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★ビルダー・ドキュメント・シリーズ★
さわやかな青春<その2>

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月刊ボディビルディング1979年3月号
掲載日:2018.10.01
~川股宏~

◇勉強に意欲◇

”豚もおだてりゃ木に登る”という言葉があるが、絶対に不可能だと思われることであっても、何かのキッカケで自信をもち、自我に目覚めることによって、その不可能が可能になるというたとえである。このたとえが適切であるかどうかわからないが、少年が日本電気の訓練所に入って間もなく、ふとしたことから自我に目覚める環境が与えられたのである。
「私は、それまで勉強はあまり好きではなかったし、成績で人より上に立とうなどとは一度も考えたことはありませんでした。
ところが、訓練所に入ってしばらくして、私の成績がかなりいい線いっていることに気がついたんです。同僚の多くが東北や北海道から出てきた田舎者だったということもあって、スポーツをやっても負けないし、勉強でも負けないんです。いままで気がつかなかったが、自分には勉強の面でも秘めた能力があったのではないか、ただ努力しなかったために成績が良くなかったに違いないと、なんとなく自信がわいてきたんです」
明るい性格、健康な肉体、それにやる気になれば勉強でも人に負けないという自信が、この純な少年の心にプラスされた。こうなると、若い少年の希望と欲望はどんどんふくれあがる。そして先ず考えたのが、高校卒の資格を取ることだった。
少年が、いま自分のおかれている環境の中で、親の援助を受けずに高校卒の資格をとるとすれば、それは”通信教育”以外にない。少年はさっそく東京・国立にある通信教育「NHK学園」に手続をとった。
聞くところによると”通信教育”でまともに卒業までいく人は非常に少ないという。最初は希望をもって入学しても、途中で大半の者が脱落してしまうからである。遊びざかりの若者が、仕事の合間に自主的にコツコツ勉強し、自分をコントロールしながら勉強することがいかに難しいかを物語る。よほどの努力と自制心の持ち主でないと途中で挫折して投げ出してしまう。
ともあれ、少年は高校通信教育を受講しはじめ、昼は訓練所、夜はレポート勉強と、コツコツ一歩一歩やり出したのである。
親や会社から押しつけられたのではなく、自ら進んではじめたことだけに苦しいとか、つらいといった感覚は少しもない。

◇バーベル見つけた◇

少年をとりまく状況は、この1年めまぐるしく変化したが、休みの日などには、小さいときから好きだった釣りが忘れられず、よく多摩川などへ行ったものである。東京にだって自然がある。魚を釣り、川原の土手を走り廻ると、子供時代に戻ったようで、ほんとうに生きているという実感がわき起こってくる。
そんなある日、多摩川の土手にトロッコの車輪がころがっていた。とっさに、少年の頭に一瞬、ヒラメキが走った。プロレス→力道山→怪力→逆三角の体→トレーニング→バーベルと、迷うことなく直結してしまった。
この古い錆びた車輪を自転車につんで家に持ち帰った少年は、さっそくその日からトレーニングを開始した。もちろんトレーニングといっても、いつかテレビで見た重量挙げのまねにすぎず、すぐにカッコいい筋肉がついてくるはずもなかったが、毎日毎日あきもせず、必ず1日に1回はトロッコの車輪バーベルに取り組んだ。よくしたもので、勉強も以前にも増して熱が入り成績もさらにアップした。豚が木に登りはじめたのである。

◇兄を見習う◇

少年は小学校や中学校時代の運動会を想い出すと、自然に胸がワクワクする。走るのが早かったから、いつも胸を一杯に広げ、一番先にテープを切るさわやかな優越感が現実のように心の底から湧きあがってくる。
それが、勉強に対する興味と同時に古い車輪のトレーニングを開始してからは、よみがえったように、毎日が、あの運動会のときのような充実感を覚えるのである。「俺はなんでも人並み以上にやれるんだ」と自分の内に潜む可能性に目覚め、そしてそれが開花してくる。毎日毎日が翔ぶように楽しかった。
しかし、少年にとって勉強が好きになり、自信がついたといっても、進学希望の生徒のように、どこかの一流大学へ入り、一流企業のエリート・コースを歩みたいなどというのとは少し違う。自分の肌で、どんな環境でも一歩一歩努力すれば向上できるということが体験的に理解できたのである。
幼いながらこんな心境になったのには大きな理由がある。
「兄ちゃんの言うとおりにすれば、なんでも間違いない」というように、少年の兄は石川島播磨重工に勤めながらコツコツ勉強し、公務員試験に合格して郵便職員に転身している。転職が良いか悪いかは別として、ひたむきな向学心や向上心は、弟にもダイレクトに伝ったのである。
お母さんは「自分の子供をほめてばかりじゃなんですが、うちの子供はみんな良くできた子供で、生活こそ苦しかったんですけど、毎日、3人で競争するように机に向ってましたんですよ。人様にお聞きすると、通信教育はたいてい途中で止めてしまうんだそうですが、うちの子供は、そんな様子は少しもございませんでした。私はいつも、いい息子をもったと内心よろこんでいます」という。
だから、今でもこの家庭は、兄さんを中心として、みんなで協力し、励まし合っている。何か計画や心配ごとがあると、すぐ「兄さんの意見はどう? 僕はこう思うんだけど」というようにまず兄の意見を十分に聞き、そしてみんなで話合う。
このように、少年にとって、兄はよきリーダーであり、人生の先輩として十分に見本を示して鍛えてくれた師でもあった。そして、兄を尊敬し見習った少年は、体も精神も年令と共にすくすく育ち、人生の抵抗力もついてきたのである。
話は余談になるが、最近テレビや新聞をにぎわしている話題に”青少年の自殺”がある。理由はいろいろあるだろうが、環境が大きな原因だ。
ちょっとした困難にぶちあたると、すぐ夢や希望をなくしたり、苦しさに対する抵抗力がなくなり簡単にくじけてしまったりする。これは、小さいときから甘やかされた環境でぬくぬく育ち、子供の自立心をむしばんでしまったからだといえよう。
このような子供は、苦しさに耐えた経験もなく、きびしく鍛えられたこともない。だから、現実の苦しさに直面すると、すぐギブ・アップしてしまうのである。夢や希望が実現するのは、長い地道な努力がなければ不可能という現実を体験していないからだ。
”良薬、口ににがし”という諺どおり、人生に必要なものは、良いことずくめのことばかりでなく、時として、苦しみも必要なのである。

◇ボディビルを知る◇

あっという間に3年間の訓練、教育は終った。充実した3年間であった。同期の少年とは生まれながらにして兄弟のようなコミュニケーションが出来た。利害のからまない少年期の交際だったからである。それに嫌いだった勉強にも意欲がわき、通信教育を受けられるようになったのも、少年にとって大きなプラスであった。それと同時に少年が青春の情熱をかけて悔いないボディビルも、この訓練所で芽ばえたのである。
というのは、訓練所と同じ敷地にある工場に働く社員で、すごい体をした人を時々見かけるという話題が少年たちの間にひろまった。調べてみると、その人は、この訓練所の6期生で、実業団コンテストや、全日本パワーでつねに上位に入賞している狩野一男先輩だという。
少年は、実際に狩野先輩の体を始めて見たとき、こんな素晴らしい体をどうしてつくったのだろうと考えると同時に、なんとか自分もあんな体になりたいと強くあこがれたのである。それからというものは、家に帰っても狩野先輩の見事な肉体美が頭から消えず、夜おそくまで多摩川で拾った車輪バーベルに取りくんだものである。
そして、少年にとって幸いしたことは、訓練所を卒業し、金型工として配属された三田工場にボディビル部があったのである。
「これだ! すぐ入部しよう」とさっそく手続きをすませ、その日から本格的なボディビルのトレーニングを開始した。
朝は人より早く出社して、まず20分間の早朝練習。昼はいそいで食事をすませてまた30分。さらに仕事を終って夕方からまた1時間。しかも夜は柔道の稽古も併行して行なっていたというからすごい。疲れを知らぬ18歳の少年時代であり、持ちまえの根性で、連日この烈しいトレーニングは続いた。
そして、半年、1年と経過するうち胸や腕に筋肉がついてきたのが目に見えてわかった。食事も体に良いときけば、好き嫌いなくバリバリ食べ、日増しにバルク・アップしていった。
そんなとき、狩野選手の提唱により日本電気事業所対抗によるパワーリフティング大会が実施されることになった。これを知った少年のトレーニングは、以前にも増して熱をおびてきたのである。(つづく)
月刊ボディビルディング1979年3月号

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