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1980年度第10回世界パワーリフティング選手権大会
アメリカテキサス州ダラス
ステージからの報告 PARTⅢ

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月刊ボディビルディング1981年2月号
掲載日:2020.03.30
〈大会第2日目、ブリジスの活躍〉

日本選手団長・JPA理事長 関二三男

国際大会に参加するには一定レベルの実力とマナーが必要

 大会2日目、私は午前11時からライト・ヘビー級のコスチューム・チェックに立会い、午後2時からこのクラスのレフリーをつとめることになっている。また、午前中の75kg級に鈴木正之選手が出場する。
 第1日目の競技が終ったのが深夜の1時。7時半に起床して、この原稿を書いている途中で朝食、急いで食べてまた原稿を書く。時計を見るともう10時40分、あと20分しかない。忙がしい! 忙がしい!
 予定どおり11時からコスチューム・チェック開始。なんとライト・ヘビー級だけで22人もいる。ブリジス、カピーノ、英国のフィローといった怪物たちの顔も見える。ブリジスとは何回も会っているので覚えているらしく、私の方を見ながら、相変らず可愛らしい表情でニコニコしている。
 約2時間でコスチューム・チェックが済み、12時から検量が始まる。
 10番目にブリジスが体重計に乗る。意外に軽く81.4kg。昨年はミドル級に出ていた彼が、1階級上げてきたが、いったい何キロになっているのか私にはたいへん興味があった。
 ブリジスのスタート重量はスクワット365kg、ベンチ・プレス210kg、デッド・リフト297.5kg。このクラスの世界第一人者としては、デッド・リフトが思ったより軽い。検量後、私の手のひらの大きさと彼の大きさを比べてみた。私よりほんのちょっと大きいだけだ。やはり彼の弱点は手が小さいことだった。これでは重いデッド・リフトはダメだ。神は二物を与えずというが昔の人はいいことを言ったものだ。
 競技開始は2時。終了はまた夜遅くなりそうだ。あわてて食事をとり、原稿を書き、ショッピングをして駆け足でステージに行くとジャスト2時。私がいないので場内放送しているところだった。もうちょっと余裕をもって来るべきだった。
 とにかくアメリカに来たら、絶対に時間は厳守しなければいけない。自分自身の気持ひとつで守ることのできる約束の時間が守れないようでは、その人間は信用できない、と評価されてしまうのだ。日本人は、とかく“まあ、まあ”と適当にその場をとりつくろうクセがあるが、国際人の仲間入りの第一歩は、この時間厳守であることを読者諸君もキモに銘じておいてもらいたいと思う。
 さっそくレフリーと選手が1人ずつ紹介された。おや! ブリジスがいない。他の全員がそろっているのにどうしたことだろう。昨日のフェザー級のときもプレデリーがいなかったが、オープン参加で、順位に関係がないかも知れないが、名前がアナウンスされても本人がいなければ、せっかく盛りあがってきた場内はシラケてしまう。選手と観客と役員が一体となって真剣に競技を盛りあげるところにアマチュア・スポーツの良さがある、と常日頃から考えている私は、こうした選手の勝手な行動を見ると、ハラが立ってしかたない。
 いよいよ競技開始。最初はスペインの選手。彼は役員も兼ねているので、国際会議にも出ていた。規約で役員はダーク・ブルーのブレザーにグレーのズボンを着用すること、と決っているのに、彼は、ハデなポロシャツの胸を大きくあけて、ペンダントをぶら下げ国際会議にふさわしくない服装をしていたので良くおぼえている。
 その彼のスクワットのスタートは何kgかと、うしろをふりかえってみるとなんと160kgではないか。あ〜あ、ここをなんと思っているのかだろう。これを見ても、いかにスペインのレベルが低いかがわかる。
 しかも、1回目は腰が高くて赤ランプ3つ。2回目も同重量で赤3つ。3回目、これまた赤3つで失格。力量もルールも、すべてレベル以下。大会は参加することに意義があるのではなく一定レベルの実力とマナーがなければいけないと私は痛感した。
 今後、読者諸君も国際大会に出場するチャンスに出会ったときはぜひ、以上の点に気をつけていただきたい。胸の日の丸は、ダテではありません。
 2番目の選手はブラジル代表。これまた2回とも赤3つ。本人の一生懸命やっているのはわかるが、ルールどおり下りていない。3回目。かろうじて白2つ、赤1つで成功した。赤は私である。おそらく日本のレフリーなら、私以外の人でも赤と判定するにちがいない。だから、日本選手のクスワットは世界に通じるわけである。大いに自信をもっていただきたい。
[75kg級6位入賞の鈴木正之選手。私はちょうど82.5kg級のコスチューム・チェックと重なり、残念ながら応援することができなかった。]

[75kg級6位入賞の鈴木正之選手。私はちょうど82.5kg級のコスチューム・チェックと重なり、残念ながら応援することができなかった。]

[ブリジスと私。こんなやさしい、人なつっこい顔をした彼のどこにあんな怪力がひそんでいるのか全く不思議だ。]

[ブリジスと私。こんなやさしい、人なつっこい顔をした彼のどこにあんな怪力がひそんでいるのか全く不思議だ。]

スーパー・スター、ブリジススクワット367.5kgの世界新

 スクワットも終盤に近づき、フィローが300kg、ウエストが310kgをともに文句なく成功させたあと、いよいよ問題のブリジスである。彼のスタートは、検量時の申込重量より7.5kg下げて357.5kgである。21人の選手の試技はすべて終り、残るは彼1人である。満員の観衆の注視するなかで、悠々と1人でやるのだ。さぞ気持のいいものだろう。
 とにかく、今大会、全階級を通じて彼ほど魅力ある選手はいないだろう。顔は先にも述べたように、誰からも好かれる“愛らしい顔”である。
 その彼が、1回目、357.5kgにいどもうとしている。357.5kgといってもピンとこないかも知れないが、日本でいうとスーパーヘビー級で仲村昌英選手がマークした360kgとほぼ同じである。その時の仲村選手の体重は126kgだったと記憶している。それを81.4kgの体重の彼がやるというのだから、まさに怪物、ブリジスである。
 コールされ、ステージに上がったブリジスは、歯をくいしばって自分に気合を入れる。ちょっと珍しいタイプのリフターと言うのが解った。少し離れたところで見ている人には、彼の仕草が見えないから、いとも簡単にやっているように見えるだろうが、どこか違う。だからこそ、スーパー・スターなのである。
 バーベルをかついでスクワット。強い! やった! まだかなり余裕がある。つづいて367.5kg。これまた、なんなく成功。スタンスがややワイド・スタンスの他は、別に変ったところがない。靴など運動靴である。
 コスチューム・チェックのとき、ブリジスはスーパー・スーツ2、ズック2、バンデージ2、ベルト1、Tシャツ2、リスト・バンデージ1を持参したが、どれもまったくふつうのもので特別、工夫したものはなかった。
 3回目の試技で、ブリジスはなんと385kgを申込んだ。スーパー・ヘビー級でもたいへんな重量である。
 すでにステージにのぼる者はなく、ブリジスのワンマン・ショウである。1人でやっていると、意外に時間はあるものである。バーベルのセットを確め、その上で、バーローデイド(準備OK)がかかって、それから3分間、計5分間くらいはあるだろう。強いということはいいことだ。
 ブリジスがステージに姿をあらわした。場内はワールド・レコードの合唱で満員の観客は興奮のしっぱなしだ。カモン、マイク! カモン、マイク!(正確にはミッシェル・ブリジス)
Get it !
 バーベルをかついだ。うしろに下がる。しゃがんだ! 上がってきた。しかし、上がりきれなかった。だがスゴイ! 不成功だったとはいえ、やはり彼は怪物だ!
 それにしても、私はなんと恵まれているのだろう。昨年の大会といい、今年の大会といい、歴史に残る名場面でいつもレフリーをやっている。これはきっとIPF次期会長と目されているアメリカ代表のデニス氏の計らいに違いない。
 多分、明日の試合は今日のこのクラスほど盛り上がらないだろう。おそらく彼、デニス・ブルックは、私が疲れていることを知っていながら、あえて私にレフリーをやらせてくれたのであろう。最高の試合、最高の盛り上がりおまけにCBS・TVが私の表情をとらえていた。サンキュー。
 このアメリカ代表のデニス・ブルックは、オクラホマ州の銀行の頭取で、会議のとき見せたテリー・トッドへの鋭い質問と目を見て、いつもニコニコしている彼とは違うアメリカン・イーグルを思い出した。
 アメリカン・イーグルとは、羽を広げると2メートルもあり、首から上が白く、精悍で威風堂々とあたりを睥睨する、まさに偉大なる国、アメリカにぴったりの国鳥である。大事なとき、適切な判断と決断、そして実行、これがアメリカン・イーグルである。
 その彼が、私に好意を持っていてくれる。ありがたい。年齢は私と同じくらいだろう。デニスに感謝しつつ、次のベンチ・プレスに移る。時差ボケと、連日のハード・スケジュールが重なって、眠い。しかし、選手諸君は、年1回のこの日のために、はるばる遠くから来ているのだ。一発のミスもやってはならない。太ももをギュッとつねりながら、歯を食いしばり、コーヒーを飲み、ジュースを飲みながら“これもすべて試練だ! 私には日本パワーリフティングの威厳がかかっているんだ!”と自分自身に言いきかせながら頑張った。
 ベンチ・プレスも、やはりブリジスの一人舞台だ。210kg、225kgと重量をあげ、3回目、235kgの世界新記録に挑戦しようというのだ。現在の世界新記録は、お化けのマイク・マクドナルドのもつ232.5gである。しかし、このときのマクドナルドの他の2種目はスクワット70kg、デッド・リフト100kgであった。つまり、下半身を退化させ、上半身だけを集中的に鍛えた結果ベンチ・プレスのみが飛び抜けて強くなったものと推測される。
その化け物の世界記録を破ろうという235kg。私も心から成功を祈った、が、バーベルは20cmくらい上がって、それ以上いかなかった。しかし、体重は軽いし、若い(24才)のだから、この記録を達成するのは時間の問題だと思う。
 さて、最後のデッド・リフト。これは先にも書いたように、手の小さいブリジスの泣きどころ、と思っていたところ、なんとスタート重量を予定より7.5kgも上げて305kgではないか。えっ! あせったのかなー、失敗しなければよいが。
 ブリジスは慎重にバーをにぎった。彼のデッド・リフトは足で引くやり方だ。手からはずれなければいいが。
 一瞬おいて、グッと脚に力がはいった。いっ気に決めた。ビューティフル! 白ランプ3つ!
 2回目、335kg。これもなんなく決めた。あくまでも闘志を内に秘めて冷静に、気合を入れてバシッと決める。若いけど大したものである。
 3回目、345kg。もうここまでくれば手の大小ではない!上がるか、上がらないか、ただそれだけである。
 しかし、さすがのブリジスも力尽きて、3回目の試技は不成功であった。それにしてもスゴい。今大会におけるブリジスの記録は、スクワット367.5kgベンチ・プレス225kg、デッド・リフト335kg、トータル927.5gであった。
 いったいブリジスの記録は、これからどこまで伸びるのだろうか。今大会の最優秀選手は間違いなく彼のものである。しかし、彼の華々しい活躍のおかげで、残りの試合が興味半減となるが、それもやむを得ない。
 こうして、夕方7時すぎ、ライト・ヘビー級が終った。疲れた! 眠い。早く寝よう。次のミドル・ヘビー級を見る気力もない。めしを食って自分の部屋に引きこもる。
 そうだ、忘れていた! 吉田君に約束した、スペシャル・スポーツ・マッサージのことを。私が彼にしてやれることは、これくらいしかない。口には出さないが、吉田君はきっと疲れているだろう。明日、奇跡が起これ、そんなことを祈りながら心をこめてマッサージしてやる。
 昨年度100kg級で優勝したラリー・パシフィコは、右中指を切断寸前という事故にあい、会場に姿を見せていたが出場しないとのことだった。
 マッサージを終って、1杯飲んで12時に就寝。吉田君はすでに白河夜船。マッサージのあとで熟睡、疲れをとるにはこれが一番だ。しかし、私の特効薬は、なんといってもアルコール。これを飲まないとどうしても眠れない。まして、外国に来て、連日、会議やレフリーで神経が高ぶっているときは、飲んで寝るに限る。
◇1980年度世界パワーリフティング選手権大会75㎏級以上の上位入賞者◇

◇1980年度世界パワーリフティング選手権大会75㎏級以上の上位入賞者◇

[90㎏級で優勝したアネロ]

[90㎏級で優勝したアネロ]

ぶっつけ本番で失敗したスペシャル・スーパースーツ

 朝7時10分に目がさめた。当地に来て一番長く寝たことになる。吉田君はまだよく眠っている。しめた! 今日は頑張れよ!
 トントン、誰か来た。今日、110kg級に出る仲村君である。吉田君が眠っているから静かに、と言ったが、気配で吉田君も目をさましてしまった。
 しばらく話をしていると、吉田君のコスチューム・チェックと検量の順番を引きに行っていた山本君が帰ってきた。検量は4番目を引き当てたとのこと。ラッキー、早い番号だ。
 吉田君の出場する100kg級が始まりその試合中、仲村君のコスチューム・チェックがあり、これには伊差川君が責任を持ってくれたので、私はそれを横目で見ながら、検量の順番を引いてみた。吉田君と同じく4番である。良かった!
 というのは、仲村選手は減量に苦しんでおり、もし1回目の検量でオーバーしていたら、少しでも多く時間が必要になるからである。
 急いで吉田君のところに戻り、セコンドをつとめる。しかし、ここで思いがけないミスがあり、吉田君には大へんすまない出来ごとが起こってしまった。
 というのは、昨夜、吉田君が大枚75ドル出してスペシャル・スーパー・スーツのスゴいやつを見つけてきた。早速、着てみたところなかなか感じがいいので、私も同調して、いきなり本番で使うことにした。
 ところが、これが大へんな間違いだった。最初のスクワットで、グッとしゃがんだとき、このスーツは伸びたら伸びっぱなし、全然、戻る(縮む)カがないのだ。これまでのスーパー・スーツは、伸びたら、元に戻ろうとする伸縮性があるので、スクワットで立ちあがるとき、自分の力に、スーツの戻ろうとする力をプラスさせることができたのに、この新しいスーツには全くそれがないのだ。吉田君は自力だけで立ちあがるほかなかった。
 やはり、新しいものを採用するときは前もって充分検討しなければいけないということを改めて痛感した。あれだけハッスルしていた吉田君も、出鼻でつまづいて気をそがれたのか、いまひとつ振るわなかったが、それでも自己新の240kgを出してくれたのが、せめてもの救いだった。反省しよう。
 彼は、つづくベンチ・プレスで180kg(これは日本新記録)、デッド・リフト240kg、トータル660kgをマークしたが、世界の壁は厚く、12位だった。
 最後は、いま日本選手団中、一番気になると同時に、一番楽しみにしていた仲村君である。というのは、彼のスクワットの2回目にやろうとしている385kg、これは110kg級の世界新記録なのである。ところが、幸か不幸か、彼はまったく気がついていないのだ。
 こんなところに、彼のおおらかな人間の良さがうかがえる。まさか、自分の脚が世界級だなんて思わないところが、いかにもおごりのない彼らしい。悪いけど、気づいていないのを良い方に利用させてもらうことにした。
 読者もご存知のとおり、昨年6月1日の全日本選手権で、体重126kgもあった仲村君を、110kg級に落とさせたのである。つまり16kgの減量である。これには彼もかなり苦労したらしい。
 検量1時間前、1kgオーバー。大変だ! 私はホテル前の駐車場を、心を鬼にして走らせた。
 12時、検量開始。4番目が仲村君の番だ。体重計に乗った! 110kg、ぴったんこで無事通過した。よかった! 仲村君もよく耐えてくれた。よし、腹いっぱいメシを食え! 違う、メシはないから、部厚いステーキを2人前、フレッシュ・ジュース、それに栄養のありそうなものを急いでとらせる。
 3時半、スクワットも最後に近く、いま310kgをやっている。彼の強い脚は、充分、世界一流の仲間入りをしており、最後の試技者に近い。よし、そろそろウォーミング・アップだ。
 重量は340kgにあがった。私は心を込めて、しっかりとバンデージを巻いた。よし! いこう!
ステージに上がった仲村君は、がっちりとバーベルをかついだ。足を決めてしゃがんだ! 上がる! おやっ止まった。ダメだ! どうしたのだろう。もうこうなれば、世界新記録どころではない。とにかく、これを成功させなければ話にならない。やはり、長旅と16kgの減量が影響したのか!
 2回目、同じく340kg。1回目より少し上がったが、これもダメだ! 2回の彼の試技を見て、私は3回目も無理だと直感した。しかし、仲村君はやるという。顔から首から汗が滝のように流れ落ちている。
 バンデージを巻き直して最後の試技に向う、ガンバレ! 彼がバーベルをかついだのと同時に、ビ……、時間オーバーを告げるブザーが鳴った。万事休す。でも最後まで良くやった。会場からは彼のファイトに対して惜しみない拍手が贈られた。私ももう一度、良くやってくれた、これで充分! と彼をほめた。彼は、来年はきっとやる! と涙を浮かべていた。
 そうだ! そのくやしさこそ、次の目標に向ってのファイトだ。失格もまたその踏み台だ。世界選手権で失格した最初の日本選手は、この私なんだ! 最後まで力いっぱい頑張った結果の失格、これを恐れていては進歩がない。それにしても、いつの大会でも、遠くまで出かけなければならない日本チームは、始めから、コンディションの維持、時差、長旅の疲れといった不利な条件を背負っていることになる。
 これまでの数々の開催国のように、日本の政府も、もう少し「力」を貸してくれても良いのでは……。
――×――×――×――
 私はその後、疲れがどっと出て、自室に戻り、2時間ほど寝入ってしまった。そのため、このあとの試合の進行をほとんど見ていないので、残りは吉田君にバトン・タッチし、来月号に執筆、掲載してもらうことにする。
[ベンチ・プレス180gの日本新記録を出したが、重量級の壁は厚く100kg級12位入賞の吉田進選手]

[ベンチ・プレス180gの日本新記録を出したが、重量級の壁は厚く100kg級12位入賞の吉田進選手]

[仲村昌英選手。110kg級スクワットの世界新記録樹立をひそかに期待していたが、残念ながら3回とも失敗してしまった。]

[仲村昌英選手。110kg級スクワットの世界新記録樹立をひそかに期待していたが、残念ながら3回とも失敗してしまった。]

月刊ボディビルディング1981年2月号

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