ニュース 1984年2月号
5 第1回、第2回ワールド・ストロンゲストマン・コンテストの優勝者、ブルース・ウィルヘルム氏来日
〔左から朝生照雄氏、私(吉田)、ブルース・ウィルヘルム氏、因幡英昭選手、斎藤浩JPA理事長〕
氏はまた、1976年のモントリオール・オリンピックにはウェイトリフティング・スーパーヘビー級のアメリカ代表選手として参加したそうである。当時は155kgあった体重も今では「私は今はのんびりとボディビルをやっている」と言うだけあって120kgまで減量している。
ちなみに、彼の各種目のベスト記録をたずねたところ、下記のとおりであった。この記録はワールド・ストロンゲストマン・コンテストに出場していたころ(1977~78年)のものだそうである。
なお、当時の体のサイズは胸囲150cm、大腿囲87cm、ウエスト115cmと語っていた。
■第8回北信越パワーリフティング選手権大会、第2回北信越女子パワーリフティング公開競技
昭和58年10月30日 於・三共アルミニウム工業記念会館
(富山県パワーリフティング協会=鹿熊安正・長沢邦男)
■第16回愛媛県パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月27日 於・イヨテツスポーツセンター
(愛媛県パワーリフティング協会理事長=岡崎 努)
■第6回宮城県パワーリフティング選手権大会優勝者
12月4日 於・東北トレーニングセンター
(宮城県パワーリフティング協会理事長・伊藤孝一)
■1983全九州パワーリフティング選手権秋季大会
昭和58年11月27日 於・筑紫工業高等学校
(記録=福岡ボディビルセンター・太田 実)
”アスレティック・せき”恒例のマラソン・ベンチプレス
やり方は、まず各挑戦者の体重を測り、2.5kgきざみで切り上げた各人の体重に最も近い重量を使用重量とし、検量後、10分以内に第1セットを開始する。そして出来るだけプレス運動を反復し、限界にきたら適宜インターバルをとり、同じようにして、1時間以内に6セット実施して、合計のプレス回数を競うものである。ちなみに同日の6位までの成績は次のとおり。
■第12回中部学生パワーリフティング大会新人戦
昭和58年12月11日 於・名城大学体育館
(中部日本学生パワーリフティング連盟・尾崎 睦ほか)
■第9回愛知県パワーリフティング新人大会
昭和58年11月27日 於・トヨタスポーツセンター
(愛知県パワーリフティング協会理事長・尾田秀男)
■第9回中部日本パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月13日 於・四日市市中央緑地体育館
[註]☆印は大会新、◎印はジュニア日本新を示す。(三重県パワーリフティング協会理事長・日高弘憲)
〔中部日本パワー選手権優勝者と大会役員〕
■第7回1983年度佐賀県パワーリフティング選手権大会優勝者
(12月4日・佐賀ボディビルセンター)
[註]☆印は佐賀県新記録を示す。(佐賀県パワーリフティング協会理事長・福井 統)
■第19回アジア・ボディビルディング・チャンピオンシップス採点明細(上位7位まで)
[註]シはシンガポール、マはマレーシア、ホはホンコン、パはパキスタンを示す。(資料提供=松山令子)
■第4回兵庫県パワーリフティング選手権大会
昭和58年11月13日 於・神戸市立中央体育館
[註]82.5kg級4位の中島幸雄選手はスクワット230kgのジュニア日本新、女子67.5kg級にオープン参加した田村頼子選手はスクワット150kg、ベンチプレス72.5kg、トータル357.5kgの3つのジュニア日本新、90kg超級にオープン参加した小出新一選手はベンチプレス195kgの日本新を樹立した。(記録=吉田忠男)
■有明ボディビル・センターでトレーニングする2人の異色ボクサー、田畑隆とアニマル高村
また、田畑選手と同じく、大牟田の有明ボディビル・センターでトレーニングを積んでボクサーになったアニマル高村選手はバンタム級西部チャンピオン・小川信一選手(熊本島ジム)を破り、3戦3勝(1KO)で全勝中。高村選手はバンタム級の小さい体でベンチ・プレス100kgを数回挙上する腕力があり、シット・アップも最上段で連続300回できる有望な選手である。
田畑隆志選手
アニマル高村選手
■第6回秋期埼玉県パワーリフティング選手権大会
[註]◎印はジュニア日本新記録を示す。(記録=埼玉県パワーリフティング協会事務局・横溝貞雄)
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