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月刊ボディビルディング1981年11月号
掲載日:2020.07.09
国際部長・吉田 進

《1》1981年度ワールド・ストロンゲストマン・コンテスト

 毎年恒例となった世界一の力持ちを決める大会“ワールド・ストロンゲストマン・コンテスト”が、今年もアメリカはニュージャージー州グレートジョージにあるプレイボーイクラブ・リゾートにて6月中旬、盛大に行なわれた。

 今年の大会の特色は選手を厳選したことで、例年に比較すれば少ない10名の選手によって競われた。各選手のプロフィルは別表に挙げてあるので見てもらいたい。パワーリフティングやウェイトリフティングの例を見るまでもなく力は体重の重い者ほど強いので、今年の各選手は最低の体重でも120kgとなっている。平均は145gであるが、パワーリフターのビル・カズマイヤーとデイブ・ワディングトンが2人とも145kgというのは奇妙な一致である。それにしてもこうも重量級ばかりが揃ってしまうと、比較的軽量のボディビルダーが参加するのが困難になり、シュワルツェネガーや第1回大会で負傷してその後参加していないコロンブなどの力を見たいものにとってはやや興味の薄くなったことも確かである。

 1978年パワーリフティング・スーパーヘビー級世界チャンピオンのポール・レン及び1980年世界チャンピオンのドイル・ケネディーの2人は、今年の全米選手権をねらうため欠場した。1979年ワールド・ストロンゲストマン・コンテスト優勝のドン・ラインホルトは、昨年のこの大会で負傷したためか今年は出場していない。
〔カズマイヤーの“丸太挙げ”〕

〔カズマイヤーの“丸太挙げ”〕

〔パイパーの“ボール樽積み競争”〕

〔パイパーの“ボール樽積み競争”〕

 さて、第1日目の最初の種目は「丸太挙げ」である。太い丸太に2ヵ所手で握れるように鉄筋を埋め込んだものを頭上に差し上げるのであるが、バーベルと違いバランスが取りにくいため、各選手は大いに苦労したようである。その中にあって健闘したのが、パワーリフターのカズマイヤー、フットボールのウォルフレイ、そして重量挙げのハナンとピッコであった。結果は、1位・カズマイヤー163kg、2位がウォルフレイとハナンとピッコの3人が同記録の158kg、3位がワディングトンとパイパーの137kg。

 第2種目は「25kgの重量物投てき」であるが、手元にある資料には詳細な説明と写真がないため、どのような物体をどのような形で投げたのかは不明である。ただ砲丸投げ選手が上位に入っているので、砲丸投げに近いスタイルでの投てきであったと思われる。
 成績は、1位・ケイプの17フィート、2位・カズマイヤーの16.5フィート、3位・ドレジウィックの16フィート。

 第3種目は新しくこの大会から加えられたもので「トラクター引き競争」というものである。赤と緑のまったく同じ2台のトラクターを100フィート(約30m)何秒で引っ張れるかというものである。これがいかに苦しい競技であるかは、たとえば体重127kgのフットボール選手ウォルフレイが75フィート引いた所でまったく前進不能となり、その場に倒れ伏してしまったことからもわかる。1位はケイプとピッコ、2位は5秒遅れのカズマイヤー、その他の選手はさらに12秒以上遅かったということである。

 さてここから第2日目となり、第4種目は「坂かけ上がり競争」というものである。ただ坂をかけ上がるのではなく、360kgのエンジンを乗せた2輪車を(エンジンはかけず)人間の力で50フィート(15m)の坂を押し上げる競技である。これは過去の大会でもあった種目で、日本テレビで放映されているのでご記憶の方もおられると思う。直進させるのが難しいうえ、力も必要というやっかいなものである。
成績は1位・カズマイヤー10秒、2位・ケイプ11秒5。

 第5種目は「ビール樽積み競争」これは1個76kgのビール樽12個を何秒でトラックに人間の力だけで積み込めるかという競技である。大会のパンフレットには「スターターの合図で各選手が樽をトラックの荷台に投げ込んでいく競技」とあるのだが、現実はそう甘いものではない。トラックの荷台は人間の背の高さほどもあり、体重約200gのダーウィン・パイパーでさえ最初の6個を何とか25秒でこなしたものの完全に息が上がってしまい、残り6個を積むのに80秒もかかってしまった。パワーリフターのデイブ・ワディングトンはその強い脚を使ってまずしゃがみ込み、肩にかついで立ちあがるという方法を採ったが、時間の方は決して早いものではなかった。ここで皆の度胆を抜いたのがカズマイヤーで、なんとパンフレット通りに76kgの樽を次々とほんとうに投げ込んでいったのである。時間は50秒で、樽1個に要した時間は約4秒。

 第6種目「バッテリー片手水平持ち競争」これは文字通り27kgのバッテリーを水平に伸ばした片腕で何秒ささえらるかという競争。日本人で27kgを水平に10秒以上持てる人が、果して何人ぐらいいるだろうか。
 
 ところが、ダーウィン・パイパーはこれを43秒も持ったのである。そして38秒以上は、上位からワディングトン、ウォルフレイ、ハナン、カズマイヤーと続いた。カズマイヤーは「ビール樽積み競争」のダメージから回復できなかったようだ。

 以上で2日目を終わり、以下は第3日目である。
 第7種目は「鉄筋曲げ競技」である。135cmの真すぐの鉄筋棒を、首の後ろに回して腕の力だけで曲げるもので、直径何mmまでの鉄筋をどれほど曲げたかで競われるものである。まずは13mmからスタートして16mまで進行した。この時点で残っているのはカズマイヤーとケイプのみとなった。鉄筋は続いて直径17mmとなり、両選手は満身の力を込めたその瞬間、2人とも筋肉に痛みを感じて鉄筋を放り出してしまった。ケイプは肩を、そしてカズマイヤーは大胸筋を切ってしまったようである。勝負は僅かの差でケイプの勝ち。ケイプのケガは大したことはなかったがイヤーは患部が青くはれ上がり、大胸筋にはまったく力が入らなくなってしまった。
〔ケイプの"デッド・リフト"〕

〔ケイプの"デッド・リフト"〕

 続く第8種目と第9種目はスクワットとデッド・リフトで、これはパワーリフターには有利なものである。
 スクワットといっても、例年のように美しい女性たちを何人もかついで行なうものから今年はガラリと変わり、ここプレイボーイクラブのバニーたちの熱い声援を受けつつも色気などまったくない、ただ重いだけのコンクリートブロックをかつぐものになってしまった。

 「世界一脚の強い男」と紹介されたワディングトンは、パイパー、カズマイヤーと共に415kgをみごとクリヤー。ここで重量は440gに上がり、パイパーはパス。まずワデイングトンが挑戦。しかししゃがむ時のスピード・コントロールが悪く、下でつぶれる。続いてカズマイヤー。胸を痛めているにもかかわらず成功。自分の足を指さして「これが世界一の脚なんだヨ。よく見ておくんだネ」とワディングトンに言ったそうである。ワディングトンはただ笑っていただけとか。

 第9種目のデッド・リフトは題して「お金持ち競争」、バーベルの両側にプレートのかわりに強化ガラスの箱を作りつけ、その中に銀貨を大量に入れて、さて何万円持ち上がるか。いや、何kg持ち上がるかという競技である。

 昨年は270kgまでしか上がらなかったケイプは、今年は何と385kgに成功してパイパーと並んだ。しかし、さらにハナン、ワディングトン、カズマイヤーは408kgを成功。この3人が422kgに挑んだ。パワーリフティングのスーパーヘビー級のデッド・リフトの世界記録400kgより重いのは、この競技のバーの位置がひざ下5cmぐらいの所まで来ているからである。さて3人のうち、ハナンは自分の限界を知ってか棄権。ワディングトンは挑戦したが失敗、カズマイヤーの番になった。テレビの解説は、この大会の第1回、第2回の優勝者で、アメリカのもと重量挙げスーパーヘビー級チャンピオン、ブルース・ウイルヘルムである。限界知らずのカズマイヤーはこの重量を軽く引くと「次はブルース、キミの分もやっとくヨ」と言って、もう1回繰り返してしまったのである。

 第10種目は「丸太投げ」だ。長さ4.2m、長径35cm、重さ40kgの丸太を何m投げるかの競技である。ここでは、投ることが専門のゼレツニアックが12m投げて1位、ワディングトン、ケイプ、ドレジウィックが続いた。やはり上位はワディングトンを除くと砲丸投げ選手が占めた。
〔胸を痛めたカズマイヤーは、パイパーに、あっさり押し出されて負ける〕

〔胸を痛めたカズマイヤーは、パイパーに、あっさり押し出されて負ける〕

 最後に例年は綱引きが行なわれるのであるが、今年は何と相撲であった。写真によると、マットの上で全員マワシをつけて戦ったようである。ここではアメリカン・フットボールの選手が強く、優勝はキース・ビショップ、2位はクレイグ・ウォルフレイであった。
カズマイヤーは大胸筋の痛みで力が出せずパイパーに押し出しで敗れ、ワディングトンはキース・ビショップのぶちかましに敗れて、相撲は力だけではないということが改めて証明された。

 以上で3日間にわたる熱戦の幕を閉じた。カズマイヤーは昨年に続き2連勝したものの、胸の負傷で全米パワーリフティング選手権大会に出られず、結果として世界選手権も棒にふってしまった。とにかく我々としては、日本でもこの大会が放映される事を望みながら、この報告を終わるは、ことにしよう。

◇順位・得点表
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