体になれるんだなあと思ったんです。
[スポーツ会館で井口氏(左)と玉利氏]

[スポーツ会館で井口氏(左)と玉利氏]

 そして、平松さんに『先輩。これは重量挙げの練習ですか?』と聞くと、『いやいや、重量挙げ競技は、最大挙上記録を競う頂点をいくスポーツで、いまレスリング部でやっているのは、あくまでも基礎体力の養成が目的で、アメリカではボディビルディングとか、ウェイト・トレーニングとか、レジスタンス・エクササイズとか云って、ずっと以前からやっている筋力増強法なんだ』というんです。

 そこで、『ではひとつ、そのやり方を教えてください』といって、平松さんから手ほどきをうけてやりはじめたんですが、間もなく、15貫(約56kg)しかなかった体重が、見る見る増えて17貫(約63.7kg)になったんです。玉利があんな体になったというんで、柔道部や空手の部員までが、ぞくぞくやってきて、俺たちにも教えろ、教えろ、ということになったんです。

 あんまり希望者が増えてきて、これではとてもさばききれないから、それならひとつ同好会をつくって、みんなで研究しながらやろう、というので出来たのが早稲田バーベル・クラブです。

 当時、私はまだ窪田登氏とは面識はなかったんですが、「早稲田出身で窪田という、すごい重量挙げの選手がいて、しかも、福島で行われた日本で最初のボディ・コンテストでミスター日本になっている」ということを聞いたんです。

 それなら、ぜひ窪田氏にお願いしてバーベル・クラブの顧問になってもらってコーチを受けようということになったんです。
[トレーニング中の若き日の井口氏]

[トレーニング中の若き日の井口氏]

ボディビルは全競技の基礎

井口――ボディビルが、すべての競技の基礎だということは、日本でもかなり前からわかっていたんです。私が、昭和15年に慶応高校の先生になった頃、すでに、柔道場やレスリングの練習場のすみに鉄アレイが置いてありまして、やはり筋力をつける練習をやっていました。それで、将来はきっと、すべてのスポーツで、基礎体力をつけるのに、ウェイト・トレーニングが採用されるに違いないと思いました。

 そして、戦後、あれはバンコクで開かれたアジア大会のときのことですが、ハンマー投げの岡本選手が、私のところにバーベルを使わせてくれ、といってきましてね。彼が練習しているのを見たんですが、強かったですね。確か130kgくらいでジャークをやっていました。

玉利――私が最初に先生にお会いした頃、先生は『バーベル運動をすれば筋肉もつくし、パワーもつくが、1つだけ欠けているところがある。それは外腹斜筋だ。これはハンマー投げの選手にはかなわない』とおっしゃっていましたね。

井口――岡本選手の体を見て私がそう感じたんです。そのバンコクのとき日本の女子選手もバーベルでトレーニングしましたが、60kgくらいでジャークをやっていました。やはり日本で練習しているときからウェイト・トレーニングを採用していたんですね。

 それを見て私は思いましたね。私たちが以前、ウェイト・トレーニングの有効性を主張したときは、さんざん筋肉が硬くなるとか、スピードがなくなると、悪口を言われたが、どうだ、今ではみんなやっているじゃないかと。

 ローマ・オリンピックのとき見たんですが、外国の選手は男女を問わず、みなバーベルを使ってトレーニングしているんですね。イタリアの女子選手なんかは、60kgのフロント・プレスをやっていました。またソ連の砲丸投げの女子選手なんかは100kgくらいやるんです。

玉利――どうも日本では、我々日本人がいくらウェイト・トレーニングの良さを強調しても見向きもしなかったのに、外国選手がやっているのを見ると、すぐとびつくきらいがありますね。

井口――長い間の外国崇拝という観念が強かったからでしょうね。外国選手がやっているんだから、これは絶対にいいことだ、というふうに決めつけるんですね。陸上競技でもなんでも、もっと早くからウェイト・トレーニングを取り入れていれば、日本のレベルも、もっと高くなっていたと思います。

玉利――先生が昭和の初期から重量挙げをはじめて、今や重量挙げ強国の一つにまで育てられ、そして、昭和30年頃、その中からボディビルという枝葉が出て、約四分の一世紀たちましたが、おかげで、全国のジムの数も250近くなり、実業団クラブも50くらいになりました。

井口――しかし、25年くらいで、よくそこまで育てられましたね。

玉利――我々が努力したというより、やはりボディビルというものが、それだけ大衆に受け入れられる要素があったんですね。

 考えてみれば、体操協会の一翼としてはじめられた重量挙げの中からボディビルが生まれ、そして今度はボディビルの中からパワーリフティングというスポーツが育ってきたんですね。だから今日は、体操、重量挙げ、ボディビル、パワーリフティングという、日本のバーベル史を語っているようなものですね。

 私はよく『この文明社会の時代にそんなに筋肉や筋力をつけて何になるんだ』なんていわれたことがありますが、そんなことを言えば陸上競技だって水泳だって、10分の何秒早く走ったり泳いだりしたからといって、日常生活には何の足しにもならないのと同じで、要は、その過程において養なわれる精神的、肉体的なトータルな面での人間形成というものが尊いわけですからね。

井口――そうです。いくら重量挙げで強くなったからといって、起重機にはかないませんからね。記録を高めることが最終目的だという間違った考えの人が多いようですね。それに、スポーツには必ずルールがあり、マナーが要求されるので、自然にそれを勉強し、身につけることによって、対人関係がよくなるということですね。現在、先輩、後輩の間で、きちっとケジメをつけ、礼儀作法を正しく守っているのはスポーツの世界だけでしょう。

玉利――最後に、先生が60年近く、情熱を傾けてバール運動をやってきて重量挙げ界、ボディビル界、パワーリフティング界に、今後、何か1つ望むことをおっしゃってください。

井口――最近、文化生活が発達し、食糧事情が良くなったのに反し、体力がなくなったとか、子供がすぐ骨折するとか、よく聞きますが、これは体を鍛えることをおろそかにしているからです。人生は何といっても健康が第一です。バーベル運動でなくても、何のスポーツでもいいから実施して、逞しい肉体と強い精神力を養なってもらいたいと思います。

玉利――今後ますます社会に立派に通用し、世界に飛躍するバーベルマンを日本のために大いに育成したいものです。
(おわり)
[永年にわたり重量挙げをとおして体育振興に尽した功績により、昭和48年、藍綬褒章を授与さる]

[永年にわたり重量挙げをとおして体育振興に尽した功績により、昭和48年、藍綬褒章を授与さる]

月刊ボディビルディング1981年7月号

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