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ニュース 1981年6月号

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月刊ボディビルディング1981年6月号
掲載日:2020.06.01

■JPA国際部ニュース……国際部長・吉田進

 年々盛んになってくる日本のパワーリフティング界において、意外と知られていないのが、海外のパワーリフティング界の情報である。そこで、JPA国際部へ入ってくる海外ニュースの中から、記録を中心に、各地の話題をまじえて紹介していきたいと思う。

【1】カズマイヤー、6年ぶりにスーパー・ヘビー級の世界記録を更新

 毎年、いや1年の間に何回も書き変えられていく世界記録の中にあって、6年間破られなかった偉大な記録、ラインホルトの持つスーパー・ヘビー級トータル1097.5kgも、ついに破られる日が来た。スーパー・ヘビー級にはめずらしく、脂肪のまったくついていない体で、しかも150kgの体重を誇るビル・カズマイヤーが、今年1月31日、西ジョージア州パワーリフティング選手権大会で、ついにその記録を破ったのである。
 まずスクワット第1試技で385kgを軽く挙げ、第2試技で420kgを成功させた彼は、第3試技で世界記録の442.5kgに挑戦するつもりであったらしいが、大臀筋に痛みを訴えてパス。つづくベンチ・プレスでは、第1試技270kg、第2試技290kgの世界新、そして第3試技では夢の300gを成功させてしまったのである。まさに恐るべしである。
 最後のデッド・リフトでは、第1試技337.5gを、おもちゃのように軽く引き続いて第2試技で380kgを成功。この時点でトータル1100gの世界新樹立となったのである。さらに彼は、第3試技で、これも6年間破られていないラインホルトの400gを破るべく402.5gに挑戦した。結局は非常に長い努力のすえに、なんとかこの402.5gを引いたのであるが、途中でバーベルが止まったため、白ランプ1、赤ランプ2で、惜しくも失敗であった。
 このように、彼の記録はまだまだ伸びそうなので、今年インドで行なわれる世界選手権での彼の活躍が大きな興味の的であると言えよう。

【2】因幡選手とカズマイヤーとでは、果してどちらが強いか

 日本が世界に誇るフライ級チャンピオン、因幡選手と、例えばスーパー・ヘビー級のカズマイヤー選手と較べた場合、果たしてどちらが「強い」か、ということは、誰にとっても非常に興味深いものであるが、簡単には比較できない。つまり、体重が約3倍だからといって、トータル記録は3倍も違わないのである。
 このように、体重の違う選手の記録を公平に較べたいとき、IPFでは1979年より「シュワルツ・フォーミュラ」という数表を用いて、各大会などでベスト・リフターを選出するのにつかっている。この数表は、アメリカ・パワーリフティング協会の役員であるシュワルツ氏により、1969年以来改訂されつづけてきたものであり、1979年に正式採用になったものである。
 その内容は、ここ10年間の世界トップ・リフターの体重と記録を統計的に整理し、そこから得られるグラフを数式をもって代表させ、それをコンピューターで係数としてあらわしたものである。この係数表を全部掲載すると、それだけで数ページにもなってしまうので、ここでは男子の各クラスのリミットのところだけを抜き出して紹介することにしよう。

52kg......0.9515
56kg......0.8748
60kg......0.8128
67.5kg....0.7258
75kg......0.6645
82.5kg....0.6193
90kg......0.5853
100kg.....0.5540
110kg.....0.5365
125kg.....0.5210(現在、表示はここまで)

 そこで、因幡選手の体重が52.0kgで係数が0.9515、カズマイヤー選手の体重は150.0kgだが、表示が125.0kgまでしかないため、かりに0.500として計算すると、
 因幡英昭選手のトータル 567.5kg×0.9515=540kg
 カズマイヤーのトータル 1100kg×05000=550kg

 この540kgと550gがフォミュラ・トータル(FT)と呼ばれるもので、この記録をもって両者を比較するのである。ここではカズマイヤー選手の正確な係数がわからないので推定になるが、どうやらわずかにカズマイヤー選手の方が強いということになりそうである。
 なお、JPAでも公式競技では1979年より、このシュワルツ・フォーミュラを使っている。また女子用としては、マローン・フォーミュラがIPFにより認定されており、JPAも今年度から採用している。

【3】ワールド・ゲーム、アジア・オセアニア大陸
代表として日本から因幡、伊藤

 オリンピックに採用されていないスポーツだけで、オリンピックに匹敵する大会を開こうという第1回ワールド・ゲーム・チャンピオンシップスが、今年7月、アメリカはカリフォルニア・サンタクララで開かれるが、パワーリフティングも正式に参加が決っている。
 パワーリフティングは、7月28、29の両日、アメリカ大陸対ヨーロッパ大陸対アジア・オセアニア大陸の3大陸対抗の形で行われる。日本からは52kg級・因幡英昭選手と60g級・伊藤長吉選手の2人が、アジア・オセアニア大陸代表として、3月31日付けで、IPF副会長であるオーストラリアのフランク・ランプ氏によって選出された。両選手の健闘を期待したい。

【4】全米女子パワーリフティング選手権大会成績表

2月7・8日 於・インディアナ州
[註]4kg級3位のT・ホイットはベンチ・プレスの特別試技で67.5kgの世界新、56kg級2位のD・フランツはデッドリフトの特別試技で182.5gの世界新をそれぞれ樹立。

[註]4kg級3位のT・ホイットはベンチ・プレスの特別試技で67.5kgの世界新、56kg級2位のD・フランツはデッドリフトの特別試技で182.5gの世界新をそれぞれ樹立。

 また、56g級で優勝したG・クレインは、昨年度の男子世界記録表世界パワーリフティング選手権67.5kg級で優勝したリッキー・クレインの妹である。この大会の1位の各選手は、5月11日、12日、ハワイ・シェトラン・ホテルで行なわれる第2回女子世界パワーリフティング選手権に参加する。

【5】ハワイ国際招待パワーリフティング大会

1981年3月22日アメリカ・ハワイ

 世界各国から有力選手を招待し、世界新記録の樹立される様を見てもらおうという「ハワイ国際招待パワーリフティング大会も今年で4回目を迎えた。
 1987年の第1回大会には、日本から因幡、富永の両選手が招待され、その活躍ぶりは地元の日系人の大隅索を受けていた。しかし、今年は財政的困難からか、招待選手はすべてアメリカ国内選手にかぎってしまったようである。しかも、ショーとしての面白さだけを考えたのか、軽いクラスの選手は招待しなかったとのことである。
 主催者は、ガス・レズウィッシュというシェラトン・ホテル・ワイキキのホテルマンで、彼は、スーパー・ヘビー級、級選手として、毎年、全米パワーリフティング選手権大会で上位入賞しているベテランであり、テレビでも放映されたワールド・ストロングマンにも出演したことがある。
 この、アメリカの重量級選手のみによって戦われた「ハワイ国際招待大会」では、結局、2つの国際新記録しか出なかったが、重量級の強いアメリカの事。これらの記録は日本人である我々には、おどろくべきものである。来年はまた、世界各国から選手を集めて、大きな大会になることを希望しよう。
 当大会の成績は次のとおりである。なお、☆印は世界新記録を示す。
記事画像2

■男子パワーリフティング世界記録表

1981年2月17日現在――JPA技術委員会
記事画像3

■女子パワーリフティング世界記録表

1981年3月27日現在――JPA技術委員会
[註](ニ)はニュージランド、(フ)はフィンランド、(オ)はオーストラリアを示す。

[註](ニ)はニュージランド、(フ)はフィンランド、(オ)はオーストラリアを示す。

■第7回沖縄県パワーリフティング選手権大会

4月5日 於・奥武山体育館
記事画像5
※沖縄県パワーリフティング協会の県体協加盟の件で、比嘉稔県協会副会長と共に県体協会長や役員の方々と話し合い、加盟申請書類を提出し、5月の県体協理事会の決定待ちの段階です。大里喜誠体協会長によれば「多分、理事会で承認されることは間違いないだろう」とのことで、もし、承認された場合、記念行事として、全九州パワーリフティング選手権大会を沖縄で開催することを検討しております。
(沖縄県パワーリフティング協会理事長・仲村昌英)

■異色のパワーリフター、照屋選手と宮城選手

 去る4月5日に行なわれた。第7回沖縄県パワーリフティング選手権大会に異色の2選手が出場して注目を集めた。その2選手は、照屋唯秀選手(45歳、67.5kg級トータル385kg、4位入賞)と宮城政文選手(60歳、75g級トータル365kgで5位入賞)の2人である。[写真]
〔異色のパワーリフター2人。左が照屋唯秀氏、右が宮城政文氏〕

〔異色のパワーリフター2人。左が照屋唯秀氏、右が宮城政文氏〕

〔第1回埼玉県パワーリフティング選手権大会の優勝者と役員〕

〔第1回埼玉県パワーリフティング選手権大会の優勝者と役員〕

 照屋選手は、22年間も悩まされつづけた持病のゼンソクをパワーリフティングを始めて1年で見事に克服、67.5kg級で4位に入賞。宮城選手は今年60歳だが、まだまだ血気盛んで、昨年の記録をトータルで15gを上まわって75kg級の5位に入賞した。両選手の健闘を心からたたえたい。
(文・写真=仲村ジム会長・仲村昌英)

■第1回春季埼玉県パワーリフティング選手権

4月19日 於=三幸トレーニング・センター
〔註〕◎印は日本新記録、〇印は埼玉県新記録

〔註〕◎印は日本新記録、〇印は埼玉県新記録

(記録・写真=埼玉県協会・福屋好博・宇井達也)

■第11回愛媛県パワーリフティング選手権大会

4月12日 於=松山市・イヨテツスポーツセンター
〔註〕※印はオープン参加を示す。中尾選手のスクワットは日本新記録。なお、以上のほかに100kg級に大西選手、110kg級に杉本選手が出場したが、大西選手はベンチ・プレスを失敗、杉本選手はデッド・リフトを棄権して失格。

〔註〕※印はオープン参加を示す。中尾選手のスクワットは日本新記録。なお、以上のほかに100kg級に大西選手、110kg級に杉本選手が出場したが、大西選手はベンチ・プレスを失敗、杉本選手はデッド・リフトを棄権して失格。

(愛媛県パワーリフティング協会理事長・岡崎努)

■第11回神奈川県パワーリフティング選手権成績

期日・4月5日 会場・県立神之木台青少年会館
記事画像10
(記録==神奈川県パワーリフティング協会・江坂昭作)

■第10回全日本パワーリフティング選手権大会
56年5月3日 於・府中市立総合体育館

〔註〕◎印は日本新記録を示す。

〔註〕◎印は日本新記録を示す。

■1981年度近畿・大阪府パワーリフティング選手権大会

4月19日 於・岸和田市立大芝地区公民館
〔註〕最初の順位が近畿順位、次が大阪府順位。また◎印は日本新記録を示す。

〔註〕最初の順位が近畿順位、次が大阪府順位。また◎印は日本新記録を示す。

(大阪府パワーリフティング協会理事長・伊集院明也)
月刊ボディビルディング1981年6月号

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