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★ビルダー・ドキュメント・シリーズ★
大きく羽ばたけ1981年
期待される大型新人 小沼敏雄

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月刊ボディビルディング1981年2月号
掲載日:2020.04.06
川股 宏

◇よき先輩に恵まれて◇

「それまでは、どちらかというと菜食主義だったんですが、少しずつ体が変ってくると、自然に意欲もわいてきて嫌いだった肉でもなんでもバンバン食べるようになったんです。自分でも信じられないくらいでした」
 あたかも、しぼりきった雑巾が、いくらでも水を含んでいくように、ボクシングでしぼりきった体が形よく大きく逞しく変った小沼は、大学での勉強と、田端ボディビル・アカデミーでのトレーニングとの楽しい充実した学生生活に入った。
 この田端のジム(河合君次会長)は、国鉄田端駅のすぐ近くにあり、男性用、女性用のトレーニング・ルームと最新器具を完備した、第一期ボディビル黄金時代から存続している歴史あるジムである。いまはそれぞれジムのオーナーとなったが、遠藤光男氏、重村尚氏等も、かつてこのジムでコーチとして指導したことがある。
 それはさておき、小沼が入会したころ、このジムの代表的選手は加藤利雄選手であった。加藤選手は、1977年から連続3年、ミスター東京3位に入賞したプロポーション抜群の大型ビルダーで、彼の真面目さと地道な努力には定評がある。
 小沼は入会と同時に、この加藤選手の指導と、先輩としての生活態度に多くの影響を受けた。学生として向学心に燃え、真剣に人生に取り組もうとする青年、小沼にとって、加藤選手のトレーニングに対するひたむきな態度は先輩としてより、むしろ師のような範とすべき魅力ある生き方として映ったのである。
 筆者の知る限り、加藤選手はタバコや酒といった、ビルダーにとってマイナスになると考えられるものはいっさいやらない。そして、一度きめたこと(トレーニング)は、雨が降ろうが、雪が降ろうが、ぜったいに計画どおりに実行するという強い意志の持ち主である。
 当時、加藤選手は、仕事とトレーニングの合間に、将来、リハビリ理学療法師の資格をとるために夜、学校に通っていた。そして、そのいずれをもおろかにせず、さらに、毎年夏のミスター東京を目指してのハード・トレーニングを計画的に消化していた加藤選手の態度を見て、小沼は大いに感ずるところがあった。
「ようし、俺も加藤さんのように、大学とボディビルを両立させてやる」と、真面目さ、努力家という面において加藤選手と良く似ている小沼は、はじめてビルダーとしての目標をもち、黙々と努力し、着実に力をつけていった。
 その頃(大学1年)の小沼の体重は70kg~75kgであったが、2年後には95kgにまで増えた。それも筋肉ではちきれんばかりに.........。
 想い起こせば、高校のボクシング部員だったころの51kgからみれば、実に44kgの増加である。身長も162cmから175cmとこれまた13cmの増加である。
 この体重の増加にともなってパワーも大幅にアップし、ベンチ・プレスで165kg、スクワット215kg、バック・プレス(座居)85kg、カール(チーティング)50~60kgができるまでになった。
 逞しい体にあこがれ、なけなしの2万円で器具を買って、見よう見まねでトレーニングを開始したチビッコ少年が、4年後、肉体的にも精神的にも大きく変身し、力強い青年に育った。この4年間の地道な努力こそが小沼の今後の人生に大きな自信となることは間違いない。
[バーベル・カールをする小沼選手。うしろが加藤利雄選手]

[バーベル・カールをする小沼選手。うしろが加藤利雄選手]

◇北区体育館の専任コーチに◇

 東京都北区赤羽台、赤羽駅西口から高台の赤羽台団地を通り越した閑静な窪地に、北区体育館がある。テニス、弓、剣道、空手、卓球、バスケット等あらゆるスポーツにまじり、ウェイトトレーニング場も完備している。
 施設のユニークさもさることながらここの代々の館長さんは、みんなボディビルに深い理解がある。というのはこのトレーニング場のコーチには、ビルダーを専任コーチとして置くほか、北区ウェイト・トレーニング同好会(会長・川股宏)という会まであり、区内のボディビル愛好者が思い思いにトレーニングに励んでいる。そして、年に1~2回のボディビル・コンテストのほか、ハイキングや忘年会等、地域社会の青年を中心としたサークルが活動している。
 前置きが長くなったが、実は、小沼はこのトレーニング場の専任コーチなのである。毎週木曜日の午後5時からが彼の担当である。
 週1回ではあるが、トレーニングと実益を兼ねたこのコーチは、小沼にとって大へん有意義なものである。このトレーニング場からも明日のミスター東京に参加を志ざす人たちがいる。それらの人たちとの交際とトレーニングの輪が1つずつ広がりを見せるとき、体づくりだけでなく、また別の楽しみがあるからである。
 さらに、今年4月、芝浦工業大学を卒業し、病院関係に就職が決っている小沼にとって、ここの場所だけはすでに社会人としてふるまえる場であり、一般の学生より、一歩先んじた社会経験、社会勉強になる。
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◇欠点を克服、大きく前進◇

 ボディビルに限らず、どこの社会にも、一歩一歩進み、一段一段と一流の仲間入りするに従って、立ちふさがる壁がある。
 一般の人がビルダーの力コブを見て「ワァすごい腕だ!」と驚嘆するほどの腕でも、目のこえた人が見れば「ニ頭は良いが、三頭はまだまだだ」と云うように、誰にでも欠点はある。そんなとき、前者に耳を貸して天狗になれば発達は止まる。後者に耳を貸して、その欠点を1つ1つ克服することが、すなわち、一流への道につながる。
 例えば、あることに志ざし、3年間努力して壁にぶつかったとしよう。その壁は何年かけたら乗り越えられるかわからない。そんな時、その壁に突き当ったままで諦めたとすると、それにかけた努力の年月は、まるで無駄だったということになる。「厚い壁があった」それが彼が得た結論でしかない。やはり、なんとしてでも、その壁を乗りきらねば努力は報われない。
 小沼の社会への出発、この機を境いにして、精神的にも肉体的にもさらに大きく前進し、大型選手として全日本に挑戦状をたたきつける小沼に心から声援を送りたい。
月刊ボディビルディング1981年2月号

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