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ニュース 1984年2月号

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月刊ボディビルディング1984年2月号
掲載日:2021.01.22

5 第1回、第2回ワールド・ストロンゲストマン・コンテストの優勝者、ブルース・ウィルヘルム氏来日

〔左から朝生照雄氏、私(吉田)、ブルース・ウィルヘルム氏、因幡英昭選手、斎藤浩JPA理事長〕

〔左から朝生照雄氏、私(吉田)、ブルース・ウィルヘルム氏、因幡英昭選手、斎藤浩JPA理事長〕

 昨年12月11日、因幡選手の世界選手権大会10連覇の祝賀会が開かれ、各方面から多くの方々が集まられた。その中に1人のアメリカからの客がまじっていたのだが、古くからのこの雑誌の読者ならご存知のはずの、第1回、第2回ワールド・ストロンゲストマン・コンテストの優勝者ブルース・ウィルヘルム氏であった。特に決勝の綱引きでラインホルトを破って優勝した場面をテレビで見られたのではないかと思う。氏は現在サンフランシスコに在住し、アメリカのABCテレビのスポーツ番組(特にウェイトリフティング)の解説者で、今回は12月10日に東京で行われたウェイトリフティング・ワールド・カップのテレビ解説の仕事での来日であった。
 氏はまた、1976年のモントリオール・オリンピックにはウェイトリフティング・スーパーヘビー級のアメリカ代表選手として参加したそうである。当時は155kgあった体重も今では「私は今はのんびりとボディビルをやっている」と言うだけあって120kgまで減量している。
 ちなみに、彼の各種目のベスト記録をたずねたところ、下記のとおりであった。この記録はワールド・ストロンゲストマン・コンテストに出場していたころ(1977~78年)のものだそうである。
なお、当時の体のサイズは胸囲150cm、大腿囲87cm、ウエスト115cmと語っていた。

なお、当時の体のサイズは胸囲150cm、大腿囲87cm、ウエスト115cmと語っていた。

■第8回北信越パワーリフティング選手権大会、第2回北信越女子パワーリフティング公開競技
昭和58年10月30日 於・三共アルミニウム工業記念会館

(富山県パワーリフティング協会=鹿熊安正・長沢邦男)

(富山県パワーリフティング協会=鹿熊安正・長沢邦男)

■第16回愛媛県パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月27日 於・イヨテツスポーツセンター

(愛媛県パワーリフティング協会理事長=岡崎 努)

(愛媛県パワーリフティング協会理事長=岡崎 努)

■第6回宮城県パワーリフティング選手権大会優勝者
12月4日 於・東北トレーニングセンター

(宮城県パワーリフティング協会理事長・伊藤孝一)

(宮城県パワーリフティング協会理事長・伊藤孝一)

■1983全九州パワーリフティング選手権秋季大会
昭和58年11月27日 於・筑紫工業高等学校

(記録=福岡ボディビルセンター・太田 実)

(記録=福岡ボディビルセンター・太田 実)

”アスレティック・せき”恒例のマラソン・ベンチプレス

 東京・国分寺市の”アスレティック・せき”では、パワーとスタミナを同時にテストする恒例のマラソン・ベンチプレスを去る12月21日行った。
 やり方は、まず各挑戦者の体重を測り、2.5kgきざみで切り上げた各人の体重に最も近い重量を使用重量とし、検量後、10分以内に第1セットを開始する。そして出来るだけプレス運動を反復し、限界にきたら適宜インターバルをとり、同じようにして、1時間以内に6セット実施して、合計のプレス回数を競うものである。ちなみに同日の6位までの成績は次のとおり。
記事画像7

■第12回中部学生パワーリフティング大会新人戦
昭和58年12月11日 於・名城大学体育館

(中部日本学生パワーリフティング連盟・尾崎 睦ほか)

(中部日本学生パワーリフティング連盟・尾崎 睦ほか)

■第9回愛知県パワーリフティング新人大会
昭和58年11月27日 於・トヨタスポーツセンター

(愛知県パワーリフティング協会理事長・尾田秀男)

(愛知県パワーリフティング協会理事長・尾田秀男)

■第9回中部日本パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月13日 於・四日市市中央緑地体育館

[註]☆印は大会新、◎印はジュニア日本新を示す。(三重県パワーリフティング協会理事長・日高弘憲)

[註]☆印は大会新、◎印はジュニア日本新を示す。(三重県パワーリフティング協会理事長・日高弘憲)

〔中部日本パワー選手権優勝者と大会役員〕

〔中部日本パワー選手権優勝者と大会役員〕

■第7回1983年度佐賀県パワーリフティング選手権大会優勝者
(12月4日・佐賀ボディビルセンター)

[註]☆印は佐賀県新記録を示す。(佐賀県パワーリフティング協会理事長・福井 統)

[註]☆印は佐賀県新記録を示す。(佐賀県パワーリフティング協会理事長・福井 統)

■第19回アジア・ボディビルディング・チャンピオンシップス採点明細(上位7位まで)

[註]シはシンガポール、マはマレーシア、ホはホンコン、パはパキスタンを示す。(資料提供=松山令子)

[註]シはシンガポール、マはマレーシア、ホはホンコン、パはパキスタンを示す。(資料提供=松山令子)

■第4回兵庫県パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月13日 於・神戸市立中央体育館

[註]82.5kg級4位の中島幸雄選手はスクワット230kgのジュニア日本新、女子67.5kg級にオープン参加した田村頼子選手はスクワット150kg、ベンチプレス72.5kg、トータル357.5kgの3つのジュニア日本新、90kg超級にオープン参加した小出新一選手はベンチプレス195kgの日本新を樹立した。(記録=吉田忠男)

[註]82.5kg級4位の中島幸雄選手はスクワット230kgのジュニア日本新、女子67.5kg級にオープン参加した田村頼子選手はスクワット150kg、ベンチプレス72.5kg、トータル357.5kgの3つのジュニア日本新、90kg超級にオープン参加した小出新一選手はベンチプレス195kgの日本新を樹立した。(記録=吉田忠男)

■有明ボディビル・センターでトレーニングする2人の異色ボクサー、田畑隆とアニマル高村

 キックボクシングでKOの山を築いた元日本ウェルター級チャンピオンの田畑隆選手(30才、目黒ジム)は、キック引退後、九州に帰っていたが、2年間のブランクを乗り越えてボクサーに転向、ボディビルのトレーニングでみっちり調整し、キックボクシング時代、43勝のうち41KOという黄金の左フックと右ストレートで、強打の森田修二選手(小倉高橋ジム)を予告どおり豪快に3ラウンドでKOし、国際式転向第一戦を飾った。現在、彼は人材難のJミドル級にウェイト・アップし、チャンピオンを狙って必死のトレーニングを展開中である。
 また、田畑選手と同じく、大牟田の有明ボディビル・センターでトレーニングを積んでボクサーになったアニマル高村選手はバンタム級西部チャンピオン・小川信一選手(熊本島ジム)を破り、3戦3勝(1KO)で全勝中。高村選手はバンタム級の小さい体でベンチ・プレス100kgを数回挙上する腕力があり、シット・アップも最上段で連続300回できる有望な選手である。
田畑隆志選手

田畑隆志選手

アニマル高村選手

アニマル高村選手

■第6回秋期埼玉県パワーリフティング選手権大会

昭和58年11月20日 於・浦和市民体育館
[註]◎印はジュニア日本新記録を示す。(記録=埼玉県パワーリフティング協会事務局・横溝貞雄)

[註]◎印はジュニア日本新記録を示す。(記録=埼玉県パワーリフティング協会事務局・横溝貞雄)

月刊ボディビルディング1984年2月号

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